『神の雫』原作者と出会い、ワインに魅せられ、南三陸でワイナリーを開いた「復興はこれからも続く」

南三陸ワイナリーの佐々木道彦さん。震災から11年。地元の新鮮な食材とのマリアージュを目指し、土地の魅力を伝えるワインづくりに挑む仕掛け人を取材しました。

南三陸ワイナリーの佐々木道彦さん。震災から11年。地元の新鮮な食材とのマリアージュを目指し、土地の魅力を伝えるワインづくりに挑む仕掛け人を取材しました。

Business Insider Japan

宮城県北部の沿岸部に位置する南三陸町。リアス式海岸特有の美しい景観を持つこの町に、2020年10月、初のワイナリーがオープンした。

南三陸ワイナリーは、震災後に仮設の水産加工場として使われた場所をリノベーションし、レストランを併設。

テラスから見える志津川湾は太陽に照らされキラキラと輝く。そんな最高のロケーションの中でワインを味わえる。

運営するのは佐々木道彦さん(49)。もとは浜松の大手楽器メーカーの社員だったが、2019年に南三陸へ移住した。

もともとワイン造りの経験などなかった彼が、なぜ東北という地に、そしてワインに魅せられたのか。きっかけは、あの有名漫画の原作者との出会いだった。

目指すのは「南三陸ならでは」のワイン

提供:南三陸ワイナリー

南三陸ワイナリーのワインは、あえて辛口の味わいに仕上げている。地元の新鮮な食材と合わせて楽しんでもらうためだ。

佐々木さんはこう語る。

「南三陸町は海と山が近いため、魚介類も野菜も肉も地元産のものが手に入ります」


「その食材を引き立てるワインを作れば、新しい食の楽しみが生まれるのではないかと考えています」


提供:南三陸ワイナリー

一部のワインでは、ホタテなどの養殖に使う網にワインボトルを固定して海に沈め、「海中熟成」という独特の手法を採用。地元のカキ漁師の協力を得てカキ棚にもワインをつるしている。

海中は年間を通して温度変化が少ない。そのため、ワインの保管場所に最適だという。

「海中では360度あらゆる方向から空気中の4倍以上の速さで音が常時伝わるため、その音の振動が熟成を早めることに影響しているのではないかと言われています」


「地上で熟成したワインと比較しても熟成がかなり進んで、まろやかでバランスの良い味わいになります」

撮影:丸井汐里

海から引き上げたワインボトルの側面には、海藻類や貝殻がついていることも。その見た目は、特に水産資源が豊富な南三陸を象徴するかのようだ。

ラべルには南三陸町志津川の上山八幡宮の禰宜(ねぎ、神職の職階のひとつ)が創作した「きりこ」(半紙でつくった神棚の飾り)を採用。

その年ごとのワインに込めた思いを表現している。

撮影:丸井汐里

撮影:丸井汐里

2011年3月、震災直後の被災地で実感した「危機感」

南三陸ワイナリーの佐々木道彦さん。

南三陸ワイナリーの佐々木道彦さん。

撮影:丸井汐里

佐々木さんが南三陸に移住する最初のきっかけは東日本大震災だった。当時は静岡県浜松市の大手楽器メーカーで商品開発や新規事業の立ち上げなどを担当していた。

2011年3月11日、浜松でも大きな揺れを感じた。

「震源から離れていてもかなり揺れたので、これはただごとではないと。沿岸部ではありませんが、私も東北・山形出身。被害の様子を見て何かしなければと思ったんです」

実家の無事を確認後、佐々木さんは岩手県の釜石市や大槌町に災害ボランティアとして入った。瓦礫の撤去作業で目にした住宅は基礎だけになっていた。

何もなくなってしまった街の姿を目の当たりにした佐々木さんは、被災地の将来に危機感を覚えた。

「いくら復旧作業が進んでも、その間に街を出た人たちはなかなか戻って来ない。既存の産業が復活しても、本当の意味では復興しないのではないかと思いました」

『神の雫』の原作者との出会いでワインに魅せられた

撮影:丸井汐里

何か新しいことをしなければ、街がなくなってしまう──。

2014年6月、佐々木さんはそれまで勤めていた会社を退職し、実家にも帰りやすい宮城・仙台市に移住した。

22年ぶりに戻ってきた東北で何ができるか分からなかったが、人とのつながりを大切に新たなものづくりをしたいと考え、住宅関係の会社や、日本の職人の技術を生かした商品を作る会社で働いた。

そこで出会ったのが、漫画『神の雫』の原作者「亜樹直」(樹林ゆう子、樹林伸)だった。日本人の生活スタイルにあう日本人のためのワイングラスを共に作ったのだ。

亜樹直(原作)オキモト・シュウ(作画)の『神の雫』。

亜樹直(原作)オキモト・シュウ(作画)の『神の雫』。

撮影:吉川慧

欧米のワイングラスは30センチメートルほどの高さのあるものが多く、それでは日本の食器棚に収まらず、食事の際も会話の邪魔になってしまう。

そこで、相手の顔が見える20センチメートル前後に高さを抑え、口の中に空気を含ませやすいよう、グラスを薄く、ふちに返しをつけた。

この商品開発をきっかけに、佐々木さんはワインの奥深さに魅せられた。

「ワイングラスって、よくペアで買われますよね。そこに人と人とをつなげていくコミュニケーションツールとしての可能性を感じました」


「ワインは育った土地のブドウの味そのものが反映されやすく、飲みながらその土地のことが語られる。ワインとその地域とのつながりの深さにも魅力を感じたんです」

ワインに携わる仕事がしたいと考えるようになった佐々木さんは、ワインの勉強を開始し、仙台市の秋保温泉にできた秋保ワイナリーで作業ボランティアにも参加した。そこで「南三陸ワインプロジェクト」の存在を知った。

「2017年にスタートしたプロジェクトで、町の遊休地にブドウを植樹するところまでは進んでいました。でもなかなかその先に進めず、事業化のためのメンバーを募集していた。これしかないと思いました」

2019年1月、佐々木さんは南三陸に移住。同年2月には南三陸ワイナリー株式会社として法人化し、代表取締役に就任。本格的にワイン造りの世界へと飛び込んだ。

「この町でワイナリーなんてできないよ」

撮影:丸井汐里

秋保ワイナリーで研修を受け、山梨大学大学院ワイン科学研究センターの先生にも教えを請いながら、佐々木さんとワイナリーのメンバーは勉強を重ねた。

メンバーが購入した山形のブドウを研修先の秋保ワイナリーに委託し、初めてワインを醸造した。

こうして造られた「DELAWARE 2018」は日本ワインコンクール2019で宮城県産ワインとして初の奨励賞を受賞した。手応えを確実に掴んでいた。

しかし、地元の南三陸町で昔から暮らす人たちにとって、お酒といえば日本酒かビールだ。ワインは甘口の赤ワインのイメージが強く、食事と合わせて飲む習慣はほとんどなかった。

「この町でワイナリーなんてできないよ」

当初は町民から懐疑的な声も多く聞かれた。

佐々木さんはワインそのものを知ってもらおうと、震災直後から続いている町の市場「福興市」に初出店し、白ワインを販売した。

「『牡蠣と一緒に飲んで下さい』と、繰り返しお伝えしながらワインの味を知ってもらいました。町の人と顔なじみになれるように……との思いもありましたね」

すると、その美味しさを知った町の人たちが、次第にワインを飲んでくれるようになった。

提供:南三陸ワイナリー

しかし、佐々木さんたちを悲劇が襲った。

2019年秋、自分たちの手で育てたブドウは豊かに実った。これで南三陸初のワインを造ろう。

そう考えていた矢先、畑の半分ものブドウをハクビシンに食べられてしまったのだ。

それでも、佐々木さんは前を向いた。秋にはブドウ畑でのワイン会も催し、翌年2月の海中熟成ワイン体験イベントのワイン会に、わずかに収穫できた南三陸産のブドウで造った初めてのワインも提供した。

ワイナリー建設を応援する声も徐々に広がり、震災後に作られた仮設の水産加工場だったプレハブの建物を借りることができた。

建物のサビをとり、塗装を塗り直し、できることは自分たちでやった。町内外の応援者も手伝ってくれた。

さらに、クラウドファンディングで寄付を募り、海が見えるテラスも新築できた。併設するショップには南三陸産の杉で作ったこだわりの家具を置いた。

水産加工品など、ワインとの相性の良い地元の名産品も置いた。まさに、ワインをきっかけに「南三陸」という土地の魅力が詰まった場所になった。

こうして2020年10月、南三陸ワイナリーはオープンした。町で初めてのワイナリーを町の人たちも歓迎してくれた。今では新作が出るたびに訪れてくれる人も多いという。

撮影:丸井汐里

2020年12月からはレストランも営業をスタート。提供する料理には全て南三陸産の新鮮な食材を使っている。

町で獲れた魚介をワインとのペアリングで楽しむ洋食を提案した。

2021年1月、ようやく自分たちが育てたブドウを使ったワインを売リ出せた。今年度は2万5000本を自社で醸造。生産数も売り上げも当初の事業計画の1.5倍で伸びている。

新商品にオンラインツアー、コロナ禍でも今できることを…

撮影:丸井汐里

しかし、全てが順調という訳にはいかなかった。新型コロナウイルスの影響だ。

ワイナリーでは県外からの企業研修を受け入れ、ブドウ畑での植樹や畑仕事などでともに汗をかいたが、今ではそれができなくなった。

今は町の人や県内のボランティアなどの助けも借りつつ、何とか作業を続けている。

イベントが開けないことも大きな影響を及ぼしている。佐々木さんは、ワイナリーを人と人とをつなぐ拠点にしたいと考えていた。これまでもワイン会などを積極的に催してきたが、それも軒並み中止になった。

町に観光客を呼び込もうと、山の斜面にあるブドウ畑や海中熟成の現場を巡った後ワイナリーで食事とワインを楽しみながら、南三陸の魅力とワイン造りが学べる「ワインツーリズム」もスタートさせたが、思うように客を増やせない状況だ。

こうした苦境をなんとかしようと、佐々木さんはさらなる商品開発をはじめた。

レストランの人気メニュー「銀鮭のコンフィ」と「牡蠣のバターパテ」を自宅でも楽しめるよう加工商品にアレンジ。店頭やオンラインでも販売した。

提供:南三陸ワイナリー

コロナ禍で南三陸に行きたくても行けないという観光客向けに、醸造棟内を実況中継で紹介するオンラインツアーも企画した。

参加者には事前ワインと料理を届け、それを味わいながらツアーを楽しんでもらおうという内容だ。

「地域のお祭りなどでも酒類は提供できなかったので、加工食品ならインターネットを通して広く販売できるのではないかと考えました。オンラインイベントでもお出しできますし。お客様にはワインとあわせて自宅で味わってもらい、ワインとともに南三陸の美味しさの一片を味わっていただくことで南三陸のリピーターになっていただければ……と思っています」

「復興は、これからもずっと続いていく」

南三陸町入谷のシャルドネ畑。

南三陸町入谷のシャルドネ畑。

提供:南三陸ワイナリー

震災に見舞われた南三陸町も、中心部には徐々に活気がもどってきた。

2017年3月から常設となった商業施設「南三陸さんさん商店街」のほか、震災伝承施設を有する「道の駅 さんさん南三陸」もプレオープンを控えている。

だが佐々木さんは、中心部以外に賑わいが広がらない現状に危機感を感じている。

人口減少も課題だ。震災前1万7000人だった南三陸町の人口は、2022年1月現在で1万2000人あまり。5000人も減少している。

「南三陸町がワインの銘醸地になれば、三陸全体のさらなる復興にもつながるのではないか」

佐々木さんは現在もブドウ畑の開墾に精を出す。雨に当たらないようブドウを守ったり、動物の被害を防ぐために電柵を設置したり、支柱を打ったりと、試行錯誤の連続だ。

最初は30アール(3000平米)の広さから始まった畑も、今では町内2カ所、合計2.2ヘクタール(2万2000平米:サッカーコート約3面分)になった。

さらに、山形県上山市にも畑を作り、合わせて4000本のブドウを育てている。

商品開発にも意欲的で、ワインに合う新たな加工食品を作る事業展開を見据えている。

食材の生産現場にも携わり、今ある町の食材のラインナップを見ながら、ワインと合わせる上で足りないものを南三陸町の資源を使って自社で補う計画だ。

佐々木さんは、こうした新たな事業を大きくしていくことで、将来、町に雇用を生みだし、若い人たちが町とともに生きてゆける環境を作りたいと考えている。

「復興はこれからもずっと続いていくもの。ワイナリーも始まったばかりで、これからの展開が大事になってくる。注目を一過性のものにしないために、今できることを企画して、ワインを通して人のつながりを生み出し続けたいです」

震災から11年を迎える南三陸町。佐々木さんは、ワイン造りに関わり始めたあの日の気持ちを忘れず、これからも町の活性化のために奮闘し続ける。

(取材・文:丸井汐里、編集:吉川慧


丸井 汐里:フリーアナウンサー・ライター。1988年東京都生まれ。法政大学社会学部メディア社会学科卒業。NHK福島放送局・広島放送局・ラジオセンター・東日本放送でキャスター・アナウンサーを務め、地域のニュースの他、災害報道・原発事故避難者・原爆などの取材に携わる。現在は報道のほか、音楽番組のパーソナリティも担当。2019年よりライターとしての活動も開始。

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