ジャーネイ・アダムス。
Courtesy of Ja'Net Adams
- 5万ドルの借金を返済したら、ジャーネイ・アダムスはフルタイムの仕事を辞めたいと思っていた。
- 彼女は2年で仕事を辞めると決め、節約生活を始めた。
- アダムスのビジネスは11年間順調で、過去を振り返ったことはないという。
起業家で2児の母でもあるジャーネイ・アダムス(Ja'Net Adams)は2010年、医薬品販売の仕事を辞め、自身のビジネスとして「デット・サックス・ユニバーシティ(Debt Sucks University:借金最悪大学)」を立ち上げた。
アダムスは借金返済のコーチングを始める前に、自身の学生ローンと高金利の自動車ローン合わせて5万ドルを返済した。同僚たちは彼女のやりくりに注目し、自分たちの借金返済について相談するようになった。
「『何十万ドル稼いでも、生活はギリギリだ』と皆が言うので、自分がやったことを人に話すようになった」とアダムスは言う。
「そうしているうちに『すごい、あなた本当に天才、これを仕事にすればいいのに』と言われるようになった」
やがて、お金の管理方法を教えたいという思いを、アダムスは抑えられなくなった。そのうちアメリカ全土から講演の依頼が来るようになったが、安定したフルタイムの仕事をすぐに辞めるのは不安だった。
不安を最小限に抑えながらフルタイムの仕事を辞めることができたアダムスのシンプルな5つの戦略を紹介しよう。
1) 2年で退職するための予定表を作成した
この大退職(The Great Resignation)の時代に、人々は何の準備もなく仕事を辞めている。雇用主の期待を超えようとせず、惰性で最低限のことだけやって「適当に辞める」ことも増えている。
アダムスがスムースに被雇用者から起業家に変わることができたポイントは、長期計画にあった。アダムス「5万ドルの借金を2年で返したばかりのとき、あと数年は犠牲にしても、まずは今の給料に近づくように頑張らなければと思った」
2年で借金を返済するという、大きな目標を達成する自信があったアダムスは、4半期ごとの現実的な起業計画を立て、本業で稼いでいた年間6万5000ドル(約822万円)以上の報酬を実現する自信があった。
2)2年間は休暇もなしで働いた
「借金が残っている頃、1歳の子どもがいた。返済が終わったあとに妊娠して、2人目の子が1歳の時に、フルタイムで働くのを辞めた」
小さな子どもを2人抱えて起業するのは間違いなく大変だろうが、アダムスは時間を有効に使うため、休暇を取らなかった。休暇に数千ドル使う代わりに貯蓄を増やし、2年で仕事を辞めて2度と戻らないという目標に、近付くことができるように。
有給休暇を計画的に使い、大学での講演もこなした。
「休暇が2週間あったら、朝早い飛行機に乗って行き、次の日の朝の便で戻って仕事に行くというように、1日1日を計画的に使っていた」
3)彼女にはメンターがいた
当時は安定した職を離れて起業することに対して否定的な意見が多かったので、自分のビジネスを追い続けるよう応援してくれる存在が、アダムスには必要だった。
「医薬品販売の先輩は後に仕事を辞めて、私の前例になってくれた」
自分がやろうとしていたことを実現していた人が近くにいる、それがモチベーションになった。
アダムスは「その先輩から言われた最高の言葉は『ジャーネイ、仮に失敗したとして、最悪の事態は何? 別の仕事をすればいいだけ』というもの。それ以来、後ろを振り返ってはいない。周囲のサポートには本当に助けられた」と付け加えた。
4. 無駄のない生活スタイルを維持する
アダムスの借金返済の旅は、2008年に別の医薬品販売会社を解雇された時に始まった。その時アダムスは、使ったお金を1セント単位で把握し、住宅保険のダウングレードなどさまざまな予算を削減し、可能な限り切り詰めていった。
再びフルタイムで働き始めた後も、その最低の予算で生活を続け、給料を借金の返済に充てられるようにした。いずれ仕事を辞めて事業を始めるつもりだったアダムスは生活スタイルを変えなかったのだ。よくあるのは、稼ぎが増えるとお金を使ってしまい、ハイレベルな贅沢さと便利さに慣れてしまうというパターンだ。
「2年間は休暇なしだった。2年間外食もなし。2年間プレゼントもなし。何も目新しいことはなかった。ただゴールに向かって一直線という感じだった」
5. 長期目標に合わせて日々のスケジュールを作る
Googleカレンダーで簡単に時間を確保できるようになるずっと前、アダムスは、自身の長期目標に合わせて時間をきちんと管理する方法を学んだ。
アダムスは「これは先輩から教えてもらった。朝4時に起きて、3時間仕事をする。7時に子どもを起こして、保育園に連れて行き、8時から5時までは母親や妻として働き、9時から12時まではビジネス。2年間ずっとその繰り返し。そうやってビジネスを軌道に乗せ、今年で11年になる」と話している。
(翻訳:Ito Yasuko、編集:Toshihiko Inoue)