霞が関では、深夜にタクシーが列をなすのは日常の光景になっている。
撮影:今村拓馬
「自分と家族を守るために、辞めるしかありませんでした。育休から復帰するまでは、霞が関を辞めるなんてことは考えていませんでした」
約10年間勤務した霞が関を去った元女性官僚はそう話す。
育児と官僚の両立を目指していた彼女を追い詰めたのは、「24時間戦士」だけが認められるような、霞が関の文化だった。
官僚を辞めて民間企業に転職した2人の元官僚の話から、霞が関を襲う人材危機の現状を探った。
40歳前後での出産が「当たり前」
30代のカオリさん(仮名)は大学卒業後、中央省庁に入省した。
同期にも恵まれ、仕事内容は充実していたが、睡眠時間を削って激烈に働くことを当然と考えるような霞が関の空気には、入省当時から違和感を覚えていた。
カオリさんは入省後5年ほどで結婚。すぐに子どもが欲しい気持ちもあったが、人手不足の職場を見ていると、20代で係長という役職のうちは、出産は無理だとも思っていた。
女性の先輩からは「課長補佐(入省後7年程度で就任するポスト)で5年くらい働いて、仕事ができるという信頼を得てから出産するのがいいよ」と言われていたからだ。
課長補佐というポストは霞が関のキャリアにおいては重要で、その時の働きぶりがその後の昇進にも影響する。政策立案に関わる仕事など裁量が拡大し、部下もできる。だから子どもを望むのであれば、数年間は課長補佐の経験を積んだ上での出産が「ベターという空気」だった。
半年で育休から復帰「迷いはなかった」
カオリさんは出産後半年で職場復帰したが、帰宅が遅くなることも多かった(写真はイメージです)。
撮影:今村拓馬
カオリさんは課長補佐になった約1年後、30代前半で第1子を出産し、半年後には職場復帰した。
復帰を急いだのには理由があった。「早く復帰してほしい」という空気があり、長期の育休で職場に迷惑はかけられないと思ったからだ。
当時はコロナ禍で、霞が関でもリモートワークの導入が進んでいた。カオリさんは「リモートワークならば育児との両立もできる」と考えていたが、現実は厳しかった。
育休復帰後に任されたのは、子育てしていない同僚が担当していた多忙な業務。カオリさんは、子どもが1歳になるまで終業時間を短縮できる制度を利用していたが、残業が当たり前の上司との雑談交じりの打ち合わせなどで帰宅は遅いままだった。
復帰当初は週2回のリモートワークも取ることを予定していた。乳児の世話で慢性的な睡眠不足だった時期に、リモートワークなら通勤や出勤準備にかかる1、2時間を睡眠時間に充てられると期待していた。
しかし、リモートワークを選択しても、結局は出社せざるを得ない状況に追い込まれたという。
常に出勤している部下から「リモートワークでは情報共有に限界がある」と言われるようになったからだ。
年齢の近い、若い部下からの反発にショック
カオリさんの職場では、リモートワークはせず「長時間現場で働ける人」が評価される空気もあった(写真はイメージです)。
撮影:今村拓馬
電話でも相談しているものの、部下からは対面を求められた。カオリさんは終業後、部下から「残業ができないならばもっとちゃんと指示してほしい」というメールが届くこともあった。
部下への対応には、上司も気を配ってくれたが、状況は変わらなかったという。
「部下はリモートワークはせずに、残業もバリバリするタイプ。上司に相談しても『でも急ぎの仕事もこなせるし、仕事できるじゃん』と言われ、何も言い返せませんでした。多様性というけれど、残業ができない人ではなく、長時間現場で働ける人だけが求められていると感じました」
さらに追い詰められたのは、若い世代から育児と仕事を両立するためのリモートワークに反発されたことだった。
「この反応がショックでした。年齢が上の上司とは感覚が違ったとしても、あと数年すれば私たちの世代で霞が関の働き方を変えていけると思っていたので……。
霞が関の文化に異様にマッチした人材だけが残り、そうでない人を苦しめている環境は変えられないと思いました」
カオリさんは体調を崩したことをきっかけに離職を決意した。その後民間企業に転職し、現在はほぼリモートワークで仕事をしている。
「今でも、もっと長く育休をとって万全の状態で復職していたら……。復帰後のポストがここじゃなかったら……などと考えることはあります。
私もそうでしたが、霞が関には純粋過ぎるくらい国のために働きたいと思っている人たちが多くいます。そんな人たちが報われる環境になってほしい」
リモートワークの実情…上司から「出勤したら話そう」
霞が関では、夜になっても明かりが消えないビルが目立つ。
撮影:今村拓馬
内閣人事局の調査では、2021年5月時点のリモートワーク実施率は本府省職員の63.6%。徐々に普及しているものの、まだまだ課題が多い。
Business Insider Japanが官僚向けに実施したアンケート調査(2022年3月からオンラインで実施)には、リモートワークの実態について、20代、30代から次のような声が寄せられた。
- リモートワーク中にメールで上司に相談しても、「出勤したら話しましょう」と言われ、仕事が進まない(30代、文部科学省)
- セキュリティ問題及びハードウェア予算がないことを理由に全く進まない。このコロナ危機を脱すれば元に戻るという前提に立っている(20代・外務省)
- 環境は整っているにもかかわらず、説明者が対面の方が楽だからと出勤し、下の者はテレワークの人のためにWeb会議をセットするのが仕事になっている。民間出向者から「コロナ禍の1年、一体何をしていたのか」と驚かれたことが印象深かった(30代)
- リモートワークの有無について調査が入る日が事前に告知され、指定された日のみリモートワークを行った。実際にはリモートワークなど行われていない(20代・経済産業省)
アンケートからは、霞が関の根強い「出勤文化」が、リモートワークなどの柔軟な働き方を阻んでいる実態が浮かび上がる。
数カ月前に離職の元官僚「やりがい感じにくい」
マサシさんも数か月前に、霞が関を去り民間企業へ転職した(写真はイメージです)。
撮影:今村拓馬
若手官僚の離職にはブラックな働き方だけでなく、やりがいを感じにくいことも要因になっている。
直近1年のうちで霞が関から民間企業に転職した30代男性の元官僚・マサシさん(仮名)は「いい政策を作りたいと思って官僚になったのに、政治家の対応に忙殺された」と語る。
「残業が多い部署ではなかった」というが、国会会期中の残業は月100時間を超えることが当たり前だったという。国会での質問に立つ国会議員は、2日前までに質問内容を通告するルールだが、前日まで通告されないことも珍しくない。マサシさんの部署は決して質問を多く受けるわけではなかったが、「とりあえず待機」という時間が長く、結局質問が当たらないことも多かった。
「結局、何のための時間だったんだろうと思いますよね」
マサシさんが離職を決めた理由は、「官僚として政策を作るやりがいが感じられない環境」だったからだという。
本来なら官僚は現場に赴いたり、有識者や関係者と議論したりしながら政策をまとめていくのが仕事の醍醐味だ。ただ実際は、政治家が言い出した政策を実行するため、関係団体・企業をどう納得させたらいいか、その調整に多くの時間が奪われてしまう。
「国会対応で終電やタクシーで帰宅する日常になると、『勉強していい政策を提案したい』ではなく『早く寝たい』という話になってしまう。優秀な幹部たちも、つらそうに働いているのを見て、もうここにはいられないと思いました」
「外注も活用し、政策を作る時間を」
元厚労省官僚の千正康裕氏に、霞が関の課題について聞いた。
撮影:横山耕太郎
霞が関で深刻化する若手官僚の流出問題。どこに解決策はあるのか?
元厚生労働省の官僚で、『ブラック霞が関』『官邸は今日も間違える』などの著書で知られる千正康裕氏に聞いた。
——若手官僚が辞めてしまう原因は、どこにあると感じますか?
千正康裕氏(以下、千正):長時間労働の問題はやはり大きいと思います。社会全体で働き方改革が進む中で、霞が関も民間と同じような働き方にしていく必要があります。女性職員も増え、男性職員も共働きが一般的になった。昔の働き方を変えていかないといけません。
また、政策を立案し国民に貢献したいと思って入省した若い官僚たちが、自分で政策を作っている実感を持ちにくいという課題もあります。若手官僚は自分ではコントロールができない他律的業務が多く疲弊しており、政策を考えるのに必要なインプットの時間が取れません。結果的に官僚側の政策提案力も落ちてしまっています。
霞が関の中の人がやる必要がない仕事は外注するなどして、政策を作ることに時間を使えるようにすることが、官僚のモチベーションにも、政策立案能力のためにも必要です。
組織の人材戦略が求められている
——離職問題を含め、霞が関の働き方改革をどう進めていくべきでしょうか?
千正:ひとつには、組織全体として必要な機能を果たしていくために、どのような人材が必要かという戦略を描き、採用や育成を進めていくことです。
霞が関はどんどん新しい政策が求められます。例えば私が長く在籍した厚生労働省では 、社会保障制度の構築など伝統的な分野もありますが、コロナ関連のアプリの開発・活用だったり、データを活用した健康維持など、新しいノウハウが必要な分野が次々に生まれています。
急激な社会変化に対応する政策を作ったり、実行したりするためには質量ともにマンパワーが必要です。政策分野の先行きから必要な人材を考え、その上で組織を作っていかないと間に合わなくなっています。
任期付きデジタル職の国家公務員採用も進めていますが、デジタルの知見がある人材はデジタル庁だけでなく各省が求めています。どういうスペックの人材が必要で、どうやって採用して、どう組織を作っていくのか、その戦略が必要です
ただ希望もあります。人材流出が続く一方で、霞が関の仕事に魅力を感じて、給料の高い民間企業から転職してくる優秀な人材もいます。そのような人たちは、霞が関の仕事を面白いと言っています。業務改革・働き方改革が進めば、優秀な人材が集まる可能性はまだまだあると思っています
(文・横山耕太郎)