撮影:伊藤圭
庄内空港から山形県鶴岡市内に向かうバスに乗ると、突然田んぼの中に、光がこぼれ出すような建物が現れる。取材で訪ねた時期は2月頭。雪が降りしきる薄暗い中に、そこだけ光が浮き上がっているように見えた。
「SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE(ショウナイホテル スイデンテラス)」。初夏を過ぎると、一面水田の中に佇むこのホテルはいま、ホテル好き、旅好きの間で知られた存在だ。
観光、農業、学童…8つの事業を展開
「ショウナイホテル スイデンテラス」は夏には水田に囲まれたホテルだが、雪が降り積もる冬の佇まいも美しい。
撮影・伊藤圭
手がけたのは世界的な建築家、坂茂。一歩中に入ると、坂建築の象徴でもある円形の紙の筒を駆使した壁が目に入る。決して豪華なつくりではないが、広い空と光が溢れる館内が一体になるような空間と、遠くに鳥海山や月山も見える景色に開放感を覚える。
ホテルを建設し、運営するのは、山中大介(36)が30歳を前に起業したヤマガタデザイン。
スイデンテラスに隣接する「KIDS DOME SORAI(キッズドームソライ)」には天窓から光が差し込んでいた。
撮影:伊藤圭
ヤマガタデザインが手がけるのは、ホテルだけではない。隣接する土地には全天候型の教育施設「KIDS DOME SORAI(キッズドームソライ)」を建て、学童保育や遊び場を運営する。その教育事業の運営費用を捻出するために「SORAIでんき」というエネルギー事業も手がけ、さらにビニールハウス50棟で有機農業も営む。そのほかにも農業人材の育成事業、農業用のロボット事業、庄内地方の企業の求人事業……と観光、教育、農業、人材の4分野で8つの事業を展開する。
ソライは大きなお椀を逆さにしたようなドーム型の施設。中に入ると、「アソビバ」と呼ばれる空間には高さ6メートルのネットジャングルや子ども用のボルダリング遊具があり、雨の日だけでなく、寒さや雪が厳しい冬でも子どもたちが思い切り体を動かせる場になっている。「ツクルバ」と呼ばれる一角には1000種類もの素材や、3Dプリンターなど200種類の道具が用意され、子どもたちは木工でも絵でも、そしてデジタルでもあらゆる創作を楽しめるようになっている。
山形に縁もなく、事業分野も「素人」
ヤマガタデザインが手がけるプロジェクトは多岐にわたるが、これらの事業はほぼ同時期にスタートしている。
ヤマガタデザイン公式サイトよりキャプチャ
山中は新卒で入社した三井不動産ではショッピングモールの建設用地の取得という“花形”部署で働いていたものの、ホテルや教育施設の建設や運営の経験は全くない。出身地は東京で、大学も慶應義塾大学と、山形に縁があったわけでもない。いわばその分野の“素人”がなぜ縁もゆかりもない土地で、これだけの事業を展開しているのだ。しかも教育事業やホテル事業は労働集約型の産業で、ビジネスとして成立させることも難しい。農業においてはなおさらだ。
さらに驚くのは、山中がこれらの事業をほぼ同時期にスタートさせていることだ。ホテルの開業は2018年9月。その年の5月にはショウナイズカンという庄内地域の仕事と暮らしの情報を発信するウェブメディアと仕事を紹介するサイトを立ち上げ、同時期に農業用ハウスを建て、野菜の栽培を始めている。教育施設ソライの開業は同じ年の11月。
一般的なスタートアップでは、まずコアとなる事業に資金も人材も投入し、他の事業を始めるにしても一つの事業が軌道に乗ってから、という場合が多い。
ホテルのために野菜栽培
山中はホテルのオープンに先駆けて、農業ハウスを建て、野菜の栽培を始めた。
提供:ヤマガタデザイン
農業を始めたのも突然だった。もともと山中自身の農業への熱量は高く、三井不動産時代に秋田県の農家に“弟子入り”し、会社を辞めかけたこともある。そのぐらい「やりたい」気持ちは強かったが、実際始めた時には勢いだった。ホテルで自分たちが作った野菜が出せたらと、開業前にハウス12棟を建てた。一部の出資者たちからは「まずホテルに集中すべき」とも言われたが、山中は「いや、ホテルのためにも農業をやる」と押し切った。
一事が万事こんな感じ。傍目には無謀とも思えることを、山中は「やりたい」気持ちが沸点に達した時に半ば見切り発車で始めてきた。「計画性?ないですね」と笑う。
今でこそホテルも教育施設もうまく回っているが、オープン当初はトラブルの連続だった。ホテルのオープン時には、「シェフがいない」「人が足りない」となり、それまで運営していたカフェを閉鎖して、そのスタッフ全員をホテルに投入。カフェで働こうと思って集まったメンバーは、気がつくとホテルのスタッフになっていた。
「だから現場は修羅場で、当時の記憶はあまりないですが、でも同時にいろんなことを進行したからこそできたことも多い。カフェがなければスタッフが足りず、スイデンテラスは開業できなかったし、自分たちで作らなければ、ホテルのレストレランで1年中地元のオーガニック野菜を提供するというコンセプトも実現できていなかったんです」(山中)
複合的に事業を展開するからこそ、良い人材も集まるという。山形県外からの入社希望者も多く、今農業部門の部門長を務めるのは、農業の経験のない慶應義塾大学卒業の28歳だ。
「自分自身もメンバーも自分たちがやっていることの価値を感じられて、未来に向かっている可能性を信じられないと、絶対に良い人材は集められない。良い人材が集まれば、その人たちがやるホテルや教育施設や農業はきっと良くなる」(山中)
「自分の仕事は地方を幸せにしているのか」
鶴岡サイエンスパークの全景。中央の田園の中に位置する建物がスイデンテラスだ。
鶴岡サイエンスパーク公式サイトよりキャプチャ
山中がヤマガタデザインを資本金10万円で始めたのは2014年。当初与えられたミッションは、鶴岡市のサイエンスパークの一角の開発だった。
サイエンスパークは2001年、山形県と鶴岡市が誘致した慶應義塾大学先端生命科学研究所が中心となったバイオテクノロジーの研究・開発拠点。ここから生まれた人工タンパク質素材、強靭な人工の「クモの糸」を開発したSpiber(スパイバー)は、今や日本を代表するバイオベンチャー企業として知られる。
山中はもともとサイエンスパークの所長を務める冨田勝が親友の父親だった縁で、三井不動産時代に見学に訪れている。その時に歴代市長が、なぜこのサイエンスパークをつくったのかを知り、感銘を受けたという。
人口減少や高齢化、それに伴う産業の担い手不足や行政の財政難……どの地方都市にも共通する課題が庄内にもあった。当時の市長らの構想は、最先端の研究・開発拠点ができ、そこからイノベーションを世界に向けて発信できることで、地域に「希望」をもたらそうとした。
その発想と行動力に触れた時に、改めて山中は自身の仕事を顧みたという。「本当に自分の仕事は地方を幸せにしているのか」と。スパイバーに転職を決め、庄内地方に移住した。
地方の課題を丸ごと解決する
撮影:伊藤圭
今、山中は「ヤマガタデザインは何の会社か」と問われた時、「地方の課題を丸ごと解決する会社」と説明する。最初はサイエンスパークの一角の開発を目指していた。でも、それは自分が移住までして人生を賭けてやりたいことなのかと自問し、地方に必要とされる本質的は価値とは何かを徹底的に考え、今の事業に行き着いた。2回目以降に詳述するが、当初ホテルも教育施設も農業も、多くの人に「無理だ」「できるわけがない」と反対された。
三井不動産時代、山中は「自分で言うのも」と断りながらも、めちゃくちゃ仕事はできた、と言う。
「サラリーマンとして勝っていくやり方も、会議でそれっぽく頭良さそうに見える話し方も分かってしまっていました。でも庄内に移住して、三井不動産という後ろ盾がなくなって1人の人間として勝負しなくてはならなくなった時に、世の中に価値を生み出すには、『前に進むしかない』『自分にはできる』と徹底的に思い込むしかなかったんです」
東京一局集中を是正し、地方の人口減少に歯止めをかけ、日本全体の活力を上げることを目指した「地方創生」が第2次安倍政権で掲げられたのは2014年。奇しくも山中が起業した年だった。それまで地方の活性化といえば、自治体に補助金を交付し、行政主体で進めてきたものが多い。残念ながらそうした中からは、これぞお手本というような「解」はなかなか生まれてこなかった。
一方で、山中をはじめ若い世代がそれぞれの地域で住民や行政、企業も巻き込んだ試みは生まれ始めている。今、ヤマガタデザインには各地方からの視察が相次ぎ、山中には講演依頼が引きも切らない。
ここまで来る道のりは決してたやすいものではなかったが、山中は“修羅場”を語る時でさえ、どこか楽しそうだ。その徹底した前向き思考でどう乗り越えてきたのかは次回以降、見ていこう。
(敬称略・続く▼)
(文・浜田敬子、写真・伊藤圭、デザイン・星野美緒)
浜田敬子:1989年に朝日新聞社に入社。週刊朝日編集部などを経て、1999年からAERA編集部。副編集長などを経て2014年から編集長に就任。2017年3月末で朝日新聞社退社し、4月よりBusiness Insider Japan統括編集長に。2020年12月末に退任し、フリーランスのジャーナリストに。「羽鳥慎一モーニングショー」や「サンデーモーニング」などのコメンテーターや、ダイバーシティーや働き方改革についての講演なども行う。著書に『働く女子と罪悪感』。