写真提供:リージョナルフィッシュ、木下政人准教授、イラスト:The Studio/Shutterstock
サシ(脂)がたくさん入ったブランド和牛や、日本人好みの粘り気のあるコメ、果物のように甘いトマト—— 。
私たちは「品種改良」によって、自分たちにとって都合の良い家畜や野菜を数多く作り出してきました。
実はいま、この品種改良のやり方が、劇的に変わりつつあります。
2021年9月、筑波大学ベンチャーのサナテックシードが、「ゲノム編集」を使ってGABAという栄養成分を豊富に含むトマトの販売を開始したことが大きな話題となりました。
同年10月には、京都大学ベンチャーのリージョナルフィッシュが、同じくゲノム編集によって肉厚になったマダイを販売。11月には、成長速度が2倍速いトラフグも販売しました。ゲノム編集した魚の販売は、世界初のことです。
リージョナルフィッシュが開発したゲノム編集トラフグ(22世紀ふぐ)の刺し身。
撮影:山﨑拓実
ゲノム編集は「遺伝子を自由自在に改変する技術」とも呼ばれています。
2020年には、ゲノム編集に欠かせない「DNAを切断する“ハサミ”」であるCRISPR/Cas9(クリスパー・キャスナイン)を開発したドイツ、マックスプランク研究所のエマニュエル・シャルパンティエ教授と、アメリカ、カリフォルニア大学のジェニファー・ダウドナ教授に対して、ノーベル化学賞が授与されました。
この技術が2012年に開発されて以降、ゲノム編集は、生物学や医療を始め、サイエンスを大きく進歩させることに貢献してきました。そしていま、数々の基礎研究を経て、ゲノム編集技術は食品の品種改良手法として実社会の中で活用されるフェーズに達しているのです。
ゲノム編集によって生み出された食品は、普通の食品と何が違うのでしょうか。味や安全性に問題はないのでしょうか?
2月の「サイエンス思考」では、ゲノム編集によって「GABAが豊富なトマト」を開発したサナテックシードのCTOを務める筑波大学の江面浩教授と、「肉厚なマダイ」などを開発したリージョナルフィッシュのCTOを務める京都大学の木下政人准教授の2人に話を聞きました。
メリットは「欲しいものをすぐに作れること」
リージョナルフィッシュのCTOを務める、京都大学の木下政人准教授。
写真:取材時のキャプチャ
「メリットは作りたいものがすぐ作れることだと思います。遺伝子の情報が読めるようになり、どの遺伝子がどんな働きをしているのかが分かってきた。ゲノム編集によって、そこをピンポイントで改変できる。自然に任せていたら何百年もかかるようなことが簡単にできてしまう」(木下准教授)
「いま私たちが食べている農作物の品種の性質をほとんど維持したまま、ピンポイントで特定の遺伝子を改良できることが一番のメリットだと思います。今までの品種改良の手法では、遺伝子を1個だけ入れるようなことをやるには、何年もかかっていました」(江面教授)
木下准教授と江面教授は、ゲノム編集のメリットについてそれぞれこう語ります。
一般的に、畜産動物にしろ野菜にしろ、狙った通りの性質を持つ品種を生み出すためには、自然界からその特徴(遺伝子)を持った個体を見つけ出し、何世代にもわたって交配を繰り返さなければなりません。
最初の個体を選抜する上で、外部から放射線などの刺激を与えてランダムな突然変異を作り出す手法もありますが、それでもかなり時間がかかります。
一方、ゲノム編集では、こういった既存の手法と比較して格段に早く、欲しい性質を得ることが可能です。いままで品種改良に10年かかっていたものが、数年でできるようになる可能性もあるわけです。
「ゲノム編集食品」と「遺伝子組換え食品」は似ているようで違う
ブラジルの遺伝子組換えトウモロコシ畑。
REUTERS/Ueslei Marcelino
ゲノム編集と似たような技術として、「遺伝子組換え」という技術を聞いたことがある人は多いでしょう。
遺伝子組換え技術を使って品種改良された作物は「遺伝子組換え作物(GM作物)」と呼ばれ、1990年代後半から世界中で栽培されるようになりました。その最大の特徴は、その作物が本来持っていない遺伝子(外来遺伝子)を持っていることです。
例えば、バクテリアの遺伝子を大豆に組み込むことで、「除草剤に耐性を持つ大豆」などが開発されています。アメリカなどでは盛んに栽培されており、日本国内にも家畜の飼料用や加工製品用として一定数、遺伝子組換え食品が流通しています。
「ゲノム編集食品」も、人工的に遺伝子を改変しているという点で、遺伝子組換え作物と同じようなものだと感じる人は多いかもしれません。ただ、そこには明確な違いがあります。
「遺伝子組換え食品とゲノム編集食品の違いは、外来遺伝子が入っているかどうかです。ゲノム編集食品では、新たに別の種の遺伝子は導入されていません」(木下准教授)
ゲノム編集は、生物のDNA内に存在する狙った遺伝子を切断したり、切断した後にそこに別の遺伝子を挿入したりすることが可能な技術です。このとき、遺伝子組換え作物のように、他の生物の遺伝子を入れることも原理的には可能です。
しかし、品種改良の研究がなされているゲノム編集食品は、日本で販売されているゲノム編集食品が全てそうであるように、既存の遺伝子を失わせる手法としてゲノム編集を活用しているものがほとんどです。仮に外来遺伝子を加えるゲノム編集をした場合は、遺伝子組換え作物と同じ取り扱いになります。
ゲノム編集は、編集の仕方に応じて3つの分類がある。日本で販売されているGABAが豊富なトマトや肉厚なマダイなどは、SDN-1(左)に相当。
出典:農林水産省ゲノム編集技術を利用して得られた食品等に関する意見交換会の資料より引用
例えば、サナテックシードが販売しているGABAが豊富なトマトでは、トマトにもともと備わっていたGABAの量を調整する機能を喪失させることで、GABAが蓄積されやすくなっています。
リージョナルフィッシュの肉厚マダイも、タイにもともと備わっている「筋肉の発達を抑える遺伝子」の機能を失わせることで、筋肉が発達しやすい(発達が抑えられにくい)マダイを生み出しているというわけです。
生物がもともと持っている遺伝子の機能を失うような突然変異は、自然界でもよく起こっています。従来の品種改良では、自然界でたまたま生じた突然変異の結果、人にとって有益な遺伝子を持つ個体を選抜して、交配させているわけです。
仮に、GABAの量を調整する機能を失ったトマトや、筋肉の発達を阻害する機能を失ったマダイを自然界から見つけ出し、交配を進めていけば、サナテックシードやリージョナルフィッシュが販売しているトマトやマダイと似た特徴を持つものができるといえます。
現状のゲノム編集食品では、こういった自然に起きる突然変異をゲノム編集を使って能動的に起こしているだけにすぎないのです。
「そういった意味で、ゲノム編集食品と言われることも多いのですが、やっていることは普通の品種改良と同じなんです」(江面教授)
※なお、ゲノム編集食品を販売する上では農林水産省や厚生労働省に対して、生態系や食品としての安全性についての情報提供が求められています。
ゲノム編集食品はどう作られる?
リージョナルフィッシュが開発した肉厚なマダイ。自然界でも同じような突然変異が生じて、肉厚なマダイが生まれる可能性はある。
提供:リージョナルフィッシュ
ゲノム編集は品種改良と同じ。
そう言われると、少し安心できるような気がする一方で、やはり気になるのは食品として私たちが口にしたときの安全性です。ゲノム編集をするために使用した物質などは、ゲノム編集食品の中には残らないのでしょうか。
実は、ゲノム編集食品といっても、私たちが口にするものはゲノム編集された魚や野菜そのものではありません。
例えば、リージョナルフィッシュが開発している「肉厚なマダイ」を作るにはいくつかの工程が必要です。
まず産卵期になった養殖マダイから採取された卵子や精子から受精卵を作り、それら1つずつに対して筋肉が成長しやすくなるようにゲノム編集をするための物質(クリスパーキャス9など)を注射し、ゲノム編集を施します。マダイの場合、ゲノム編集した受精卵のうち、うまく稚魚まで育つのは全体の3割程度だといいます(通常の養殖では7割程度)。
実際にマダイの受精卵にゲノム編集を施しているようす。細い注射針で細胞にゲノム編集をするため試薬を入れる。
提供:木下政人准教授
成長した稚魚は、一匹一匹電子タグなどを使って識別された状態で成魚にまで育てられます。このとき、各個体の遺伝子を調べ、狙った性質(遺伝子変異)を持っているかどうかを確かめておきます。
ただし、ここで狙った性質を持っていたとしても、その魚がそのまま出荷されるわけではありません。
狙った遺伝子変異を持つ成魚が得られると、今度はその変異を持った個体同士をさらに交配させ、再びその稚魚を育てます。これを何度か繰り返すことで、確実に「肉厚なマダイ」が生まれるように品種を確立していくわけです。これは一般的な品種改良の工程とさほど変わりません。
つまり、「ゲノム編集マダイ」といっても、私たちが口にするのは「実際にゲノム編集されたマダイ」そのものではなく、遺伝子の突然変異も自然に生じるレベルでしかない、普通に養殖されたマダイなのです。
これはサナテックシードが開発したGABAが豊富なトマトでも基本的には同様です。
「私たちの場合、一番初めに植物の細胞に遺伝子組換えで『ゲノム編集をするツールの遺伝子』を入れています。ゲノム編集が終わると、細胞を培養して植物を再生し、その個体を自分自身と交配(自家受粉)させます。そこから誕生した子孫の中には、組み込んだ遺伝子が取り除かれ、狙った遺伝子変異だけが残った個体が現れます」(江面教授)
あとは通常の品種改良と同じように交配を進めていくことで、狙った性質を持つ品種を確立できます。ゲノム編集をするツールを導入するために一番初めに遺伝子組換えをしているものの、外来生物の遺伝子は途中の工程で抜け落ちるため、最終的に得られる個体は遺伝子組換え作物ではなく、自然に栽培されたものと同等といえるわけです。
編集は簡単、でもなんでも品種改良できない理由
サナテックシードのCTOを務める、筑波大学の江面浩教授。
写真:取材時の画面をキャプチャ
ゲノム編集自体は非常に簡単な手法であり、かなり幅広い生物に対して適用することが可能です。ただし、だからといってどんな作物や水産物でも簡単に品種改良できるわけではありません。
木下准教授は、
「ゲノム編集マダイやトラフグが実現できたのは、受精卵から成魚にする養殖技術があったからです。ほかの種、例えばマグロの卵にゲノム編集をしたとしても、それを成魚にまで育てることは非常に難しい。日本で魚のゲノム編集がよくできるのは、そういう完全養殖のベースがあるからなんです」
と話します。
これは作物でも同様です。
作物の場合は、小さな細胞の塊にゲノム編集を施したあと、培養して「再生」させる必要があります。しかしバイオテクノロジーの問題として、個体の再生ができない作物もあるため、現時点ではゲノム編集による品種改良ができる範囲はある程度制限されているといいます。
ただ、江面教授によると、近年では細胞培養をせずに直接植物の種をゲノム編集する手法も研究されているといいます。これがうまくいけば、活用できる範囲は一気に広がるといえます。
人口100億人時代に求められるゲノム編集食品
サナテックシードが開発するGABAが豊富なトマトの苗。
提供:サナテックシード
遺伝子組換え食品が日本にやってきた際には、「ほかの生物の遺伝子が入っている」という側面から、安全面などに対する不安や懸念がありました。これは今なお続いている課題です。
ゲノム編集食品が普及していく際にも、同様のことが起きるのではないかという懸念がありました。しかし、実際に販売されてみると、江面教授にしろ木下准教授にしろ、「世の中からポジティブに受け入れられた」という印象があるといいます。
「もっと反対されると思っていたのですが、そうはなりませんでした。若い世代の間では、PCRやゲノム、遺伝子といった言葉が当たり前に知られているということが大きいのではないかと思います。『おばけは知らないから怖い』ではありませんが、知っているものならそこまで毛嫌いされないのではないかと思います」(木下准教授)
ただ一方で、新しい技術を導入することに不安を感じる人が一定数いることも事実です。
江面教授は、「いろいろと心配されるのは当然かなと思います」と理解を示しつつ、
「実際に触れてもらうことが大事だと思い、家庭菜園用に苗を配布して多くの人に実際に育ててもらいました。当初、数百人希望者が集まればいいかなと思っていたのですが、結局5000件ほどの応募がありました」(江面教授)
と、好意的な消費者と直接コミュニケーションを取りながら少しずつ普及を進めているといいます。
少しずつ、しかし着実に広がっているゲノム編集食品。
これから先、世界人口が100億人を超え、食料不足が本格化してくることが予想されています。ゲノム編集による品種改良は、そういった食糧難を解決するために必要不可欠なツールの一つになる可能性があります。
私たちはこの技術をどう受け入れるのでしょうか。
「『大丈夫ですよ』とだけいっても、理解してもらえないですよね。もっと研究者が、コミュニケーションのやり方や内容を考えて、科学研究と世の中の乖離を埋めていかないといけないと思っています」(木下准教授)
(文・三ツ村崇志)