ISSから分離する「MS-19」。
出典:NASAの動画より筆者キャプチャー
2022年3月30日、国際宇宙ステーション(ISS)から、NASAのマーク・ヴァンデハイ宇宙飛行士、ロシアのアントン・シュカプレロフ宇宙飛行士、ピョートル・ドゥブロフ宇宙飛行士の3人がロシアのソユーズ宇宙船に乗って地球に帰還した。
執筆時、ソユーズ宇宙船「MS-19」はISSから無事に分離し、カザフスタンへの着陸に向けて飛行を続けていた。ロシアのウクライナ侵略後、緊張関係の中で米露の宇宙関係者が固唾を飲んで見守っていた「NASA宇宙飛行士のソユーズでの帰還」は無事に達成されるようだ。
一方で、前回取り上げたロシア国営宇宙企業ROSCOSMOS(ロスコスモス)のドミトリー・ロゴジン総裁は、今も過激な挑発的発言を繰り返している。
しかも、3月後半になって「挑発のターゲットを日本に移した」ようだ。内容は子どもじみたものだが、強気な発言の背後にロシアの宇宙産業が抱える問題点が透けてみえる。
直近の日本に関するロゴジン総裁のツイート発言を見てみよう。
「日本」を挑発し始めたロシア宇宙企業トップ
3月25日の発言でロゴジン総裁は、人工衛星とエンジニアらしき人物の写真と共に、次のように述べた。
「日本は、国営企業『ロスコスモス』傘下の宇宙機器企業、ロシア宇宙システム(RSS)に対して制裁を課した。その目的は、我が国の衛星製造企業の利益となる国家の防衛に対する要請や国との契約を履行する能力を制限することである。制裁は以前から予想されていたことであり、予想外でもない。それらは現在進行中の輸入代替プログラムによって回避され、衛星の製造スケジュールには影響を与えないだろう」
この発言は、3月23日にウクライナのゼレンスキー大統領が国会でビデオ演説してからまもなく公開されたもの。ゼレンスキー大統領が日本に求めたロシアへの経済制裁の継続と強化に反発したものと考えられる。
制裁を課されてもロシアの高度な人工衛星開発には影響がないという趣旨だが、添えられた写真のオリジナルの日付を探ると、また違う側面が見えてくる。
巨大な衛星の写真は、2011年に打ち上げられた測位衛星「GLONASS-M」の写真と合致する。
GLONASSとは、ロシアが運用する世界規模の測位衛星網だ。2000年前後に衛星数を維持できず大幅な性能劣化に見舞われたが、2007年ごろから持ち直して衛星の世代交代を始めている。
GLONASS-Mは毎年1、2機ほど打ち上げられ、さらに2014年以降はより小型軽量のGLONASS-K衛星に交代する予定となっていた。だが、この小型のGLONASS-Kの新型衛星は何度も延期され、2021年に打ち上げられるはずだった衛星は2022年末へとさらに延期されている。
GLONASS-MからGLONASS-Kへの世代交代にあたって、測位衛星の中核機能である精密な時刻情報を生成する「原子時計」が従来のセシウム原子時計からルビジウム原子時計に更新され、位置情報の精度も誤差3メートル前後から誤差1メートル程度に向上するはずだった。
しかし現状、GPS衛星ではすでに実現されているルビジウム原子時計による精度向上と近代化がうまく進んでいないように見える。「制裁を物ともせず、衛星の開発はスケジュール通り進んでいる」のであれば、大型で旧世代のGLONASS-Mではなく小型軽量のGLONASS-K衛星の開発写真でアピールすればよいのではないだろうか。
3月29日には、日本の防衛省がウクライナの首都「キエフ」の名称表記について、ウクライナ語に沿った「キーウ」を資料で併記すると発表した。これに反発したロゴジン総裁は、「最も愚かな制裁を発表した日本の防衛省の高度な立ち位置に注目して、ロスコスモスはこれから日本の首都“東京”を、すべてのリモートセンシング地図上で“Tik-Tokyo”と呼ぶことにする」と述べた。
特別面白くもない冗談だが、「リモートセンシング地図」という表現で、これが古典的な地図上に政治的風刺の意図を込めたプロパガンダ地図の手法だということが分かる。
それだけではなく、地名を書き換えるという勇ましい発言から、Google Earthに匹敵するような地球観測画像地図を持っているのかと思いきや、ツイートに貼り付けた画像はESA(欧州宇宙機関)のものだった。
ロゴジン総裁がツイートしたものと同じ画像。ロシア独自の写真ではなく、ESAのSentinel-3衛星が撮影したものだった。
(C)contains modified Copernicus Sentinel data (2019), processed by ESA
「出典」は、2020年に公開された、ESAのSentinel-3衛星が撮影した画像が該当する。
まさか「Sentinel-3を打ち上げたのはロシアのロケットなので画像もロシアのもの」と主張するつもりだろうか?
一方で、ロシアは世界気象機関(WMO)の世界気象監視計画に参加する気象衛星Meteor-M N2-2の機能を、2019年末に軌道上の事故で失った。WMOの運用中衛星リストには現在Meteor-Mシリーズの気象衛星はなく、2022年末の後継機打ち上げが実現するまで空白が生じているのが実情だ。
プロパガンダの向こうに「ロシア宇宙産業の空洞化」が透けて見える
ロゴジン総裁は過去の発言からも、底の浅いプロパガンダを繰り返すことで知られている。
直近で日本をターゲットにしていたのは、これまで挑発の主要な相手だったアメリカとは3月30日にソユーズでの宇宙飛行士帰還という重要なミッションを控えていて、感情的な発言は控えなければならなかったからだろう。そうであれば、今後ロシアにとって主要な打ち上げ場となるはずの極東のボストーチヌイ宇宙基地やアンガラロケットのPRといった重要な「コンテンツ」があるはずだが、ロゴジン総裁はそれよりも日本を揶揄(やゆ)することを選んだ。
そして、衛星産業に関して添えられている画像は10年以上前の衛星や、外国の宇宙機関の広報画像しかない。
現在のロシアの宇宙産業の状況は、ロゴジン総裁の発言やロスコスモスの公式ツイートといったごく限られた情報しかうかがえず、全体像の把握は困難だ。だが、実体のない空虚なプロパガンダが繰り返される背後に、ロシアの宇宙プログラムの空洞化が激しく進んでいるように見える。
(文・秋山文野)