撮影:伊藤圭
ヤマガタデザインの山中大介(36)と初めて会ったのは、あるセミナーで一緒に登壇した時だった。山中にプレゼンテーションとして与えられた時間は約15分。用意していた資料はパワーポイントで120枚余。時間内に終わるのか心配する主催者を尻目に、山中は一度も言いよどむことなくヤマガタデザインの事業の全貌を語った。その語り口はこれまでやってきたことに対する自信と、自分たちが目指している未来への確信に満ちていた。
「地元にはいないスケールの大きなタイプ」
「地元にはいないスケールの大きさ」に、庄内地方の金融機関や経営者たちは期待を寄せている(写真はイメージです)。
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ヤマガタデザインは起業当初、全額を地元の金融機関や企業が出資したことで話題を集めた。しかも、その額は23億円と地方のスタートアップとしては、桁違いの規模だった(2022年2月現在の調達額は34億6000万円)。いきなり現れた山形に縁のない若者に、これだけの協力者が集まった一つの要因は、山中の構想のスケールの大きさとプレゼンの力だった。
最初に出資を決めた平田牧場社長の新田嘉七も、山中の構想に共感した1人だ。独立してすぐの山中に会った時、「地元にはいないスケールの大きなタイプ」だと感じた。
「最初の頃はお金もないのに、『世の中を変えたい』という。その熱い思いに共感しました。変革につながることは、最初なかなか理解されにくいんです。地元も決して賛成ばかりではなかったけれど、ホテルや教育施設など形にして見せていった。そのために周りを巻き込んでいく力もすごいですし、『こういうやり方があったのか』と触発される部分も多いです」
山中が庄内地方に移住を決めて三井不動産を退職する際、社内からは「将来的に山形には土地も買わないし出店もしない」と言われた。大手デベロッパーにマーケットとして見なされなかった現実に、山中は逆に奮起した。公共事業以外になくなってしまった地域に未来があるわけがない。だったら自分がやってやると。
山形銀行の出資が決まった際、山中がお礼を言おうとすると逆に鶴岡支店長から、「ありがとうございました」と言われた。山形銀行は出資を決めるのに、特別チームを編成し、幹部は合宿までした。未知の事業、未知の若者に対する出資は、堅実さを求められる銀行にとっても前例がなかった。その合宿では「何のために地銀は存在するのか」という自らの存在意義まで徹底して議論されたという。
1人の若者の挑戦が、地元の「大人たち」を動かしたのだ。
補助金に頼らず、事業の継続性にこだわる
TDKがパートナーとなって開発する農業ロボットは、有機農業において負担になる除草作業を減らしてくれる。
提供:ヤマガタデザイン
ヤマガタデザインのサイトを見ると、日産やTDK、三菱商事エナジーソリューションズ(MCES)など大企業がパートナーとして名を連ねている。日産とはEVの活用、TDKとは農業用ロボットの開発など、MCESとは再生エネルギーの発電事業で連携し、それぞれ地域の課題解決のモデルを作ろうとしている。
それでもよそ者、そして一つの「企業」が大々的に街づくりに関わることに地元の警戒感は強かった。これだけ幅広く事業をしていれば嫉妬が起きるのも想像に難くない。
「庄内における僕らの評価は二分されます。行政からの補助金に頼っていないのに補助金漬けだとか、『自分たちだけ儲けて』という怨嗟の声もありますが、僕は無視しています。自分たちができなかったことを、僕らが軽やかに超えていくように見えるのでしょうが、僕たちもめちゃくちゃ大変な思いをして、一つひとつ形にしてきたのです。
僕らみたいな会社が面白いのは、地元から離れるほど、人気も評価も上がっていくということです」(山中)
地方の時代と言われて久しい。新型コロナウイルスで東京からの地方都市に住まいを移す人も増え、地方への関心は高まっているようにも見える。しかし一方で、人口減少や高齢化、それに伴う行政の財政難や産業の空洞化といった地方自治体が抱える課題の何か一つでも変えることに成功した、ゲームチェンジャーはまだ少ない。
「儲かるコインランドリーをいくつ作っても、正直地域は変わらない。ある種のスケールや長期的な目線を持ってリスクを引き受けてもやろうとする人材も、ちゃんと事業や地域経済を作ろうとしている街づくりの会社も少ない。いくつか本当にリスペクトできる活動はあるのですが、大部分がファッションとしての街づくり、『ごっこ』だったり、行政の補助金頼みだったりすることが問題です」(山中)
だから、山中は事業として再生産可能なキャッシュフローを得ることにこだわっている。事業としての継続性がなければ、地域や社会に対しての存在価値がないと思っているからだ。
モデルを作り、他の自治体が採用
「ショウナイズカン」サイトよりキャプチャ
ヤマガタデザインの取り組みは今、他の地方にも広がっている。
庄内地方の企業やそこで働く人を紹介し、地元の企業と庄内地方で働きたいと思っている人を結びつけるリクルートメディア「ショウナイズカン」は、その仕組みを他の自治体にも提供している。山中曰く、このメディアには「一定の投資」をし、企業からのスカウトメール機能や個人情報の管理まで、いわゆる地域の「リクナビ」的な機能を実装させた。ヤマガタデザインがテレビ東京の番組『ガイアの夜明け』で紹介された後は、庄内地方の約70の企業に対して、求職者の登録が1000人を突破したという。
「地域でリクルートメディアを作ることは街づくりの一歩です。地域にどう人を連れてくるのか。地域にやる気があって人材紹介ベンチャーをやりたいという企業や人がいれば、僕たちは自分たちの仕組みを使ってもらっています」(山中)
山中がショウナイズカンの仕組みを他の地域にも提供するチイキズカンを始めるにあたって、Facebook上で「こういうのをやりますけど、一緒にどうですか」と声をかけたら15の企業や団体が集まった。毎月、実費程度のシステム利用料のみで始められるようにしており、求人が成立した時に報酬受け取る仕組みだ。
チイキズカンを通じてつながった15地域の担当者とは、月に1度のミーティングも設けている。プロジェクトリーダーの藤原俊介は、この場が知恵を出し合い、互いに高め合う場になっているという。ヤマガタデザインで地域の課題解決モデルをつくることができたら、そのノウハウやプラットフォームを他の地域に伝えられるだけでなく、他の地域も未来に対して希望を持つことができる。チイキズカンはまさに横に広げる場なのだ。
ビジネスへの共感が採用力になる
撮影:伊藤圭
今、ヤマガタデザインには県外出身者も含めて多様なキャリアの若者たちが、働きたいとやってくる。新卒だけでなく、ベンチャーや大企業経験者もいる。街づくり推進室室長の長岡太郎はこう話す。
「今の若い人たちは何らかの形で社会に貢献したいと思っている。全ての事業が地域の課題解決を目指しているという私たちのビジネスへの共感が、採用力にもなっています」
山中はベンチャーにとって大事なのは、機会を捉えることだという。これまで事業計画は100回以上書き直した。起業当時の8年前とは、一緒にやりたいと言ってくれる人の多様さも量も全く変わってきた。その機会をどう捉えるのか。自分たちが大事にしたいストーリーは守りながらも、会社のアイデンティティもアップデートしながら、機会を捉えて「社会や地域が求めている価値」を創り続けていく。その既成事実の積み重ねこそが、次の機会を引き寄せると信じている。
「僕らの究極の戦略は何かと言えば、社会や地域に最も必要とされる街づくりの会社になる、ということです。会社が生き残っていくための最大の戦略は、社会から圧倒的に求められること。
そのためにも庄内の人たちが未来にワクワクすることが大切です。希望を語る人は人を惹きつけます。僕らはそういう存在を目指していきたいと思っているんです」
(敬称略・完)
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(文・浜田敬子、写真・伊藤圭)
浜田敬子:1989年に朝日新聞社に入社。週刊朝日編集部などを経て、1999年からAERA編集部。副編集長などを経て2014年から編集長に就任。2017年3月末で朝日新聞社退社し、4月よりBusiness Insider Japan統括編集長に。2020年12月末に退任し、フリーランスのジャーナリストに。「羽鳥慎一モーニングショー」や「サンデーモーニング」などのコメンテーターや、ダイバーシティーや働き方改革についての講演なども行う。著書に『働く女子と罪悪感』。