日産リーフ、被災地とともに歩んだ11年。災害対策としての電気自動車

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照明用に電気を供給する日産リーフ。2019年の台風15号では、千葉県の広い範囲で停電が長期化した(写真は千葉県君津市)。

写真提供:日産自動車

「2011年3月11日の夜は星がきれいだった」

東日本大震災当日の記憶として、星空を思い浮かべる人は少なくない。震災による大停電は、被災地の灯りを消し去った。

震災当時に仙台市内の小学校の校長だったある女性が、当日の出来事を語ってくれたことがある。

彼女はハイブリッド車で通勤していた。勤務先の学校には発災直後から避難者が続々と押し寄せてきたが、地域住民が工事用の照明を持ち込み彼女の車とつなげてくれたおかげで、夜の支援作業を進めることができたという。

あれから11年。国は災害時の非常用電源として、電気自動車(EV)をはじめとする電動車の活用を広めることに力を入れている。

震災直後から自治体に無償貸与

その先陣を切っていたのが、日産自動車だ。東日本大震災が起こる少し前の2010年12月、日産は世界初となる量産型電気自動車(EV)、日産リーフを発売していた。

震災後、被災地では深刻なガソリン不足に陥り、住民の移動や支援活動、物資の輸送に支障をきたしていた。日産は現地の自治体にリーフを無償で貸与することを決定。その数は65台に上った。

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【図1】東日本大震災後、日産は計65台の日産リーフを自治体に無償貸与。ガソリン車への給油が難しくなり、電力が8割方復旧した3日目以降に現場のニーズが高まり、さまざまな移動の手段として利用されたという。

出所:資源エネルギー庁のデータをもとに日産自動車作成

在宅医療の往診車としても稼働

無償貸与先はほかにもあった。日産の日本事業広報渉外部主管、高橋雄一郎氏はこう話す。

「仙台市内にある在宅医療専門の『仙台往診クリニック』さんが、ガソリン不足で往診用の車を使えなくなり、市内の日産レンタカーに、日産リーフを貸してもらえないかという打診をいただいたんです。震災から3日目のことでした」(高橋氏)

3台あった日産リーフのうち、貸し出されていなかった1台をクリニックに提供した。さらに、もう1台借りられないかという要請にも素早く対応。市内の販売店にあった試乗用リーフを押さえ、また販売店に設置している充電設備を無償で利用できるよう手配したという。

「仙台市中心部の電力供給は発災翌日にほぼ復旧していて、販売店で充電できる状態にありました。往診を行うのは日中がメインですから、例えば、巡回が終わって夜に充電するという形で使うことができたんです」(高橋氏)

ちなみに、国内でEVを製造するメーカーのうち、クリニックの要請に応じたのは日産だけだったという。

10年で性能が3倍に向上

当時の初代日産リーフは、1回の充電で約200km走ることができた。

その後、2018年にフルモデルチェンジした2代目は、航続距離が2倍の400kmに伸びた。さらに、2019年に登場したハイパフォーマンスモデル「日産リーフe+」は初代の約3倍、570kmとなっている。

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【図2】日産リーフの性能は、初代と比べて約3倍に向上。航続距離は570kmに伸びた。

出所:日産自動車

その進化は、「蓄電池」として見た場合も同様だ。

最新型の日産リーフe+は、一般的な家庭で使用する電気のほぼ4日分、避難所(公民館)の場合は3日分をまかなえる。スマートフォンを充電するとしたら、6200台をフル充電できる計算だ。2018年に行った実証実験では、日産リーフ(40kWh)1台で43階建ての高層マンションのエレベーターを100回往復できたという。

「約10年間で給電能力がどれだけ向上したのか。分かりやすく言うと、東日本大震災当時に充電できたスマホの台数が約2000台だったのが、今はその3倍の数を充電できるまでになったわけです」(高橋氏)

日本初の非常用電源

東日本大震災後も、熊本地震や西日本豪雨など、日本は繰り返し大きな自然災害に見舞われてきた。

2019年9月の台風15号では、首都圏中心に甚大な被害が発生。千葉県では最大64万軒が停電し、完全に復旧するまで約20日もかかった。

日産は発災直後に千葉県入りし、被災した君津市や市原市などの自治体に日産リーフの無償貸与を開始。東京電力の支援要請を踏まえて貸与した台数を含めると、出動したリーフは合計53台に上ったという。

「私も現地に入り、社員と手分けをして公民館や高齢者施設、保育園などを回り、給電のセッティングや住民の方々の支援を行いました。スマートフォンの充電や照明だけでなく、高齢者の方の流動食を作るフードプロセッサーなどにも使っていました。猛暑だったので、扇風機や冷蔵庫に使うことも多かったです」(高橋氏)

この時行った日産の支援が、「非常用電源」としてEVが使われた日本初の事例となったという。

以来、同年10月の台風19号、2020年7月の熊本豪雨など、各地で深刻な自然災害が起こるたびに日産リーフは被災地へと出動した。

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2020年7月の熊本豪雨の被災現場で、可搬型給電器(手前右)を使って給電する日産リーフ。

写真提供:日産自動車

被災地との関わりは今も

東日本大震災から11年。風化が懸念されるようになって久しいが、日産は今も被災地との関わりを持ち続けている。

その一つが、福島県浪江町で日産が進めている実証実験「なみえスマートモビリティ」だ。

福島第一原子力発電所まで数km圏内にある浪江町は、現在も町の大部分が帰宅困難区域に指定されており、人口減や高齢化は年々深刻さを増している。

日産日本事業広報渉外部の石田則子氏は、浪江町に通うようになり「10年経ってもまだ、復興とは程遠い状況にある自治体が存在するという現実」にがく然としたという。

なみえスマートモビリティの狙いは、高齢者にも使いやすいEV配車サービスを構築し、住民の買い物や外出を支えることだ。災害対策だけでなく、脱炭素化(ゼロ・エミッション化)やまちづくりという社会課題の解決に日産リーフを活用する「ブルー・スイッチ」活動の一環として行っている。

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福島県浪江町で行われている「なみえスマートモビリティ」実証実験の様子。

写真提供:日産自動車

なみえスマートモビリティの実証実験は、浪江町にとどまらず、現在は隣接する双葉町、南相馬市にも拡大。企業も複数参加し、地域の日常生活を支える試みが加速している。

「色々な自治体・企業と協力しながらブルー・スイッチ活動を広げたい」と語る高橋氏。実は、母方の実家が、福島第一原発事故で大きな被害を受けた自治体の一つ、広野町にあるという。

「深刻な高齢化に見舞われているのは、広野町も浪江町も変わりません。その現実を考えると、復興には、人の流れを増やして賑わいを取り戻す、人の心に寄り添って元気づけるようなソフト面の支援が、本当に重要だと感じています」(高橋氏)

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日産と岩手県陸前高田市はブルー・スイッチ活動の一環として、2020年に連携協定を締結。以来、日産は同市で毎年開催される「三陸花火競技大会」の運営をサポートしてきた。

写真提供:日産自動車

(文・湯田陽子

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