2024年8月に誕生100周年を迎えようとしている阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)が、2022年3月に鉄塔4基と銀傘(内野席を覆う屋根)の照明灯をすべてLED化した。
スタジアムやアリーナの照明のLED化は近年行われているものだが、甲子園球場に関しては単に照明を交換するだけではなかった。甲子園の歴史と伝統を次の100年に継承するため、前例のないLED照明の導入となったのだ。
伝統の「カクテル光線」
野球場のナイター照明というと、ややオレンジがかったノスタルジックな色の光を思い浮かべる人も多いだろう。それは「カクテル光線」と呼ばれる照明。甲子園球場が発祥だ。
甲子園球場にナイター照明が設置されたのは1956年のこと。当時はオレンジがかった色の白熱電球が主流だったが、光量不足を補うために、より明るい水銀灯を加え、複数の種類の照明を組み合わせることで、より明るく、より安定して競技できる照明環境を構築。これが「カクテル光線」の始まりだ。
このカクテル光線は、その後各地の野球場やスポーツ施設に普及。ナイター照明といえばカクテル光線という時代が長く続いた。甲子園球場では1974年にメタルハライド灯と高圧ナトリウム灯の混光照明に変更し、2021年まで使用されていた。甲子園球場といえばカクテル光線と言われるほど、野球ファンには浸透していた照明だ。
LEDカクテル光線の開発には2年の歳月がかかった
2024年に誕生100周年を迎える甲子園球場。
実は、以前から照明のLED化は検討されていた。実際に他の野球場ではLED化が進んでいたが、甲子園球場は慎重な姿勢を見せていた。その大きな要因が照明の「色」だ。
通常、ナイター照明をLED化した場合は白一色のものが使用される。高い演色性、省エネ性能というLEDの特徴を活かすには、これで十分。ただ一方で、カクテル光線のような暖かみはなくなってしまう。甲子園球場としては、歴史と伝統のあるカクテル光線をなくすことはしたくないという考えがあった。さまざまなスタジアム照明を手がけるパナソニックから2017年に提案があり、2018年下期から本格的に検討を開始した。
そこからパナソニックの開発が始まる。あのノスタルジックなカクテル光線の色味を継承しつつ、LED化をするためにはどうしたらいいのか。数々の検証を行った結果、たどり着いた答えが「白色LEDとより深い橙色LEDの使用」だ。
実際に使われているLED照明。近くで見るとかなり明るい。
パナソニックでは、甲子園球場のためのカクテル光線LEDを新規に開発。5700Kの白色LEDと2050Kの橙色LEDを計756台設置することで、これまでの甲子園球場の雰囲気を残しつつ、プレーしやすい・見やすいLED照明を実現した。甲子園の歴史と伝統を、新開発のLEDで継承したのだ。
21世紀の新しい応援スタイルをLED照明で演出
今回の照明LED化は、単に器具を交換しただけではない。市況に伴い変化した球場でのファンの応援スタイルに合わせて、照明灯やオーロラビジョンによる新たな演出が行えるようになった。いわば「21世紀の応援スタイル」の提供だ。
これまでは、オーロラビジョンや銀傘下の横長のビジョンでの演出がメインだったが、そこに照明灯の演出も加わり、さらにインタラクティブな演出が可能になった。
阪神タイガース勝利後、ヒーローインタビューまでの間の演出。
LED照明灯では、演出に合わせたグラフィックがアニメーション表示され、各種ビジョンと合わせてより球場が一体化した演出が楽しめる。
7回の攻撃(ラッキーセブン)時の演出では、照明に「7」の文字が浮き上がる。
阪神タイガースのチームマークも。
銀傘上の照明もLEDに。こちらも演出に合わせて変化する。
これらは、パナソニックのDMX技術を採用。照明と音響を連動させて、総合的な演出を可能とした。また、野球場でのこのような文字や図柄を表現する演出は甲子園球場が初。歴史と伝統を継承しつつ、新しい時代の応援スタイルも演出。まさに21世紀のスタジアムに生まれ変わったのだ。近年、ジェット風船や声を出しての応援が禁止となっているが、それに変わる応援スタイルとして浸透していくことだろう。
LEDは従来のメタルハライド灯や高圧ナトリウム灯と違い、瞬時に消灯・点灯が行える。この特徴を活かし、これまでにないインタラクティブな照明演出を実現。ただグラウンドを照らすだけではなく、試合を盛り上げる演出効果の装置として、照明灯が活躍するのだ。
阪神電気鉄道 スポーツ・エンタテインメント事業本部 甲子園事業部 赤楚勝司氏によれば、「光の優しさやカクテル光線の再現度合いがよかったところもあるが、DMXでの制御や環境への影響といったところも非常によかった」ことがパナソニックを採用した決め手になったという。
もちろん、プレーヤーへの配慮も怠っていない。パナソニック独自のVirtual Reality技術を活用した「まぶしさの可視化技術」を用い、フライボールの視認性の検証を行い、プレーに支障のないようにシミュレーションを行っている。実際に阪神タイガースの選手に最もボールが見にくいとされる薄暮環境で照明を点灯した状態で練習をしてもらったところ、以前よりボールが見やすいという声が上がったという。
そのほか、4K8K放送に対応するために2色混光時に最も自然光に近くなるように、照明器具単体の演色性を調整。テレビ放送でも臨場感溢れるプレーを楽しむことができる。
従来よりも約60%のCO2削減が見込める
甲子園球場は誕生100周年を迎えるにあたり、「KOSHIEN “eco” Challenge」というプロジェクトに取り組んでいる。これは「次の100年に向けても“皆様に愛される球場”として」をスローガンに、環境保全をメインに社会貢献をしていくというもの。
さまざまな取り組みが進められているが、そのなかのひとつにCO2排出量の削減がある。LED照明にしたことで、CO2は約60%と大幅に抑制することができる。
1台1台の照明の角度を変えることで、グラウンド上は明るく、球場外には障害光が拡散しないように調整している。
またパナソニックでは、ナイター照明のLED化にあたり、改修前後で障害光(車の走行に影響を与える光)のシミュレーションを実施。改修後は周囲から障害になる可能性のある光を軽減。これにより、今まで以上に地域に愛される球場になるよう配慮している。
ファンの思い出とともに照明技術をアップデート
近年、スタジアムやアリーナのLED化が進んでいる。しかし、甲子園球場のカクテル光線のように100年の歴史と伝統を継承するためのLED導入というのは、あまり例がない。
今回の甲子園球場とパナソニックの取り組みを見て、ただ新しい技術を投入して施設を刷新していくことだけが、次世代のスタジアム・アリーナの姿だけではないと感じた。その場所が持つ歴史や伝統、そしてファンの思い入れを壊すことなく、最新技術のメリットを活かしていくこと。実現には、乗り越えなければいけないことが多くあるが、そのための技術を開発していくことも重要だ。
プロ野球シーズンが到来し、新しいカクテル光線の下、どんなプレーが見られるだろうか。そして、歴史と伝統を重んじる甲子園球場ファンの目に、LEDカクテル光線はどのように映るのだろうか。
甲子園の赤楚氏は現時点での満足度について「100点をあげたいところだが、お客様の反応がまだ見えていない。4月5日のDeNA戦でのナイターで盛り上がってもらえれば120点」と期待を寄せる。ファンの前でお披露目するタイミングはもうすぐそこだ。