撮影:今村拓馬
橋本真里子(40)がCEOを務めるディライテッド(現・RECEPTIONIST)は2017年1月、受付システム「RECEPTIONIST」を正式にリリースした。会社のメンバーも10人ほどに増え、ベンチャーキャピタル(VC)の比較的大きな資金も入り始めた。
橋本は営業や資金調達に打ち込み、寝ても覚めても仕事のことばかり考えていた。そんな時、体の異変に気付く。5月の連休明け、夜更けに1人で妊娠検査薬を使った。待つ間もなく、妊娠を示すラインが出た。
パートナーはいたものの、起業した時に結婚・出産を一時「棚上げ」にして、事業に集中するつもりでいた。それだけに「『どうしよう、どうしよう』と驚愕するばかりでした」。
ただ頭の片隅には、冷静な自分もいた。当時35歳で年齢的にも「早い」とは言えない。いつかは出産をと思ってもいたのだから、受け入れよう—— 。
しかし会社の状況を見れば、簡単には意思決定できない。パートナーに告げるより、COOの真弓貴博(42)に打ち明ける時の方が不安だった。「何と言われるだろう」という考えがぐるぐる回り、思考がネガティブな方にばかり向かってしまう。
しかし真弓は話を聞くなり、「絶対産んだ方がいい。みんなで抱っこして、育てればいいよ!」。「やっぱりいい男だな」と、橋本はつくづくありがたかった。ちなみに当時のことを、真弓はこう振り返る。
「家庭は後回しで社長業に専念する気なのかな、と思っていた矢先に話を聞いて『よかったな』と純粋に思いました。仕事に関してはリモートでもできるし、営業は自分が頑張れば何とかなるだろうと、さほど心配しませんでした」
産後7日目に迎えたVCへのプレゼン
女性は出産を機にキャリアから遠ざかるというイメージは、現在でも根強い(写真はイメージです)。
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橋本は社内に妊娠を明かした際、「産前産後も、仕事は休まない」と宣言した。
「会社の大事な時期、口には出さないけれど不安になった社員もいたでしょう。『休まない』という意思を強く示すことは、社内を安心させるために必要だと考えたんです」
「体調が悪化したら、休むより仕方ないだろう」と、内心思ってはいた。しかし幸いなことにつわりもなく、橋本は大きなお腹を抱えて資金調達に奔走。さらに「企業数百社の前で、リリースしたばかりの製品をプロモーションできる絶好の機会」だからと、ピッチコンテストにも出まくった。「親孝行な」長女(4)は年末年始の休業期間中に生まれ、休みを取る日にちも最低限に抑えられた。
「どちらかと言えば、大変だったのは産後です」
産後7日目、傷む体を引きずってVCに向かった。投資の最終判断をする会議に出席するためだ。同行した真弓は、「橋本は何しろまともに歩けなかった。『本当に来たんだ!』とびっくりしたし、心配もしました」。
ただいざ、会議の場に行くと、「出産したことを忘れるほど」(真弓)、経営者として堂々たるプレゼンテーションを見せた。このVCから資金調達が決まった時、先方の担当者は橋本に言った。
「出産直後の体であなたが来たことが、投資の決め手になった。これ以上の覚悟の表れはないでしょう」
ただ橋本は「他人にお勧めはしない」ときっぱり言う。
「私は、自分にしかできないことは何かを考えて行動した結果こうなりましたが、産前産後の体を押して働くような無茶を『誇り』だとは全く思っていません」
起業家の出産、投資家はポジティブに捉えて
橋本は取材の日、保育園の事情で夕方から4歳の娘を職場に連れて来ていた。娘はメンバーたちから「会長」と呼ばれ、可愛がられていた。
撮影:今村拓馬
これまで橋本は、妊娠・出産について公にはあまり語ってこなかった。先輩の女性起業家の中には、VCの担当者に妊娠を打ち明けて「今なの?」とまゆをひそめられた人もいる。経営者として、投資家らのネガティブな反応を引き出すのは得策ではないという判断もあったし「頑張っているママ経営者」というイメージも「キャラじゃない」と感じた。
最近になって体験を語り始めたのは、若手の女性起業家などから、出産に対する不安の声をちらほらと聴くようになったからだ。出産から4年、一歩引いて客観的に当時を語れるようにもなった。
娘は、社員から「会長」と呼ばれ親しまれている。コロナ禍で保育園が休園すると、職場に連れてくることもあり、真弓の言葉通り「みんなに抱っこしてもらって」育っている。橋本は「経営者であっても出産を諦める必要はない、周りの理解と助けを得ながら両立できる」と、女性たちに知らせたいと考えるようになった。
そして「妊娠を『今なの?』と捉える人がいることは残念」と話す。
「事故や病気と違って、妊娠出産できるのは母体が健康な証拠。投資家にも、起業家の健康が保証され『これからもバリバリ働くというお墨付きを得た』と、ポジティブに考えてほしいです」
同時に「受付嬢だったら、仕事を続けてはいられなかった」とも実感している。お腹が大きくなったら、受付の制服を着ることもできない。保育園が休園しても、子どもを連れて受付に立つわけにはいかない。
「起業後に出産したからこそ、働き続けることができているとも思います」
女性にしかできないことは全部経験したい
2022年時点のRECEPTIONISTメンバーの集合写真(一部)。現在はクラウド受付システムを中心に据えつつ、サービスを拡充している。
撮影:今村拓馬
受付時代の先輩である冨田めぐみ(43)は現在、受付の仕事を離れている。しかし現役時代は、分厚い台帳を開いて内線電話の番号を探し当て、担当者に電話をする、会議中で担当者が捕まらず、来客を待たせて何度も連絡する……といった苦労を毎日のように繰り返していた。「何とかならないか」と会社側に訴えても聞く耳を持たれず、徒労感を抱いてきた。
「受付嬢だった橋本さんがまさか起業し、私たちの苦労を解決するシステムを自ら開発してしまうなんて、想像もしませんでした。しかも出産までしていて、彼女が陰で重ねたであろう勉強や努力には、本当に頭が下がります」
2021年、久しぶりに橋本と会った冨田は「大変だったでしょう」と彼女をねぎらった。橋本はあまり人に自分の話をしたり、苦労を表に出したりするタイプではない。ただ「頑張りました~」とにこにこしていたという。
橋本の人生は「受付嬢」という言葉のインパクトから、女性であることを前面に押し出しているように見えがちだ。しかし実際は、「性別を軸に、人生を選択したことはない」と断言する。「新しいことをやってみたい」「違う環境に身を置きたい」と思い続けた結果が、起業という道に通じていたという。
ただ「一回きりの人生、女性として生を受けたからには、女性にしかできないことは全部経験したい」という思いは強い。ファッション、メイク、出産。「子どもたちに良い未来を残したい」という思いや、子育てしやすい職場の大事さなど、母親になってから得た気づきも含めて、女性である自分の人生を楽しみ尽くそうとしている。
同社は現在、受付システムと連動させる形で会議室の予約やミーティングの日程調整を自動化するツールも開発し、煩雑な事務作業の解消にも取り組んでいる。
クールで貪欲なデコトラは今日も華やかに、目指す場所に向かって突き進んでいく。
(敬称略・完)
(文・有馬知子、写真・今村拓馬)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。