2月24日、ロシアのウクライナ軍事侵攻を新聞の号外で知る日本の市民。
REUTERS/Kim Kyung-Hoon
3月22日、東京外国為替市場では円が対ドルで120円台まで下落し、2016年2月以来およそ6年ぶりの円安水準となった。
足もとの円安相場は、米連邦準備制度理事会(FRB)パウエル議長のタカ派発言(=利上げペース加速の可能性)を受けて米金利が上昇し、ドル高が進んだことなど海外の要因に加え、需給環境の変化などを背景にした「日本回避」「日本売り」というこちら側の要因も大きい。
需給環境(=円をドルに換える需要とドルを円に換える需要の関係)については、ウクライナ危機による原油など資源価格の高騰を受けて急に変化したわけではなく、過去10年あまりの間に起きた貿易赤字の慢性化など構造的な変化の結果であって、それが昨今の資源高によって一段と可視化されたと説明できる。
このあたりの詳細は、過去の寄稿をぜひご参照いただきたい。
そのような需給環境の変化を示唆する計数はたくさんあるが、最も象徴的なのは貿易収支だ。財務省が3月16日に発表した2月の貿易統計はまさに変化を強く印象づける内容だった。
貿易収支は6683億円の赤字で、市場予想の中心(1500億円)を大幅に上回った。
輸出は前年同月比19.1%増と市場予想(20.9%増)並みだったものの、この1年続いてきた輸入額の増加がさらに加速して34.0%増となり、貿易赤字を拡大させた。
内訳を見ると、輸出はこれまで足かせとなってきた自動車が8.3%増と持ち直した(前月は1.0%減だった)。輸入は原油および粗油(93.2%増)や液化天然ガス(65.3%増)が圧倒的な伸びを示した。
輸入の伸び率がこれほど大幅に輸出の伸び率を上回るケースは過去にも珍しい【図表1】。
【図表1】日本の貿易収支(輸出と輸入の前年比変化率)の推移。グラフ右端に見えるように、輸入の伸び率(橙線)が輸出の伸び率(青線)を大きく上回っている。
出所:Macrobond資料より筆者作成
結果として、下の【図表2】に示すように、3カ月移動平均で見た(=傾向や流れとして見た)貿易赤字は1245億円で、2014年3月以来の高水準となっている。
【図表2】日本の貿易収支(金額、3カ月移動平均)の推移。右端(灰色の棒グラフ)に見えるように、貿易赤字額は2014年以来の水準に達している。
出所:Macrobond資料より筆者作成
2014年3月当時も燃料価格の高騰が背景にあったものの、ほかに、消費増税を直後に控えて(同4月)駆け込み需要が輸入を焚きつけるという一過性の要因もあった。
しかし、今回は資源価格以外に輸入の伸びる要因が見当たらない。しかも、ウクライナ危機の影響が統計に反映されるのは3月以降なので、貿易赤字の拡大はまだこれから広がると見ていいだろう。
貿易赤字の長期化ひいては慢性化が確実視される一方、輸出増の見通しは薄く、それは要するに需給環境が円安を支える状況が当面続くことを意味する。
ウクライナ危機の影響は?
貿易赤字に触れたついでに、やや話は逸れるが、ウクライナ危機(直感的にはロシアとの貿易)の日本経済への影響に関する問い合わせが多いので、ここで筆者の見方を端的に示しておきたい。
報道などの印象にもとづく「大国ロシア」のイメージとは裏腹に、日本の貿易総額に占めるロシアの割合はさほどでもない。
直近(2021年)の財務省貿易統計によれば、自動車関連を中心とする日本のロシア向け輸出額は8624億円、日本の輸出総額の1%程度にとどまる。今回の経済制裁で真っ先に規制対象(3月18日から輸出禁止)とされた日本からの半導体等部品の輸出額は約5億円、ロシア向け輸出総額の0.1%程度にすぎない。
一方、天然資源を中心とするロシアからの輸入額は1兆5431億円。輸出の倍近い規模だが、それも日本の輸入総額の1.8%程度でしかない。
このような数字を踏まえると、対ロ貿易の減少そのものが日本経済に与えるダメージはそう大きくないと予想できる。
ウクライナ危機の経済的な影響は結局のところ、食料を含めたコモディティ(商品)価格の全面的な上昇に尽きる。
それによって、ロシアに限らずさまざまな国からの輸入額が押し上げられ、貿易赤字の拡大を通じて日本の「貧しさ」を助長する展開が最も危惧される。
日本は「貿易赤字の定着」フェーズに突入した
円安と需給の関係に話を戻そう。
くり返しになるが、貿易赤字の拡大をはじめとする需給環境の変化が足もとの円安相場をけん引している印象は否めない。
ただし、ある月の貿易赤字がその月の円売りに直結するほど為替市場は単純ではなく、貿易赤字が円売りに効いてくるのはこれからの話だ。
それでも、貿易赤字の拡大によって経常収支(=モノの輸出入や配当・利子のやり取りを含む経済取引で生じるお金の出入り)の赤字が定着する展開、もっと言えば、経常赤字は「記録しても一時的」という常識が崩れる可能性を目前にして、市場参加者が身構える形で円売りが進むことは想像に難くない。
下の【図表3】から一目瞭然のように、2012~13年を境に日本は貿易黒字を稼げなくなっており、それがドル/円相場の下値固め(=下値の前後で大きな変動なく相場が推移する状態)に寄与してきた。
【図表3】貿易収支とドル/円相場の推移。貿易収支については、2年先行させて表示(6カ月移動平均)。
出所:Bloomberg資料より筆者作成
ただし、日本の貿易収支は、過去10年間(2012~21年)で見れば約31兆円の赤字だが、過去5年間(2017~2021年)で見ると約1兆円の赤字にとどまり、この10年間ひたすら拡大を続けてきたわけではない。
過去5年間で貿易赤字が縮小した背景には、資源価格の高騰が2014年後半で、円安が2015年半ばでそれぞれピークアウトし、一方的な輸入拡大に歯止めがかかったという事情がある。
そうした流れを踏まえると、過去10年間は「貿易黒字の消滅」を確認するフェーズだったと言っていいだろう。
しかし、日本がこれから直面するのは、「貿易黒字の消滅」フェーズの終わりと「貿易赤字の定着(ないし拡大)」フェーズの始まりだ。
エネルギー革命とも形容される脱炭素の機運に、感染症と戦争という巨大な供給制約リスクが重なる。少なくとも、世界は「ロシア抜きの資源供給体制」を大至急で構築する必要があり、それにはさまざまなコストが伴うのが目に見えている。
そう考えると、コモディティ価格が高止まりして、貿易赤字が長期化ひいては慢性化するおそれは否めない。そしてそれはいずれ円売りに効いてくるだろう。
日本がそうした現状に対抗して打ち出すことのできる数少ない効果的な一手として、原発再稼働(による燃料輸入の抑制)が挙げられるが、残念ながら本質的議論は回避され、節電要請で乗り切ろうという空気が満ちている。
このまま貿易赤字が第一次所得収支(=外国証券への投資や外国企業の買収などを通じた配当や利子のやり取り)の黒字を食いつぶす構図が続けば、「成熟した債権国」から「債権取り崩し国」への転落につながることは、前回の寄稿で論じた通りだ。
外貨の流出入をめぐる構造が根本的に変わろうとしていることをまずは政策当局者が自認し、それに対応した政策を割り当てていく動きが早く出てくることを期待してやまない。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
(文・唐鎌大輔)
唐鎌大輔(からかま・だいすけ):慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。