財務省が公表した1月の経常収支は2カ月連続となる赤字。過去2番目の赤字幅となった。このまま続けば、日本経済にとって一大事となりそうだ。
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財務省が3月8日に公表した1月の経常収支はマイナス1兆1887億円、2カ月連続で赤字を記録した。過去2番目の赤字幅となった。
※経常収支……海外とのモノやサービス、投資収益のやり取りなどの経済取引(金融資産取引を除く)で生じるお金の出入り。モノの輸出入に関する「貿易収支」、旅行や国際輸送、特許使用料に関する「サービス収支」、配当や利子のやり取りに関する「第一次所得収支」、無償資金援助や国際機関の分担金などに関する「第二次所得収支」から成る。
現行統計に限れば、2013年10月から2014年1月までの4カ月間が経常赤字の最長連続記録で、このあと記録更新に至るか注目が集まっている。
過去最大の赤字幅を記録した2014年1月も、資源高と円安(に加えて消費増税前の駆け込み輸入)が話題だったが、今回の資源高は当時とは次元が違って、原油や天然ガスの価格上昇ペースが圧倒的に速い。
さらに今回は、小麦などの食料を含めた商品全般に価格上昇圧力が波及しそうなことも特筆すべきだろう。2014年1月当時の関心事はあくまで燃料価格の高騰にとどまっていた。
いま最も懸念されるのは、資源価格の高騰そのものより、むしろその原因だ。
感染症、戦争、脱炭素社会への機運が入り混じって資源価格を押し上げているため、高騰がいつ終わるか分からない(あるいは終わらないかもしれない)見通しの不透明さが市況の不安を一段と煽(あお)る形になっている。
必然的に、焦燥感に駆られた買いが(エネルギーなど)対象資産に入りやすくなる。
経常赤字は「記録しても一時的」という理解が日本の常識だったが、いまやそれが覆される可能性も出てきている。円相場ひいては日本経済の一大事と言っていいだろう。
経常収支「変調」の理由と今後の見通し
2022年2月の寄稿でも指摘したように、日本の経常収支の「変調」はいまに始まったことではない。
【図表1】を見ると一目瞭然だが、過去20年をふり返ると、2002~2011年の10年間はまだ潤沢な貿易黒字を稼いでいた。それが2012~2021年の10年間で雲散霧消してしまった。
【図表1】経常収支構造の変化(10年累積の比較)。
出所:財務省資料より筆者作成
原因を何かひとつに求めるのは難しいものの、あえて言うなら、
- 東日本大震災以降、原子力発電所を全面停止し、火力発電所の稼働率を高めたため、液化天然ガス(LNG)輸入が増えた
- 超円高に耐えかねた日本企業が、海外への生産移管を進めた
- そもそも日本企業の輸出競争力が衰えている
といった要因が複合的にからみ合った結果、この10年間で貿易赤字が慢性化したと考えるのが自然だ。
1は直感的に最も大きな原因と思われがちだが、下の【図表2】を見れば分かるように、日本の輸入総額に占める鉱物性燃料(=原油、液化天然ガス、石炭、石油製品など)の割合が、震災後に極端に増えて高止まりしているといった事実はない。
【図表2】日本の鉱物性燃料輸入(輸入額に占める割合)の推移。東日本大震災後に原油や液化天然ガス(LNG)など鉱物性燃料の輸入割合が極端に増えた事実は読みとれない。
出所:Macrobond資料より筆者作成
少なくとも、過去10年間で消滅した貿易黒字の原因を1だけに求めるのは難しいように思える。
もっとも、足もとの価格上昇はまだ輸入額に完全に反映されたわけではなく、これからさらなる増加が見込まれる。【図表2】では、鉱物性燃料の輸入額に占める現在の割合は25%前後となっているが、これから増加して、貿易赤字ひいては経常赤字の拡大に寄与することになる。
筆者の大まかな試算では、原油価格が前年比1%上昇すれば、輸入額は前年比3%ほど増える。
原油価格は過去3カ月平均で65%上昇しているので、上の試算に従って推計すれば、輸入額は30%強増えることになる。しかし、実際の輸入額は推計を上回って40%ほど上昇している。これは鉱物性燃料以外にも輸入額を押し上げる項目(食料や医薬品など)が存在するからだろう。
いずれにせよ、日本の貿易収支の悪化路線が当面続くのは間違いない。商品価格がこのまましばらく下がらなければ、経常赤字が「ニューノーマル(新常態)」になる可能性もある。
なお、価格上昇が輸入額に反映されたあと、さらに時間差で一般物価にもその影響が及ぶことになる。そうやって市民生活に目に見える形で関係してくることで、経常赤字の慢性化は社会的に大きく深刻な関心事になっていくだろう。
貿易赤字が慢性化した日本の未来
日本の経常黒字は「第一次所得収支」の黒字とほぼ同義だ。
第一次所得収支は、対外証券投資(=外国の株式や債券への投資)から生じる利子や配当金、対外直接投資(=外国企業の買収や所有比率10%以上の株式取得)から生じる配当金や再投資収益(=現地法人が配当として分配しない内部留保)の収支状況を示す。
このうち、対外直接投資から生じる配当金については円転(=外貨を日本円に交換すること)が期待されるが、再投資収益は(内部留保としての性格から)そもそも円転が想定されていないし、外国証券投資の利子や配当金も円転を経ないで外貨のまま再投資されるケースが多い。
したがって、日本は巨額の経常黒字を抱えているとは言え、それに伴う日本円への買い(=円転)需要はさほど存在しなかったことになる。円相場を支えるという意味では、経常黒字はもともと「張り子の虎」にすぎなかったわけだ。
なお、2021年5月の寄稿でも指摘したことだが、この10年間で「リスクオフの円買い」(=リスク回避ムードが強まったとき、外国有価証券などを安全資産とされる日本円に換える動き)の迫力が失われてきた最大の要因は、経常黒字の柱が貿易黒字から第一次所得収支黒字に切り替わったこと、もっと端的に言い換えれば、貿易赤字が慢性化したことだと筆者は考えている。
そんなわけで、いま過去最大に迫る経常赤字を計上したからと言って、急激に日本円の価値が下がって円安になるという道理はない。上述したように、円買い需要などもともと高が知れているからだ。
しかしながら、為替市場はいつも直情的に動く。
世界最悪の政府債務残高を抱える日本の国債や円が、これまで暴落論と距離をとることができた背景には、巨大な経常黒字とその蓄積に相当する対外純資産(=日本の企業や政府、個人が海外に持つ資産から負債を引いた残高)の存在があった。
それは円という通貨の「お守り」であったし、「最後の砦」でもあった。
だが、第一次所得収支の黒字だけでは貿易赤字を相殺できなくなり、足もとで火がついた資源高にけん引されて経常赤字が常態化する展開になれば、円相場の動揺は避けられないだろう。
筆者は日本国債も日本円も暴落するとは考えてこなかったし、いまも基本的にはそう考えていない。
ただ、この(エコノミストという)仕事をしていると、どうしても暴落の可能性を問われやすい。そこで、これまでは「暦年で経常赤字になったときが最もシンボリック(=象徴的)な契機になりやすい」と回答するようにしてきた。
ただし、その場合も決して近い将来を想定してそう回答したわけではなく、念頭に置いていたのは、人口動態の変化に伴って10年、20年という時間軸で徐々にそうした事態に向かうイメージだった。
けれども、外部環境の急変に応じて、そうした未来が考えていたより早く到来する可能性も、もはや視野に入れるべきなのかもしれない。
現在が「成熟した債権国」から「債権取り崩し国」への過渡期なのだとしたら、もはや円高を懸念することすら滑稽な時代に突入してしまったと言わざるを得ない。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
(文・唐鎌大輔)
唐鎌大輔(からかま・だいすけ):慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。