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原点は母親代わりだった祖母の「うつ発症」。介護ロボットとの運命的な出合い【aba CEO・宇井吉美2】

aba CEO 宇井吉美

撮影:今村拓馬

宇井吉美(33)は、うつを患い、要介護となった母方の祖母との暮らしから、家族介護の過酷さと、自分の無力さを味わった。その経験が、スタートアップ「aba(アバ)」の事業創出に大きく結びついているという。

「祖母は、同居しているおばあちゃんというよりは、事実上、母親代わりで、いつでも頼れる存在でした。父の交通事故を機に母親が多忙になってからは、私の愛着形成のかなりの部分をおばあちゃんが補完してくれていたと思います。

それなのに、私が中学生のときにうつを発症して、180度人格が変わってしまった。私は現実を受け止めきれなくて、立ち往生していた感じです」

「祖母じゃなく、うつ病そのものを憎もう」

悩むおばあちゃん

うつを発症した祖母との向き合い方が、まだ中学生の宇井には分からなかった(写真はイメージです)。

AimPix / Shutterstock

宇井は千葉県北東部の旭市に生まれる。最寄駅の電車は1時間に1本程度の「いわゆる田舎」(宇井)。父親はラーメン店を経営しているが、3歳の頃、交通事故で生死を彷徨った。専業主婦だった母は、術後2カ月間、父親につきっきりで看病にあたった。

この時から、宇井と2つ下の妹の世話のため祖母が家に入った。回復した父はその後、店を拡大。複数の部屋の壁をぶち抜いて50席あるラーメン店にした。国道沿いに別の店もオープンし、母親も仕事に専念せざるを得なくなった。

宇井が中学生になってうつを発症した祖母は、リビングで毎日、「生まれてこなきゃよかった」とつぶやき続けていた。高校時代、周りの友達がヘルシーで彩り豊かなお弁当を持ってくるのが羨ましくて、宇井が祖母に「私にも、ヘルシーで可愛いお弁当を作って」と頼んだことがあった。うつ病の知識がなかった宇井は、病気が重くなると、クリエイティブな作業が難しくなることを理解していなかったという。

「いつもと違う頼みに、おばあちゃんも悩んじゃって……。キャベツの千切りと目玉焼きだけのお弁当が続いて、4日目の朝に私が怒ったら、おばあちゃん、大号泣しちゃったんです」

若かった宇井は、両親が仕事に手を取られる中、うつを発症した祖母に家族としてどう向き合うべきか、対応に困った。祖母は身動きはできたため身体介護こそはなかったが、本人の感情の波に合わせて生活が振り回される。厳しい言葉を投げかけられても、継ぐ言葉が見つからない。宇井は思春期真っ只中で、我慢することも多かった。

介護に手を取られて進学にも影響するような、いわゆるヤングケアラーの世間のイメージとは違うかもしれないが、先も見えず逃げ出したくなるような家庭内の重苦しい空気に耐え続けた時間の厚みは、少なからず若い時分の宇井には心的負担が大きかった。

宇井は、心の中でこう決めた。

「家族だけで介護するってそもそも大変だし、限界もある。でもおばあちゃんから教わった、『人を憎まず罪を憎め』に倣って、せめて、おばあちゃんじゃなく、うつ病そのものを憎もう」

「人を真正面から支える」テクノロジーとの出合い

ガラケー(イメージカット)

「いわゆる田舎」で幼少期を過ごした宇井だったが、中1で手にしたガラケーがつなぐインターネットの世界は常に「最新」だった(写真はイメージです)。

Jeff28 / Shutterstock

宇井が小学校高学年から抱いていた夢は、宇宙飛行士。1999年以降は、インターネットにも夢中になった。

「中1でガラケーを持たせてもらってから、ふと思ったんですよ。このガラケーは、渋谷の109で毎日遊べる中学生も持っているんだって。地域格差が情報格差にならない。テクノロジーって、すごいんだって」

宇井には「この環境から出たい」という気持ちがずっとあった。やがて上京問題は、「死活問題」に。県内の進学校である匝瑳(そうさ)高校の理数科に在籍していた宇井は、同級生からは、「うちの親は医者だから、やっぱり医学部かな」といった会話をちらほら聞くようになった。

ところが、宇井の父親は高卒で、「大学? なんでまたお金を払って学校に行かせなければならないんだ?」「遊ぶために、金なんか出せないぞ」と全く取り合ってくれなかった。許可されたのが、「戻ってきてラーメン屋を継ぐという前提だったら、商学部は認めるよ」という一択。

「私はとにかく、学費のスポンサーであるお父さんが納得する進学理由を明確に見つけないと、道が断たれると。もうそれは、必死で進学先をリサーチしましたよ」(宇井)

高校2年生で訪れた、筑波大学のオープンキャンパス。理系の学生が対象で、宇井は4日間の説明会全てに足を運び、基礎系の物理学から応用系の電気電子まで、メモを取り続けた。

4日目。宇井は介護ロボットに出合った。対話型ロボットや見守りロボットを見るうちに、宇井の中で、自分が目指す未来が像を結んだ。

「これは人を真正面から支えるテクノロジー。自分が目指すのは、介護ロボットだ!と。私の中で、祖母の介護からの課題感とテクノロジーとが1本の線になって結びついた瞬間でした」

教室を出ると、廊下の窓からオレンジ色の光が差していた。

「私には夕焼けの景色が、夜明けの風景に見えていました」

見つけた夢は、これまでの自分の人生でいろいろ鬱屈としていたものを、きっと吹き飛ばしてくれる。宇井の中に、そんな確信が生まれていた。

恩師の「戻ってこい」で自信を回復

富山先生との写真

千葉工業大学の富山健教授は、宇井にとって恩師であり、同時に高校時代の憧れの人だった。

提供:aba

実は筑波大のオープンキャンパスで、説明を担当していた教授に宇井はアプローチしていた。

「筑波大で介護ロボットのことを学びたいんです。うつで苦しむ祖母をみてきたので、私はメンタル系に働きかけるようなロボットをつくりたい」

教授からは、「それなら別の大学にうってつけの先生がいるよ。理系はどの先生と、どの仲間と学ぶかが重要だから、大学は望みの研究室がある所を選んだほうがいいと思う」と助言をもらった。

そんなスペシャリストの先生がいるんだ!

半年後、宇井は筑波大の教授から紹介された富山健に会うため、千葉工業大学のオープンキャンパスに足を運んだ。富山は同大工学部の未来ロボティクス学科(未ロボ)教授に就任したばかり。富山の経歴も写真もネットで調べ尽くしていた宇井は、キャンパスで富山を見かけた瞬間、「写真の人が動いてる!」と心を躍らせた。

富山を呼び止め、「私は介護ロボットをつくりたくて、先生を追いかけてここにきました」「祖母の介護経験から、テクノロジーで介護者の役に立ちたい」と打ち明けた。宇井の情熱に心打たれた富山は、「それなら、うちの大学のAO入試を受けてみなさい」と声をかけた。

入試本番。「鍵を分解してその構造を図示せよ」という課題で、力んだ宇井はドライバーを折ってしまった。それでも宇井は、応募した100人中6人という狭き門を突破し、合格を果たす。後で聞けば、選考段階で多くの教授が宇井に対し、「採る理由がない」と考えていたという。けれども明確な目的意識を持ち、行動力もある宇井を評価していた富山は、「私が責任を取ります。あの子こそ採るべき学生」と一貫して宇井を推薦したのだった。

2007年に未ロボに入学した。宇井は介護の問題を解決するための学生プロジェクト「aba」を立ち上げた。命名したのは富山。「awakend bunch activity(未来を創造する者たちの集まり)」の略だ。

しかし数少ない女子学生は一人消え、二人消え、ついには宇井一人に。男子だらけの学科で、宇井は周りの学生との落差に愕然とする。「ロボットを開発するのに必須の、機械、電気、プログラミング、理論のどれもまともにできなくて」(宇井)、次第に劣等感に苛まれていく。

1年生で休学した宇井は、居酒屋のバイトに熱を入れ、「このまま正社員にならないか?」と声がかかるほどに。居酒屋に就職するつもりはなかったが、退学の二文字がちらつき始めた。1年留年して復学を迷っていた時、富山からこう声がかかった。

「あなたには才能があるんだから、戻ってきなさい」

自分を信じてくれている先生を信じてみよう——。復学した宇井は、少しずつ自信を取り戻していった。

オムツ替えの“空振り”なくす

宇井さん

撮影:今村拓馬

復学してから介護ロボットづくりの現場感覚を身につけるため、宇井は富山の指導のもと、まず介護施設に実習に出かけて行った。連載初回で紹介した、特別養護老人ホームでのエピソードは、この時のことだ。

職員たちが余裕なく悩みながらケアする様子を、宇井はかつての自分に重ねて見ていた。

「私は祖母と暮らして家族介護の限界を感じた時、『悩むのは、自分にケアの力がないから』と思い込んでいた。でも、介護のプロでもこんなに悩んでいるなら、人の力だけでは限界があるのかもしれないなと。人以外で救う方法も必要じゃないかと考えました」

宇井は、同じ日の終礼に参加した際、職員たちに率直に尋ねた。

「介護機器や介護ロボットをつくるとしたら、どんなものが現場に欲しいですか?」

すかさず、その場にいた職員がこう言った。

「オムツを開けずに中が見たいよね。中が分からないと、開けたけど(便や尿が)出ていなかったり、開けたときには遅すぎたりして、ほんと困っているからね」

聞いていた宇井は、ひらめいた。

排泄ケアの仕事は、一人あたり1日に少なくとも6回はある。寝たきりの人なら、体位を変えるだけでも重労働だと、実習してみてわかった。もし、外から見えないものが何らかの形で「見える」ようになりさえすれば、オムツ替えの“空振り”がなくなって、介護の負担が軽減される。だったら私がつくるのは、「排泄センサー」にしよう——。

この日を機に、センサーの研究開発が始まった。

だがその後は産みの苦しみが待っていた。宇井は得意の巻き込み力で、新規事業につきものの「死の谷越え」に疾走していく。

(敬称略・続きはこちら▼)

(第1回はこちら▼)

(文・古川雅子、写真・今村拓馬)

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