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シマオ:皆さん、こんにちは! 「佐藤優のお悩み哲学相談」のお時間がやってまいりました。今日も読者の方からいただいたお悩みについて、佐藤優さんに答えていただきます。さっそくお便りを読んでいきましょう。
佐藤さんは世の中の大きな流れを読む力がすごいなといつも尊敬しております。これはいわゆる「大局観」というものだと思うのですが、どうやって養っていくものなのでしょうか?
私はもともと大手商社の出身で、現在は都内のITベンチャー企業で役員をやっているのですが、自分がいる業界の先行きについては、講演会や会食への参加、業界のトップランナーの方の著書などから知るようにしています。ですが、昨今の世界情勢などを踏まえると、これだけで十分とはどうも思えません。
(サーモ、40代前半、企業役員、男性)
大局観を養うには「通史」を知ることが大事
シマオ:サーモさん、お便りありがとうございます! 「大局観」という言葉、よく聞きますが、そもそもどういうものなのでしょうか?
佐藤さん:シマオ君は、仕事などで何か意思決定をする際に、どのようにして決めていますか。
シマオ:うーん、とりあえず今できることの選択肢を全て挙げて、損得勘定をした上で、一番よさそうなものを選ぶ……でしょうか。
佐藤さん:基本的にはそのアプローチの仕方で間違っていません。ただ、現実の世界や人間は複雑なので、全て数式のように解が導き出せる訳ではありませんよね。例えば、昨今のウクライナへのロシアの侵攻はほとんどの人が予想できませんでした。
シマオ:たしかに……。まさか令和の時代に戦争が起きるなんて思いもしませんでした。プーチン大統領は一体何を考えているんだろう……。
佐藤さん:まさしく、今後どう展開するかは究極のところプーチン大統領の心の中を読む必要がありますが、そんなことは無理でしょう。とはいえ、私たちはそういう中でも判断を下さなければなりません。それを見極めるために必要なのが大局観であり、私は歴史から学ぶのが最もよいと思います。
シマオ:なぜでしょうか?
佐藤さん:歴史を知れば、現在の状況と何が似ていて、何が似ていないのかという「アナロジー(類比)」で物事を捉えられるようになります。前例のない時代ほど、そうした考え方が重要になるのです。
シマオ:でも歴史の勉強って、覚えることが多くて学生時代は苦手だったなぁ……。30代に入ってからは記憶力も落ちてきましたし。
佐藤さん:枝葉末節を覚えるというよりは、最低限のポイントを押さえること、何よりも通史的な流れをつかむことが大切です。日本史の入門書としては、私が企画・編集・監修したものですが、『いっきに学び直す日本史』をおすすめします。世界史であれば、『岩波講座世界歴史』(1969-71年、第1期、本編29巻)のシリーズがよいでしょう。
シマオ:29巻! そんなにあるんですか……。
佐藤さん:ひと月に2冊も読めば、1年半程度で終えられます。ゆうに大学4年分くらいの知識は得られますから、結局は効率的な勉強になりますよ。一つ付け加えておけば、この「岩波講座」にはより新しいシリーズもあるのですが、私はこの第1期シリーズをすすめます。
シマオ:なぜですか?
佐藤さん:第1期は、通史的な観点での記述が充実しているからです。最近の歴史学の流れとして、いわゆる為政者の視点だけではない多様な見方を重視するようになっています。もちろんそれも大切なのですが、大局観を育むという意味では、通史的に読めるほうがよいでしょう。難易度が高ければ、中央公論新社の『世界の歴史』(2008-2010年、全30巻)でも構いません。
ビジネスにおける大局観とは?
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シマオ:今お話しいただいたのは日本や世界の歴史だと思いますが、歴史のアナロジーで大局を捉えるという考え方は、現代のビジネスにも役立つものなんでしょうか?
佐藤さん:役立ちます。サーモさんは、ITベンチャーの役員をされているとのことです。もし、サーモさんが会社を成長させて売却し、短期的な利益を得たいのなら別ですが、今の会社を継続的に成長させていきたいと考えているのでしたら、やはり中小企業の歴史に学ぶとよいでしょう。日本的な文化の中で、長く生き残っている中小企業の事例から学べることはたくさんあると思います。
シマオ:でも、「中小企業の歴史」なんてニッチな分野、どこで学べるのでしょうか……?
佐藤さん:あまり知られていませんが、日本のベンチャーキャピタルの草分けとして、今の経済産業省の監督下に「中小企業投資育成株式会社」という会社があります。東京・名古屋・大阪に3社があり、中小企業の経営に安定株主として参画しながらアドバイスを行っています。必ずしも上場を目的としてはいませんが、上場を果たした会社も50社以上に上ります。この会社が中小企業の事業について、さまざまなセミナーを行っているので、見てみるといいでしょう。
シマオ:こんなベンチャーキャピタルがあったんですね! ぜんぜん知りませんでした。ところで、こういった事例を学んでいく中で大局観を身につけていったとして、もし日々の仕事で、大局的な視点から見た未来像と目の前の課題が食い違ってしまった時は、どう判断すればよいのでしょうか?
佐藤さん:まずは、目の前の案件の解決を優先すべきでしょう。大局観が必要とされるのは、より長期的な判断ですから。例えば、中小企業にとって最も避けなければならないのはどういう事態だと思いますか?
シマオ:……資金繰りの悪化、とか?
佐藤さん:それも危険ですが、中小企業にとって長期的に怖いのは、ある特定の客先に依存してしまうことです。
シマオ:なるほど。大企業1社の下請けだけをしていたら、その会社が潰れてしまったらアウトですものね。
佐藤さん:とはいえ、短期的な利益を考えたら特化したほうがいいことが多いのも事実です。それを承知の上で、取引先を増やしたり、品数を増やしたりできるかが経営者の大局観と言えるでしょう。
大局観を持っている人の条件
シマオ:ちなみに、佐藤さんが「この人は大局観を持っている」と思う人は誰ですか?
佐藤さん:政治家なら中曽根康弘氏ですね。国鉄を民営化することで、対立する社会党の弱体化が起きることを見通していましたし、東西冷戦の終結を見越して、当時のゴルバチョフソ連書記長との関係も強化していた。大局的に世の中の動向を見ていたと思います。
シマオ:最近の人やビジネスパーソンでは誰かいるでしょうか?
佐藤さん:豊田章男さんや孫正義さんはこれまで大局を読めていたから、トップを走り続けることができています。しかし、それはすでに過去のことで、将来もそうでいられるかはまだ分からない。大局観のある人というのは、結局は事後的な判断でしか分かりませんから。
シマオ:上手くいった人は、結果的に大局を読めていたと言える、ということなのですね。
佐藤さん:ドイツの哲学者ヘーゲルは『法の哲学』の序文に「ミネルヴァの梟は黄昏時に飛び立つ」と書きました。哲学の知恵というものは、常に現実よりも遅れてやってくるという意味です。
シマオ:つまり……「知識はいつも後付け」ってことですか?
佐藤さん:そういうことです。だから大局観というものは、結局多くの失敗から学ぶことでもあります。成功した経営者のビジネス書などを読むのもいいのですが、どうしても生存者バイアスがかかってしまいます。成功者は一握りであり、多くの人は失敗する。そして、その失敗の後にどういう生き方があるのかを知っておくことも、大局観を養う上では重要なことだと思います。
シマオ:サーモさん、参考になりましたでしょうか? 僕もまずは歴史の勉強を始めてみたいと思います!
「 佐藤優のお悩み哲学相談 」、そろそろお別れのお時間です。引き続き読者の皆さんからのお悩みを募集していますので、こちらのページからどしどしお寄せください! 私生活のお悩み、仕事のお悩み、何でも構いません。次回の相談は4月20日(水)に公開予定です。それではまた!
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、イラスト・iziz、編集・野田翔)