エンデュアランス号の船尾の手すりと舵輪。
Falklands Maritime Heritage Trust/ National Geographic
- アーネスト・シャクルトンが率いた伝説のエンデュアランス号が、2022年3月に海底で発見された。
- 今回の捜索では、1915年当時の座標記録とともに、最先端の海底探査技術を用いて沈没船を探した。
- ほぼ1世紀にわたって海底に沈んでいたにもかかわらず、エンデュアランス号の状態は極めて良いことが、写真から判明している。
1915年に南極のウェッデル海で叢氷にとらわれて沈没したことで知られる「エンデュアランス号」が、2022年3月に捜索隊により発見された。
イギリスの有名な探検家アーネスト・シャクルトン(Ernest Shackleton)率いる南極探検で沈没して以来、エンデュアランス号は1世紀以上のあいだ行方不明だった。
大方の予想では、107年間にわたって海底に沈んでいたのだから、完全に破壊されているか、ひどく損傷していると見られていた。
だが、2022年3月に捜索隊「エンデュアランス22」が発見したエンデュアランス号は、驚くほど「元のままの姿」であり、保存状態が極めて良かった。
「木造の沈没船としては、今までに見た中でもっとも状態がよい」と、エンデュアランス22の捜索を率いる海洋考古学者、メンスン・バウンド(Mensun Bound)は話している。
「海底にしっかり直立し、元のままの姿を保ち、素晴らしい保存状態だった」
「ENDURANCE(エンデュアランス)」という船名までもが、船尾にしっかり残っていた。
船名と北極星のシンボルマークが残るエンデュアランス号の船尾。
Falklands Maritime Heritage Trust/ National Geographic
エンデュアランス号が、長い時の中で凍りついたように元の姿を保っていたのは、木を食べる海洋微生物が、南極の氷の海では生き延びられないからだと、極地の深海生物を研究するミシェル・テイラー(Michelle Taylor)はBBCニュースに説明している。
しかしながら、過去100年の間に他の海洋生物たちがこの船を占拠していた。
「幽霊船のように見えるエンデュアランス号のそこかしこに、驚くほど多様な海洋生物が生息している。ホヤ、イソギンチャク、さまざまな形態の海綿動物、クモヒトデ、ウミユリ。どれも、ウェッデル海の深海の冷たい水から、栄養を得て生きている」というテイラーの説明を、BBCは伝えている。
捜索責任者を務める海洋考古学者、メンスン・バウンド(左)と、捜索チームのリーダーを務めたジョン・シアーズ。
Esther Horvath
沈没船は、9869フィート(約3000メートル)の深海で発見された。1世紀前にエンデュアランス号のフランク・ワースリー(Frank Worsley)船長が記録した当初の位置からは、南に4マイル(約6.4キロ)ほど離れていた。
ワースリーの航海技術と、1915年11月の「詳細な記録」は、沈没船の位置を特定するための「貴重な」情報だったとバウンドは話している。
今回の捜索では、過去の座標記録のほか、最先端の技術を用いて、150平方マイル(約390平方キロメートル)の範囲を探査し、行方不明の船の痕跡を探した、とニューヨーク・タイムズは伝えている。
エンデュアランス号の探査に用いられた水中ドローン。
Esther Horvath
技術者たちは2週間にわたり、前述の範囲で昼も夜も水中ドローンを操り、ソナーで海底をスキャンしてエンデュアランス号を探した、とニューヨーク・タイムズは報じている。
ドローンの両側に搭載されたレーダー装置は、その下の海底の広い領域をスキャンできるという。
「世界で最も困難な難破船捜索」
数週間が経っても、捜索隊は幸運に恵まれなかった。捜索隊のリーダーを務めるジョン・シアーズ(John Shears)は、辺境の氷の海で、船が存在する場所を特定するという途方もない任務を「世界で最も困難な難破船捜索」と表現した。
だが3月5日の午後、エンデュアランス号がついに見つかったことを示すソナー画像がドローンから送られてきた。その海域での調査許可の期限が切れる数日前のことだった、とニューヨーク・タイムズは伝えている。
4日後、その発見が世界に公開された。シアーズいわく、「南極の歴史的瞬間」だった。
水中ドローンのコントロールセンター。
Esther Horvath
エンデュアランス22によれば、調査や撮影の間にエンデュアランス号に手を触れることはなく、南極条約にもとづき、南極条約に基づく史跡・記念物として保護されるという。
「とはいえ、この船は過去のものではない」とバウンドは言う。
「我々は、シャクルトンとエンデュアランス号の物語を新たな聴衆に、そして次世代に伝えているのだ」
生存と忍耐の物語
シャクルトンが率いた帝国南極横断探検隊の探検は、生存と忍耐(エンデュアランス)の物語として広く知られている。
同探検隊は1914年に、初の南極横断をめざして出発したが、1915年1月にエンデュアランス号が叢氷に閉じこめられ、ミッションの断念を余儀なくされた。
乗組員は船を放棄し、氷上に一時しのぎのキャンプをつくった。春になれば氷が割れ、船が安全な場所まで漂流するのではないかとシャクルトンは期待していたが、そうはならなかった。船内に水が入りこみ、最終的にエンデュアランス号は沈没した。
小さな救命艇「ジェイムズ・ケアード号」でエレファント島を発つシャクルトン。
Frank Hurley/ Wikimedia Commons
シャクルトンと乗組員は、数カ月のあいだ氷上で野営したあと、覆いのない救命艇を漕ぎ、数百キロ離れたエレファント島へ渡った。
その後シャクルトンは、ワースリーやほかの4人の乗組員とともに、吹きさらしの救命艇「ジェイムズ・ケアード号」に乗りこみ、約1330km離れたサウス・ジョージア島の捕鯨基地をめざす、さらなる大航海に出た。
16日間の航海ののちに同島に上陸したあと、そのうちの3人が島を横断し、険しい山脈と氷河を越え、ノルウェーの捕鯨基地にたどりついた。
1916年8月に始まった救出作戦により、エレファント島に残っていた隊員22名の全員が救助された。
シャクルトンは1921年、また別の探検のためにサウス・ジョージア島へ戻った。そこで心臓発作を起こして47歳で世を去り、その島に埋葬された。
今回の捜索に参加した海氷物理学者ステファニー・アーント(Stefanie Arndt)はTwitterで、エンデュアランス号を発見した後、エンデュアランス22のチームで、サウス・ジョージア島にあるシャクルトンの墓を訪れたと投稿している。
「それが長い物語の感動的な結末だった」とアーントは書いている。
(翻訳:梅田智世/ガリレオ、編集:Toshihiko Inoue)