提供:SOCIAL INNOVATION WEEK SHIBUYA 2021
病と仕事は、これまで特別な病を持ったごく一部の人の問題としてしか語られることはなかった。しかし、日本で働くワーキングパーソンの3人に1人が何らかの疾病を抱えているという(※1)。実はそれは、ごく身近な、私たち一人ひとりが当事者として考えるべき問題なのだ。
2021年11月5日~14日に行われたカンファレンスや体験プログラムが開催される都市型イベントSOCIAL INNOVATION WEEK SHIBUYA 2021(SIW)では、「すべての人が自分らしく働く社会へ 〜『ワークシックバランス』を考える〜」と題したトークセッションを開催。
登壇者は、長谷部健渋谷区長と、企業としていち早くワークシックバランスの普及に取り組むヤンセンファーマの關口(せきぐち)修平社長、グローバル人材ビジネスを手掛けるPlus Wの櫻井稚子社長、そしてチーム「ワークシックバランス」メンバーで会社員の奥野真由さんと、SIWエグゼクティブプロデューサーの金山淳吾さん。
病を抱えて働く人と周囲が歩み寄り、誰もが自分らしく働くために、行政と企業に求められる支援について語り合った。
※1 厚生労働省平成25年度国民生活基礎調査より。
採用面接で病を告白すると不採用に
「ワークシックバランス」という概念について語るヤンセンファーマ社長の關口修平さん
提供:SOCIAL INNOVATION WEEK SHIBUYA 2021
医薬品の開発・販売を手掛けるヤンセンファーマでは、IBD(潰瘍性大腸炎・クローン病)患者の就労について啓発する「IBDとはたらくプロジェクト」を立ち上げている。
「IBDは、消化管の粘膜に炎症が起こる慢性の疾患で、血便や下痢、腹痛、体重減少などの症状があり、完全に治すことが難しく、長期にわたる治療が必要な場合がしばしばあります。弊社の一番の目的は患者さんにお薬を届けることですが、医薬品を超えたところにある患者さんの課題解決にもしっかり貢献していくことが使命だと考え、ワークシックバランスというコンセプトの啓発にも力を入れています」(關口さん)
ヤンセンファーマが立ち上げた「チームワークシックバランス」のメンバーの一人である奥野さんは、10歳からクローン病を発症。当時は重い症状に悩まされたが、今は症状が安定した寛解を10年以上保っている。実際に働く上でどのような困難を感じているのかと聞かれると次のように語った。
「私の場合、症状は安定しているので仕事も普通にしています。ただ、就職活動では難色を示されることもありました。面接で『体調面はどうですか?』と聞かれ、『クローン病という難病で』と言うと眉間にしわがよる採用担当者もいましたし、不採用になることもありました。私のように体調が安定していても、ストレスがかかるとお手洗いに駆け込むこともあるので、職場の理解・不理解は一つのハードルになると思います」(奥野さん)
働き方を工夫してでも活躍できる環境を
「病気を抱えて仕事がしたいという人に、働き方を提案できるような仕組みづくりが企業側に必要」と語るPlus W社長の櫻井稚子さん
提供:SOCIAL INNOVATION WEEK SHIBUYA 2021
ABC Cooking Studioで人事部長とCEOを経験した櫻井さんは、ワークシックバランスを「ダイバーシティ&インクルージョンの一環として、企業が積極的に取り組むべき非常に重要なテーマ」と語る。
「少子高齢化の今、疾患を持ちながら働きたいという人の意欲を企業がどのように活かすかが重要だと思います。実際に私のところにも、病気を抱えながらも仕事をしたいという人が相談に来るのですが、皆さんすごく意欲的です。例えば、時間単位ではなく能力で評価するなど、仕事のしかたを工夫することで活躍してもらうべきではないでしょうか。まずはお互いに話し合って、貢献のしかたを提案できるようでないと、今後の企業の成長もあり得ないと思います」(櫻井さん)
では、行政の立場ではどう考えるべきか。長谷部区長は達成すべき最上位概念として「ダイバーシティ&インクルージョン」を挙げている。
「『ちがい』を『ちから』に変えてきた街こそが渋谷」と語る長谷部健渋谷区長
提供:SOCIAL INNOVATION WEEK SHIBUYA 2021
「なぜ渋谷がD&Iを標榜しているかというと、渋谷の街のエネルギーがそこにあると思っているからです。僕自身、原宿で生まれ育ち、たけのこ族やロカビリー族といったさまざまなブームが生まれ、最近ではITやスタートアップも集まっている様を目の当たりにしてきました。そうした『ちがい』を『ちから』に変えてきた街こそが渋谷であり、この国が発展するためにはD&Iは必要なエネルギーだと思っています。ただ、正直なところワークシックバランスは今回、初めて聞いたワードでした。どのような背景からこのコンセプトが生まれたのでしょうか?」(長谷部区長)
この問いに、「IBDの患者さんは国内に29万人います(※2)。10代から20代の間、ちょうど仕事を始めた頃に発症する方が多いのです(※3)」と關口さん。
「これからキャリアを作ろうという人のために環境を整えることは、一人ひとりの価値を最大限まで高めるという意味で、ビジネスとしてもメリットがあります。誰にでも強みと弱みがあるように、病を抱えていても自分らしく働くことを当たり前にできる社会を考えていくべきだと思いました」(關口さん)
「病気になっても人生を謳歌できるように制度を整えることは重要」と語るSIWエグゼクティブプロデューサーの金山淳吾さん
提供:SOCIAL INNOVATION WEEK SHIBUYA 2021
企業は社会の縮図であり、一人ひとりが違う文化を持ち寄ることで、社会を反映したより強い企業になれるというのがDE&I(ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン)の考え方だ。その中で、ヤンセンファーマのワークシックバランスの取り組みは「新しく有意義な取り組みだと思う」と金山さん。
「病気に対して医薬品会社が薬というソリューションを提供するのが、20世紀型。21世紀には『未病』という考え方が出てきて、病気にならない人生を謳歌したいという健康意識が高まっています。それでも病気は意図せずやってくるのですが、社会側にそれを受け取る用意がない。病気になっても人生を謳歌できるように制度を整えることはとても重要だと思います」(金山さん)
※2 厚生労働科学研究費補助金難治性疾患等政策研究事業「難治性炎症性腸管障害に関する調査研究」2016より。
※3 難病情報センター、難病情報センターより。
誰もが病気をオープンに語り、歩み寄れる職場づくり
チーム「ワークシックバランス」メンバーで会社員の奥野真由さん。
提供:SOCIAL INNOVATION WEEK SHIBUYA 2021
では、どのように変えていけばよいのか。
「病気について話すのはキャリアなどに影響があるのではと不安を抱える人も一部ではありますが、いるようです。ですので、まずは会社の中でお互いに話しやすい環境を作ることが大切だと思います」と關口さんは言う。
当事者である奥野さんは、「私自身は会社に病気を伝えていますが、IBDの患者の会でスタッフとして働いていると、必ずそうした悩みが出てきます」と語る。
「病気をオープンにしないことを選んでも、いざ入院が必要になったらどうしよう、辞めさせられたらどうしようという気持ちから悩んでいる人も多いのです。働き方が多様になり、在宅で働けるのであれば、必ずしも告白せずとも働ける場合もあるでしょう。会社に伝えた場合も、勝手に仕事量を減らされたりして、頑張りたいという気持ちを否定されたくはないという想いがあります。当事者と企業が、お互いに良い落としどころを探していくというスタンスが理想だと思います」(奥野さん)
この意見に、「多大な予算は必要なくて、みんなの意識が変化すればいいことですよね」と長谷部区長。
ヤンセンファーマでは、ワークシックバランスを始めとする多様性を尊重した働き方の更なる浸透を図るため、リーダーシップトレーニングを行っているという。
「病のある方が望んでいるのは、発症したときのサポートや入院したときのサポートです。上司や同僚から、緊急時のチームからのバックアップが頼めるのか、周囲の理解と心理的安全性が保たれるのか。体調が急変した時に快く受け入れてもらえることが分かっていれば、安心して会社に貢献できます」(關口さん)
その環境は、今現在、病を持つ人以外にも総じて働きやすい環境だといえる、と金山さん。櫻井さんも突然の怪我で働けなくなった時期があったという。明日は我が身であるのは皆同じだ。
企業と行政が連携して変えていくことが必要
「病を抱えていても受け入れてくれる企業が分かるような目印があると良い」と奥野さん(写真左)。
提供:SOCIAL INNOVATION WEEK SHIBUYA 2021
「街や社会にのぞむことは?」との問いに対しては、「仕事をしたいという気持ちがあるけれど病があるというときに、どの企業なら受け入れてくれるのかが分かるような目印があると探しやすいですよね」と奥野さん。
櫻井さんは、「行政と企業が一体になってワークシックバランスに取り組んでいかなければいけないと思っています。行政が情報を分かりやすく発信し、企業側も行政と連携して、手の打ち方を考えていくのが望ましいでしょう」と指摘する。
「病気と闘いながら就業するのは非常に大変だと思いますが、それでも働きたいというのは素晴らしいことです。その意欲を汲んで活かすのが企業の役割だと考えています。人事戦略は企業の要ですから、皆がワークシックバランスについて普通に話せるようになるまで試行錯誤し続けるべきでしょう」(櫻井さん)
人の多様性は、男女差や性的マイノリティ、障害だけではない。病があっても活躍できる社会に向けて、これからより活発な議論が進められていくことが期待される。そのきっかけとして、こうした立場を超えた人同士の対話が必須であることが再認識されたセッションだった。
画像提供:SOCIAL INNOVATION WEEK SHIBUYA 2021
MASHING UPより転載(2021年12月14日公開)
(文・中島理恵)
中島理恵:ライター。神戸大学国際文化学部卒業。イギリス留学中にアフリカの貧困問題についての報道記事に感銘を受け、ライターの道を目指す。出版社勤務を経て独立し、ライフスタイル、ビジネス、環境、国際問題など幅広いジャンルで執筆、編集を手がける。