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被災地で生まれた「1粒1000円」の超高級イチゴは、日本の農業を変えるかもしれない。

1粒1000円の「ミガキイチゴ」は東日本大震災の被災地で生まれた。

1粒1000円の「ミガキイチゴ」は東日本大震災の被災地で生まれた。

GRA提供

1粒1000円の“特別なイチゴ”がある。その名も「ミガキイチゴ」。人呼んで“食べる宝石”だ。栽培地は宮城県の小さな町、山元町。東日本大震災の被災地でもある。

一口頬張れば甘酸っぱい香りが突き抜け、濃厚な味で満たされる。思わず顔もほころぶ。

徹底的に鮮度と熟度にこだわったからこそ到達できたイチゴの完成点。それが「ミガキイチゴ」だ。

仕掛け人は農業生産法人GRA代表の岩佐大輝さん(44)。イチゴの名産地として知られるこの町で生まれ育った。

GRA代表の岩佐大輝さん。

GRA代表の岩佐大輝さん。

本人提供

山元町は東日本大震災で死者600人超、町の約4割が津波に飲み込まれた。

そんな故郷の名産を絶やすまいと、岩佐さんはUターンで起業。農業とITを掛け合わせた“アグリテック”で、熟練のイチゴ農家の栽培技能を再現することに成功した。

いまや山元町の「復興の象徴」とまで言われた「ミガキイチゴ」の「これまで」と「これから」の話を岩佐さんに聞いた。

「『500粒に1粒』の超高級レアイチゴ」という価値

GRA提供

現在、GRAでは「とちおとめ」「よつぼし」とオリジナル品種の「ハナミガキ」、この3種類のイチゴを栽培している。

この中から熟度、糖度、果形、重量、果皮に傷がないもの、苺の箱詰めの仕方など、全ての基準をクリアしたものだけが「ミガキイチゴ」として店頭に並ぶ。

そう、ミガキイチゴは品種名ではなくブランド名なのだ。収穫したイチゴのうち、「ミガキイチゴ」に選ばれるのは約半分。レギュラー、シルバー、ゴールド、プラチナの4階級で展開している。

1粒1000円の「プラチナ」になれるのは500粒に1粒だけ。非常にレアで特別なイチゴだ。

GRA提供

岩佐さんはブランディングの狙いをこう話す。

「イチゴは品目などで●キロ■円と一定の相場が決まっているため、これまでと同じように売るだけでは厳しい。でも、「1粒1000円」という“情緒的な価値”があるものも販売できれば、イチゴ全体のポテンシャルが上がると考えたんです」

他のイチゴとの差別化を図るため、全く別の土俵で勝負しようと決めた。小売店の野菜売り場ではなく都内の百貨店など高級路線にターゲットを定めた。贈答用としての需要を見込んだマーケティング戦略。これが見事にヒットした。

2013年度には、先行して農作物の付加価値を高めることに取り組んだ点などが評価され、グッドデザイン賞も受賞した。

129軒あったイチゴ農家、震災で4軒に……

GRA提供

「ミガキイチゴ」でイチゴ産業の活性化に取り組んだ岩佐さんだが、実は祖父もイチゴ農家だった。

ビニールハウスの中は幼少期の遊び場。それだけイチゴは身近な存在だった。

一方で、小学4年から独学でプログラミングの知識を身につけた。2002年、大学在学中だった24才の時にシステム開発会社を東京で起業した。

DXを実装したい企業向けのITコンサルで仕事は順調に推移。あっという間に10年の月日が流れた。

人生を一変させたのが、2011年3月の東日本大震災だった。津波で流された町の様子をテレビで見た。すぐに災害ボランティアとして地元に戻り、瓦礫の撤去作業などを手伝った。故郷を復興させたい一心だった。

でも、ボランティア活動を続けていくうちに「復興」という言葉を耳にするにつれて、「何をもって『復興した』といえるのか」と考えるようになった。

GRA提供

2011年5月ごろ、町民200人ほどがタウンミーティングに集まった。そこで岩佐さんは、町の魅力は何か、町民にヒアリングした。すると約7割の人がイチゴだと答えた。

「129軒あったイチゴ農家は、震災の被害で4軒にまで減っていた。慣れ親しんだイチゴ農家を絶やさないために、自分が何とかしたいと思いました」

同い年のボランティア仲間と共に、しっかりと地元に根ざしたビジネスとしての新しいイチゴ農業を作ろうと決意。震災からわずか4カ月、2011年7月に山元町で農業生産法人GRAを起業した。

栽培歴40年という仲間の叔父に教えを請いながら、本格的にイチゴ栽培の道に足を踏み入れた。

IT化で「栽培技術」を伝承。担い手不足に一石

ハウス内はデータ管理されている。

ハウス内はデータ管理されている。

GRA提供

岩佐さんは、得意分野のプログラミングの知識を活かし、これまでは農家の長年の経験や勘に頼っていた栽培方法を形式化し、システムで再現できるものにしようと考えていた。

もし成功すれば、常にイチゴを一定の品質を保てることに加え、農業に関わる人の働き方も変えられる。町に雇用を生み出し、特に若い人の就農を促すことができると見込んだからだ。

「毎朝4時から働いて休みがない……。そんな昔ながらの農業は、若い人にとってはサステナブルな働き方ではないですよね。震災復興だけでなく、農業そのものに担い手不足の課題がある中、うまく代替わりができなければイチゴ農業そのものが消滅してしまいます」

ハウス内の温度管理をオート化するため、暖房の調整や窓の開け締めなどは自動化した。人の手をかけなくても成立する作業は最新技術で補った。

イチゴの光合成の量を安定的に最大化させるため、ハウス内には計測センサーを多数設置。温度や湿度、二酸化炭素濃度、地中の水分や栄養、日照量などを数値化し、データとして管理した。

人の手間をかけたのがデータの分析だ。ここに人員を割き、得られた知見を次の栽培に活用するスキームを構築し、イチゴにとって最適な環境を作り上げていった。

こうして2012年、職人の技とITの力が合わさり、山元町が誇るイチゴの新ブランド「ミガキイチゴ」が誕生した。いまでは年間出荷量は330トン。紛れもないヒット商品となった。

GRA提供

加えて、2012年から5年間は復興庁と農林水産省の事業「食料生産地域再生のための先端技術展開事業」のホスト農家となり、東北大学や宮城大学などの大学やNEC、パナソニック、富士通などの民間企業と共同で、テクノロジーを用いた農業効率化のための研究にも参加した。

山元町や隣接する亘理町(わたりちょう)など、被災地のイチゴ農家に役立ててもらえるよう、研究成果は全てオープンにした。

イチゴのカビの病気を防ぐため、夜に紫外線を照射する蛍光灯など、研究成果から商品化に至った技術もある。

こうしたさまざまな研究が実用化できたことで、GRAではイチゴの通年栽培を実現できた。

働き方も大きく変わった。現在、GRAの正社員は約30人。これとは別に農作業に従事するアルバイトやパートのスタッフが約100人在籍しているが、組織的な農業を実践できたことで、互いに作業を分担しながら進められるようになり、定期的に休みが取れるようになった。

最初はボランティア仲間たちに声をかけていたが、今では地元の人だけでなくGRAの取り組みに興味を持った人が全国から採用に応募してくるようになった。

見据えていたのはイチゴの「6次産業化」

「いちびこ」のケーキと店頭のショーケース。農場直送のミガキイチゴがふんだんに使われている。

「いちびこ」のケーキと店頭のショーケース。農場直送のミガキイチゴがふんだんに使われている。

撮影:吉川慧

岩佐さんの事業は、農業の伝承スキームの構築や地域に雇用を生み出すだけには留まらない。

2015年からは、これまでに得られた知見を活用し、新たに農業を志す人に向けた新規就農支援も開始した。

農場に研修用のハウスを設け、自社のデータも活用しながらGRA式のノウハウを提供する。まさに『イチゴの学校』だ。

就農後、生産したイチゴが基準を満たせば「ミガキイチゴ」としても販売が可能。販売先の開拓まで担う。加えて、自社の『ミガキイチゴラボ』で継続しているイチゴ栽培の研究のデータも共有する手厚さだ。

さらにはミガキイチゴのブランディングの計画当初から、これを用いた新商品開発も視野に入れた6次産業化も見据えていた。

「自社や地域だけに限定せず、優れた生産者がいればエリアを超えて連携して、イチゴの良さを最大限引き出した商品を生み出そうと考えています。例えば、ワインは山梨、ビネガーは鹿児島の醸造所と一緒に作りました」

イチゴを使ったケーキなどのスイーツにお酒、さらにはコスメまで。消費者のニーズに合わせて開発した商品は実に幅広い。

2017年からカフェ「いちびこ」を各地にオープン。テイクアウト専門の店舗も含め、現在では宮城県内と東京都内に計9店舗を展開するなど、事業を拡大している。

もちろん新型コロナの影響は受けた。インバウンド需要が見込めなくなったことで、イチゴ狩りの売り上げはコロナ前と比べて半分~3分の2まで減少した。

しかし、箱入りのイチゴとしてスーパーなどの小売店での扱いを増やしたり、直売所での販売量を増やしたり販路の拡大でピンチに対応した。

目指すのは“グローバル”なイチゴ

提供:GRA

事業を広げ、研究を重ね、品質もブランド力も高め続けている岩佐さん。見据えているのは、海外の市場だ。

「日本は国内の産地同士での競争が激しく、海外に出したとしても自国の商品同士でシェアを奪い合っている。でもグローバルな視点で考えるなら、『日本のイチゴ』として一丸となって生産して戦っていかなければ生き残れません」

GRAのイチゴは、最初から国際基準をクリアできる品質を目指し、生産を続けてきた。

「世界的なイチゴ産地の山元町」としての位置づけを考え、ミガキイチゴをグローバルな商品に押し上げていくことが、震災からの復興の先の自立へと繋がっていくと、岩佐さんは考える。

「震災によって失われてしまったものや過去の思い出は大事だし、防災・減災の意識は持ち続けなければならない。でも、震災から11年が経つ今、ビジネスにおいては、震災を風化させないと未来はないと思っています。もっとクリエイティブなところで、平場で戦う意識を持って、事業を展開していきたいです」

すでに海外のビジネスパートナーと、イチゴ栽培の実証試験に取り組んでいる岩佐さん。「イチゴといえば山元」と世界で認められるその日まで、挑戦は続く。

(取材・文:丸井汐里、編集:吉川慧


丸井 汐里:フリーアナウンサー・ライター。1988年東京都生まれ。法政大学社会学部メディア社会学科卒業。NHK福島放送局・広島放送局・ラジオセンター・東日本放送でキャスター・アナウンサーを務め、地域のニュースの他、災害報道・原発事故避難者・原爆などの取材に携わる。現在は報道のほか、音楽番組のパーソナリティも担当。2019年よりライターとしての活動も開始。

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