2018年、当時米CNN特派員だったローリー・セガールはフェイスブック(現メタ・プラットフォームズ)のマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)の単独インタビューに成功した。
Courtesy of Laurie Segall
米CNNでテクノロジー担当特派員を務め、現在はフリーランスジャーナリストとして活躍するローリー・セガールは、フェイスブック(現メタ・プラットフォームズ)を通じて収集した個人情報の不正流用が発覚して問題となった「ケンブリッジ・アナリティカ事件」(2018年)のさなか、マーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)の単独インタビューに成功している。
以下は、セガールが3月8日に上梓したばかりの新刊『特別な人たち:テクノロジー界の巨人もしくは不適応者と出会う旅』からの抜粋だ。Insiderが独自に許可を得て公開する。ザッカーバーグという人物の知られざる横顔を垣間見ることができる(※編集部注:一部で用語説明や補足、省略を行いました)。
2018年3月17日、世界は変わった。つい前日まで、ケンブリッジ・アナリティカなる企業の名前を聞いたことのある人はほとんどいなかった。
しかし、短髪をピンク色に染めたデータコンサルタントが同社の活動実態を暴露するや否や、そのニュースは地球上を駆けめぐり、話題の渦を巻き起こした。
翌日朝のCNN社内も、この話で持ちきりだった。
ジェフ・ザッカーは大きな楕円テーブルの短辺側に置かれたスウィベルチェアに座り、ニュース担当の幹部社員たちを待っていた。午前9時にはザッカーを中心に皆がテーブルを囲み、ヘッドラインのチェックが始まった。フェイスブックはその中心にいた。
ケンブリッジ・アナリティカ問題は一気に注目の的となり、市民の怒りは雪だるま式にふくれ上がっていったが、ザッカーバーグと(最高執行責任者の)シェリル・サンドバーグはいつまでも表に出てこようとしなかった。
どの記者もフェイスブック最高幹部への直接取材で他社に出し抜かれまいと躍起になっていたが、誰ひとりとして色よい返事を得られた者はいなかった。
半狂乱状態が続くなか、ジェフは言った。「ローリー・セガールは(この問題の取材を)やってるのか?」。彼からの呼びかけは数分後に私のもとに届いた。
ザッカーバーグとサンドバーグをめぐる争い
他のジャーナリストたちと同じように、私もローロデックス(=回転式の名刺ホルダー)を徹底的につぶしていった。ニュースルーム、ジェフの執務スペースの周り、ライブ番組の収録現場のそば、そこかしこを歩き回りながら電話をかけまくった。
そうしているうち、気になる話が耳に入ってきた。複数の情報筋によると、フェイスブック社内で議論がくり返されていて、従業員たちの間で不満が高まっているというのだ。
ザッカーバーグとサンドバーグはフィルターの向こうに身を隠して自身を守っているが、彼らの部下、そのまた部下たちが懸念するのは、上司がどうこうではなく、自身が世間からどんな目で見られるかという問題だ、従業員たちはそんな不平を募らせていた。
経営陣ですら溜まりに溜まった不満が爆発寸前というありさまだった。
そんなきわめて重要な時期に、リーダーたちはどこに身を隠していたのか。スキャンダルは収束に向かうどころか、一触即発の事態だったにもかかわらず。
ザッカーバーグはついに口を開いた、私の前で。
メンローパークにある本社キャンパスを訪ねたとき、私はすでにフェイスブック研究の専門家とも言えるくらい知識と情報を得ていた。
セメント壁にカラフルなアート作品をあしらった吹き抜けロビーを抜けて、新しいビルへ。受付で名前を書いてビジターバッジを受け取り、著名人のものを含む無数のサインやポジティブなメッセージ(「共感」など)で埋め尽くされた「フェイスブック・ウォール」の前も通った。
かつてフェイスブックのモットーだった「Move fast and break things(素早く行動し破壊せよ)」の看板はとっくの昔に撤去されていた。
社外を見渡せば、制裁を求めるメディアやユーザー、政治家たちがうず巻いていた時期にもかかわらず、社内は不思議なくらい静けさに包まれていた。
ザッカーバーグの側近たちを影のようにつき従えた私たちは、デスクとホワイトボードの列の間を突き進んでいき、ごくありきたりの会議室に通された。
部屋の片隅に置かれたテープレコーダーのようなデバイスが際立って見え、それは「ここにはあなた方のプライベートなどない(=すべては記録されている)」と主張しているように感じられた。
私たちは1時間半ほどかけてインタビュー収録の準備を行った。ザッカーバーグは座る椅子にまでこだわると聞かされていたが、それはそうだろう。フェイスブックの歴史において間違いなく最も不快な(スキャンダル渦中のインタビューという)時間を快適に過ごしたかったのだ。
私たちのほうは、この取材が実現したことに興奮しかなかったのだが。
そして、ついにその時間がやってきた。冷房が効いて室温が10度は下がったように感じられた。ほとんど冷蔵庫のなかでのインタビューだったシカゴでの経験を思い出すべきだった。ノースリーブのニットを着てきたことが悔やまれた。
さあ、リラックスしよう。そう思ったとき、ザッカーバーグが会議室に入ってきた。
ザッカーバーグと対面するのは2度目だったが、初めて会ったときとは活気が違った。
前回は、フェイスブックグループの影響力や同社が構築してきたコミュニティの広がりを強調するための、入念につくり込まれたPRの機会に過ぎなかった。フェイスブック上で出会い、サミットで対面を果たした晴れやかな顔のユーザーたちを、私たち取材スタッフはすぐそばで呆然と眺めていたものだ。
しかし、当時満ちあふれていたあの活力はとうに失われていた。ザッカーバーグの周りには取り巻きもおらず、社会に説明しなくてはならないことだけが山積みだった。
ザッカーバーグは「やあ!」と言って会議室に姿を見せると、私たち取材スタッフのほうに近づいてきた。前回会ったときより警戒感が薄まって、気楽なあいさつにも見えた。けれども、私には彼がイライラしているように感じられた。
メイクスタッフのミーガンがパウダーを塗り終えると、私たちは席に着いてインタビューを始めようとした。
ところが、数秒後にザッカーバーグは動きを止め、ちょっと待ってと言って部屋を出て行った。側近たちもそれに続いた。
私は席に座ったまま動かず、取材メモをめくりつつ(取材スタッフの)ジャックに情報収集を進めるよう指示を出し、次の動きを待った。
頭の中で、CNNのカウントダウン・クロックがカチカチと鳴るのが聞こえた。それまで私たちのインタビューは番組表に存在しないはずだったが、すぐあとの看板ニュース番組『アンダーソン・クーパー360°』で流れることが直前に決まり、公式なカウントダウンが始まっていた。
出だしからつまづいたこの取材は本当に予定通り実現するのか?
10分後、側近たちだけが戻ってきて言った。
「場所を変えてもいいでしょうか?この部屋はしっかり冷え切っていませんので。マークはもう少し涼しい部屋がいいみたいです」
放送時間に見合う撮れ高を稼ぐには、もうインタビューを始めなくてはならなかった。けれども極端な話、(極寒の)シベリアまで移動すれば、必死で準備した質問にすぐに答えてくれるというのなら、喜んで移ろうではないか。
私たちは冷え切った別の部屋に大至急で移動した。
準備時間は20分ほどしかなさそうだった。移動先の部屋に椅子はなく、小さなカウチソファがひとつ置かれていた。
その片側に私が腰掛けると、しばらくしてザッカーバーグが戻ってきて、膝を突き合わせるように隣に座った。
「こんな近くに座って大丈夫でしょうか?」冗談めかして私は言ったが、そこにもう笑顔はなかった。インタビューは始まろうとしていた。
マイクの動作を確認し、カウントダウンが始まる。5、4、3、2、1、撮影スタート。
「マーク、フェイスブックでいったい何が起きたんですか?何か問題はあったんでしょうか?」
長過ぎる1秒の凝視のあと、ザッカーバーグは事前に用意された原稿をそのまま読み上げた。
まずは謝罪が先だということを確認するように、彼は「こうした問題が起きたことを心からお詫びします」と切り出した。そして、何が問題だったのか、ケンブリッジ・アナリティカがいかにして時代遅れの不正な手法を用いたのか、詳細を続けた。
「フェイスブックは規制を受けるべきだと思いますか?」と私。
「規制を受けるべきではないとは思っていません」とザッカーバーグ。
議会で証言するのかさらに問うと、特定の種類の質問に答えるにはもっと適任者がいる、と回答を避けた。フェイスブックの創業者であるあなたに、表に出てきて説明してほしいと思っている人もたくさんいるとたたみ掛けたが、ザッカーバーグは証言の可能性を残しつつも、明言には至らなかった。
事前に割り当てられた20分の時間が近づくと、側近たちが取材を終わらせようと割り込んできたが、ザッカーバーグは話を続けた。
もう10分、さらに10分とインタビューは続いた。彼がだいたい話し尽くしたと思われたタイミングで、私は最後の質問をぶつけた。
「あなたの子どもたちのために、より深い配慮のあるフェイスブックにしたいと考えていますか?」
マークは息を吐き出した。ほとんど気づかないほどだったけれども、瞳の表情に変化が感じられた。インタビューが終わった安堵か、この特別な時間の意義、あるいはそれがフェイスブックの将来に何をもたらすかを考えたのか。あるいは、最後に子どもたちの存在に触れたからか。
私はザッカーバーグを見つめ直した。
彼は泣いていた。
「子どもが生まれて、いくつも大きな変化がありました」とザッカーバーグ。
「例えばどんなふうに?」。話を切り上げたい側近たちがやきもきして、いまにも割って入ろうとこちらに視線を投げかけるのが感じられたが、目を合わせないようにして私は続けた。
「以前は、世界中に最も素晴らしいポジティブなインパクトをもたらすことこそが何より大事だと考えていました。でもいまは、娘たちが成長して誇れるものを生み出すことだけを考えるようになりました」
「いまそういう仕事をしているとあなた自身は感じていますか?」と私は詰め寄る。
選挙操作や個人データ収集、人々のメンタルヘルスひいては社会の健全性にもたらすテクノロジーの弊害をめぐる懸念の高まりなど、最悪の状況のなかで蔑(ないがし)ろにされているのがその問いだと私は考えていた。
彼はゆっくりと、言葉一つひとつの意味を吟味するように語った。
「やります。子どもたちが成長して誇れるものを生み出す、そこを踏み外さずにやっていくことを約束します」
想像できる限り最大規模のソーシャルネットワークを生み出したひとりのエンジニア(ザッカーバーグを指す)の前に、私は座っていた。
彼は世界の本質的な仕組みに目を向け、1と0から成るデジタルの視点から世界を見ることで、そうしたネットワークを築き上げた。しかし、人間に対する深い理解や共感は、必ずしもそこに含まれていなかった。
ザッカーバーグがフェイスブックを立ち上げたのは学生時代、自身の子どもたちが生まれるずっと前のことだ。彼をそれまで動かしてきた内なるアルゴリズムが、愛する娘たちによってこなごなに破壊されるずっと前のことなのだ。
お金のために、権力のために、あるいはソーシャルグッド(=社会に対するポジティブなインパクト)のために、世界をつなげようというのがザッカーバーグの考えだったが、自身に人とつながる能力が欠けていることを見落としていたようだ。
楽観主義と満ちあふれる傲慢さのまま突っ走り、大人になってからも取り巻きのフィルター(がもたらす情報や価値観)に翻ろうされた結果、会社は肥大化してコントロールできなくなり、ビジネスモデル、社会における役割、経営陣の意図に至るまで疑問符が突きつけられる状況に陥った。
ザッカーバーグは驚くほど人間的だった
この10年あまりの間に神格化されて天上人となったテクノロジー業界の巨人たちが、成層圏に再突入し、最後には地上まで降りてくる新たな時代に私たちはいまいる。
インタビュー自体はザッカーバーグとのダンスにすぎないとしても、やがてその余波が広がり、フェイスブックが社会に与える影響にとどまらず、テクノロジー全般に関するあらゆるナラティブを変えるであろうことに私は気づいていた。
膝を突き合わせたまま、時間を割いてくれた礼を伝えると、ザッカーバーグは席を立った。20分の予定だったインタビューは40分に及んだ。
映像はCNNのニュースルームに即座に電送され、わずか数分後、インタビューは予定通り『アンダーソン・クーパー360°』のなかで放送された。
インタビューは世界中でとり上げられ、話題を呼んだ。間もなく、新聞はフェイスブックの権力と影響力をめぐる論説を次々に掲載した。ツイッターにはザッカーバーグの語った言葉を分析する投稿があふれ返った。
ザッカーバーグがフェイスブックは規制を受けるかもしれない、受けるべきかもしれないと発言したのは、このインタビューが初めてだった。
インタビュー放送後、アンダーソンの番組に出演して所感を述べるよう求められた私は、それに応じて議論に参加した。
他の出演者たちはそれぞれに持論をまくし立て、自分が意見を述べる時間はほとんどなかった。
[原文:I interviewed Mark Zuckerberg after the Cambridge Analytica data scandal. Here's how it went down]
(翻訳・編集:川村力)