Alyssa Powell/Insider
私は46歳の白人男性で、大手製薬会社に勤務して約16年になる。現在、ディレクターとして16万3000ドル(約2000万円、1ドル=125円換算)の給与に4万ドル(500万円)のボーナスを受け取り、さらに3年後に現金化することができる2万5000ドル(約310万円)分の後配株を保有している。
現在はセキュリティ部門を率いており、偽造医薬品など研究における不正行為やハラスメントがないかを調査したり、役員の警護を担当したりしている。
私のキャリアのスタートは時給7ドルの警備員だった。そこから現在の会社に転職し、職務内容も責任も、どんどん変化していった。
私が億万長者になることはないだろうが、自分の仕事ぶりには十分な対価が支払われ、適正な賃金が支払われていると考えている。今の時点では、法外な金額でも提示されないかぎり会社を移るつもりはない。
以下では、過去25年にわたる私の給与の変遷を明かしたい。
編集者注:関係者により、現在または直近の仕事について、本人の収入と身元を確認済み。
警備員:時給7.3ドル
私は1990年代後半に、連邦政府か地域の警察機関で働くことを志し、学校を卒業した。契約警備会社に就職し、オフィスビルの夜間警備員として働いた。この仕事を紹介してくれた家族からは時給15ドルだと聞いていたが、実際の給与はその半分だった。
その後、その会社に所属しつつも、オフィスビルの夜間警備ではなく、バイオテクノロジー企業のセキュリティを担当することになった。より責任のある仕事を任されるようになり、時給もその分高くなった。
しかし警察官の仕事はなかなか見つからず、結局警備会社に落ち着き、1999年末には年収が2万5860ドル(約320万円)になった。
セキュリティ・オペレーション・アシスタント・マネジャー:3万7291ドル
2000年代初頭、私生活でも仕事上でもいろいろなことが起こった。初めて管理職に就き、財務的な責任も少し増えた。その分、給与は大幅にアップし、年収は3万7291ドル(約460万円)になった。
さらに重要なのは、その間に妻と出会い、結婚したことだ。私は昔から金銭的な責任感が強かったので、「この道でキャリアを積めば、家族を養えるだけのお金を稼げそうだ」と思ったのを覚えている。
警察関係の仕事を探すのを辞め、警備業に集中することに決めた。2005年末には6万ドル(約750万円)ほど稼げるようになった。
セキュリティアカウントマネジャー:7万1145ドル
この時期の私は30代。セキュリティ会社での仕事は順調で、マイホームを買って妻と家庭を築こうとしていた。
そんな時、現在働いている製薬会社からセキュリティ部門の一つでマネジャーをやらないかとの誘いを受けた。約50人の正社員をマネジメントする、私にとっては画期的な仕事だった。
7万1145ドル(約890万円)の年俸を提示されたのでこのチャンスに飛びついたが、まだボーナスなし、ストックオプションなし、福利厚生も最低限で、しかも契約社員だった。
それでも私は順調に成果を出し続けた。一時は競合他社への転職も考えたが、年末に会社が8000ドル(100万円)ほどのボーナスを支給してくれるようになった。年俸も少しずつ上がり、40歳になる頃にはボーナスも合わせて11万ドル(約1370万円)を稼げるようになっていた。
セキュリティマネジャー:12万2898ドル+年俸15%のボーナス
契約社員として10年近く働いて、ようやく正社員登用が決まった。年俸が12万2898ドル(約1530万円)に上がっただけでなく、年俸の15%にあたるボーナスや、年俸の約14%を占める確定拠出年金401(k)、年金の支給が決定した。私のキャリアにとって極めて重要な出来事だった。
会社は当初、私が最終的に受け入れた金額よりも1万ドル低い給与を提示していた。ボーナスと福利厚生があれば十分だと思ったのだろう。しかし、前任者(契約社員時代の元上司)が「もっと要求したほうがいい」「給料の交渉は一度きりだ」とアドバイスしてくれた。
昇進するか、他社からオファーを受けてそれをダシにでもしない限り、毎年わずかな昇給しか望めない。私は社員登用されたことにとても興奮していたので、それ以上のことを求めてもし登用の話自体が流れてしまったら……との不安はあった。しかし、結局は元上司のアドバイス通りにしてうまく事は運んだ。
ディレクター:16万3000ドル+4万ドルボーナス+2万5000ドルの株式
会社は給与の透明性を非常に重視している。他の社員の給料を正確に知っている訳ではないが、社内の給与グレードに照らし合わせれば、私が同格の社員の給料と比較して約90〜100%を稼いでいることが分かる。強いて言えば若干低め、といったところだ。
1年ほど前、私がアソシエイト・ディレクターだった頃、元同僚が私をライバル会社に引き抜こうとしたことがあった。面接を受け、内定ももらった。給与は当時の年俸より少し高かったが、必ずしも納得はしていなかった。
これを機に、私は会社の幹部の一人と話をした。彼は正直な意見を聞かせてくれた。ライバルのオファーも良かったが、私はここで評価されることで明るい未来が待っていると感じられた。彼は私と私の家族のために最善を尽くそうとしてくれているし、私は彼を信頼していたからだ。
その後、私はディレクターに昇格することができた。冒頭で書いた通り、私は現在、16万3000ドル(約2000万円)の給与に4万ドル(500万円)のボーナスを受け取り、さらに3年後に現金化することができる2万5000ドル(約310万円)分の後配株を保有している。
もっと若ければもっと挑戦してもいいのかもしれないが、私ももう50歳目前だ。子どもたちを大学まで行かせて、60歳になる前に、いや、できればもっと早く退職したいと考えている。やり直しも無謀なこともしようとは思っていない。
(編集・野田翔)