アマゾンのスマートアシスタント「アレクサ」開発チームで、プリンシパルナレッジエンジニアとして活躍するベス・ホームズ。
Beth Holmes
ベス・ホームズが人工知能(AI)エンジニアとして初めて民間企業に職を得た2007年当時、ナレッジエンジニアリング(=AIを応用したシステム開発)はまだ比較的新しい領域だった。
「きわめてニッチな領域の仕事なので、事前の知識も経験もありませんでした。採用する側も、誰でもいいから新たな人材が入ってきて勉強してくれたらありがたい、そんな感じだったのです」
イギリスの名門バーミンガム大学で数学の博士号を取得したホームズは、人工知能を扱った実務経験もほとんどないのに、創業数年のスタートアップ、イーヴィ・テクノロジーズにジュニアエンジニアとして採用された。
ナレッジエンジニアリングは人工知能応用の一領域。人間の思考や意思決定プロセスを模倣する(ナレッジベースの)システム構築を通じて、複雑で高度な問題を解決する。
金融、ヘルスケア、カスタマーサービスなどさまざまな業界ですでに利用されているほか、顔認証や音声認識プログラムなどに応用する取り組みも行われている。
ホームが入社したイーヴィは、ある自然言語による質問を解析処理してマシンリーダブルなクエリ(=コンピュータが自動的に読み込める処理命令)に変換し、処理実行を通じて取得された結果データを再び自然言語による回答に戻す技術を手がけていた。
そのうち、アップルのボイスアシスタント「Siri(シリ)」のような同種の技術がブームになるとイーヴィにも白羽の矢が立ち、2012年ごろにアマゾンに買収された。
そんな経緯があって、ホームズはいまSiriのライバルとして知られる「アレクサ(Alexa)」開発チームに所属している。
アマゾンによる買収は彼女にとってマネジメントの幅を広げる良い機会となった。
「イーヴィがアマゾンに買収される前にいちエンジニアからマネージャーに昇進していたのですが、買収後は採用に関する裁量が広がり、チームの陣容を増強することでマネージャーとして大きな成長を実現できました。
アレクサ開発チームのみんなと出会い、一緒に仕事をする機会に恵まれたのも、買収があったからです。アマゾン側としても、自然言語処理を使った質問応答の技術を社内に持っていなかったので、イーヴィの買収を通じてそれを得られたのは大きかったと思います」
「女性とキャリア」のメッセージに疎外感
アマゾンの人事労務データによれば、2020年10月末時点で、同社のホワイトカラー(=事務・技術職、エンジニアも含まれる)における男性の数は女性の2倍以上にのぼる。
いわゆる男社会だが、ホームズはとくにそのことを問題として意識していなかった。
「ある人が『うわ、男ばかりで女はたったひとり(の部署)か』と言うのを聞いて、初めて気づいたんです。自分はみんなと違うジェンダーなんだと。多くの点で他の人たちと違う自分に慣れきってしまっていて、身体的な特徴が異なるというのはもうほとんど意識したこともない点でした」
キャリアも後半に入った43歳で、ホームズは自閉症と診断された。
(先天的な脳の機能障がいである)自閉症を患う女性が、人生の後半になってから初めてそう診断されることは珍しいケースではない。
全米自閉症協会(NAS)の説明によれば、診断を受けるのが遅くなったり、必要なサポートをなかなか受けられずにいる自閉症の女性は数多くいるという。
正式な診断を受けたことでモヤモヤしていたものがはっきりした面はあるにせよ、それ以上に、自閉症である自分を認めて受け入れたことで、ホームズの仕事に対する見方は変わった。
「自身が自閉症だと確信したのは診断を受けるわずか2年前のことでしたが、自分でそれを認めたことで、仕事との関わり方が大きく変わりました」
ホームズは医師からの正式な診断を受けたことで、テック業界に女性として生きることの孤立感が緩和されたという。
「『女性にとってのキャリア』といったメッセージに、私はいつも疎外感を感じていました。共感できない、自分を重ね合わせられないような考え方がいくつもあるように思えて仕方がなかったのです」
職場における女性のポジティブな体験とネガティブな体験を集めたプレゼンを聞いても、ホームズには違和感しかなかった。例えば、高い社交スキルがあるのに職場では声を上げるのが難しい環境がある、と女性を持ち上げる見方。
「(プレゼンに出てくる話とは真逆で)私の社交スキルは絶望的と言っていいほどですが、仕事では考えたことを遠慮なくしっかり発言してきました。
(女性とキャリアがテーマになるとき)特に共感できなかったのは、より多くの女性を引き寄せるために、オタクでむさ苦しく社交関係が苦手というソフトウェアワーカーのイメージを払拭してテック業界のイメージを変える必要があるという考え方。なぜなのか理解できませんでした。
そうした女性にフォーカスした取り組みは、私のような人間ではなく、『本当の女性』を採用するのが狙いなんだといつも感じていたのです」
ただ、そのようなホームズの考え方も、自閉症について学ぶことで変わっていったという。
「この問題はインターセクショナリティ/交差性(=人種や国籍、ジェンダーなど複数の属性を軸にした差別の組み合わせや重なりによりそれぞれ独特の抑圧状況が生みだされるとの考え方)として理解することができます。
つまり、問題を共有できる人々もいれば、立場が違って共感が難しい人々もいて、自分が個人的に共感できないとしても(キャリアの問題に対する)女性たちの取り組みは有効であって、一方で自分が異なる立場から考え方を表明することもまた、議論や取り組みの価値を高めることになるのです」
フレキシブルな働き方の効用
2020年春に新型コロナウイルス感染拡大を受けてリモートワークが広がったことは、ホームズにとって不幸中の幸いだった。
「在宅勤務は信じられないほどの恵みをもたらしてくれました。それまでに比べてすごく心穏やかに、仕事に集中して取り組めるようになったのです」
これから社会人になる人で彼女と同じような自閉症の診断を受けている人には、どんな形でもいいからとにかく自分に合った働き方にこだわってほしいとホームズは語る。
「自分にとって何が一番大切なのか、内省を重ねて明確にしましょう。長所も短所もある自身を直視して、そんな自分に正直になりましょう。そして、自分に一番合うものを追い求めましょう。
自閉症を抱えている人は、自分が何を感じているのか認識するのにも骨が折れます。でも、努力してそうするだけの価値はあります。他の人がこうしたいああしたいと考えることは、おそらくあなたにはあまり当てはまらないと思うので」
※この記事は2022年4月7日初出です。