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ロシアがウクライナに侵攻してから約1カ月。2月23日までの世界は、新型コロナウイルスに独占された世界だったが、24日を境に、いきなりチャンネルが変わった。
ニューヨークには、約15万人のウクライナ人・ウクライナ系アメリカ人がいると言われ、特にイースト・ヴィレッジにはウクライナ系教会やレストランも数多い。今ウクライナレストランはどこも大繁盛で、ロシアレストランは軒並み閑古鳥だ。ニューヨークのロシアレストランの経営者やスタッフの大多数は実はウクライナ系で、ロシア系従業員がいてもその多くは戦争に反対しているという。それでもロシア料理というだけで嫌がらせを受け、「ナチス」と落書きされ、ネット上でひどいレビューや誹謗中傷を載せられ、予約が次々キャンセルされる。
この状態を見ていると、2001年のテロ直後、イスラム系だけでなく、東南アジアやインド人を含む褐色の肌の人たちが理不尽な差別にさらされ、傷ついていたことを思い出す。いずれも無知と偏見が生む恐怖、恐怖の源を排除したいという人間の心理からくる一種の暴力だ。
欧州とアメリカを引き寄せたロシア
ウクライナを支持し、プーチン大統領を批判する声は、各国の政府・企業・市民の間で急速に広がった。
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ロシアがウクライナに侵攻するのでは、という話は2021年12月からあった。私自身は、今アドバイザーとして仕事を手伝っている歴史学者のニーアル・ファーガソンが年明け1月の早い段階からずっと戦争になる可能性が高いと言い続けていたので、軍事侵攻を聞いたときには「やはり」という気持ちの方が強かった。
CNN: On GPS: Will Russia invade Ukraine in 2022?
(ユーラシア・グループ代表のイアン・ブレマーとニーアル・ファーガソンの1月9日のディベート。この時、ファーガソンはブレマーよりも戦争の可能性を高く見ていた)
むしろ驚いたのは、欧州とアメリカがこれほど早いペースでまとまり、一枚岩になって協調したことだ。SWIFTからロシアの金融機関の排除、プーチンと外相のラブロフに対する制裁、アメリカによる最恵国待遇の撤回、ドイツのノルドストリーム2パイプラインの停止など、厳しい制裁が次々と発表された。特にロシアの重要なエネルギー顧客であるドイツの素早いシフトは、ロシア側も予想していなかったのではないだろうか。
欧州とアメリカの信頼関係はトランプ政権の間に冷え込み、欧州でもイギリスのEU離脱が象徴する通り共同体内の亀裂と弱体化が明らかになっていた。このたびのウクライナにおけるロシアの行動は、イギリスを含めた欧州内の結束を急速に固め、欧州とアメリカを近づけるという、プーチンの思惑とは逆の効果を生んでいる。
企業の動きも速かった。エクソン、BP、シェルはじめロシアに何十年間も大型投資を行ってきたエネルギー企業、テクノロジー企業、ボーイング、フォード、メルセデス、フォルクス・ワーゲン、Big Four と呼ばれる世界4大監査法人(PwC, Deloitte, EY, KPMG)、ハリウッドの製作会社、American Expresss、マスターカード、コカ・コーラ、ペプシ、マクドナルド、スターバックス、トヨタ、サムソンなど、大企業が続々とロシアからの撤退やビジネス停止を発表した。
今まだロシアに大きなビジネスを残している企業には、今後、投資家や消費者、世論からの圧力がかかってくるだろう。今のところ、サハリンはじめロシアにプロジェクトをもつ日本の総合商社やエネルギー企業には直接のプレッシャーはかかっていないかもしれないが、これも今後の国際世論の流れ次第で変わってくる可能性はあるだろう(日本が抜ければ中国が代わりに入る可能性が高いので、日本企業に残ってもらった方が良いと結論づける可能性もある)。
予測しながら見ているしかなかったのか
ロシアのウクライナ侵攻について正確な情報を掴んでいたバイデン政権は、戦争を回避する効果的な術を持たなかった。
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ただ、上記のような欧米の制裁に対し、「Too little too lateではないか。今まで何を待っていたのか」という批判もある。
アフガニスタン撤退時にはアメリカのインテリジェンスの弱さがさんざん批判されたが、ウクライナについて米政府が事前に掌握していた情報は正確だった。バイデン政権は、ロシアの攻撃の予定を正しくつかみ、繰り返し警告していた。今アメリカが批判されているのは、あれだけ正確な情報を持っていて、今の事態を予想できたのに手を打たなかったからだ。
何よりバイデンのプーチンへのメッセージが弱すぎたという批判は、今後も言い続けられるだろうし、彼が2024年の大統領選に出るとすれば、その時に必ず蒸し返されるだろう。交渉術的に考えると、プーチンが本気で侵攻を計画していると知っていたのなら、バイデンはハッタリでもいいから、「派兵を含め、すべての選択肢がテーブルの上にある」と言うべきだったのではないか。
今ウクライナで起きている戦争の原因は、ロシア対NATOの対立だ。にもかかわらず、アメリカはじめNATO加盟諸国は外野席から応援している。経済的に豊かで軍事的にも強い西側の国々が、「我々はウクライナと共にある」と力説しながら武器だけ送り、戦火がどんなにひどくなろうとも物理的には介入しないと宣言している。これは歴史的に見てもかなり珍しいケースではないか。アメリカはこれまで同盟国でなくても、同盟国の利害が侵されると判断した時には積極的に介入してきた。
3月11日、バイデンはツイートでこう言っている。
「はっきり言っておきたい。我々はNATOの領土を、加盟国全ての団結によって最後の1インチまで守り抜く。しかし我々は、ウクライナにおいて、ロシアを相手に戦うことはない。NATOとロシアの直接の対決は第三次世界大戦だ。そして、それは我々がなんとしても防がなくてはならないことなのだ」
このような大統領の姿勢は、アメリカでどう評価されているか。
バイデンの支持率は2021年のアフガニスタン撤退以降低迷してきたが、3月1日の一般教書演説を境に少しだけ上昇した。ロシアへの経済制裁や米軍部隊をウクライナ周辺のNATO同盟国に送るという方針は、今広く議会の支持を得ており、一般教書演説の際には、共和党議員までも立ち上がって拍手を送っていた。演説後、バイデンの支持率は47%と少し上向いた(NPR調査。2月時点では39%)。
同じNPRの調査によると、ウクライナ問題についてのバイデンの対応については、52%が支持(2月の侵攻前は34%)、ロシアへの経済制裁については83%もが支持すると答えている。新型コロナウイルスへの対応も、55%が支持(2月は47%)すると回答。これだけインフレが悪化し、ガソリン価格が上がり、パンデミックもまだ終わらず、戦争と経済制裁で今後ますます経済が難しくなりそう……というキツい状態の中でも、支持率が下がるどころか上向いていることは、注目に値する。
キニピアク大学が3月7日に発表した世論調査も興味深かった。回答者の71%が「ガソリン価格が上昇しても、ロシア産原油の輸入禁止を支持する」と答えている。共和党支持者の66%、民主党支持者の82%、無党派層の70%が支持と、支持は党派を超えている。これがどのくらい長続きするかはわからない。今後半年間でどれだけインフレが悪化しガソリンが値上がりするかで、11月の米中間選挙にも影響してくるだろう。
アメリカの腰の引けた対応をもどかしく感じている人々も、特にアメリカ国外には多いと思う。でもオバマ政権以降のアメリカは、世界の警察官役はもう引き受けないし、できないと繰り返し示してきた。国民も全く求めていないし、この点に関してはバイデンを「手ぬるい」と非難している共和党の議員たちも同じだろう。もし今共和党の大統領だったとしても、バイデン同様、戦争への参加には消極的だったはずだ。
アフガニスタンからアメリカが撤退した時、バイデンの支持率は落ちたが、あれは撤退自体より段取りの悪さに対する批判だった。CBSニュース・YouGovの世論調査によると、44%の回答者が撤退の顛末は非常にまずかったとしているが、63%が撤退自体は支持すると答えている。
同じくCBSの調査(2月8日ー11日)では、ウクライナでの戦争について、53%が「関与すべきでない」と答えている。若い世代ほど「関与すべきでない」が多く、党派別でいうと共和党の方が「関与すべきでない」が多い。
私の元ボスであるユーラシア・グループ代表のイアン・ブレマーは、2011年のダボス会議で「Gゼロ」というコンセプトを発表した。「リーダーなき世界」の到来という意味だ。それから10年以上が経った今、世界はまさにGゼロ状態にあると言えるだろう。ブレマーはGゼロは過渡期的な現象だと述べているが、その次にどんな世界が待っているのかは、まだ見えていない。
ゼレンスキー演説に感じる一抹の不安
俳優・コメディアンだったゼレンスキー大統領の演説は国内外で高く評価され、支持率も急上昇している。国によって、何を訴えるとその国の政権や国民に響くのか、よく練られている。
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3月16日にはウクライナ大統領のゼレンスキーが米連邦議会でオンライン演説を行った。
ゼレンスキーの若さ(44歳)、ウクライナがデジタル先進国であることも影響していると思うが、ウクライナとゼレンスキー個人の発信力には世界中が感心させられたと思う。彼らはテクノロジーを武器にした21世紀の情報戦の戦い方を知っており、洗練されたメッセージを発信している。
ゼレンスキーはこの戦争を生き延びたとしても、生き延びなかったとしても「21世紀のチャーチル」として語り継がれるのだろう。戦場で文字通り体を張り、国民と世界中の人々をインスパイアする言葉を語る。元コメディアン、役者だけあって、言葉や映像の使い方も絶妙だ。彼はアメリカの前に、イギリス、EU、ドイツ、カナダの議会でも演説したが、EU議会の通訳が途中で感極まって声を詰まらせたように、彼の言葉には人の心を揺さぶるパワーがある。
一方で、米議会での彼の演説を見ていて、私は途中からそのうまさに一種あざとさのようなものを感じ、不安な気持ちになった。彼はイギリスではチャーチルの話をし、ドイツでは「Never Again」とドイツ人なら条件反射的にホロコーストを思い出す言葉を使い、アメリカでは真珠湾と 911の話をした。相手が一番共感してくれそうな、分かりやすく、直接心に訴えかけるトピックをぶつけてくる。
特に後半の凄惨な映像の使い方は、ハリウッドのプロデューサーでもついているのかと思うほどうまく、強烈な印象を与えた。当然そのような演出は効く訳だが、良くも悪くも感情を煽るようなやり方は、すでに昂っている感情に油を注ぎ、事態を悪化させてしまう可能性もある。
少なくともアメリカのメディアでは、今ゼレンスキーを批判する声はほとんど聞かれない。ロシアと徹底的に戦うという彼の選択に対しても、称賛の声が圧倒的に強い。
ロシアは自衛のための軍事作戦と主張しているが、その行為は武力による威嚇や武力の行使を禁止する国連憲章2条4項違反と広く見なされている。ウクライナの抗戦は国際法上は正当な選択で、人道的にも正義だろう。ただ、「この徹底抗戦という方法が本当にウクライナの人々を守る最善の道なのか?」という議論は不思議なほどない。全面的にゼレンスキーを英雄視し、戦うウクライナ人を素晴らしいともてはやし、武器を与えるという流れは、一歩引いて俯瞰的に見ると、何かに酔っているような、冷静さを失ってしまっているような感じもする。
ロシアが侵攻を始めた直後、バイデンがスピーチで「Freedom will prevail (自由が勝利するだろう)」と言ったのが今も頭に残っている。「本当に?」「At what cost?(その代償は?)」と思ったからだ。仮に何らかの和平交渉が締結され、武力紛争が止まり、ウクライナからロシア軍が去ったとしても、その時ゼレンスキーはいないかもしれない。戦火に追われてウクライナを去った人々が、廃墟となった自分の町に戻ってくることができたとしても、彼らにとっての「自由」が戻ると言えるのだろうか。戻るとして、それはいつのことだろう?
「善と悪との戦い」のデジャブ感
911をきっかけにアメリカで強まった善悪二元論は、今回の戦争についても起きている。
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ゼレンスキーは米議会演説の中で「Evil」という言葉を使った。ウクライナでの戦争が始まって以来、いやその前から、バイデンや下院議長のナンシー・ペロシはじめアメリカの政治家たちも繰り返し同じ言葉でロシア、プーチンを非難している。プーチンの今回の行動が Evil であることに議論の余地はないが、この、「これは Good v. Evil の戦いで、我々こそが善、敵は悪」という勧善懲悪的で Black and White な世界の捉え方は、2001年のテロ直後のアメリカを再び見ているようなデジャブ感がある。
2021年秋、アメリカがアフガニスタンから撤退した際に書いた記事では、「アメリカはどこで間違ったのか」を考察した。答えは複数あると思うが、私がアメリカにとって良くなかったと思うことの一つは、911を境に世界を絶対的な善と悪に分けて見る姿勢ができてしまったことだ。この善悪二元論な考え方は、今日のアメリカ社会の深い分断にもつながっていると感じる。
今回アメリカは戦争当事者ではないが、当時の「我々こそ善、悪は徹底的にとっちめる」という、一切の反論を許さない、集団ヒステリー的な雰囲気が今のアメリカにもある。多少でもロシアやプーチン目線に立った発言をしたり、ウクライナ側を責めるようなことを言えば、「人非人」扱いされ、袋叩きに合うのではないかという雰囲気だ。
こんな風にいきなり「正義の味方」になっているアメリカに対し、気持ち悪さを感じている人たちもいると思う。今回のロシアの行動が、イラクやアフガニスタンでアメリカがしたこととどう違うのか?といった意見だ。
これは当然の指摘だ。ただこのようなダブルスタンダードは、全く新しい話ではない。冷戦時代アメリカは、民主主義の理念や正義を振りかざして、ソ連との縄張り争いの代理戦争を世界中で繰り返しやってきた。イラン、イラク、アフガニスタン、コンゴ、キューバ、ニカラグア……これらの国の多くは、今もその傷と共に生きている。アメリカもロシアも、歴史から十分に学習していないという点では同じと言えるだろう。
その点をイランの最高指導者ハメネイは、ウクライナでの戦争が始まってすぐに指摘している。ハメネイは、アメリカは武器と政治経済を握ったマフィアも同然で、世界中の危機を利用して繁栄してきた、ウクライナはアメリカの政策の犠牲者の一例だと主張。アメリカはウクライナの内政に干渉し、民衆を焚きつけて「オレンジ革命」を起こし、親ロシアの指導者たちを追放してきたと述べた。イラン国民の大多数はロシアに対して懐疑的で、ウクライナ侵攻にははっきり反対しているが、ハメネイの見方をシェアする国々もある。キューバ、ニカラグア、ベネズエラなどの国々は、ロシアの安全保障上の利益を無視してウクライナとの緊張を煽ったアメリカとNATOのせいで戦争が起きたのだという見解を示しているし、中東諸国も、ロシアを直接的に非難してはいない。
アメリカ国内にも、「今回の紛争の原因を作った主な責任は西側、特にアメリカにある」と指摘する声はある。シカゴ大学教授ジョン・ミアシャイマーは、クリミア併合後の2015年以来ずっとこの説を唱えており、最近もThe Economist に寄稿している。今の西側の主流な見方は、「ウクライナの戦争の直接の原因は、NATOの東方拡大ではなく、旧ソビエトを復活させたいプーチンの拡大主義である」というものだが、彼はそれに疑問を唱え、今日の戦争の真の発端は、2008年のNATOブカレスト・サミットにあったと指摘している。
2008年のこのサミットで、当時の米大統領のブッシュは、ウクライナとグルジア(現・ジョージア)がNATOのメンバーになるだろうと宣言した。プーチンは激怒し、もしそんなことが起きた場合、クリミアおよび東方地域はロシアが掌握するので、ウクライナはバラバラに崩壊するだろうと警告した。アメリカはその警告を無視した。2014年、アメリカの援助を受けた市民の蜂起で親ロシア派のヤヌコヴィッチ大統領が追放されると、ロシアはクリミア併合に動き、ドンバスでは内戦が起きた。2017年、トランプ政権はウクライナに「防衛用の武器」を提供し、他のNATO加盟国もウクライナへの武器の供与と軍の訓練を始めた。
バイデン政権になってもこの流れは続き、2021年11月には「US-Ukraine Charter on Strategic Partnership(米・ウクライナの戦略的パートナーシップについての憲章)」が調印されている。この文書には、「二国は、2008年のブカレスト・サミットでの宣言に基づいて協調する」と書かれている。
ミアシャイマーは、ジョージ・W・ブッシュ、オバマ、トランプ、バイデンの4人の大統領は20年間にわたってさまざまなサインを見落とし、プーチンという問題人物をほったらかしにし、彼を理解することに失敗した、つまりバイデン政権のみならず過去3つの政権にも責任があると指摘している。
Off-ramping Putin という考え
プーチンは3月18日、数万人の聴衆に向けてクリミア併合を祝う演説を行った。
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ゼレンスキーの議会演説の後、バイデンはプーチンを「人殺しの独裁者」「War Criminal(戦争犯罪人)」と言うようになった。この「戦争犯罪人」という言葉は、これまで、イラクのサダム・フセイン、シリアのバシャール・アル・アサドなどに対しても使われてきた言葉だ。
プーチンがやってることは悪に違いなく、彼を許せない、犯罪者として裁かれるべきだと思う気持ちは世界中の多くの人に共通しているものだろうが、一人の個人を悪魔扱いし、全てを彼のせいにすることにはリスクもある。
今アメリカでは60年前に起きた1962年のキューバ危機の話が引きあいに出されることが多い。当時大統領だったケネディの伝記の執筆者で、ハーバード大学教授のフレデリック・ログヴォールは、ニューヨークタイムズのインタビューで、ケネディは紛争をフルシチョフ書記長個人の問題と捉えないように努めたと説明している。彼個人を責めるのではなく、フルシチョフが体面を失わず、直接的な対決を避ける道を探せるように努めたと。
ケネディは関係者たちに繰り返し、フルシチョフの視点から事態を捉えなくては、と言ったという。「我々はフルシチョフが引けるよう、彼に何かを与えなくてはならない」と言い、公的なコメントの中でフルシチョフ個人を攻撃する言葉を言わないよう注意していたと言う。ログヴォールは、これは今バイデンがやっていることの真逆であると指摘する。
「正義と悪の戦いだ」と言って盛り上がる段階はもう過ぎて、やりすぎると世界は余計分裂する。今考えなくてはならないのは、プーチンをどう落ち着かせ、この事態をどう着陸させるかということだろう。この戦争についても、「反プーチン」か「親プーチン」かどうかではなく「戦争反対かどうか」で線を引く方が健全だという気がする。例えば、前述のイランやベネズエラのような国々も、プーチンを名指しで批判はしていないが戦争には反対している。そちらの方が、多くの国の共感を得やすい。
英語で、最近よく目にするのが「Off-ramping Putin」という表現だ。要は、高速道路からどう降りさせるかということだ。ケネディがフルシチョフにやったように、相手に何らかの「勝利」を収めたと思わせつつ、拳を下ろさせること。
3月18日、バイデンと習近平の電話会議の後、アメリカが中国に対し、ロシアを支持し続けた場合に中国にも制裁が及ぶ可能性を伝え、プレッシャーをかけたという報道があったが、プーチンをどう落ち着かせるかを考えた場合、全包囲するよりも、オープン・チャンネルを残しておいた方がいいのではないか、そのためには中国をコマとして残しておくのはアリなのではないかと感じた。
以前、陰謀論の話を記事に書いたときに読んだ本で、カルトや陰謀論にハマってしまった人たちをどう脱洗脳するかという話が出てきた。その際絶対にやってはいけないのが、彼らの被害者意識をますます高めるような、彼らを馬鹿にするようなことを言うことだという。これは逆効果で、言われた方はむしろ余計に頑なになる。重要なのは、その人を孤立させないこと、追い詰めないことだ。これは、今のプーチンにも当てはまるのではないだろうか。逃げ道を片っ端から塞げば、彼を自暴自棄にさせるリスクも上がる。
「民主主義とは状態ではなく、行動」
ベルリンの壁が崩壊し、冷戦体制が崩壊してから約30年。西側が掲げる民主主義や自由といった価値観で世界はまとまるどころか、分断は深刻化している。
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今回の紛争が引き起こしたことの中でポジティブなことがあったとすれば、世界中の人々に民主主義の価値を思い出させたということではないかと思う。
ウクライナの人々は、西側の自由主義社会に加わりたいがため、自国の独立と価値観を守りたいがために、命がけで抵抗し続けている。その必死な姿に、世界中の多くの人々はインスパイアされ、同時に自分達の社会のあり方について考えさせられた。
ベルリンの壁が崩壊して以来、民主主義世界には道義的な理由で一つにつながるということがなかった。民主主義が広まるにつれて、多様性や個人主義が強調され、宗教は力を失い、共通の基盤、みんながシェアできる価値観は薄れた。結果、人々はシニカルになり、民主主義社会の中で分断が増幅した。今回ウクライナを熱く応援する世界中の人々の反応を見ていて、我々は正義や人道的理想のために結束し、それを脅かすものと団結して戦うという行為に飢えていたのかもしれないなと感じている。
一般教書演説でバイデンは、「この時代の歴史が書かれる時が来たら、プーチンの戦争は、ロシアを弱くし、それ以外の世界を強くしたという評価がなされるだろう」「民主主義と専制主義の戦いにおいて、民主主義が底力を発揮しているのだ」と述べた。
“When the history of this era is written, Putin’s war on Ukraine will have left Russia weaker and the rest of the world stronger.”
“In the battle between democracies and autocracies, democracies are rising to the moment.”
そうであってほしいが、ヨーロッパを見回すと、ポーランドであれハンガリーであれ、反自由主義のポピュリズムや極右が盛り上がっているし、フランスやイタリアにも同様の動きがある。そして足元のアメリカには2024年に出馬する気まんまんのトランプと、彼をいまだに支持する人たちもいる。民主党の中での分裂も激しい。自由民主主義を取り巻く環境は決して楽観できるものではない。
3月4日のフランシス・フクヤマのFTへの寄稿(「自由主義秩序に対するプーチンの戦争:Putin’s war on the liberal order」)がこの問題について語っており、とても共感できるものだったので要点を紹介したい。
フクヤマは、自由主義は右からも左からもチャレンジされてきたという。右からのチャレンジは新自由主義を進め、競争社会を激化させ、中間層を消滅させ、格差を拡大させポピュリズムを生んだ。左からのチャレンジ、特に近年発言力を強めている進歩的左派と呼ばれる一派は、多様性に走るがために社会から共通の基盤、価値観、文化を失わせている。これは、保守からすると「伝統の破壊」とみなされる。
冷戦終結後、欧米はじめ民主主義の国々は、専制政治、権威主義の恐ろしさを忘れ、自分たちの社会の自由さに慣れてしまった。その結果、自由民主主義を退屈なものとみなすようになった。多様性や両性の平等、性的マイノリティの人権、移民の増加といった社会変化によって、従来の価値観が通用しなくなり、やりにくくなったと感じる人たちもいる。右派の中には、プーチンの見せるマッチョさ、古典的な「強さ」を懐かしむ一派もいる。もしプーチンが敗北しても、自由主義の戦いは終わらない。中国、イラン、ベネズエラ、キューバ、西側のポピュリズムといった問題が待ち構えているからだ。
最後にフクヤマは、こう述べている。
「しかし(ウクライナでの戦争を経た今では)世界は、自由主義に基づいた世界秩序というものの価値が何であるかを学んだと言えるだろう。それが、人々の闘争なしには、そしてお互いにサポートし合うことなしには生き延びられないものであるということも。ウクライナの人々は、真の勇敢さとは何であるかということ、そして彼らの住む世界においては1989年の精神がまだ生きているということを身をもって示した。我々その他の者たちにとっては、その精神はこれまで眠っていたが、今目を覚まさせられている」
“But the world will have learnt what the value of a liberal world order is, and that it will not survive unless people struggle for it and show each other mutual support. The Ukrainians, more than any other people, have shown what true bravery is, and that the spirit of 1989 remains alive in their corner of the world. For the rest of us, it has been slumbering and is being reawakened.”
これを読んで、カマラ・ハリスが2020年の勝利演説の冒頭で引用した故ジョン・ルイス議員の言葉を思い出した。
「民主主義とは、状態ではなく、行動のことです。そして、それぞれの世代が、それを守るために、与えられた役割を果たさなくてはならないのです」
“Democracy is not a state. It is an act, and each generation must do its part.”
我々が民主主義やその基本的理念を自明のものとし、その価値を忘れかけていたというのはその通りだと思う。だからトランプが当選した時にも、2021年1月6日に米議会を襲う暴動が起きた時にも驚かされるはめになったのだ。民主主義社会では、こんなことは起こるはずがないと。
民主主義は当たり前にあるものではなく、保証されているものでもない。得がたく、そのうえ簡単に壊れるものだということ、失った時、その対極にあるものが何なのかを、今回の出来事は思い出させてくれたと思う。日本でも、そう感じている人が多いことを願っている。(敬称略)
(文・渡邊裕子、編集・浜田敬子)
渡邊裕子:ニューヨーク在住。ハーバード大学ケネディ・スクール大学院修了。ニューヨークのジャパン・ソサエティーで各種シンポジウム、人物交流などを企画運営。地政学リスク分析の米コンサルティング会社ユーラシア・グループで日本担当ディレクターを務める。2017年7月退社、11月までアドバイザー。約1年間の自主休業(サバティカル)を経て、2019年、中東北アフリカ諸国の政治情勢がビジネスに与える影響の分析を専門とするコンサルティング会社、HSWジャパンを設立。複数の企業の日本戦略アドバイザー、執筆活動も行う。Twitterは YukoWatanabe @ywny