「円安は日本経済にとってプラス」日銀展望レポートの違和感。損する側、得する側「分断」の深刻度

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円安の急加速に懸念が高まっている。対ドル相場は3月22日に120円台まで下落、28日には一時125円台まで下げた。

REUTERS/Kim Kyung-Hoon

対ドルの円相場急落に懸念が高まっている。

3月28日、長期金利の上昇を抑え込むため、新発の10年物国債を利回り0.25%で無制限に一定期間買い入れる「連続指し値オペ(公開市場操作)」を行うと発表。そうした日銀の金融緩和姿勢は市場に「円安の容認」と受けとめられ、円売りが加速している。

同日、円相場は一時2015年8月以来の円安水準となる125円台まで下落、30日現在は123円前後で取引されている。

前回(3月23日付)の寄稿でも指摘したように、2012~2013年を境に日本は貿易黒字を稼げなくなり(貿易黒字の消滅)、それがドル/円相場の下値固め(=下値の前後で大きな変動なく相場が推移する状態)に寄与してきた。

そして日本はいまや「貿易赤字の定着(ないし拡大)」段階に突入し、それがこれから円売り(円相場の下落)に効いてくると思われる。

そうした展開は、日本が「成熟した債権国」から「債権取り崩し国」へと歩みを進めていることを示唆している【図表1】。

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【図表1】国際収支の発展段階説。左端の「未成熟な債務国」に始まる発展段階を経て、現在の日本は「成熟した債権国」だが、着実に右端の「債券取り崩し国」への歩みを進めている。

出所:筆者作成

感染症の世界的流行や戦争を背景とする昨今の資源価格上昇は、上で示したような国際収支の発展段階説における「時計の針」を進めてしまったように筆者は感じている。

資源輸入国である日本から資源生産(輸出)国への所得流出が進み、円安はさらにその流れを強めることになるからだ。

ところが、日銀の黒田総裁は「円安が経済・物価にプラスとなる基本的な構図は変わっていない」との姿勢を崩さない

黒田総裁は3月25日の衆議院財務金融委員会で、最近の円安相場について「円に対する信頼が失われたということではない」と答弁している。しかし、そうやって国会で自国通貨の信認が論点にされること自体、前代未聞の事態であることを認識する必要がある。

アメリカの経済や金利が上向いてドル高になり、その結果として円安になっているのではなく、日本経済に期待できないから「日本売り」が意識され、その結果として円安が進んでいるのではないか —— そうした懸念が高まっている裏返しと言っていいだろう。

「円安」と表現するから、経済や物価にとってのプラスマイナスを考える議論になりがちだが、過去1年間で起きているのは紛れもなく円だけの「独歩安」であり【図表2】、それを国力の低下と同義とする見方に違和感を唱えるのは難しい。

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【図表2】主要7カ国(G7)の名目実効為替相場の推移。グレーの右肩下がりの折れ線が日本円。

出所:Macrobond資料より筆者作成

日銀が考える円安のメリットとデメリット

円安の要因が何であれ、それによるプラス(メリット)がマイナス(デメリット)を上回る勝算があるなら、円安を国益とすることに異存はない。

その点、日銀が2022年1月に公表した「経済・物価情勢の展望(展望レポート)」は、計量的な分析を経て、「円安は日本にとってプラス」と結論づけている。

円安のメリットとしては、

(1)価格競争力改善による財・サービス輸出の拡大
(2)円建て輸出額の増加を通じた企業収益の改善
(3)円建て所得収支の増大

が挙げられる一方、デメリットとして、

(4)輸入コスト上昇による国内企業収益および消費者購買力の低下

が挙げられている。

前述のように、日銀は円安を「経済・物価にプラス」としているので、現時点でも基本的にはメリット(1)+(2)+(3)が、デメリット(4)を上回ると考えているのだろう【図表3】。

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【図表3】円安をめぐるメリット・デメリットのイメージ。デメリットは最下段の(4)のみとされている。

出所:日本銀行「展望レポート」(2022年1月)ほか各種資料から筆者作成

しかし、少なくともメリット(1)の「財・サービス輸出の拡大」は議論の余地のあるところだ。

財の輸出については、企業の海外生産比率の上昇などを踏まえ、「(円安によるプラス効果が)近年低下している」と日銀自身も分析している。

また、サービスの輸出については、円安により国際観光収支の黒字積み上げ(=訪日外国人の日本での消費増)がイメージされるが、パンデミックの収束がいまだ見えてこない状況を踏まえてか、展望レポートには関連する記述がほとんど見当たらない(感染症の影響が和らげば再び期待できるとの記載にとどまる)。

そう考えると(1)のメリットはさほど期待できない。

もっとも、黒田総裁の就任直後から、こうしたメリット(1)への疑念は指摘されていた。筆者もかつてその点を指摘した際、非常に強い批判にさらされたのでよく覚えている。

当時は、メリット(1)が仮に薄くなったとしても、メリット(2)があるのでやはり円安はプラスとの主張がまかり通っていた。要するに、円安により(海外で製品が売れて)企業収益が増えれば、それはいずれ設備投資や賃金にも波及するというわけだ。

しかし現実には、企業収益の増加に応じて賃金が上昇する展開には至らなかった。法人税減税をインセンティブに、政府が企業に賃上げを要請している現状はごらんの通りだ。

そのようにメリット(1)(2)とも心もとない現状だが、円安によるメリット(3)所得収支の増大については、「企業のグローバル化により、わが国の企業が海外事業から獲得する収益、および配当等を通じたその国内への還流額は、着実に増加している」と日銀は結論している。

下の【図表4】から分かるように、過去10余年で日本の貿易黒字は雲散霧消したものの、それを補うように第一次所得収支(=海外との経済取引のうち、配当や利子のやり取りに関するお金の出入り)の黒字が増えており、日銀の結論とも合致する。

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【図表4】経常収支構造の変化(10年累積の比較)。青が2002年から11年の累積、橙が2012年から21年の累積を示す。

出所:財務省資料より筆者作成

そんなわけで、円安のメリットは実質的に(3)に尽きるとも思えるが、それはさておくとしても、目下懸念される円安のデメリット(4)について、展望レポートには、輸入ペネトレーション(=国内総供給に占める輸入の割合)が「近年強まっている」という短い記述しか見当たらない。

しかも、その記述の直後に「このように、近年の経済構造の変化を考慮しても、円安は引き続き、全体としてみれば、わが国の景気にプラスの影響を及ぼすと考えられる」という結論が続くので、やや唐突感を覚える。

日銀の示す「留意点」

あらためて日銀の展望レポートの要点をとらえると、サービス輸出は(パンデミックによる)訪日外国人需要の消滅でまったく期待できず、財輸出の効果は薄れ、企業収益増大が(賃金上昇などを通じて)個人消費に波及する効果も期待できず、円安のメリットは(海外からの配当や利子による)所得収支増大の一点、ということになる。

問題は、そのような所得収支の黒字というメリット(3)が、消費者物価の上昇による購買力の低下というデメリット(4)を相殺できるほどに大きいのか、というところだが、日銀は前節で説明したような実情の変化には触れず、あくまでメリット(1)+(2)+(3)はデメリット(4)を上回り、全体としてプラスになるとの見解にとどまっている。

ただし、展望レポートはメリットとデメリットを分析する記述のあとに、次のような3つの留意点を挙げている。

(a)円安であれ円高であれ、安定しない相場は悪影響を及ぼす可能性がある
(b)為替変動の影響や方向性は業種・事業規模によりさまざまで、輸入ペネトレーションは高まり、消費者物価への影響は強まっている
(c)為替変動は株価や物価に与える影響など情勢次第でマインドに与える影響も異なる

事実上、これら留意点のうち(b)と(c)は、デメリット(4)を補足する位置づけになっている。

したがって、日銀の「円安は全体としてみれば日本経済にとってプラス」との見解は、正確にはメリット(1)+(2)+(3)が、デメリット(4)+補足的なデメリット(b)+(c)を上回るという考え方とみていいだろう。

しかし、本当にそう言えるのかどうか、筆者としては留保が必要としておきたい。少なくとも、1月公表の展望レポートだけから判断するのは難しい。

グローバル大企業と中小企業、家計のミゾが深まる

日銀の「円安は日本経済にとってプラス」との結論は、モデル分析を用いて精査した結果であり、一定の敬意と信頼性を持って受けとめる価値はある。

だが、単純にメリットとデメリットを足し算して不等号をつけるだけでは結論できない問題も残されている。

それは「メリットで得する経済主体」と「デメリットで損する経済主体」の間に超えられない壁があるという事実だ。

円安のメリットで得をするのは、輸出や海外投資の還流に近いグローバル大企業だけで、内需主導型の中小企業や家計部門はデメリットで損する面が圧倒的に大きい

メリットとデメリットを足し算すれば、日本経済全体(国内総生産[GDP]あるいは国民総所得[GNI])にとってプラスになるとしても、メリットで得する大企業とデメリットで損する中小企業や家計の断絶が進むのであれば、円安には「社会における優勝劣敗の徹底を促す」深刻な問題と言える面があるのではないか。

そうした断絶の解消には、雇用や税にかかる制度改革など、より大きな視点での取り組みが必要になると思われる。それは少なくとも日本銀行の所管ではなく(手に負えるものでもなく)、政府のそれと考えられる。

円安はプラスか、マイナスかという議論は、日本経済という大きな主語のもとだけでは結論を出しがたい、出してはならない問題であるということは言えるだろう。

※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。

(文・唐鎌大輔


唐鎌大輔(からかま・だいすけ):慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。

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