国際宇宙ステーションの外観イメージ。
出典:NASA/Boeing
2022年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻から、アメリカ、日本、欧州、カナダ、ロシアの5極で運用されてきた「国際宇宙ステーション(ISS)」を取り巻く状況が不透明になっている。
ロシア国営宇宙公社ROSCOSMOS(ロスコスモス)のドミートリ・ロゴジン総裁は、ISSの運用継続についてアメリカに非があるかのような一方的な発言を繰り返し、信頼関係を損ねている。
おおまかにいえば、ロシアと西側諸国の関係が悪化すれば、ISSの軌道制御に困難が起こる ── というのがロゴジン氏の一方的な主張だ。
ただし、宇宙産業を取材してきた立場から見ると、一連の発言には誇張や意図的な「事実の無視」が含まれている。ロシア側のあおりに乗せられないための知識が、受け止める私たちには必要だ。
これまでのやり取りから、経緯と発言の意図を解説する。
ロシアと西側の関係悪化が「ISS制御に影響する」虚実
ISSの窓から眼下の地球を覗き込むフライトエンジニアたち(2022年1月4日撮影)。
出典:NASA
ウクライナ侵攻を受けた米バイデン大統領による経済制裁に反発して、2月25日にロゴジン氏は「ISSにおける米ロの協力関係を壊すのか?」と一連のツイートをした。
Twitterを中心に言及が広がった「ISS落下」とは、ツイートの中で「最悪の予想」として出てきたものだ。ロゴジン氏がその実行を示唆したというのは不正確だ。該当部分を取り出すと次のようになる。
「3.私たちのISSにおける協力関係を壊すのか?
これは、私たちのコスモナウトとそちらのアストロノートの訓練センター間での交換を制限することで、すでに実施されている。
それとも、そちらだけでISSを管理するのか? バイデン大統領は分かっていないかもしれないので説明してやってほしいのだが、そちらの“有能な”ビジネスマンがせっせと地球低軌道にバラまいてきた危険な宇宙ゴミからの回避を担っているのは、ほとんどロシアのプログレスMS補給船のエンジンなのだ。
そちらが協力関係を断つのであれば、誰がISSの制御されていない軌道離脱とそれに続くアメリカや欧州への落下を食い止めるのか? 500トンの構造物がインドや中国に落ちるという可能性だってある。
そのような見通しで彼らを脅威にさらすのか? ISSはロシア上空を通過しないので、リスクを引き受けるのはすべてあなた方だ。備えはできているのか?」(ロゴジン氏のTwitterの連続投稿より、筆者翻訳)
冒頭の「宇宙飛行士交換はすでに制限されていて、ISS相互協力が損なわれている」というのは「ISS協力関係を壊したのはアメリカだ」という意味を含むものと思われる。責任転嫁から始まっていると読めるが、ツイート2つ分くらいのメッセージの中に、おそらくは意図的に言及されていないことがいくつも含まれている。
1. 「危険な宇宙ゴミ」を拡散させているのは、むしろロシア側
まず、「そちらの“有能な”ビジネスマンがせっせと地球低軌道にバラまいてきた危険な宇宙ゴミ」という部分だ。これは、イーロン・マスクCEO率いるSpaceXのStarlink衛星通信網のことだとみられている。スターリンク衛星が宇宙ゴミとしてISSを危険に曝しているという主張だが、スターリンク衛星はその数で軌道上を混雑させている部分はあるにせよ、スターリンク衛星が制御落下もできない文字通りの宇宙ゴミになった例はない。むしろ、2021年11月に急に衛星破壊実験を行い、制御できず落下を待つしかない宇宙ゴミを作り出したのはロシア自身だ。
2. ISSの軌道修正はアメリカ単独で可能
ISSのCG。
出典:NASA
続いて「宇宙ゴミからの回避を担っているのは、ほとんどロシアのプログレスMS 補給船のエンジン」という部分で、この部分は事実だ。ただし、「ISSの制御されていない軌道離脱とそれに続くアメリカや欧州への落下」と合わせると、プログレスのみがISSを軌道離脱から食い止めているように読めるが、実際はそうではない。
ISSが周回する高度400kmの軌道にはごく薄い大気があり、宇宙機の中でも大型のISSは大気抵抗によって徐々にスピードが落ち、ゆるやかに軌道が下がっていく。高度を上げてISSの軌道を修正するため、適度なタイミングで補給船のエンジンを噴射して「リブースト(軌道修正)」が行われる。
これまでその軌道修正の役割を担ってきたのが「ほとんど」プログレスだという部分が非常に重要だ。実際のところ、エンジン噴射ができる補給船ならプログレス以外でもリブーストは可能なのだ。
実際、欧州の補給船「ATV」が過去にリブーストの機能を持っていた。ATVはすでに運用を終了しているが、変わってアメリカのノースロップ・グラマンが運用する補給船、「Cygnus(シグナス)が改良の上でリブースト可能になっている。
シグナスは、SpaceXと並んでNASAのISS補給船に採用された貨物専用の民間宇宙船だ。2018年にこのシグナスのISSリブースト機能実証が実施され、改良型の運用第1号が打ち上げられたのは2022年の2月19日、ISS到着は2月21日。本当に滑り込みのタイミングではあるものの、アメリカは自力でISSの軌道維持を可能にしている。ちなみに、シグナスのエンジンは日本のIHIエアロスペースが提供している。
3. そもそもISSは軌道修正なしでも少なくとも3年は問題ない
打ち上げを待つドラゴン宇宙船。
出典:SpaceX
また、ここも重要だが、仮にプログレスしか軌道修正の手段がなかったとしても、ただちにISSが制御できず軌道から外れて落下するというわけではない。
2月にNASAが発表したISSの退役計画案によれば、ISSの高度が下がり始め、制御落下を開始できるまで3年もかかる。さらに、意図的にスピードを低下させる逆噴射を実施して、ようやくISSは高度を下げ、南太平洋へと落下するのだ。
つまり、この3年間に軌道を維持し修正する手段を取りうるし、イーロン・マスクCEOがロゴジン氏の発言にスペースXのロゴで応じたように、スペースXのドラゴン補給船でも原理的には可能だ。
現在シグナスが軌道修正に利用されているのは、ドラゴン補給船よりも燃料の搭載量が多く、軌道修正に有利だからだ。
ロシアは自国の宇宙産業の信頼も失墜させつつある
ロゴジン氏のツイート発言は、これまで24年間、アメリカ、ロシアのみならず日本、欧州、カナダが協力してきたISSの軌道離脱と落下を示唆する無責任なもので、容認できるものではない。
ただし、このロゴジン氏の発言を受けてアメリカの右派メディアのブライトバートがISSの落下影響を「小型の核兵器なみ」と過度に評価して記事にしたことは、冷静な態度とは言えない。アメリカのメディアならばシグナスの軌道修正機能について知っていてしかるべきで(シグナスが実証を行ったのはトランプ政権時代の2018年だ)、「ISSの軌道維持はアメリカ側でも可能だ」と指摘すればよい。
ロゴジン氏は、ISSに関する直前のツイートで「世界で最も信頼できるロシアのロケットで各国が衛星を打ち上げたいと希望することを禁止するつもりか?」と述べている。
ロシアの衛星打ち上げロケットがどれほど高性能で信頼性が高かったとしても、率いる宇宙機関の長が暴言を繰り返し、自国が国際協力で構築したISSを放棄するようなことを示唆すれば、ロシアの宇宙産業に対する信頼は得られない。
信頼どころか、ロシアは自国の宇宙産業を破壊したいとしか考えられないような行動を繰り返している。3月に入ってロスコスモスはソユーズロケットによる英国、インド、ソフトバンクも出資する衛星通信網One Webの衛星打ち上げを一方的に中止した。中止にあたって、One Webから英国の出資を引き上げるよう要求するなど、理解に苦しむ行動を続けている。
欧州と共同の火星探査計画ExoMars、韓国の地球観測衛星の打ち上げも不透明で、おそらく2022年中の打ち上げはキャンセルされるだろう。
今、世界の宇宙産業は、世界で初めて人工衛星と宇宙飛行士を宇宙に送った国が、宇宙産業の長い歴史と信頼を、自ら損ねていく様子を目の当たりにしている。
できることは少ないが、膨らまされ過度に煽り立てられた発言の応酬から、本当の影響に関わる部分を見極めなくてはならない。
(文・秋山文野)