今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
音声配信サービスSpotifyのポッドキャスト番組で新型コロナに関する誤った情報が配信され、ミュージシャンが楽曲を引き揚げるという炎上騒動がありました。プラットフォームは倫理観を保てるものなのでしょうか。入山先生が経営理論から読み解きます。
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ニール・ヤングやジョニ・ミッチェルがSpotifyへ抗議
こんにちは、入山章栄です。
みなさんはSpotifyやApple Musicなどの音楽アプリを使っていますか? 今回はBusiness Insider Japan編集部の小倉宏弥さんが愛用しているというSpotifyに関する興味深い話題です。
BIJ編集部・小倉
先日、ミュージシャンのニール・ヤングやジョニ・ミッチェルが、音楽アプリのSpotifyから自分の楽曲を配信する権利を引き揚げたというニュースがありました。Spotifyが配信している人気ポッドキャスト番組の中で新型コロナに関する誤った情報が流れているのに、それを同社が野放しにしていたことへの抗議だそうです。
この場合、Spotify側が考えられる対応には2つあったと思います。ニール・ヤングたちの楽曲を消すか、あるいはポッドキャスト番組のほうを停止するか。実際にはポッドキャスト番組のほうを残して、ニール・ヤングたちのほうの楽曲を消した。その代わりコロナの誤った情報が流れないように、正しい情報に導くようにしたんですね。
これを見ていて思ったのですが、これだけコンテンツが爆発的に増えている中で、Spotifyのようにさまざまなコンテンツを集めるプラットフォームが倫理観を保つのは難しいのではないでしょうか。入山先生はこの一連の動きをどうご覧になりますか。
「プラットフォーマーと倫理観」というのは、とても重要かつ面白いテーマですね。
結論から言うと、僕は今の世の中で起きることに正解はない、と理解しています。このような時代では、ユーザーは自分の主観に合った倫理観を持つプラットフォーマーの中から、使いたいところを選ぶ時代になるのだと思います。
このイシューを考えるときのポイントは2つです。2つの経営理論を組み合わせて、詳しく説明しましょう。
1つめのポイントは、「倫理観」は人によって違うということ。僕の『世界標準の経営理論』の中に「制度理論」という常識に関する経営理論が出てきます。
これは「社会の常識はすべて幻想にすぎない」と言っている理論です。それでいうと、倫理観とは人間が持っている「常識」だと言い換えてもいいでしょう。
これだけ価値観が多様な時代、この世に絶対的に普遍的な掟は存在しないのです。
もちろん特定の神様を信じる宗教の中にはあるかもしれないけれど、それは宗教という常識の中だけのこと。例えばイスラム教では1日に何回も礼拝するのが常識だけれども、キリスト教や仏教ではそうではない。
つまり全人類共通の普遍的な倫理観というものは存在しないと考えた方がいいわけです。今のウクライナにおけるロシアの侵攻にも似た側面があるかもしれません。
みなさんが「子どもを叩くなんて許せない」という倫理観を持っていたとしても、ある人は「子どもは言っても分からないのだから、ある程度の体罰は仕方ない」という倫理観を持っているかもしれない。でもどちらが正しいとは、簡単には言えない。
繰り返しですが、この世に客観的で普遍的な絶対的な正解はないからです。このように倫理観は人それぞれだということが、ポイントの1つめですね。
プラットフォーマーはできるだけたくさんの人を集めたい
2つめのポイントは、Spotifyのようなプラットフォーマーは、いろんなプレイヤーが参加すればするほど価値が上がるということです。これを経営学で「ネットワーク外部性」と言います。
特にSpotifyの場合は、リスナーとコンテンツの提供者という2種類のユーザーがいる「ツーサイドプラットフォーム」と呼ばれる仕組みです。リスナーがいればいるほど、それをビジネスチャンスと見ていろいろな企業やミュージシャンが楽曲を提供するようになる。
逆に、いろいろなミュージシャンが楽曲を提供すればするほど、当然ながら聴く曲の選択肢が増えるからリスナー側も増えるわけですね。だからこそプラットフォーマーはある程度いろいろな人たちを許容しないと成立しないのです。
だけどそれが広がりすぎると、もう1つの課題が浮上します。それはプラットフォームの中に、いろいろな価値観の人が入り込んでくること。
プラットフォームが成功するほどに、ミュージシャン側にもリスナー側にもいろいろな価値観を持った人たちが出てくる。
でもプラットフォームにはたくさんのプレイヤーがいないと、ネットワーク外部性の効果が得られないので、プラットフォーマーがその多様な価値観を否定することはしにくい。
そうすると結局、最初に言ったように倫理とはもともと主観なので、あとはSpotifyがどういう倫理観を持っているかを明確にするに尽きるのです。
おそらくSpotifyでは、「一部でまずい情報があっても、別のところで正しい情報を出しているんだし、多様な情報が手に入るからいいじゃないか。それがこのプラットフォームの倫理だ」と主観的に考えているのでしょう。
この倫理観に賛同する人はSpotifyにいればいいし、ニール・ヤングのように賛同しない人はSpotifyから出ていけばいい。
そしてこの先、ニール・ヤングが賛同できる倫理観を持ったプラットフォームが出てきたら、彼はそちらで楽曲を提供するようになるでしょう。
戒律のゆるい宗教は信者を集めやすい
BIJ編集部・小倉
なるほど。プラットフォームごとに独自の色が出てくるということですね。
今後はプラットフォームがどういう倫理観を持っているのかとか、プラットフォームがある出来事に対してどういう判断をしたかなどの動きによって、所属するアーティストも決まってくるかもしれませんね。
そうですね。そしてプラットフォーム側は、自分たちが何を大事にしているかを明確にして公言する必要が出てきます。
ただし、あまりにも倫理観を厳しく設定すればするほど、賛同してくれる人は少なくなります。そうするとネットワーク外部性のプラス効果が薄れるからです。だからある程度、幅広い価値観を許容せざるを得ません。
大胆に言うと、宗教と一緒です。宗教は戒律をゆるくすればするほど、大勢の信者を集めることができる。
例えば日本の歴史で仏教がブレイクした時代の一つは鎌倉時代です。それまでの禅宗は戒律が厳しかったのに対して、「念仏さえ唱えれば極楽に行ける」という鎌倉仏教は、多くの人を惹きつけたわけです。
でも逆に言うと、このような宗教にはいろんな人が入ってくるから、さまざまな倫理観が生まれてくる。やがてその差異によって鎌倉仏教は分断されていき、そこから浄土真宗や浄土宗、日蓮宗などが派生してくる、ということです。
BIJ編集部・常盤
メタ(旧フェイスブック)も近年、元社員による内部告発などをきっかけに倫理観を問われる事態になっていますが、これも同じような文脈ですよね。
例えばメタはInstagramがティーンエイジャーによくない影響があると把握していたにもかかわらず、自社の利益を優先したと報じられています。
私は同社の姿勢に異議を示す意味でもサービスの使用を控えたいのですが、知り合いがみんなFacebookユーザーで、Messengerで連絡を取り合っていたりするので、自分だけ使わないわけにはいかなくて困っています。
気持ちよく利用するためにも、プラットフォーム企業には高い倫理性を持っていてほしいですね。
常盤さんの意見は本当に大事なことを指摘していると思います。たぶんメタはいまGAFAの中で一番経営的に厳しいから、お客さんを増やさなければいけない状態にある。
そうなると戒律をゆるめるというか、多少問題があっても見て見ぬふりをしないと、ネットワーク外部性のプラス効果が得られない。
一方で、そうすると常盤さんのような倫理観を持っている人からすると、メタの姿勢には納得がいかない。だから企業として、このあたりのバランスをどう取るかですよね。
そして繰り返しですが、ユーザーとして大事なのは、何が絶対的な正解かではないということです。そもそもこの価値観の多様な時代に、普遍的な正解はないので、自分がどう考えるかで判断することだと思います。
自分がメタの倫理観は気に食わないとか、自分の主観からすると相容れないと思うなら、使わないようにするしかない。
これはこれからプラットフォーマーがどんどん出てくる以上、常につきまとう問題だと思ったほうがいいでしょうね。
BIJ編集部・常盤
Spotifyやメタが最初にサービスをつくったときは、純粋に「こんなサービスがあるといいな」という思いが出発点だったと思います。それがやがて全世界のいろいろなユーザーに使われるようになると、当初想定していなかったことも起きてくるわけですね。
そこで「わが社は高い倫理規定を標榜していますので、コロナに関する不確かな情報は一切ポストしてはいけません」みたいになってしまうと、そこで「えーっ」と不満に思う人も当然出てくる。
だからどこまでを許容し、どこからがNGなのかを明示しておくことは必要かもしれません。たとえ後付けになったとしてもうちはこういうプラットフォームなんですよ、と自分たちの倫理観を明確に示すことが、長期的には重要かもしれませんね。
(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集・音声編集:小倉宏弥、常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。