撮影:今村拓馬
約束の時間に大企業を訪ねると、受付前に長蛇の列ができ、受付嬢が内線電話で担当者との取り次ぎに追われている……。コロナ禍で商談の多くがオンラインに置き換わったものの、いまだに時折、こうした場面に遭遇することがある。
一方で、タブレットPCを使った受付システムもしばしば目にするようになった。訪問先を指定すると担当者に通知され、受付ゲートを通過するための入館証が発行されることもある。
「成長率が並外れて高い」起業家
橋本真里子がCEOを務めるRECEPTIONISTは、タブレットPCを使ったクラウド受付システムを提供する。2022年時点で導入社数は5000社を超え、業界シェアは第1位だ。
撮影:今村拓馬
橋本真里子(40)が2016年に創業したRECEPTIONIST(レセプショニスト 、東京都渋谷区)は、橋本が「受付嬢」として11年間務めた経験を基に、受付システムを開発した。マネジメントの経験もテクノロジーの知識も、資金力もない橋本が、ゼロからシステムを開発し、会社設立わずか7年目で約5000社が導入するまでになった。
同社に投資するベンチャーキャピタル(VC)「ABBALab inc.」の代表であり、社外取締役でもある小笠原治(50)は、橋本について「成長率が並外れて高い」と評する。
「彼女は受付業務の現場で感じた不便さや無駄を製品として世に送り出すことで起業家へと転じ、人が人にしかできない仕事に集中できるようにした。取締役会の様子を見ていても、毎回、周囲のフィードバックを吸収して成長しています」
「受付嬢」という職業は「若さと容姿が勝負」という世間のイメージがいまだに強い。橋本自身、周囲から「受付嬢ってみんな役員の愛人なの?」「結婚相手を探すのが目的でしょ」といった言葉を聞かされてきた。
受付スタッフを「派遣」と見下す社員もいた。客の前ではペコペコお辞儀をしていた社員が、相手が帰ったとたん橋本の目の前で声高に悪口を言い始め、「私たちは空気と一緒だ」と思ったこともある。
橋本の歩んできた道のりには、従来の「受付嬢」のイメージを覆す力がある。手書きの受付票記入に内線電話での取り次ぎという、人が担っていた受付の仕事をシステムに置き換える「パラダイムシフト」を起こしたからだ。
受付システムは受付嬢の仕事を奪うのか
大手企業のオフィスではお馴染みの受付だが、最も重要な業務は「コミュニケーション」だと橋本は語る(写真はイメージです)。
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橋本が決まって聞かれるのが、「システムを導入することで受付の無人化が進み、人間の仕事がなくなってしまうのでは?」という問いだ。
しかし橋本は、受付の仕事の中には、機械で置き換えられない領域が確実に存在すると考えている。「会社の顔」として来客に応対するという、コミュニケーションの部分だ。
「本来、受付嬢はお客様と接する仕事に力を入れるべきなのに、来客が多いと担当者への取り次ぎ、入館手続きなどの事務作業に追われて席を離れられなくなってしまいます。システムがこの仕事を引き受ければ、人は接客に専念できて、仕事がもっと輝くはずです」
「良い受付」とは大仰な「おもてなし」ではなく、「無駄がないこと」だと橋本は考える。来訪者が受付前で待たされたり、受付票の記入や名刺を出すといった手間を取られたりすることなく、すぐ面会の場所へ誘導されて相手と会えることこそ、受付最大の価値だからだ。だからこそ、
「システムと人の接客とが融合した、ハイブリッド型受付こそが『良い受付』への近道です」
と強調した。
また橋本は、こうも指摘する。
「労働人口が減りIT化も進む中、それでも有人受付を設けるなら、その企業なりの付加価値をつけなければもったいない」
受付「嬢」である必要は決してない
GMOインターネット時代の橋本(写真中央)は受付スタッフをまとめるリーダーを務めた。
提供:RECEPTIONIST
橋本がかつて勤務したGMOインターネット(東京)は、受付嬢の制服を斬新なデザインに一新することで、IT企業としての大胆さや先進性をアピールした。
「GMOは受付を、企業らしさを伝えるPRの場と戦略的に位置づけたのです。理にかなった受付活用法だと思います」(橋本)
受付を通じて企業の個性を発揮しようとするなら、必ずしも受付「嬢」である必要はない、とも橋本は言う。実際に企業によっては、役員クラスなど階層の高い来訪者の応対を、若い女性ではなく30代、40代のベテランに任せるケースもある。敬語を正しく使えて、不測の事態にも臨機応変に対応できるからだ。
近年、共働き社会の中で男女ともに長いキャリアを築く必要性が高まり、受付を志望する女性は減っているという。受付「嬢」という言葉や「若い女性が制服を着てお茶出しをする」仕事に、ジェンダーの観点から疑問を抱く人も増えた。
橋本は、
「年齢や性別に関係なく、さまざまな人を受付に置くことで、企業らしさも広がると思います。例えば会社を熟知したシニアの社員が座るのも、面白いのではないでしょうか」
と、新たな受付の可能性を語った。
システムダウンで人生が変わってしまう
有人受付を置くのは、財政に余裕のある大企業が中心。「人によるおもてなし」を重視し、あえてシステムを全く使わない老舗企業もある。橋本が「受付はぜいたく品」と話すゆえんだ。
有人受付を置く余裕のない中小企業にとって、システムを導入するメリットは大きいと言える。受付に人を置くコストが不要になるだけはない。
従来、こうした企業では来訪者があるたびに、総務の社員らが業務の手を止め、担当部署に内線電話で知らせ、電話を取った人が部内の該当者に知らせる……と、何人もの取り次ぎが必要だった。システムを使えば、来訪が面会相手に直接通知されるので、他の社員は自分の仕事に専念できる。昨今広まっているフリーアドレスのオフィスとの相性もいい。
橋本は幅広い企業に受け入れられるよう、「最先端の機能を山のように盛り込むより、不要な機能を『載せない』よう気を配った」と説明する。
来訪者がタブレットの扱いに慣れているとは限らない。機能はシンプルなほど操作しやすく、サーバーの負荷は軽減されシステムダウンも起こりづらい。「いかなる時も不在にしてはならない」という有人受付での経験を、「落ちない」システムに反映させた。
「受付システムが止まったら、来客は身動きが取れず、採用面接の応募者などはそれこそ、人生が変わってしまうかもしれない。顧客の信用も損なわれてしまいます。受付は常に稼働することが最低条件。それを提供するのが私たちの役割です」
「デコトラ」のようなCEO
撮影:今村拓馬
RECEPTIONIST COOの真弓貴博(42)は橋本を、電飾やペイントを施した巨大トラック「デコトラ(デコレーショントラック)」に例える。「華やかな容姿で、目指す相手に突進する」からだ。真弓は言う。
「橋本は、自社製品の良さに絶対の自信を持っています。『受付と来客どちらの負担も減ります。絶対使った方がいいですよ』と彼女が顧客に熱く語ると、元受付嬢だけに段違いの説得力があるんです」
橋本も力説する。
「競合他社の製品は今もありますし、今後も出てくるでしょう。でも当社の製品は、11年間受付に立ち実態を熟知した人間が、受付と来客双方をハッピーにするシステムをつくりだしたという、唯一無二の強みがあります」
少女時代は「若いお母さんになって、子どもにお菓子を作ってあげたい」という夢を膨らませ、とりたてて強いキャリア志向もなかったという橋本。就職氷河期という厳しい就職環境や、派遣社員ゆえの「雇い止め」といった逆風も経験した。そんな橋本が、どんな経緯で起業家を目指すようになったのか。
(敬称略・続く▼)
(文・有馬知子、写真・今村拓馬、デザイン・星野美緒)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。