撮影:今村拓馬
LegalForceは、角田望(34)と小笠原匡隆(35)が共同で創業した。2人は前職である森・濱田松本法律事務所の同期である。起業を考えていた2016年はAIブームのど真ん中だったが、法務の世界にその波は感じられなかった。
Business Insider Japanが2018年にリーガルテック業界について取材した時、小笠原はこう話していた。
「弁護士の世界は華々しく見えるかもしれませんが、実際にはこの数十年ほとんど働き方が変わっておらず、傍目からは『旧態依然』としているなどと揶揄されています。弁護士というのは基本的に労働集約型のビジネスモデルで、所定の時間単価×案件処理に要した時間で支払われる報酬のあり方もずいぶん長いこと変わっていません」(小笠原)
クライアントが結ぶ契約のリスクを洗い出す際の課題は1章で述べたが、それだけではない。M&Aであれば買収対象会社の契約書や議事録も大量に読まなくてはならないし、不正調査であれば社内の議事録、訴訟案件の場合は判例を読み込まなくてはならない。
テクノロジーの発展はこの労働集約型の産業を変革しようとしているのに、この業界は全然変わらない。そう考えていたところに、IBMの人工知能「Watson(ワトソン)」を活用したロボット弁護士が登場した。
「自分たちがやっている法務業務の世界にAIを取り入れていけば、何か新しいサービスを作れるのではないか?」
そう考えた角田と小笠原は起業を決意する。
法律事務所を先に起業
2017年創業当時の小笠原(左)と角田(右)。2人は前職の同期だ。
提供:LegalForce
当時、リーガルテックの分野で起業した会社は少なかった。ネット上で顧客の相談にのる「弁護士ドットコム」と、ウェブ上で契約を結べる「クラウドサイン」などが先行していたが、AIを使ったリーガルテック企業は見当たらなかった。
「AIに何ができて何ができないかも分からない文系人間なので、いま考えるとずいぶん大雑把な解像度でした。ただ、海外では先行事例があったし、できるかできないかで言えばきっと理論的にはできるんだろうと思った。
事務所の先輩たちからは、『本当にうまくいくの?』と聞かれることも多かったですけれど、最後には好奇心が勝ったんですよね。チャレンジしてみたい、と」(角田)
ただ、角田も小笠原も単に博打を打ったわけではない。万が一うまくいかなかったとしても、弁護士としての仕事があれば食べていける。2017年3月。2人はまず法律事務所ZeLoを立ち上げた。そして同年4月、新規事業を立ち上げるための会社、LegalForceを作った。
8000万円調達も「読みが甘すぎた」
起業当初から開発を担当しているCTOの時武佑太は、東大大学院の情報理工学系研究科を卒業後、DeNAに新卒入社。LegalForce参画時は20代だった。
撮影:今村拓馬
LegalForceでの開発は角田がリーダーシップをとった。1年目こそ法律事務所の仕事も並行していたが、開発に時間が取られるようになってからは、ほとんどの時間を新サービスの開発に費やすことになった。
角田は個人で借り入れた資金も注ぎ込み、「契約書エディター」の開発に着手した。CTOには、DeNAで健康系アプリを開発し、結果を出していたエンジニアの時武佑太(31)を迎え入れた。時武は、当時を振り返ってこう語った。
「すでにあるサービスを使いやすくするとか、既存のプロダクトに別の切り口を加えるといった開発はよくあります。でも、全くゼロから新領域のサービスを作るような開発に関われる機会は人生でもそうそうあるわけではない。これはチャレンジしてみたいと思いました」(時武)
時武に限らず、LegalForceの初期メンバーはみな、「これまで前例のないサービス」という側面に魅力を感じて移籍を決めていた。
翌2018年3月、新領域での開発に期待が高まり、8000万円を調達。4月には日経新聞に大きく取り上げられる。開発も順調に進み、同月には手狭になったオフィスを築地に移転した。
まだ社員は4人しかいなかったが、事業がうまくいけばエンジニアも営業もどんどん採用しなければならないだろう。最低でも30人は働けるオフィスを探したところ、初期費用だけで1000万円かかった。8000万円のキャッシュで生き残れる期間は10カ月。サービスがリリースしさえすれば、すぐに回収できるだろうと踏んでいた。しかし……。
「読みが甘すぎたんです。それまで作ってきたサービスがある程度形になったので小笠原に見せたら『これ、全然使えないと思う』と言われて真っ青になりました」(角田)
このままだと破産する
角田と時武が本命としてきたのは、契約締結前のリスク検出だ。それをAIで補助するところに主眼があった。ただ、当初はAIをどう実装して良いか分からなかったので、まずは契約書をアップロードするとブラウザを通じてコメントや修正ができる「契約エディター」の開発を進めていた。Googleドキュメントの契約書特化版のようなイメージで、編集もできるし、ゆくゆくはAIでのリスク検出もできるものを想定していた。
問題はWordとの互換性だった。法務部門で作られる契約書は、ほぼ全てWordで作成されている。そのWordの文書をLegalForceの「エディター」に変換し編集をしたあとは、やはりWordでダウンロードして取引先に返送することになる。ただ、ダウンロード時にどうやっても書式や書体が崩れてしまうのだ。
撮影:今村拓馬
「それでも私は、ウェブ上で共同編集できれば便利だし、レイアウトが崩れることは目をつむってくれるのではないかと甘く考えていたんです。今考えるとずいぶん希望的な観測でした。
けれども、実際その『エディター』を使うであろう弁護士で、かつ身内の小笠原が『使い物にならない』と言うなら、それはもう誰も使ってくれないだろうと」(角田)
小笠原から酷評された「エディター」はβ版としてすぐにでも売り出し、顧客を獲得する予定だった。人を増やさないとスピード感が出ないだろうと採用も拡大していた。早くサービスをリリースして、秋には着金しないと破産する……。
開発続行か、中止か。それとも第3の道はあるのか。金曜の夜だったが、これを週明けまで持ち越しては意思決定が遅すぎる。角田は土曜日の夕方、緊急会議を開くことにした。
雰囲気はまるで「お葬式」
土曜の夕方にオフィスに集まったメンバー4人の雰囲気は暗かった(写真はイメージです)。
Who is Danny / ShutterStock
翌日、広い築地のオフィスに集まったのは、角田、小笠原、CTOの時武と、のちにAIの実装エンジニアとしてLegalForceに参加することになる舟木類佳(32)の4人だった。その時のことを、時武は今でもはっきり覚えている。
「半年費やして開発してきた製品です。それがボツになるかもしれない……。雰囲気はお葬式のようでした」(時武)
この広いオフィスへの入居を決めた時には、明るい前途しか見えていなかった。もうすぐ採用した社員たちが続々入社して、このフロアを埋めるはずだった。無理にでもリリースに向かうか。大きく後退しても作り直しするか。
「このまま進んでも未来はない。作り替えよう」
議論の末にそう角田が切り出したとき、日はとっくに暮れていた。
「未練がなかったと言えば嘘になります。でも、角田さんがそう言ってくれたとき、なぜかホッとした気持ちもありました。『そうだよな、それしかないよな』と」(時武)
とはいえ、どう作り替えればいいのか。重くなった空気を変えたのが、当時、副業でLegalForceを手伝っていた舟木だった。舟木は、契約書の条文をピックアップすると、リスクがぽちぽちと出てくるシステムを見せてくれた。それはまだプロトタイプだったが、角田には何かの卵のように見えた。
「もう、この卵みたいなものに賭けよう」
決意したあとは早かった。「エディター」を大幅に作り替え、リスク検出と条文単位で検索できる機能に特化した開発を進めた。この時、すでに私財を投資しきっていた角田は、小笠原の個人資産も使わせてほしいと頼み込んだ。
副業として参加していた舟木は、2カ月後の7月にはLegalForceの社員となった。11月には、2度目の資金調達に成功。資金がショートするギリギリのところで首の皮一枚つながった。翌2019年の4月に正式版をリリースした後の勢いは、1回目で紹介した通りである。
次回は、半年かけて作った製品を資金ギリギリの状態でピボット(方向転換)の決断をした、角田のパーソナリティに迫る。
(敬称略・続く▼)
(第1回はこちら▼)
(文・佐藤友美、写真・今村拓馬)
佐藤友美: 書籍ライター。コラムニスト。年間10冊ほど担当する書籍ライターとして活動。ビジネス書から実用書、自己啓発書からノンフィクションまで、幅広いジャンルの著者の著書の執筆を行う。また、書評・ライフスタイル分野のコラムも多数執筆。 自著に『女の運命は髪で変わる』のほか、ビジネスノンフィクション『道を継ぐ』など。