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春は人が動く季節。今まさに就職活動や転職活動をしているという方も多いのではないでしょうか。
就職先を探す際の「企業研究」は、その後の自分自身のキャリアを大きく左右する意思決定に関わるだけに手を抜けません。そこで今回は2回にわたり、学生に人気の就職先である味の素を例にとり、企業研究に役立つ公開情報の読みこなし方について解説しています。
前編では「潰れないかな?」という疑問を解消するために、有価証券報告書のどこに注目すればよいのかをお話ししました。後編となる本稿では、次のような疑問を解消していきましょう。
- この先も成長しそうかな?
- 給料はどのくらいもらえるのかな?
- 女性も活躍できる組織かな?
この先も成長しそうかな?:将来性を見極める2つのポイント
前編では「縦の視点」を使って、有価証券報告書で味の素という企業を概観してきました。
企業の財務数値を見る場合、売上高や利益は多くの人が真っ先に思いつくチェックポイントでしょう。慣れている人はこれらに加えて、自己資本比率や利益率、キャッシュフロー計算書も押さえると思います。これらは前編でも見てきたように、有価証券報告書2ページ目にもまとめられていましたね。
が、有価証券報告書に記載されている内容は基本的には「過去」のことです。就活や転職活動の際に私たちが知りたい「この先も成長しそうか?」を見極めるうえでは、縦の視点の延長線上にある「未来」についても、企業がどんな目標やイメージを持っているのかを確認することが大切です。
未来の視点を得るために、特に注目していただきたいポイントは2つあります。1つは時価総額、もう1つが中期経営計画です。
時価総額をチェックする
時価総額を一言で言い表すと、今後の企業の行方を株式市場が評価したものです。時価総額とは要するに「会社の値段」であり、企業が将来生み出すキャッシュフローをベースに計算されます。
この時価総額を他社と比較することで、その企業が株式市場でどれだけ評価されているかが分かります。
時価総額は残念ながら有価証券報告書や企業のホームページにも記載されていませんから、Yahoo!ファイナンスのような株価サイトなどで確認しましょう。もしくは、直近の株価に発行済株式数を掛けることで計算することもできます。
では、味の素のケースを見てみましょう。
まず前編のおさらいですが、味の素とその競合他社を売上高ベースで比較すると、味の素は業界2位のキユーピーに2倍近い差をつけて圧倒的な首位の地位を確立していました(図表1)。
(出所)東洋経済新報社編『「会社四季報」業界地図 2022年版』および各社有価証券報告書より筆者作成。
では時価総額で比較するとどうなるでしょうか。図表2をご覧ください。
(出所)各社の2021年2月14日時点の終値および発行済株式総数より筆者作成。
時価総額で比較すると、味の素は依然として1位ではあるものの、2位のキッコーマン(売上高の比較では第3位)とそう大差ない水準です。加えて言えば、キッコーマンとキユーピーは売上規模はほぼ同水準ですが、時価総額ではキッコーマンがキユーピーの5倍にもなります。
時価総額が高い(あるいは低い)理由を詳しく探るには、時価総額と当期純利益との比較である「PER(株価収益率)」や、時価総額と純資産との比較である「PBR(株価純資産倍率)」も合わせて確認することをおすすめします。PERとPBRについては、この連載の第3回で詳しく解説していますので、そちらもぜひ参照してください。
このように、売上規模を比較して終わりではなく、時価総額も見ながら多面的に企業を捉えることが大切です。
「中期経営計画」で企業の目指す姿を知る
先ほど、時価総額は「企業が将来生み出すキャッシュフローをベースに計算される」とお話ししました。では、企業が将来生み出すキャッシュフローを見積もるためには、何を手がかりにすればよいのでしょうか?
それを知るうえでぜひ目を通したいのが、企業が発表している「中期経営計画」です。
中期経営計画には、今後3〜5年の企業の目指すべき方向が書かれています。ここに書かれていることを把握することで、企業が将来どのくらいのキャッシュフローを生み出しうるのか手がかりが得られるわけです。
さっそく味の素の中期経営計画を見てみましょう。
味の素は中期経営計画書でまず過去20年を振り返り、「10年単位で起きる環境変化に素早く対応できなかったことが課題」だったとしています。
この反省を踏まえ、今後は「食と健康の課題解決」を新たな成長ドライバーとすべく、経営資源を集中させることを考えているようです。
このように、味の素が目指す方向性を知ることで、今後どのような市場で事業を伸ばしていこうとしているのか把握できます。
また、中期経営計画には数値目標も掲げられています。味の素の場合は図表6のとおりです。
企業の中期経営計画で示される数値目標には、その企業が経済活動をするうえでどんなことを重視しているかが如実に表れます。同じ業界にあっても、どんな財務目標を重視するかは企業によってさまざまです(図表7)。
(出所)各社の中期経営計画や統合報告書より筆者作成。
味の素は、効率性の点では「ROIC」という指標、成長性では「オーガニック成長率」、それらに加えて3つのKPIを追いかけています(先の図表5も参照)。売上高や利益の絶対額ではなく、ROICを重視しているあたりに味の素という会社の個性を感じます。
ここで、「ROIC」について簡単に説明しておきましょう。
ROIC(ロイック)とはReturn on Invested Capitalの略で、企業の効率性を示す指標です。簡単に言うと、どれだけの資本を投下し、それに対してどれだけのリターンがあったかを示す指標ということですね。計算式は以下のとおりです。
筆者作成
ROICと似た指標として、ROA、ROEという用語を聞いたことがある方もいるでしょう。それぞれの計算式は次のとおりです(ROAとROEについての詳しい解説は、この連載の第4回もご参照ください)。
ROIC、ROE、ROAそれぞれの特徴については図表10のとおりです。
ではなぜ味の素は、ROAでもROEでもなく、ROICという指標を重視しているのでしょうか?
理由を一言で言えば、ROAやROEは会計的な視点である一方、ROICはファイナンス的な視点を重視した指標だからです。未来を踏まえたファイナンス重視の経営をするうえでは、ROICの方が都合がいいというわけですね。
この点を踏まえたうえでもう一度、食品業界各社のKPIを確認してみてください(図表11)。
(出所)各社の中期経営計画や統合報告書より筆者作成。
先に「ROICを重視しているあたりに味の素という会社の個性を感じる」と述べた理由がお分かりいただけるでしょう。売上高やROEを財務目標に掲げる競合他社が多いなか、味の素はより「未来」に目が向いた、ファイナンス的な思考を持った会社なのだろうと想像がつきます。
給料はどのくらいもらえるのかな?:「従業員の状況」をチェック
有価証券報告書にはこのほか、「従業員の状況」という項目にはセグメントごとの事業の従業員数、平均年齢、平均勤続年齢、そして平均年間給与額も記載されています。
就職先を検討する際、興味を持っている特定の事業セグメントがある場合は、どれくらいの人数がそのセグメントで働いているかをチェックしておくのも有効です。そうすれば、どのくらいの確率で希望する部署に行けそうか、といった見立てにも役立つでしょう。
加えて、有価証券報告書はどの企業であっても記載すべきフォーマットが決まっていますから、「横の視点」を活用して他社と比較することも簡単にできます。例えば、食品業界各社の従業員の状況を比較するとご覧のとおりです。
(出所)各社有価証券報告書より筆者作成。なお、平均年齢、平均勤続年数、平均年間給与は提出会社(単体の会社)の数値となっている。
味の素1社だけを見ていると、従業員の人数や平均年間給与が高いのか低いのかピンとこないかもしれませんが、こうして他社と比較することで味の素の立ち位置が相対的に見えてきます。
図表12にあるように、味の素はすべての項目において高い数値となっていますね。特に平均勤続年数は上記の食品メーカーで唯一20年を超えており、平均年齢は7社中で最も高く、また平均年間給与も最も高いことが分かります。
女性も活躍できる組織かな?:統合報告書にも注目しよう
近年では、就活や転職活動をする際に、就職先の候補にしている企業がどれだけジェンダーギャップ解消やD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)に力を入れているかを気にする方も増えてきました。
こうした情報は、どこで確認すればよいのでしょうか?
実は、企業が公開している資料の中にも、これらに関する内容に触れているものがあります。それが「統合報告書」です。
本稿でこれまで見てきた有価証券報告書や中期経営計画などは、「財務情報」と呼ばれる資料です。しかし現在はこれに加えて、非財務情報(※1)も注目されるようになってきました。
非財務情報とは、財務諸表などで開示されている以外の情報のこと。そして、非財務情報がまとめられているのが統合報告書(※2)なのです。有価証券報告書などの財務情報と比べるとまだまだマイナーな存在ではありますが、近年コーポレートガバナンスの重要性が認識されるにつれて、上場企業の間でも統合報告書を開示する動きが加速しています。
では、味の素の統合報告書を見てみましょう。
統合報告書を確認する際に注目していただきたいのが「マテリアリティ」というキーワードです。マテリアリティとは、その企業にとっての重要課題のこと。味の素は、SDGsのゴールと関連させて、11のマテリアリティ項目を挙げています(図表14)。
ここで特に注目したいのが「多様な人財の活躍」です。ジェンダーギャップの解消が叫ばれる今、男女格差の是正に積極的に取り組んでいる会社は統合報告書でもこうしたテーマについて言及していることが多いものです。味の素も例外ではありません。
統合報告書によれば、味の素は女性人財への機会提供・育成支援施策として「AjiPanna Academy(アジパンナ・アカデミー)」を開設しているそうです。女性社員がより上位の職務に積極的に挑戦できるよう、キャリアワークショップやメンター制度を整えることで、2030年度までに取締役とライン責任者の女性比率をそれぞれ30%にすることを目標としています(図表15)。
ここまで“予習”ができたら、あとはこの目標に対して企業がどれほどの本気度で取り組んでいるのか、実際にどのくらい達成できているのかなどはOB・OG訪問や面接などの機会に尋ねてみるといいでしょう。
企業が公開している各種資料からの情報収集との合わせ技で現場のリアルな意見を聞けば、その企業が目指す方向性と自分自身の志向との相性がいいかどうか、より手触り感をもってイメージできるようになるはずです。
組織の命運を握るのは「経営者」
前回から2回にわたり、財務情報・非財務情報の読みこなし方をお話ししてきました。これらの点を押さえれば、就職や転職における意思決定の大きな助けになることは間違いありません。
加えて最後にもう一点、押さえるべきポイントをお伝えさせてください。それは「経営者」です。
野球やサッカーといったスポーツでも、監督が代わることでチームのパフォーマンスが大きく変わることはよくあることです。ヤクルトの名将だった野村克也氏は「組織論の原則だが、トップが成長し、それにふさわしい器にならなければ、いいチームは作れないし、チームも強くならない」という言葉を残しています(※3)。
企業も同様で、経営者や経営陣によって組織のパフォーマンスは大きく変わります。実際、私も過去に所属した組織では何度かのトップ交代を経験しましたが、そのたびに組織そのものが様変わりする感覚を覚えました。
それほど企業に大きな影響を及ぼす経営者ですが、公開情報からはどのように調べればよいのでしょうか。
まずは経営者の経歴です。経営者の経歴はホームページにも載っていますが、一番詳しく書いてあるのはおそらく有価証券報告書です。有価証券報告書では、生年月日や入社年はもちろんのこと、過去にどういった部署でどういった役職に就いてきたか、さらには所有株式数も記載されています。
味の素の場合、有価証券報告書には代表執行役社長の西井孝明氏の経歴が次のように記載されています。
(出所)味の素「有価証券報告書 2021年3月期(第143期)」p.63より抜粋。
現社長の西井氏は、年齢から逆算するかぎり新卒で味の素に入社されています。その後、子会社である味の素冷凍食品の取締役と常務執行役員を経て、味の素本体の人事部長、執行役員、取締役常務執行役員、ブラジル味の素取締役社長を歴任。2015年6月に代表取締役に就任し、2021年6月から取締役兼代表執行役社長 最高経営責任者になっています。
経営者が生え抜きか外部のプロ経営者なのかによって、経営のあり方や昇進にも違いが出てくるものです。どういった人物が経営陣に名を連ねているのかもチェックしましょう。
また、有価証券報告書の経歴以外で重要なのが、統合報告書などに書かれている経営者インタビューや経営者の著作です。これらを読むことで経営者の人となりがよく分かります。
例えば、現在の社長である西井氏は、2021年度の統合報告書で以下のような発言をしています。
「企業文化の変革に着手して1年あまり、創業時のような開拓者精神を今の味の素グループに取り戻すことが、改めて私の使命だと感じています」
「味の素グループは、2030年までの10億人の健康寿命延伸を掲げていますが、私たち自身も企業としての健康寿命を延ばさなければなりません。私には、現状のままでは、いずれ新興企業にディスラプトされてしまうという強い危機感があります。ここで必要なのが、前例踏襲主義を打ち破る、創業時のような開拓者精神を持つことです」
こうした問題意識から、味の素では中期経営計画と並行して、次のような企業文化の変革を標榜しています。
- ビジョンの一新
- 企業価値の再定義
- 人財育成・開発と組織マネジメントの変革
- 収益に関するマネジメントポリシーの変革
- 事業戦略をつくるプロセスの変革
こうした思い切った企業文化の変革が行えるのは、ひとえに社長によるリーダーシップがあればこそです。
このように経営者の人となりを知ることで、企業がこの先進むべき方向についてより解像度高く理解できるようになります。
味の素は2022年4月から、西井氏に代わって藤江太郎氏(現・執行役専務食品事業本部長)が社長に就任する人事を発表しています。藤江氏は、西井氏が掲げた長時間労働削減等の働き方改革を担当役員として推進してきたほか、かつて西井氏からブラジル味の素の代表取締役を引き継いだ実績もあります。
このトップ交代により、味の素はどんなふうに生まれ変わるのか——財務情報と非財務情報を活用しながら、ぜひあなたもウォッチしてみてください。
※1 コーポレートガバナンス・コードでは、非財務情報を「経営戦略・経営課題、リスクやガバナンスに係る情報等」と定義しており、以下のことが言及されています。「上場会社は、会社の財政状態・経営成績等の財務情報や、経営戦略・経営課題、リスクやガバナンスに係る情報等の非財務情報について、法令に基づく開示を適切に行うとともに、法令に基づく開示以外の情報提供にも主体的に取り組むべきである」
※2 統合報告書は、2010年7月にイギリスで創設された国際的NGOである国際統合報告委員会(IIRC:International Integrated Reporting Council)のフレームワークに端を発しています。
※3 野村克也『野村克也 100の言葉』宝島社、2016年。
(執筆協力・伊藤達也、連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
村上 茂久:株式会社ファインディールズ代表取締役、GOB Incubation Partners株式会社CFO。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。経済学研究科の大学院(修士課程)を修了後、金融機関でストラクチャードファイナンス業務を中心に、証券化、不動産投資、不良債権投資、プロジェクトファイナンス、ファンド投資業務等に従事する。2018年9月よりGOB Incubation Partners株式会社のCFOとして新規事業の開発及び起業の支援等を実施。加えて、複数のスタートアップ企業等の財務や法務等の支援も手掛ける。2021年1月に財務コンサルティング等を行う株式会社ファインディールズを創業。新著に『決算書ナゾトキトレーニング』(PHP研究所)がある。