今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
あのディズニーが住宅開発プロジェクトを発表しました。一見突飛な分野への進出のように思えますが、その狙いはどこにあるのでしょうか。
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ディズニーはエンターテインメントの王様
こんにちは、入山章栄です。
いま、僕はフィリピンのマニラにいます。家庭の事情で、これからしばらく東京とマニラを行き来することになったのです。
僕がいるのは、ボニファシオ・グローバル・シティ(BGC)という特に開発の進んだ地区。まるでニューヨークの摩天楼のように高層ビルが立ち並ぶ大都会です。もちろんマニラにはまだ貧困エリアもかなりありますが、少なくともここは別世界です。
なにしろフィリピンは1億人の人口を擁するうえに、平均年齢が若く、しかも英語圏。これからものすごく成長する可能性があると思いました。
余談ですがフィリピンにはメイド文化が残っていて、住み込みのメイドさんが家事一切をやってくれるんですよ。僕はここに来てから、恥ずかしながらコーヒーすら自分で淹れていません。メイドさんの仕事を奪ってしまうのもかえって悪いかと思いまして……。
BIJ編集部・小倉
優雅にお過ごしなんですね。そんな入山先生にお聞きしたいのは、「あのディズニーが住宅開発に進出」というニュースについてです。
今回ディズニーはカリフォルニアのランチョ・ミラージュというところに、一戸建てやコンドミニアムを建ててコミュニティをつくる計画があると発表しました。
ディズニーが住宅開発に乗り出すというのはちょっと意外ですが、このやり方は経営理論的にどういう可能性があるのでしょうか。
僕は、これはまさに正攻法だと思いますよ。
僕はよくアメリカ時代からビジネススクールの授業で “Disney the Entertainment King”というハーバード・ビジネススクールの有名なケースを使います。
ポイントは何かというと、ディズニーは「エンターテインメント・キング」と呼ばれていて、エンターテインメントに関わる領域ならどこにでも進出する。でも進出するからにはシナジーがないといけない。
シナジーを得るということは、自社の重要な経営資源(リソース)を複数事業に展開することだともいえます。例えばある技術を持つ会社なら、その技術を複数の分野で応用できると、多角化する意味があるわけです。
そういう意味では、ディズニーの重要なリソースとは何だと思いますか?
BIJ編集部・小倉
ミッキーマウスでしょうか。
その通り! ミッキーマウスをはじめとした、ディズニー映画のキャラクターですね。要するにIP(知的財産権)です。 これを使って、ありとあらゆる事業に進出しています 。
じつはディズニーはもともと、異常に多角化している企業です。まず、ディズニーランドというテーマパークがあります。物販もやっているし、もちろん映画事業もやっていますね。ほかにも「ディズニー・オン・アイス」のようなミュージカルも手がけています。
それから、テーマパークの横にはディズニーのホテルもありますよね。このホテルがめちゃめちゃ儲かるんです。隣にあるヒルトンより部屋が埋まる率が高い。なぜならディズニーのホテルでは、ドナルドダックとごはんが食べられたりするからです。
BIJ編集部・常盤
それは確かに、ヒルトンではできない経験ですね。
親は子どもの喜ぶ顔が見たいから、「ドナルドと朝ごはんが食べたい」と言われたら、多少高くてもディズニーのホテルを予約してしまう。
それから、ディズニーの方に怒られるかもしれませんが、ディズニーランドのお土産もけっこういい値段がするでしょう。
BIJ編集部・常盤
ボールペン5本セットで1200円とかしますよね。
原価率を想像すると買う気になれませんが、それでもかわいい我が子にせがまれたら、1200円でも「まあいいか」と買ってしまうわけですね。
BIJ編集部・常盤
そうですね。「せっかく来たんだし、思い出だし」と思ってしまう。
そう、これはやはりIPが強いからです。ディズニーはいまクルーズ事業もやっていますし、ディズニープラスという動画配信事業も始めて、いまやネットフリックスを脅かすほどの存在になっている。
それくらい、エンターテインメント分野であれば、なんでも参入できるんですよ。
実は不動産開発が得意なディズニー
そう考えると、今度新しく住宅開発をするにあたっても、熱心なディズニーファンの中には喜んで住みたいと思う人もいるはずです。
特にこれからは人生とか生活そのものがエンタメになる時代。とりわけアメリカのように、貧富の差はあれど豊かな人たちが一定数いる国では、その傾向が強くなります。
また、いまの大人たちは小さいころからディズニーを見て育っているので、自分の子どもにも同じ経験をさせたいと思う。ですからディズニー的な世界観の街に住みたいという人は絶対に出てくるはずです。
それにディズニーは、すでにホテル事業やクルーズ事業を行っています。ということは短期間だけれど、船やホテルに人を住まわせるというビジネスの経験を持っているということでしょう。
そして何より、よく考えると、ディズニーはこういう「不動産開発」を何度もしてきているのです。テーマパークといい、ホテルといい、資産が大きいものを開発して、レバレッジを効かせてちゃんと回していくというビジネスの経験値が豊富にあります。
巨額の投資をして土地を開発して、長期的に回収していくというモデルは、一見ディズニーと縁遠そうに見えて、実はディズニーがいちばん得意としていることです。
似たもの同士が集まる居心地のいい街になる
BIJ編集部・常盤
いまお話を聞いていて、ディズニーの狙いが分かった気がしました。もし私がディズニー好きで、そこに住みたいと思ったら、そこに集まる人はきっと私に似ている側面を持つ人たちですよね。
つまり、決してやさぐれた人が隣人には来ないだろうなという安心感がある。そういうフィルタリング効果があるんじゃないかと思いました。
それはあるかもしれませんね。やはりそこに住みたいという人は、そういう世界観に共感しているんでしょうから。
やっぱり人間が住むところを決めるときは、便利さとか合理性で決めるわけじゃないんですよ。平たく言うと「そこにいると気分が上がる」とか、「その街に大好きな人がいる」ということが決め手になる。
いまは日本でもトヨタの「ウーブン・シティ」など、都市をつくる動きがありますが、開発業者のみなさんは訴求ポイントとして「便利ですよ」「デジタル化されて、こんなことができますよ」としか言わないことも多い。
しかしいまは都会を脱出して、地方に移住する人も多い。人間にとって便利さだけが大事なら、こういう動きは起こらないでしょう。大事なのは、それほど便利ではなくても、そこにいると「気分が上がる」ことなわけです。
加えて重要なことがあります。それは「ご近所」なんです。僕がアメリカに住んでいたときの経験でいうと、向こうでは引っ越しをすると、みんな「アキエ、引越し先のネイバーフッドはどう?」と必ず聞いてきます。
日本の都会は近所付き合いが希薄ですが、アメリカでは意外にもご近所付き合いがあるんですよ。だからどういう隣人がいるかが、住み心地を左右する。
考えてみたら、近所付き合いがなければハロウィンなんて無理ですからね。子どもたちだけで夜、近所の家を回って「キャンディちょうだい」なんて行事は、コミュニティとの信頼関係があるからこそ成立するわけです。
そういうふうに隣人を重視するからこそ、今回のディズニーのようなコミュニティをつくるビジネスが生まれるのかもしれません。
BIJ編集部・常盤
なるほど。これはもしかしたら日本でも不動産開発のヒントになるかもしれませんね。「ドラえもんシティ」や「サンリオハウス」が生まれる日がくるかもしれません。
(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集・音声編集:小倉宏弥、常盤亜由子 )
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。