2月27日、モスクワのクルニチェフ国家研究生産宇宙センターの建設現場を視察するプーチン大統領。
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ロシアがウクライナに本格的な軍事侵攻を開始した2月24日から1週間。
欧米を中心とする国際社会は矢継ぎ早にロシアに対して経済制裁を加えている。2月26日には、欧米がロシアを国際的な銀行間決済システムであるSWIFTからロシアの有力行を切り離すと決定した。これによって、ロシアの貿易と資本の取引が大幅に制約される。
ヨーロッパ、ロシアの社会、そして日本にどんな影響がありうるのか、考察してみたい。
ロシアの実態:石油ガスの輸出収益で、消費財を輸入する国家
ドイツが承認停止を決めた、ロシアから天然ガスを運ぶパイプライン「ノルドストリーム2」で使われる管。
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ロシアの貿易収支(図表1)は全体として大幅な黒字だが、石油・ガス取引が圧倒的な黒字であり、非石油・ガス取引(注:石油・ガス以外の取引)が赤字であることが分かる。簡単に言えば、石油・ガスの輸出で得た収益でその他の消費財を輸入する経済、それがロシアだ。
それでは、ロシア産の石油・ガスがどこに輸出されているかというと、大半がヨーロッパとなる(図表2)。
ロシア統計局及び同通関のデータをもとに筆者作成
2020年は、ロシア産の原油のうちの50%が、天然ガスの73%がヨーロッパに輸出された。
SWIFTの排除対象からロシア最大の銀行であるズベルバンクとロシア最大のガス会社の子会社であるガスプロムバンクが除外されたことは、未払い分の決済に対応するためか、ないしは当面はロシアから石油やガスを買う意思の表れかもしれない。
図表2 ロシア産原油及び天然ガスの主な輸出先(数量ベース、2020年) 。
ロシア統計局及び同通関のデータをもとに筆者作成
とはいえ、少なくとも早期の関係改善が見込めない以上、ヨーロッパ各国はロシアへの石油・ガス依存度を戦略的に低下させざるを得ないだろう。当然、ロシアからすれば最大の需要家をなくすことになる。ヨーロッパに代わる輸出先を今直ぐ開拓するわけにもいかない。中国に振り向けると言っても、それはそれで時間を要する話となる。
ロシアが望んでも中国シフトは相当な時間を要する
2022年2月4日、中国の習近平国家主席と会談にのぞむプーチン大統領。
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ロシアと中国の間を結ぶガスパイプラインは2020年に稼働した「シベリアの力」の一本だけ。
これは2014年のクリミア危機を受けて、ロシアが天然ガスの輸出多角化の一環として中国に接近した際に締結された契約に基づくものだ。とはいえ取引量はまだ少なく、それを増やすにはパイプラインを増設する必要があるが、時間を要する。
石油も同様だ。石油パイプラインの能力増強は容易でないし、タンカーの手配にも限界がある。だから、中国向けや「ヨーロッパ以外の国向け」の輸出が簡単には増えるわけがない。
つまり、ヨーロッパがロシアへの依存度を低下させるとして、その分、ロシアが原油や天然ガスの輸出先を多様化させることは相当ハードルが高い話と言える。
こうした視点は輸入全般にも共通する。
ロシアは2021年時点で名目輸入※の37%(ユーロスタットのデータより)をヨーロッパに頼っているが、これを短期のうちに他国に振り替えたり自国で生産したりすることなど不可能だ。一方で、今回のSWIFT排除で石油・ガス以外の貿易決済は停滞する。このため、ロシアは瞬時にモノ不足に陥り、ハイパーインフレに直面すると懸念される。
※名目輸入とは輸入金額(参照したデータは米ドル建て)を意味する
ヨーロッパ勢の調達多角化で天然ガス市況は一段と上昇か
図表3 欧州連合の石油と天然ガスの主な輸入元(数量ベース、2021年)。
ユーロスタットのデータをもとに筆者作成
他方で、ヨーロッパへの影響も、決して小さいものではない。
2021年時点で欧州連合(EU)は、輸入する石油のうち30%を、また天然ガスのうち36%をロシアに依存している(図表3)。つまり、ヨーロッパにとってもロシアは石油とガスの最大の供給元になる。今すぐというわけにはいかないが、ヨーロッパもまたロシアに代わる調達元を探す必要がある。
なお雑ぱく(おおまか)に整理すれば、ロシアに近いドイツや中東欧の国々は、ロシアへの石油・ガス依存度が高い。また主要国に先駆けて脱原発を実現していたイタリアも、天然ガスの供給をロシアに依存している。ドイツやイタリアが慎重となり、ロシアのSWIFT排除の決定までに時間を要したのは、こうした背景がある。
2022年1月以降、ロシアがウクライナに侵攻する懸念が高まるにつれ、ヨーロッパ勢は天然ガスの調達先の多角化を急ぐようになった。アジアや中東の液化天然ガス(LNG)のスポット(随時契約)マーケットに入ってきたわけだが、これらのマーケットでは長期契約がメインであり、ヨーロッパ勢が得たLNGは十分とはいえなかったようだ。
供給への不安から、ヨーロッパの天然ガス価格は急騰を余儀なくされている(図表4)。
今後、ヨーロッパ勢もアジアや中東の長期契約の市場に入ってくるだろう。ただでさえアジアや中東の天然ガス価格は連れ高状態(ある銘柄が値上がりすると関連銘柄も買われて価格が上昇すること)だ。今後、ヨーロッパ勢がアジアや中東の長期市場へ本格的に参入することで、天然ガス価格により強い上昇圧力がかかるはずだ。
EEXのデータをもとに筆者作成
原油に関しても、似たようなロジックが働くことになる。かつて石油危機を受けて距離を置くようになった湾岸諸国に、ヨーロッパが接近する展開もありえる。
エネルギー価格が上昇すれば、ヨーロッパの企業の産業競争力が削がれる。高いエネルギー価格を製品価格に転嫁せざるを得ないからだ。また、家計の購買力も失われる。エネルギー価格の上昇がイノベーションにつながる側面もあるが、ヨーロッパが志向する脱炭素化路線は、方向を堅持するとしてもテンポや手法を見直さざるを得ないだろう。
日本のエネルギー価格、物価への影響
こうしたヨーロッパ勢のエネルギーの「グレートローテーション(大規模な転換)」が、世界のエネルギーバランスを変え、グローバルな物価の押し上げにつながると考えられる。もちろん、日本もその影響にあらがえない。
すでに今冬の日本のエネルギー価格は、ヨーロッパ発の脱炭素化トレンドに加えて、ウクライナ情勢への懸念などから上昇が顕著だった(図表5)。
図表5 日本のエネルギー価格(消費者物価ベース)
日本のみならず、これから北半球は春を迎える。そのため暖房需要は減少するが、発電需要は相応に残り続けるし、酷暑になれば発電需要はむしろ増える。産油国やガス生産国が大規模な増産に転じるのなら話は別だが、そのシナリオは脱炭素化を目指す欧米社会に受け入れられるだろうか。
そう考えると、日本のエネルギー価格には中長期的な上昇圧力がかかると考えた方がいいだろう。円高が進めば、その影響を少しは食い止められるかもしれない。とはいえ、ロシアがウクライナに侵攻しても円高は進んでいない。グローバルな株安につながる有事にもかかわらず、これまでの「有事の円買い」という経験則は今のところ生じていない。
日本でエネルギー価格の影響を受けやすい品目は?
エネルギー価格が上がれば、さまざまなモノの価格が上がる。
例えば食料品、特にハウス栽培の農作物や魚介類の価格は上昇する懸念がある。加えて、ロシアは世界有数の穀物輸出国でもある。ロシアからの穀物の輸出が制限されることで、穀物価格も上昇する。ロシア産の穀物は主に飼料用だが、連れ高という形で食用穀物の値段もある程度は上がる可能性がある。
そもそも飼料用穀物の価格が上昇すれば、食肉価格の上昇に直結する。国産はさることながら、安価な輸入肉でさえ上昇するはずだ。構造的に低インフレが定着している日本だから、すでに消費者物価が7%台に達したアメリカや5%台のヨーロッパに比べれば、インフレが加速するとしても、程度は軽いかもしれない。
とはいえ日本がこれから経験するインフレは、これまでに比べれば高いものになるはずだ。それが低成長の続く日本の経済に与える悪影響について、しっかり認識すべきだろう。
(文・土田陽介)