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2月14日に公開されたアメリカ証券取引委員会(SEC)への書類で、イーロン・マスクが57億ドル(約6555億円)相当のテスラ株を寄付していたことが明らかになった。ブルームバーグ・ビリオネア指数によると、マスクは現在の純資産は2270億ドル(約26兆円)で、世界一の大富豪だ。57億ドルは、マスクの純資産の2.5%に相当する。
だが彼は、しばしば「世界で最もケチなビリオネア」と呼ばれるほど、寄付に消極的だと言われてきた。なので、このニュースに、「お」と思った人も少なくなかったと思う。
翌日 Forbes は早速、「寄付」先がDAF(Donor-advised fund。慈善寄付を管理するために作られた基金)か、マスク財団の可能性を指摘し、資金が第三者に分配されるまでは厳密な意味での「寄付」とは呼びがたく、節税手段かもしれないと報じた。
「宇宙より地球でやるべきことがある」とゲイツ
今や世界一の資産家となったイーロン・マスク氏だが、寄付には消極的だった。
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Forbes は、富裕層の慈善活動への熱意を示す指標として、総資産と寄付額を考慮して算出する「フィランソロピー・スコア(Philanthropy Score)」を発表している。2021年の「フォーブス400」にランクインした400人のうち、資産の10%以上を寄付したのはわずか19人、1%未満の寄付は過去最高の156人だった。世界一の大富豪の座を争うベゾスとマスクは、共に「1%未満」のグループだった。
2021年にランクインした400人の資産は、総額$4.5トリリオン(4.5兆ドル)にも上り、前年比40%増。好調な株式市場が主な理由だが、同レポートは、彼らの富が急速に膨れ上がっている一方で、寄付のペースはそれに追いついていないと指摘している。
2022年1月に報じられた「Forbes: The 25 Most Philanthropic Billionaires(アメリカで最も慈善活動に熱心な25人のビリオネアたち)」ランキングのトップはウォーレン・バフェット、2位がビル&メリンダ・ゲイツ、3位がジョージ・ソロス、4位がマイケル・ブルームバーグ、5位がベゾスの前妻マッケンジー・スコットだった。
AmazonのCEOを退いて以来、以前よりも慈善活動に積極的になったと言われるジェフ・ベゾスだが、10位以内にすら入っていない。マスクに至っては完全に圏外だ。マスクは、前述の$5.7ビリオンをカウントしなければ、これまでの寄付は$280ミリオン(2億8000万ドル)に留まると言われている。2000億ドル以上ある純資産の約1000分の1という少なさだ。
一方で、ベゾス、マスク、それにリチャード・ブランソンなどの大富豪たちは近年、競い合うかのように、宇宙飛行に熱心に資金を投入している。
2021年9月21日、国連のアントニオ・グテーレス事務総長は「地球上で何百万人もが飢えているというのに、ビリオネアたちは宇宙旅行に何十億ドルも費やして面白がっている(“billionaires joyriding to space while millions go hungry on earth.”)」と非難した。同じ時期、テレビに出演したビル・ゲイツも「宇宙? 我々には地球上でやるべきことがたくさんある(Space? You know, we have a lot to do here on earth)」と皮肉を述べた。
連邦所得税の最高税率を上げ、年収100万ドル超の富裕層の株式などの譲渡益(キャピタルゲイン)にもこの最高税率を適用することを提案しているエリザベス・ウォーレンやバーニー・サンダースなど民主党左派も、超富裕層は気候変動や貧困といった問題をより優先的に捉えるべきだと批判している。
世界で最も裕福な10人の富は倍になった
コロナによって経済格差はますます深刻となった。フードバンクには、仕事を失った人たちが列をなしている。
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パンデミックは社会の中のさまざまな格差を可視化しただけでなく拡大させ、2020年には世界のビリオネアは史上初めて3000人を超えた。Wealth-X の「ビリオネア・センサス2021」(2021年9月に発表)という分析によると、特にテクノロジーとヘルスケア分野で、ビリオネアは2020年、世界中で前年比13.4%も増加。北米では前年比17.5%増、その次に伸び率が高かったのがアジアの16.5%だ。
2022年1月、90カ国以上で貧困をなくす活動をしているNGO・Oxfamは、「世界で最も裕福な10人の富は、パンデミックの間に倍になった」というレポートを発表した。2020年3月から2021年11月に、世界の99%の人々の収入が減った一方で、世界で最も裕福な10人(全て男性)の資産総額が、$700ビリオン(7000億ドル)から$1.5トリリオン(1.5兆ドル)に倍増したという。
その10人とは、イーロン・マスク、ジェフ・ベゾス、ベルナルド・アルノー(LVMH)とその家族、ビル・ゲイツ、ラリー・エリソン(オラクル)、ラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリン、マーク・ザッカーバーグ、スティーブ・バルマー、ウォーレン・バフェットだ。大多数がアメリカのテクノロジー界のリーダーたちだ。Oxfam は、彼らがその富の99%を失っても、なお地球上の99%よりも裕福だと指摘している。
このレポートは同期間に、1億6000万人以上の人々がパンデミックのせいで貧困に押しやられたとも報告している(Oxfam の「貧困」の定義は、1日あたり$5.50以下で生活しなくてはならない状態)。
慈善事業業界をリードする3人の元妻たち
女性でアメリカの慈善事業をリードした先駆者の1人がエレノア・ルーズベルトだ。
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「アメリカの慈善事業家」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、興した事業で膨大な財を成し、それを慈善事業に投じた男性たちではないだろうか。ロックフェラー(石油)、カーネギー(鉄鋼)、フォード(自動車)といった19−20世紀の実業家たちの苗字を冠する財団は現在も影響力を持ち続けている。
一方女性はというと、例えばフランクリン・D・ルーズベルト大統領の妻エレノア・ルーズベルトや、ジョン・D・ロックフェラー2世の妻でアート・コレクターとして活躍し、ニューヨーク近代美術館の共同設立者の1人でもあったアビー・ロックフェラーなどが頭に浮かぶが、男性に比べると、圧倒的に数が少ない。
その中で今、アメリカの慈善事業界で注目を集めている3人の女性たちが歴史を塗り替えている
マッケンジー・スコット、メリンダ・フレンチ・ゲイツ、ローレン・パウエル・ジョブズ。彼女たちは、それぞれ大成功した起業家の元妻だが、いわゆる「トロフィー・ワイフ」(男性が社会的に成功した後に、その成功を誇示するため、誰もが羨むような女性を妻にすること)ではなく、長い間共にビジネスを築いてきたパートナーだった。高い教育を受け、政治や社会について強い意見を持ち、夫から独立した一個人としてのキャリアもある。
彼女たちは、寄付金と引き換えに建物に自分の名前をつける権利を得るなどというやり方には興味がない。名誉より、実際に社会問題を解決すること、データに基づき結果を出すことにこだわる。比較的若いうちから精力的にエネルギーと資金を投入し、自分が生きている間に社会を変えるインパクトを生み出そうとしている点も共通している。
ニューヨーク・タイムスの「How Women Are Changing the Philanthropy Game(女性たちがいかに慈善事業業界のゲームを変えつつあるか)」という記事の中で、インディアナ大学のデブラ・メッシュ教授は、慈善事業に取り組む姿勢での男女の違いをこう指摘している。
「男性はエゴ/自己顕示欲が果たす役割がずっと大きい。ビジネス取引的な性質が強く、地位が動機になっていることが多い。一般的に言って、女性たちは、建物に自分の名前をデカデカと書いて欲しいなんて思わないものです」
約2年で85億ドル寄付したベゾスの元妻、マッケンジー・スコット
ジェフ・ベゾス(左)の元妻マッケンジー・スコット。寄付額とスピードが突出していることで話題を集めているが、今後寄付額などを公表しない方針を発表した。
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2019年、ベゾス夫妻が25年間の結婚生活ののちに離婚した時、ジェフは世界で最も裕福な男性だった。純資産は$137ビリオン(1370億ドル)と見られ、妻のマッケンジー・スコットは、財産分与でアマゾンのシェア4%、当時$38ビリオン(380億ドル)を受け取った。パンデミックの間の株価高騰で、2021年には約$60ビリオン(600億ドル、約6.9兆円)に膨れ上がったと見られている。
スコットはベゾス同様、プリンストン大学出身で、ノーベル賞受賞作家トニ・モリスンのもとで学び、彼女の助手を務めていたこともある。自身も作家でありライターだ。ベゾスとは、彼が起業する前に勤めていたニューヨークのヘッジファンド D.E. Shaw で出会った。1993年に結婚、ベゾスはこの年の後半に、オンライン書店を開くことを決め、2人はニューヨークからシアトルに移った。
離婚から2年経った2021年、彼女はシアトルの小学校教師と再婚している。
2019年の離婚後、彼女はGiving Pledgeにサインし、「私には不釣り合いなほど巨額の、シェアするべき資産があります」「金庫が空っぽになるまで寄付し続けます」というメッセージを書いている。
Giving Pledgeとは、2010年にビル・ゲイツ夫妻とウォーレン・バフェットが始めた寄付推奨活動で、自分達のような富裕層に「生きている間に、あるいは亡くなる際に、資産の少なくとも半分を慈善事業のために寄贈します」と約束させようというものだ。サインする人は、その意志を公にしなくてはならず、Giving Pledge のウェブサイトに行けば、これまでにサインした人のリストと、それぞれのメッセージを見ることができる。
スコットはサインした翌年(2020年)以降、何度もニュースの見出しとなった。まず、7月に$1.7ビリオン(17億ドル)を、12月に$4.2ビリオン(42億ドル)を、2021年にさらに$2ビリオン(20億ドル)以上を寄付。2022年になってからも寄付を続け、2年足らずで寄付の総額は約$8.9ビリオン(89億ドル)になる。このスピード感とスケールは、アメリカでも前例がない。ただ、彼女の「金庫が空になるまで寄付し続ける」というゴールはまだ遠い。それだけ寄付していても、彼女は離婚した時よりも裕福になっているからだ。
彼女が話題になっている理由は、寄付額とペースの速さだけではない。いくつか従来の寄付と異なる特徴があるのだ。
巨額の財産を寄付に回そうとする場合、財団や基金という「資産管理マシーン」を設立するのが従来のやり方だ。彼女はあえてそれをせず、「個人」としての寄付を選んでいる。財団は税制上優遇を受ける立場上、寄付活動の詳細を公開する義務があるが、個人であればその義務はない。スコットには、オフィスもフルタイムのスタッフ・チームもない。非営利団体を専門とするボストンの有名コンサルティング会社Bridgespan が助言していることが知られているが、その詳細はほとんど公にされていない。
もう一つの特徴は、特定の組織やテーマではなく、非常に多数の小規模な組織に寄付をしているということだ。2020年から今日までに彼女の資金提供を受けた組織は700以上。発表されているリストを見ただけでも、教育、人種マイノリティ支援、ジェンダー平等、LGBTQの人権、公衆衛生、医療、職業訓練、ホームレス用スープキッチン、低所得層コミュニティへの衣食住サポート、融資や法律についての相談所と、実に幅広い。
彼女を支えるBridgespanのコンサルタント・チームは、膨大な数の組織のデータを分析し、「強いインパクトを生んでいること」「資金不足が見過ごされていること」を重視して寄付先を選んでいるという。
使途について制約がないことも特徴だ。彼女のブログから察される理由は、組織にいま何が必要か、どう資金を使うべきかは、その組織の人たちが一番分かっているだろうから、その判断に委ねたいということだ。その他にも手続きや報告義務を簡素化し、早く資金を届けることに注力している。小さな非営利団体は常に人手不足で、寄付の申請や報告のための膨大な書類の準備は、大きな負担になりやすい。
スコットのアプローチは、お金を恵む側にありがちなパターナリズム(父権主義的、おせっかいで支配的な姿勢)がなく、非営利業界からは賞賛の声が強い。彼女が書いたものには、Humility (控えめさ、謙虚さ)という言葉がよく出てくるが、これらの方針に表れている気がする。
ジェンダーギャップ解消に取り組むメリンダ・フレンチ・ゲイツ
離婚後もゲイツ財団の活動を続けるメリンダ・フレンチ・ゲイツ。さらに女性や子どもの支援にも力を入れている。
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ビル&メリンダ・ゲイツ財団は2000年、「全ての生命の価値は等しい(All Lives Have an Equal Value)」という理念のもとに設立された。資産$40ビリオン(400億ドル)を超える世界最大の慈善基金財団で、ホームページには「我々は、世界中にある貧困、病、不平等と闘う非営利団体です(We are a nonprofit fighting poverty, disease, and inequity around the world)」とある。
ロックフェラーやカーネギーのような老舗巨大財団には十何人もの理事(ボード)がゾロゾロと並んでいるが、ゲイツ財団はとてもコンパクトな構造だ。共同会長はビル・ゲイツとメリンダ・ゲイツ、財団のCEO、3人の理事がいるだけだ。このシンプルな構造は財団の意思決定のスピードにつながる。
ゲイツ財団は圧倒的な資金力だけでなく、使う資金のスケールの大きさでも突出している。これまで使ったのは$53.8ビリオン(538億ドル)。資金を提供するだけでなく、受け取り手の組織をパートナーと捉え、共に生み出す「結果」にこだわっている。
メリンダは決して裕福とはいえない家庭で育ったが、両親は子どもたちの教育については熱心だった。名門デューク大学に進学し、学士号と経営学修士を得た後、1987年、23歳でマイクロソフトに就職し、ビルと出会った。1994年に結婚し、2021年に離婚を発表したが、その後も財団の仕事は共に続けている。
財団とは別に、Pivotal Venturesという、投資・起業支援会社を2015年に創設し、女性や子どもたちの援助もしている。女性が起業する際、男性に比べて資金調達が難しいという構造的不平等を解消すべく、多くの女性起業家を支えてきた。女性・少女の教育やジェンダー不平等の解消は、彼女にとって思い入れの強いテーマだ。メリンダは、女性同士が結束し支え合うことの重要さについてもよく語っている。前述のマッケンジー・スコットが慈善事業を立ち上げる際も、重要な役割を果たしていたと報じられた。
最近彼女が発表した新たな戦略は、女性と少女たちが直面する社会問題を取り上げたノンフィクションを専門に取り扱う出版ブランド「Moment of Lift Books」の立ち上げだ。ブランド名はベストセラーになったメリンダの著書「The Moment of Lift: How Empowering Women Changes the World」からとっている。
ゲイツ夫妻が Giving Pledge にサインした際、メリンダはこう書いている。この言葉は、高校の卒業式で、卒業生代表としてスピーチした時のもので、彼女がその後の人生ずっと指針にしてきたことだという。
“If you are successful, it is because somewhere, sometime, someone gave you a life or an idea that started you in the right direction. Remember that you are indebted to life until you help some less fortunate person, just as you were helped.”
「あなたがもし成功しているとしたら、それはいつかどこかで、誰かがあなたに命をくれたから、あるいはあなたが正しい方向に進めるようにアイデアをくれたからです。あなたは人生に借りがあるのです。あなた自身が助けてもらったように、あなたより恵まれていない人たちを助けるまでは」
ジャーナリズムを支えるローレン・パウエル・ジョブズ
ローレン・パウエル・ジョブズ(左)。ジョブズの生前から慈善事業には熱心に取り組んできた。
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ローレン・パウエル・ジョブズは、若い頃から慈善事業活動に熱心に取り組んできた。非営利団体College Track を1997年に創設し、恵まれない環境で育った多数の子どもたちを大学に送り出してきた。2004年には、社会的インパクト組織Emerson Collectiveを設立。2010年12月からは、White House Council for Community Solutionsメンバーとして、オバマ大統領のアドバイザーも務めたことがある。
これだけの実績があっても、2011年にスティーブ・ジョブズが亡くなるまでは、彼女が独立した個人として脚光を浴びることはほとんどなかったが、夫の死で$27.5ビリオン(275億ドル、約3.1兆円)の資産を得て活動に注目が集まるようになった。
パウエル・ジョブズは3歳の時にパイロットだった父親を亡くしている。母親は6歳以下の子ども4人を抱えるシングルマザーになった。母はのちに再婚したが、家庭は裕福ではなかったという。2020年のニューヨーク・タイムズのインタビューでは、小さい頃から、働くのが当たり前で、ベビーシッターから近所の家の雪かき、新聞配達、ウエイトレスまであらゆる仕事をしていたと述べている。
ペンシルバニア大学を卒業後、メリルリンチとゴールドマン・サックスで働いたが、起業を志し、スタンフォード大学ビジネス・スクールに進学する。大学院1年目に、友達に誘われてスティーブ・ジョブズの講演に行った。当時の彼女はスティーブ・ジョブズとビル・ゲイツの違いもわからないほどだったが、ジョブズがたまたま彼女の隣に座ったことがきっかけで出会った。ジョブズはAppleから事実上追放され、自らNeXT Computerを立ち上げたころだった。
ニューヨーク・タイムスのインタビューで、スティーブから受けた影響について聞かれ、こう答えている。
“One profound learning I took from him was that we don’t have to accept the world that we’re born into as something that is fixed and impermeable.”
“We are able, each of us, to manipulate the circumstances.”
「彼から得た一つの深い学びは、私たちが生まれ落ちた世界を、初めから決まったものとして、あるがままに受け入れる必要はないということです」
「私たちは、一人一人、状況を変える力を持っています」
彼女が2004年に設立したEmerson Collective は伝統的な慈善事業組織の形にとどまらない。LLC(Limited Liability Company)の形をとる私企業として、教育や移民問題、医療、人権、富の再分配、環境、ジャーナリズム、アートなどを通して多面的に社会問題に取り組み、助成金、投資、パートナーシップを通じて社会起業家や組織を支援している。政策シンクタンクのようでもあり、財団のようでもあり、ベンチャー・キャピタルのようでもある。スポーツチームやメディア企業に投資もしているし、アートのスポンサーにもなれば(彼女はアート・コレクターとしても知られる)、映画も作る。
パウエル・ジョブズが大きく注目を集めたのは、2017年に大手メディア会社 The Atlantic を買収した時のことだ。会社と同名の雑誌は、1857年に北東部の知識人たちによって創刊され、今日も影響力のあるリベラル誌として評価されている。Emerson Collective はこれ以外にも Axios、OZY などのメディア企業に投資している。
2020年秋、The Atlantic がトランプに批判的な記事を掲載した際、トランプが雑誌とパウエル・ジョブズを攻撃し、「スティーブ・ジョブズは、自分の妻が潰れそうな急進的左派のフェイク・ニュース・メディアに無駄金を使っていると知ったら喜ばないだろう」と述べたことがあった。パウエル・ジョブズはトランプが2017年にDACA(子ども時代にアメリカに到着した不法移民の強制退去を遅らせ救済する制度)廃止を唱えた際、彼女は強く反対するテレビ広告を打ち、話題になった。民主主義におけるジャーナリズムの果たす役割についても積極的に発言し、トランプのメディアに対する圧力を「典型的な独裁者の手口」と痛烈に批判もしている。
寄付より課税すべきでは?という議論
ウォーレン・バフェット氏。資産の99%を慈善事業に当てると公表している。
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2021年6月、非営利の米報道機関プロパブリカが、アメリカの富裕層数千人の15年以上にわたる納税申告書を含めた米内国歳入庁(IRS)の膨大なデータを入手し、その詳細を公開した。上位25人の富裕層合計で見ると、富の増加分に対する税金支払額の比率は3.4%にとどまった。
格差が広がる中、「富裕層に有利な税制が格差拡大を助長している」という議論は、アメリカ世論でも議会でも強まっている。
経済・不平等問題の専門家であるルカ・シャンセル、トマ・ピケティ、エマニュエル・サエズ 、ガブリエル・ズックマンが中心となってまとめた「世界不平等レポート2022」は、過去20年間のデータをもとに、富の分配について分析したものだ。世界中で富の集中が進み、「今後の社会的課題、開発と環境への課題を考慮すると、将来的に富裕層に多くのことを求めないのは完全に不合理」と述べている。レポートによれば、世界人口のうち、資産額が下位50%の層は世界の富のわずか2%しか保有していないのに対し、上位10%の富裕層は76%を保有している。
現在アメリカでは民主党左派を中心に、富裕税の導入が提案され、一部の富裕層からは、「我々にもっと課税してくれ」という声も上がっている。2022年の世界経済フォーラムのバーチャル会議に合わせて、欧米の大富豪102人は富裕層に対してより重い税を課すように求める公開書簡に署名。世界に信頼と公平をもたらすためには金持ちに課税することが必要であると述べている。
ウォーレン・バフェットはこの数年、最富裕層に対する増税を呼びかけてきた1人でもあるが、上記の納税記録の暴露がニュースになった際、自分は資産($100ビリオン以上)の99%以上を慈善活動にあてるつもりで積極的に寄贈しているとの声明を発表した。その理由について「(私の税金を)増え続けるアメリカの債務をわずかに減らすために使うよりも、慈善活動に資金を提供したほうが、社会の役に立つ」と述べている。
この「何に使われるか分からない税金を払うぐらいなら、自分が大切だと信じる慈善事業に直接資金を提供したい」というのは、アメリカのフィランソロピーの歴史を貫く考え方だ。これは一般市民の私ですらも納税のたびに思う。アメリカ人には、お上に自分のお金を持っていかれることに対する抵抗感のようなものがある。だからこそアメリカでは財団や非営利団体が多く、一つのビジネス・セクターとして確立しているのではないだろうか。
ただ、これまで名前の挙がってきたバフェット、ゲイツ夫妻、パウエル・ジョブズ、マッケンジー・スコット、ブルームバーグ、ソロスに加え、ザッカーバーグ夫妻など、慈善事業に熱心な大富豪たちが持つ富のスケールを考えると、こんな少数の人々に、膨大なパワーを与えることが正しいのか?という疑問も浮かぶ。ごく少数の人々の特定の個人の信念、問題意識、プライオリティ、最悪の場合には彼らの独断と偏見によって、数ある社会問題のうち何にお金が回されるかが決まってしまうというのは、果たして健全なことなのだろうか。彼らは飛び抜けて頭が良く、優秀な経営者かもしれないが、選挙で選ばれたわけでもないし、市民に対して何か責任を負うわけでもないのだ。
カーネギーが語る大富豪の使命
1891年にニューヨークに建設されたカーネギーホール。
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1835年に生まれ、1919年に亡くなった「鉄鋼王」アンドリュー・カーネギーは、アメリカでは「フィランソロピーの父」と呼ばれる。1919年に亡くなった当時はアメリカで最も裕福な人物だったが、人生最後の18年間で、資産の9割にあたる3億5000万ドル(現在の貨幣価値で約50億ドル)を慈善事業、財団、大学などに寄贈した。
貧しい移民の家に生まれたカーネギーの人生は、書物との出合いによっ劇的に変わった。この個人的体験から、カーネギーは実業家として成功すると、アメリカ中(さらにイギリス、カナダ、オーストラリア、南アフリカはじめ他の英語圏の国にも)に公立図書館を作ることに情熱を注ぎ、その数は3000にも登ると言われる。環境に恵まれない人でも、知識にアクセスできれば人生は変えられるという信念からだ。
カーネギーの著書「富の福音(The Gospel of Wealth)」(1889年)は、フィランソロピーを志す人々への「ザ・啓蒙書」として知られる。この中で彼は、自分のように極端に裕福なアメリカ人はその資産を浪費するのではなく、より大きな社会的目的のために活用し、貧富の差を縮める努力をする責任があると主張する。金持ちのまま死ぬことは不名誉であり、子孫に多額の富を引き継がせるような社会は、資本主義にとっても民主主義にとっても健全とは言えない、というのも彼の信念だった。さらに、死後に寄贈するよりも、生きているうちに自分の意思に従って寄贈する方が良いとも言っている。
この考えに影響を受けている富裕層は多く、先のローレン・ジョブズも、複数のインタビューで、子どもたちに遺産を残すことに興味はなく、資産は慈善事業のために使い切るつもりだと述べている。
「資金を効果的に使い切ることがゴールです。私が死ぬ時何も残らないなら、それでいいんです」
ワシントン・ポストの2014年の記事「なぜ超富裕層は自分の富を子どもに残そうとしないのか(Why the super-rich aren’t leaving much of their fortunes to their kids)」でも名前が挙がっているのが、ウォーレン・バフェットだ。彼は$100ビリオン(1000億ドル)以上の資産の99%を寄贈すると宣言し、2021年6月までの寄付総額は既に$41ビリオン(410億ドル)に達している。彼の子どもたちもそれぞれ財団を持ち、バフェットからの$2ビリオン(20億ドル)が寄贈されている。「何も残さない」には程遠いが、彼の富のサイズを考えると、そのごくごく一部であることは確かだ。
ゲイツ夫妻も、子どもには残さない派として知られる。ビル・ゲイツは2011年のDaily Mail とのインタビューで、
「それぞれお子どもに$10ミリオンずつ贈与するという報道があったが、あながち外れでもない。いずれにせよ、私の資産のごくごく一部しか残さないつもりだ。彼らは彼らで、自分自身の人生を見つけなくてはならない」
と述べている。子どもたちには最高の教育を受けさせるし、それも資産の分配の一部であると。
メリンダ・ゲイツもオプラ・ウィンフリーとのインタビューで、子どもの教育方針について聞かれ、
「私自身、中流家庭で育ち、自分の子どももできる限りノーマルに育てたかった。難しかったけれど、必死に努力した」
と述べていた。自分たちがいかに恵まれているかを理解させるため、子どもの頃から途上国で貧困の実態を見せることも意識してやってきたと。
富裕層が自分の財力を自分の価値観に従って使い、社会変革を起こそうとすることには賛否両論ある。ごく少数の個人が、金の力に物を言わせてパワーを好きに使っていいのか?という批判は的を得ているし、一定以上の富裕層にもっとアグレッシブに課税すべきという議論もまっとうだと思う。
さらに「アマゾンなど大企業は労働者をさんざん搾取し、犠牲にした結果、巨万の富を築いた。その前に労働環境を改善しろ、賃金を上げろ。そうでなければ偽善だ」というような批判もある。これはロックフェラーやカーネギーに対しても向けられてきた。
私がこの議論でいつも思うのは、それでも「偽善だからやらない」よりは、「偽善でもいいから、今できることをやる」方が、世の中のためにはいいのではないかということだ。特に、政治から見捨てられている分野に、政府よりずっと早く、まとまったリソースを投入できるのであれば、それも一つの問題解決の手段としてはアリなのではないだろうか。(一部敬称略)
(文・渡邊裕子、編集・浜田敬子)
渡邊裕子:ニューヨーク在住。ハーバード大学ケネディ・スクール大学院修了。ニューヨークのジャパン・ソサエティーで各種シンポジウム、人物交流などを企画運営。地政学リスク分析の米コンサルティング会社ユーラシア・グループで日本担当ディレクターを務める。2017年7月退社、11月までアドバイザー。約1年間の自主休業(サバティカル)を経て、2019年、中東北アフリカ諸国の政治情勢がビジネスに与える影響の分析を専門とするコンサルティング会社、HSWジャパンを設立。複数の企業の日本戦略アドバイザー、執筆活動も行う。Twitterは YukoWatanabe @ywny