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ウィル・スミス事件、日米で反応に違い。暴力と「有害な男性らしさ」に鈍感な日本

クリスロックを張り手するウィルスミス

Reuters/BRIAN SNYDER

3月27日、第94回アカデミー賞の舞台で、俳優のウィル・スミスがコメディアンのクリス・ロックに平手打ちを食らわせた瞬間、私も含め多くの人は、これはあらかじめ打ち合わせされた「喧嘩する2人」という演出、つまり「やらせ」なのだろうと思っていた。

アメリカの生中継ではその直後にいきなり音声が消され、映像も一瞬途切れた。この時初めて、「やらせではなかったのか?」と気づいた。スミスが自席に戻ってから放送禁止用語を連発してロックに怒鳴った場面は、アメリカでは放映されなかったので、日本で拡散された映像を後から見て、初めて全貌を理解した人が多かったと思う。

スミスが怒った理由は、妻で女優のジェイダ・ピンケット・スミスに対し、ロックが「ジェイダ、『G.I.ジェーン』(デミ・ムーアがスキンヘッドの女性兵士という役柄で主演した1997年の映画)続編を楽しみにしているよ」と言ったことに対してだった。ジェイダは2018年に脱毛症であることを公表し、髪を剃っている。

この夜から連日メディアやネット上では、映画界に限らず著名人から一般の人まで巻き込んだ大論争に発展した。興味深かったのは、すぐに「どちらがより悪いか」という議論になったことだ。大きく分けると「暴力は許されない」派と「そうは言っても、言葉の暴力もいけない」派に分かれ、いずれもが自分の考えを主張していた。

さらにSNSを見ていると、日米の人々の反応に明確な違いもあった。日本でのコメントには奥さんを守ろうとしたウィル・スミスを擁護するだけでなく称賛すらする声が目立ち、アメリカでは暴力をふるったスミスに対して厳しい声が圧倒的に強かった。

「どんな理由があっても暴力は許さない」

アカデミー賞の主催者である映画芸術科学アカデミーは、授賞式終了直後の午前1時、Twitterで、「アカデミーは、どんな形の暴力も許しません(The Academy does not condone violence of any form)」と発信した

この声明に対し、アメリカでは「だったらなぜすぐにスミスを会場から連れ出さなかったのか」「あの場ですぐに警察を呼んで逮捕すべきだったのではないか」「あんなことをした後、スミスに賞を与え、スピーチまで許したのは甘すぎるのではないか」という批判が向けられた。

ただ、その後の報道やアカデミー側の声明を読むと、前代未聞の展開に直面して、主催者側もどうすることが最善なのか瞬時に判断できなかったようだということも分かってきた。

スミスがアカデミー側から退場を求められたのに断ったこと、ロサンゼルス市警はスミスを逮捕する準備もできていたが、殴られた側のロックが、スミスを力づくで排除することや警察沙汰を望まなかったとも報じられた。

翌28日、スミスはInstagramで謝罪文を発表。暴力は有害で破壊的なものであり、自分の行為は一切の言い訳ができない恥ずべきものであること、クリス・ロック、アカデミー、他の受賞者たちに謝罪したいなどと述べた。

その後スミスは映画芸術科学アカデミーからの退会を発表、アカデミーは辞任を受理し、さらに今後10年間アカデミー賞に関わる全てのイベントや番組にスミスの出席を認めないと発表した。アカデミーの行動基準に違反したことが理由だ。ただ今回受賞した最優秀主演男優賞は剥奪されないし、今後も賞の候補になることはあり得る。

事件直後にYouGov America が行った世論調査によれば、回答者のうち61%が「スミスの行動は間違っていた」、21%が「スミスの行動は正しかった」と答えている。また、同日に YouGov が行ったもう一つの世論調査の「言われたことに対して腹を立て、その人を殴るのはOKですか?」という問いに対しては、59%が「いつどんな時であっても、言葉への報復として相手に手を上げるのは、あってはならないこと」と答え、21%が「OK」と答えている。

また、民主党系の世論調査機関ブルー・ローズ・リサーチは、この件については所得と教育レベルによって意見が分かれていると分析。「スミスが悪い」と答える回答者が過半数以上を占めるのは年収10万ドル以上、特に15万ドル以上の層と、4年制大卒以上の層だという。

これに対し、ネットや報道を見ていると、日本の人たちの中には、「暴力は悪いけど、言葉の暴力の方がもっと悪い」「病気をネタにしたクリス・ロックが悪い」「妻のために立ち上がったウィル・スミスは偉い(当然のことをした)」というような声が強いように見受けられた。「ひどいジョークを言ったロックに対する制裁がないのはおかしい」「ロックも謝罪すべき」と言っている人たちも多く、アメリカではロックの態度を称賛する声があることに対して、「理解できない」というコメントも数多く目にした。

スタンダップ・コメディというエンタメ

クリス・ロックはベテラン人気コメディアンであり、俳優、監督としても活躍する。

Reuters/MANDATORY CREDIT

ジョークのセンス、何を面白いかと感じるかは、文化圏によって大きく違い、圏外にいる人たちに伝えることは難しい。言語の問題もあるが、それ以上に笑いの根底には歴史や社会問題、文化、その国の人たちのもつ特質、偏見、ユーモアのセンスなどがあるからだ。私自身、アメリカのユーモアを理解するのには時間がかかったし、今でも本当には分からないことがある。同じ英語圏の中でも、イギリスとアメリカでも笑いのセンスは全然違う(というか、対照的に思えることの方が多い)。

現在57歳のクリス・ロックは、アメリカでは長年活躍するベテラン人気コメディアンであり、俳優、監督としても活躍してきた。エミー賞を3回、グラミー賞も3回受賞し、Entertainment Weekly誌で「アメリカで一番面白い男」 (2004年)に選ばれたこともある。

ロックのような人は、アメリカでは「スタンダップ・コメディアン」と呼ばれる。基本的にマイク1本で、話術のみで笑いをとるスタンダップ・コメディは、アメリカを代表するエンターテイメントの一つで、エディ・マーフィー、ロビン・ウィリアムズ、ジム・キャリー、ティナ・フェイ、エレン・デジェネレスなど多くの有名俳優やコメディアンがここからキャリアをスタートさせている。

スタンダップ・コメディはタブー、不謹慎、非常識ギリギリの危ないところで毒舌を振るい、笑いをとる。日本で言うと、デビューした頃のビートたけしのような感じだ。政治や人種、社会問題、宗教、下ネタまで、風刺の効いたブラックジョーク、政治的に正しくない発言をあえてする。右派も左派も、黒人も白人もユダヤ人も、分け隔てなくいじる。富と権力を持つ政治家、セレブリティ、芸能人などは特に格好のターゲットになる。

特にアメリカの黒人コメディアンにとっては、人種ネタは重要な要素で、ロックも黒人の自虐ネタ、白人や移民をおちょくるネタを頻繁に織り込むのが一つのスタイルだ(ただ、ここがアメリカ社会の複雑なところだが、黒人が白人をおちょくるのはOKだが、白人が黒人をおちょくるのは良しとされない。これは社会的強者の弱者に対する一種の「いじめ」になり、シャレにならないのだ)。

日本の人たちの「どうしてロックは処罰されないのか」という疑問はもっともだと思うが、ロックのジョークを処罰したら、今後スタンダップ・コメディそのものが成立しなくなる可能性はある。今回のジョークは悪趣味だったが、これまでの彼やその他のコメディアンたちのものよりも突出して悪質で許し難いものだった訳でもない。

ロックは2016年にアカデミー賞の司会を務めた際も、物議を醸した。この時はアジア系の子どもたちを会計士と称してステージに上げ、「アジア系は数学が得意」というステレオタイプをネタに笑いを取った。これに対しては、アジア系の俳優たちから抗議の声が起きたが、それでも彼は咎められることも出入り禁止になることもなく、今回もプレゼンターの1人として招かれた。

ただ、 人の外見をネタにするのはどこまで許されるのか?というのは、アンチ・ルッキズム(外見の美醜で人をジャッジすることを良くないとする考え方)や、ボディ・ポジティブ(ありのままの姿を受け入れようという考え方)の流れが勢いを増している今、タイムリーな問いだ。今後コメディアンたちも時代の流れや感覚の変化に敏感に対応することが求められてくるかもしれない。

なぜロックは賞賛されたのか

ロックの同業者であるコメディアンたちは今回一様に、ロック擁護の声を上げていた。事件直後、キャシー・グリフィンは、「私たちコメディアンは今後、コメディクラブや劇場で、次のウィル・スミスがどこから飛び出してくるか心配しなくてはならなくなった」とツイートしている。

ジョークで観客の誰か1人をムカつかせたら、自分も殴られるかもしれないという恐怖は、コメディアンたちにとってはリアルなものだろう。コメディクラブは大抵小さく、ステージと客席の距離が近い。コメディアンは1人で舞台に立つことが多い。今回、アカデミー賞の授賞式ですら誰もスミスの行動を止められなかったのだ。小さなコメディクラブであれば警備もゆるく、誰でも簡単にステージに上がって来られる。

平手打ちを受けた後、ロックは「テレビ史上最高の夜でしたね(that was the greatest night in the history of television)」と冗談めかして言い、賞のプレゼンター役をきちんと務めあげた。アカデミー側が「ロック氏には、あのステージでの体験に対して謝罪したい。あの瞬間、即座に持ち直していただき感謝いたします」というメッセージを出したことに対し、「なんで褒めるの」という疑問や反発を感じた人たちもいると思う。ただ、アカデミー側としては、ロックが落ち着いて、滞りなく式を進行させたことを評価したのだと思う。

ロックが3月30日からスタートしたボストンとニュージャージーでのツアーは、事件後からチケット申し込みが殺到し、料金が約10倍にまで高騰し(1枚46ドルだった一番安い席のチケットが411ドルにまで上がった)、完売した。30日のボストンの会場では、彼がステージに登場すると観客が総立ちになって拍手を送り、ロックが涙ぐんでいたと報じられた

ロックのジョークをひどいと思う人たちがいる一方で、彼を面白いと思い、熱烈に支持する人たちも一定数いる。「ハリウッド・レポーター」によると、今回の事件で、ウィル・スミスが出演する予定だった二つの映画は制作中断になったというが、この調子だとクリス・ロックの仕事が減ることはなさそうだ

妻の仇を暴力でとるという「有害な男性性」

me too

#MeToo運動が拡大した2017年以降、フェミニズムの考え方は社会に広く浸透した。

shutterstock/Sundry Photography

今回のアカデミー賞でウィル・スミスは、テニス選手ヴィーナス&セリーナ・ウィリアムス姉妹の父親であるリチャード・ウィリアムスを演じた映画『ドリームプラン』(原題:King Richard)で、初の最優秀主演男優賞を受賞した。過去に2002年、2007年の2回、候補にノミネートされたことはあったが、今回やっと勝ちとった念願の賞で、彼の俳優人生のハイライトになるはずだった。

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