撮影:今村拓馬
橋本真里子(40)は2016年1月、GMOインターネットの受付の仕事を続けながら「ディライテッド」(現・RECEPTIONIST)を創業した。プログラミングのスキルも資金もマネジメントの経験もない、「ないないづくし」のスタートだったが「清水の舞台から飛び降りる、といった悲壮な決意は全くなかったです」と、橋本は涼しい顔で言う。
「受付にこれ以上、しがみついてはいられないのは分かっていました。前に進むしかないから、失うものも何もない。ためらう理由はありませんでした」
「日本一の受付嬢」を武器に資金調達
起業を決めた橋本は、SNSを通じてヒアリングを重ねていく(写真はイメージです)。
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橋本はGMOで後継となる若手を育てつつ、SNSの人脈などをたどって、先輩起業家らに話を聞き始めた。もともとIT業界の受付への派遣を志願するほど、SNSやガジェットは好きだった。先輩起業家らにビジネスの構想を話すと、誰もが「絶対やった方がいい」と口をそろえ、背中を押してくれた。
「プログラムのコードを書ける開発者も、お金を持っている投資家もたくさんいる。でも受付の課題解決の方法を知っているのは、自称『日本一の受付嬢』である私だけ。このビジネスで最も大事なのは『私』という存在だという確信がありました」
さらにSNSを通じて、ビジネスパーソン100人に対してアンケートを実施。受付への不満などを調べ、受付システムの構想を客観的に補強する材料もそろえた。こうして少しずつ、投資に応じるエンジェル投資家らが集まってきた。
後年、橋本はファイナンスの本を読みこみ、弁護士らの知恵も借りて、ベンチャーキャピタル(VC)とのタフな契約交渉もこなすようになる。それでもある時、VCの担当者に「弁護士の意見ではなく、橋本さんの思いを聞きたい」と言われたことがあるという。「大切なのは起業家自身の意思」だと、改めて認識させられる出来事だった。
タッグを組んだ「ギャル」と「まゆたん」
「まゆたん」ことCOOの真弓貴博はミクシィ時代の同僚だ。橋本を創業時から支え、プロダクト開発をリードしてきた。
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GMOで働きながら起業準備をしていた時、先輩起業家が1つのアドバイスをくれた。
「受付の領域とシステム開発はかなり離れている。両方を理解し、開発の指揮を執るプロダクトマネジャーを置いた方がいいよ」
橋本は「それを聞いてふと、『まゆたん』のことを思い出したんです」。「まゆたん」ことRECEPTIONIST COOの真弓貴博(42)は、ミクシィでプロダクトマネジャーをしていた時に橋本と知り合った。真弓は出会いについて、次のように語る。
「当時『受付にギャルが入った』と話題になったんです。それが橋本でした」
来客時に給湯室などで話すようになったが、「容姿が華やかなわりに、振る舞いにちゃらちゃらしたところはなく、『ちゃんとした人』だと感じました」(真弓)。ちなみに、真弓は後に橋本を「背中のチャックを開けると、中からおっさんが出てくる」と評するようになる。
ミクシィ時代は時折、グループで飲みにも行ったが、2人とも転職してやり取りは途絶えていた。
そんな真弓に突然、橋本から「プロマネ(プロダクトマネジャー)だよね?」というメッセージが届く。
「ずっとプロマネですがどうしたの?」と返すと、橋本から再度届いたメッセージには受付システムを作ろうとしていることと、「スタートアップやろう」という勧誘の言葉が並んでいた。
「正直、この人何言ってんのかな?と思いました」と、真弓。「手伝えるところは手伝うよ」と申し出たものの、「当時は彼女のアイデアが実現するとも、ましてや自分がジョインするとも、全く思いませんでしたね」。
「橋本は絶対に闇に落ちない」という確信
ミクシィ時代に出会った真弓とは、金曜夜にファミリーレストランでの打ち合わせを繰り返した(写真はイメージです)。
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2人は毎週金曜日の夜、真弓の勤務が終わってからファミリーレストラン「サイゼリヤ」でミーティングをするようになる。橋本は受付の実態やシステムに求める機能、来客者のニーズなどを説明。一方、真弓は競合製品の仕様や、企業のニーズなどを調べた。
1〜2カ月ほどで真弓は「いけそうだ」と思うようになる。競合の少なさに加え、「元受付嬢が作った受付システム」という「売り文句」もある。新しいサービスを立ち上げるプロマネという職業柄、いつかは自分もスタートアップに関わりたい、という思いは持ち続けていた。
顧客や投資家とのコミュニケーションなどは主に橋本が、システムの分野は真弓が引き受けることで「得手不得手のデコボコがうまくはまる」とも考えた。
ミーティング後は決まって、「安いデキャンタ」(橋本)をオーダーし、飲みながらの雑談になる。そんな時に真弓は「俺も入るよ」と、橋本に告げた。
当時、真弓は正社員。マンションのローン返済を抱えてもいた。安定した地位と収入を投げ打つことに不安はなかったのか。
「まあ、家賃3万円の4畳半でも生きられるし、友だちのうちに転がり込んでもいいし……。何かあったらマンションを売ればいいか、くらいに思っていました」
受付しか経験のない橋本の会社に入ることにも、特に抵抗はなかったという。
「橋本は、人に何かを強要するようなワンマンなタイプでは全くないのが分かっていたので、安心して参加できました。それに彼女はどんなにつらくて不合理な事態に直面しても、絶対に闇に落ちない。悪人にならないという確信もありました」
一方、橋本は「会社にとって真弓の存在は、本当に大きい」と語る。
「私は受付という現場の課題と解決策を持っていますが、それを世の中の人が便利に使える製品へと落とし込めたのは、ものづくりの企画力に長けた真弓の力があってこそでした」
コロナで来客8割減。それでも切迫しない理由
2017年、RECEPTIONISTリリース直後の渋谷オフィス。当時はまだメンバーも少なく、オフィスも小さかった。
提供:RECEPTIONIST
橋本は「人に恵まれた」と繰り返す。真弓ら現経営陣はもちろん、投資してくれたエンジェル投資家やベンチャーキャピタル(VC)にも、橋本の言葉に耳を傾け、知恵を授けてくれた人が多かったという。
「創業以来、苦しい時期はいろいろありましたが、仲間がいるから『詰んだな』と思ったことはありません」
設立以来、成長を続けていたRECEPTIONISTは2020~21年、コロナ禍に大きく揺さぶられた。緊急事態宣言に伴う出社自粛やテレワーク推進で、導入企業の来客数が一時は前年同期に比べ8割も減少。多くの企業の経営が悪化し、システムの導入を取りやめる、延期するといった「後ろ向きな商談」(橋本)ばかりが増えた。
成長が鈍ると資金調達にも影響し、芋づる式に組織内の問題も出てきた。それでも橋本は「こんなに事態が厳しいのに、どうしてこんなに前向きでいられるんだろう」と自分でも思うほど、切迫感とは無縁だった。
「当社の製品は良いものだ、絶対になくなりはしないという確信に加えて、経営陣が安定していて、つらくても一人じゃない、一緒に戦ってくれると思えたからです」
真弓ら経営メンバーは、声高に励ましの言葉を口にはしなかった。ただ「まあ、こういう時期もあるよね」と言って、淡々とそれぞれがやるべきことを引き受けた。橋本はその様子に「後ろから撃たれることだけは絶対にない」という安心感を抱くことができたという。
真弓は「橋本とは普段、仕事の話しかしないし、取り乱した姿を見たこともない。焦っていたとしても表に出さないので、自分には分からないと思う」と話す。
しかしそんな橋本が「どうしよう、どうしよう」と焦ったのが、2017年の5月。受付システム「RECEPTIONIST」を正式リリースし、会社が正念場を迎えた時期の、妊娠発覚だった。
(敬称略・続く▼)
(第1回はこちら▼)
(文・有馬知子、写真・今村拓馬)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。