Smederevac/Getty Images
前回は、コロナ禍や気候変動による異常気象といった新たな要因が食のサプライチェーンを撹乱し、食糧価格を押し上げていることについて取り上げたが、食品業界全体が、この問題の根本となっている環境破壊を招いていることは忘れてはならない。
二酸化炭素やメタンガスといった温室効果ガスと呼ばれる排出物が地球の温度を上昇させていることは周知の事実だが、この地球上に暮らす人間たちを食べさせるための食糧を生産する食品業界は、エネルギー産業や輸送業と並ぶガスを排出し、その量は全体の30%程度を占めている。
2020年11月にオックスフォード大学の研究者マイケル・クラーク氏がサイエンス誌に発表した論文「Global food system emissions could preclude achieving the 1.5° and 2°C climate change targets(世界的な食糧システムによる排出が1.5度~ 2度の目標達成を阻みかねない)」は、世界がエネルギー転換を果たし、今日「ネットゼロ(※)」を達成したとしても、食品の供給システムの根本的な変革が起きない限り、今後の人口増加とそれに伴う収穫量の増加によって、食品業界だけで1.5度の気温上昇をもたらすだけの温室ガスが排出されるだろうという見通しを示している。
※ネットゼロ:大気中に排出される温室効果ガスと大気中から除去されるガスが同量でバランスが取れている状況。
増える肉を食べない選択肢
メタンガスの排出量で槍玉に挙がる畜産業だが、欧米で多少肉の消費量が減っても、新興国で増えれば、その効果は限定的だ。
REUTERS/Mohamed Azakir
私たちの生活には欠かせない食品だが、食品業界による環境破壊の規模には気がついていない人も多い。
農業の過程で行われる整地や森林伐採、家畜の放牧や消化、動物のフンや米の籾殻を通じて空気中に放出されるメタンガス、農薬や化学肥料の使用による土壌汚染などが業界による環境破壊の事例として挙げられるが、それに加えて生産や輸送、流通から販売にかかるエネルギーもある。人間たちを食べさせるための商売が、地球の資源を奪い、枯渇させている現状は、残念ながら持続性は低い。
特に槍玉に挙がりがちなのは、食肉・養殖産業だ。畜肉で特にメタンガス排出が大きいのは牛(肉50グラム当たり17.7キロのメタンガス)、羊(同じく9.9キロ)、養殖の甲殻類、チーズ、養殖の魚と続く。
そのため、欧米諸国では、肉を食さない食の摂取スタイルの採用が叫ばれ、月曜日だけ肉を食さない「ミートレス・マンデー」から植物性の食生活「プラント・ベースト」ダイエット、動物性の食品を口にしないヴィーガニズムまで、肉の消費を減らすライフスタイルのバリエーションが増えている。それでも新興市場では、金銭的に豊かになればなるほど肉の消費量は上がる傾向があるため、欧米で肉の消費量が減ったところで焼け石に水である。
畜産動物の餌を、メタンガスの排出量を少なくするためにとうもろこしに変換するなどの方策も徐々に取られてはいるが、とうもろこしの生産量を上げるためには大量の水が必要になるため一筋縄ではいかない。
今、アメリカの肉食業界では、畜産によるメタンガス排出を削減するべく、さまざまな研究が行われている。環境破壊に加担したくないけれど、古典的なベジタリアンやヴィーガニズムの食生活に難しさを感じる人たちをターゲットにした、代替肉のビジネスも急成長の市場として注目を集めている。
食品業界全体の温室ガス排出削減のためには、さまざまな方面からのアプローチが必要だ。前出のクラーク論文は、植物性の食物を中心に限定的な動物性タンパク質を摂取する食生活への切り替え、食品廃棄物の減少、農業の改善や効率化などを挙げているが、既存の業界が破綻することなく、より持続性の高い方法に移行するためには、政府や行政による補助が不可欠であることは間違いない。
気候変動の切り札になり得る再生農業
都市の屋上や空き地での農業は、サプライチェーンの短縮だけでなく、空気浄化や温室ガス削減にも貢献する。
REUTERS/Loriene Perera
朗報があるとすれば、食生活の転換は、現代の食生活によって悪化した生活習慣病などの改善にもつながる可能性が高いこと、そして食品業界、特に農業には気候変動のゲームチェンジャーになりうる可能性があるということだ。だからこそ今、食糧を作るために地球のリソースを奪い、枯渇させるのではなく、土地で植物や穀物を栽培することで土壌を回復させ、周囲の空気や水を浄化する「再生農業(regenerative agriculture)」が注目を浴びている。
機械や化学肥料を使用して、最大限の収穫を目指すこれまでの大規模農業と違い、再生農業は手間と時間がかかる。手間暇かけて作られる食品は、当然、大量生産のそれよりもおいしいが、かかる分の時間と手間は価格を引き上げる。丁寧に作られる生鮮食品は、日本やアメリカでは今のところ、ファーマーズマーケットや生産者から直接商品を買う形で少量で取引されることが多く、焼け石に水のようにも思えるが、気候変動対策において一歩先を進むヨーロッパでは、大手食品会社も再生農業に乗り出している。
例えばダノンのフランス本社は、2025年までに使用する原材料の100%を国内の再生農業で栽培されたものだけにすると約束しているし、ユニリーバは2030年までに150万ヘクタールの土地、森林、水面を保護し、再生するとの目標を立てている。企業が独自に動いているだけでなく、背景にはEUが共通の農業政策を通じて、農家や企業の再生農業へのシフトにインセンティブを提供していることも大きい。
こうした動きは、迫りくる気候危機を前に、もはや「サステナブル(持続性があること)」を目指すだけでは十分ではなく、破壊された環境を回復、再生させなければ、これ以上の気温上昇を止めることはできない、という認識の広がりに基づくものだ。
もうひとつ起きているのは、食糧の供給において、長くなってしまったサプライチェーンを短くし、できるだけ生産地と市場の距離を短縮しようという動きである。「地産地消」という言葉は、一時のブームのように過ぎ去ってしまった感もあるが、なるべく近郊の生産地で作られたものを食べることには、気候危機対策の観点からも理がある。さらに都市の屋上や空き地での農業は、サプライチェーンの短縮だけでなく、空気浄化や温室ガス削減にも貢献する。
ヴィーガンになって広がった世界
古典的なベジタリアンなどの食生活に難しさを感じる人たちをターゲットにした、代替肉のビジネスも急成長の市場として注目を集めている。
REUTERS/Hilary Russ
最後に私自身の話をすれば、数年前に肉を食することをやめて、できるだけヴィーガン、食べるものに窮する時には魚介も口にする「フレキシタリアン」を心がけている。衝動的に始めたことだったが、健康上の恩恵が大きく、環境的な見地からも自分の考えに合っているので続けているが、日本でもこのわずか何年かの間に、ヴィーガン食の選択肢が一気に増えてずいぶん実践しやすくなった。
とはいえ、ヴィーガニズムに対する反感は根強く、相変わらず肉は市場にあふれていて、肉を減らすことで気候変動に取り組むことの実行可能性はまだまだ低いように思える。ひとつ伝えておきたいのは、ヴィーガンといえば、肉や魚を諦めて穀物や野菜だけを食べる苦行のようなイメージが強いけれど、もはやその絵は存在しないということだ。
私自身もおそるおそる踏み込んだけれど、ストイックな我慢を強いられるどころか、さまざまなバリエーションのヴィーガン食が登場し、乳製品を使わないパンやペストリーだって豊富に存在するから、新しい世界の広がりを楽しめている。まだ若干値段が高いが、それも市場が拡大し、選択肢が増えれば、落ち着くだろうと期待している。「これまでのあり方」からシフトすることは、恐怖と苦痛ばかりではないのだ。
(文・佐久間裕美子、連載ロゴデザイン・星野美緒)
佐久間裕美子:1973年生まれ。文筆家。慶應義塾大学卒業、イェール大学大学院修士課程修了。1996年に渡米し、1998年よりニューヨーク在住。出版社、通信社勤務を経て2003年に独立。カルチャー、ファッションから政治、社会問題など幅広い分野で、インタビュー記事、ルポ、紀行文などを執筆。著書に『真面目にマリファナの話をしよう』『ヒップな生活革命』、翻訳書に『テロリストの息子』など。ポッドキャスト「こんにちは未来」「もしもし世界」の配信や『SakumagZine』の発行、ニュースレター「Sakumag」の発信といった活動も続けている。