「スモールビジネスを、世界の主役に。」をミッションに掲げるfreeeは、クラウド会計業界のトップシェアを誇る。
撮影:今村拓馬
いきなりですが、質問です。
2001年以降にマザーズに上場した企業は全部で412社と推定されますが(※1)、そのうち2022年2月末時点で時価総額が1000億円を超した企業は何社あるでしょうか?
2022年4月、経済産業省は「スタートアップの成長に向けたファイナンスに関するガイダンス」を発表しました。
この資料の中には、2001年以降に東証マザーズに上場し、2022年2月末時点で時価総額1000億円を超す銘柄一覧がリストアップされています(ちなみに、1000億円以上というのは未上場のスタートアップ企業ならユニコーン企業と呼ばれるようになる規模感です)。
そこに記載された企業数を数えると——答えは35社です。つまり412社中10%にも満たないのです。
具体的にどんな企業がランクインしているのかを見てみましょう。
ランキングトップのエムスリー(時価総額2.9兆円)から、MonotaRO(1.06兆円)、ZOZO(9744億円)……と続きますが、中でも注目したいのが15位のマネーフォワード、そして17位のfreee株式会社(以下freee)です。
(注)カッコ内の数字は創業年。
(出所)経済産業省「スタートアップの成長に向けたファイナンスに関するガイダンス」2022年4月。
マネーフォワードは家計簿やクラウド会計などFintechの分野で躍進目覚ましい企業であり、freeeはクラウド会計のシェアトップ企業です。
どちらも創業は2012年と比較的若い企業ながら、2月末時点の時価総額で比較すればDeNA、グリー、mixiなど、2000年代から2010年代初頭にかけて台頭したメガベンチャー企業をすでに超えているのです。
なかでもfreeeは、未上場で時価総額1000億円を超えるユニコーン企業として上場し、その後も成長を続けている企業です。いまは株式市況が悪いこともあり、時価総額は2345億円(2022年4月18日終値時点の株価と発行済株式数から算出)と最近やや下げていますが、2021年2月には一時6000億円を突破したほどです。
そこで今回はfreeeに注目し、その成長の源泉はどこにあるのかを会計とファイナンスの視点から考察し、未来のユニコーン企業発掘のヒントを2回にわたって探っていくことにしましょう。
時価総額は高いがまだ赤字
freeeは2012年7月に設立された新興企業で、クラウド会計を主軸にSaaS(Software as a Service)と呼ばれるビジネスモデルを展開しています。
「スモールビジネスを、世界の主役に。」をミッションに掲げていることからもお分かりのとおり、主なターゲットは中小企業や個人事業主。こうしたユーザーに対して、「誰もが自由に経営できる統合型経営プラットフォーム」を実現すべく、2013年3月にクラウド会計ソフト「freee会計」をリリースしたのを皮切りに、スマートフォン版のfreee会計、クラウド給与ソフト、会社設立ソフトなどサービス領域を広げながら成長を続けています。
(出所)freee「2022年6月期 第2四半期 決算説明資料」より。
先述のとおりfreeeの現在の時価総額は2345億円ですが、この規模の企業には他にハウス食品、森永、サンリオ、ベネッセなど有名どころも多々顔をそろえます。こうした伝統的な企業に混じって創業10年のfreeeが肩を並べていることからも、株式市場の期待値の高さがうかがえます。
実際、freeeの売上高は右肩上がりで伸びています(図表3)。が、利益はどうかというと創業以来ずっと赤字が続いており、いまだに黒字化していません。
(出所)freeeの有価証券報告書より筆者作成。
ではなぜ株式市場は、黒字化を達成できていないfreeeをそれほど高く評価しているのでしょうか?
理由の一つはもちろん、freeeが事業ドメインとするクラウド会計市場が今後もさらに伸びていくと見込まれるからでしょう。
中小規模の企業ではDX(デジタルトランスフォーメーション)が大きな課題になっていることからクラウド会計ソフトの導入余地は大きいですし、働き方が多様化するなかで独立・起業する人が増えればそこにもクラウド会計市場が拡大する可能性が広がっています。
しかしそれにとどまらず、freeeのビジネスモデルを分析していくと、株式市場が同社に期待を寄せる理由が浮かび上がってきます。
freeeの赤字構造を分解してみる
その理由を探るべく、まず手始めにfreeeの赤字の原因を把握していきましょう(図表4)。同社の損益計算書(P/L)のうち、どのコストにどのくらいかけているのかを見ることでP/Lの「質」が分かります。
(出所)freeeの有価証券報告書より筆者作成。
ご覧のように、費用の中で大きな割合を占めているのは広告宣伝費(売上高の25.5%)と研究開発費(同26.3%)です。この2つで売上の半分以上を占めますから、仮にこれらをもっと圧縮できれば黒字は達成できそうです。
また、freeeは以下の調整を施した調整版のP/Lも開示しています(※2)。
- 調整後Research and Development(R&D):研究開発にかかるエンジニアの人件費や関連する経費および共通費等の合計
- 調整後Sales and Marketing(S&M):販売促進にかかる広告宣伝費やセールス人員の人件費や関連する経費および共通費等の合計
- 調整後General and Administrative(G&A):コーポレート部門の人件費や関連する経費および共通費等の合計
(出所)freee「2022年6月期 第2四半期 決算説明資料」をもとに筆者作成。
ここでの大きな違いは、調整後S&Mは広告宣伝費に加えて、販売促進にかかる広告宣伝費やセールス人員の人件費なども加えていることです。これを見てみると、S&M(販促費)はなんと売上の6割近くにものぼります。この販促費を減らすことができれば、利益の獲得も容易になると予想されます。
ただ、こんな反論ももちろんあるでしょう。
「売上高を維持できているのはこれだけの広告宣伝費や販促費を使っているからこそ。広告宣伝費等をかけなくなればそのぶん売上も落ちるので、結局利益は出ないのでは?」
たしかに小売など一般的なビジネスなら、広告宣伝費を減らすと売上も減るということはあるでしょう。
しかし、freeeのようなSaaS系サブスクリプションのビジネスモデルはちょっと事情が違うのです。
B to B SaaS最大の強みは「ロックイン」
SaaSビジネスを理解するうえで重要なのが「ロックイン」という考え方です。
ロックインとは、世界的に有名なミクロ経済学者であり、グーグルの収益源となる広告モデルを設計したことで有名なハル・ヴァリアンと、同じく経済学者のカール・シャピロが1999年に著した『情報経済の鉄則』で詳述している考え方で、いわゆる「囲い込み戦略」のことです。
ロックイン効果は私たちの身近なところでもよく見かけるものですが、インターネットや情報サービスにおいてはことさら強力に機能します。例えば——
- パソコンはWindowsにするかMacにするか
- スマートフォンはAndroidスマホにするかiPhoneにするか
- 携帯電話のキャリアはどこにするか
私の場合、パソコンはMac、スマートフォンはiPhoneを10年以上使っていますが、この先WindowsやAndroidに乗り換える可能性は極めて低いでしょう。というのも、変更には「スイッチングコスト」が発生するためです。
MacのPCからWindowsのPCのへとデータを移す手間、使い慣れないOSの操作をゼロから学習することの煩わしさなど、AからBへと移管(スイッチング)することで発生する費用をスイッチングコストと言います。
情報サービスに関連するスイッチングコストの高さは、例えば「いつもは○王の洗剤だけど、売り切れているから今回はラ○オンの洗剤を使ってみるか」といった、気まぐれな意思決定の変更から来るスイッチングコストとは次元が違います。
freeeのような企業向けクラウド会計ソフトのスイッチングコストの高さは、私自身も経験したことがあります。私が支援する企業では以前、従来の買い切り型の会計ソフトからクラウド会計へ移行しましたが、そもそも会計ソフトを入れ替えるだけでも1〜3カ月は余裕でかかります。
加えて、会計ソフトを変えるということは、社内の経費精算、請求書の発行、労務管理、顧客対応のプロセスも全て変わることを意味します。多くの場合、会計事務所の変更を余儀なくされる場合もあるでしょう。
これほどスイッチングコストがかかるにもかかわらず従来型の会計ソフトからクラウド会計へ切り替える理由があるとすれば、それはひとえに劇的に便利になる、もしくは劇的に生産性が高まるからです。
これまでの会計ソフトの多くは、個々のPCにインストールするというものでした。しかしクラウド会計なら、インターネットでどのPCからもクラウドにアクセスできます。また、SaaSなので常にサービス内容が改善・アップデートされ続けるというメリットもあります。
それだけではありません。「ロックインされる」というと何やらネガティブな印象を持たれるかもしれませんが、むしろ積極的にロックインされたほうが、生産性が高まったりお得だったりといったメリットがあるのです。
ロックインを活用したほうが生産性は上がる
例えば買い物をしてポイントを貯めようと思ったら、いろいろなサービスに手を出すよりも、一社に集約したほうがお得ですよね。「買い物は楽天市場、クレジットカードは楽天カード、銀行は楽天銀行で、投資も楽天証券」というように、大きくロックインされに行ったほうがユーザーとしての利便性は高まります。
これと同じように、クラウド会計もひとたび使い始めたら、その一社のサービスを積極的に活用していったほうが組織全体の効率性や利便性は間違いなく高まります。
freeeがクラウド会計を主軸にして経費精算も勤怠管理も税務申告も……と数多くのサービスを提供しているのは、このためです。
(出所)freee「2022年6月期 第2四半期 決算説明資料」より。
freeeやこの連載で過去に取り上げたSlackやSansanなどのように、B to C(対個人顧客)だけでなくB to B(対企業)も扱っているSaaSを「B to B SaaS」と呼びます。
ロックインを強みに持つ(したがってスイッチングコストが非常に高い)B to B SaaSビジネスにおいては、顧客はそう簡単に他社にスイッチしません。そのため、広告宣伝費を多少減らしたとしても、すぐに売上が落ちることはないと予想されます。サブスクリプション型のビジネスの強みはここにあります。
そのため、営業利益ベースでは赤字であるfreeeも、広告宣伝費を除けば黒字を達成しているということは、P/Lとして最低限の健全性は保てていると判断できます。
広告宣伝費と研究開発費が決定的に重要なワケ
とはいえB to B SaaS系の企業には、「広告宣伝費を減らして黒字を確保し、着実に成長をする」という戦略をとりづらい事情があります。
B to B SaaSは、企業にとっては通常は大きな投資を伴うものを、クラウドを通じて安く継続的に使えるようにするというビジネス形態です。ということは、長期間にわたって使ってもらうことが何より重要になります。
ではどうすれば長く使ってもらえるかというと、サービス改善を繰り返して顧客満足度を高めること、これに尽きます。このことは、「カスタマーサクセス」とも呼ばれています。
クラウド会計業界のマーケットは毎年成長しているとはいえ、freee以外にも、マネーフォワード、弥生、TKCを筆頭に既存の大手会計ソフト提供者がひしめくレッドオーシャンの市場です。
そのためfreeeは、安易な黒字化に安住することなく、積極的に広告を打つことで成長を続ける必要があるのです。
加えて、先ほど見てきたように、会計システムはとりわけスイッチングコストが高い分野です。このことを裏返せば、企業もよほどのことがないかぎり長年使っている会計ソフトを変えたくないということです。
つまり、競合他社から顧客を奪おうとすれば、サービスを充実させて「これほど便利で生産性が上がるなら、うちも乗り換えよう」と思ってもらわなければいけません。ということは、それだけ多額の研究開発費が必要になるということです。
実際freeeは、会計に限らず、勤怠管理の労務や、電子契約の法務についてもサービスを提供し、「スモールビジネス向け統合型会計ソフト」としてのポジションを築いています。
(出所)freee「2022年6月期 第2四半期 決算説明資料」より。
このように、freeeを導入した企業は、会計だけではなく労務や法務も含めて一つの会計ソフトで経営を管理できるようになります(見方を変えれば、企業はそのぶんロックインされるということに他なりません)。
freeeが文字通り赤字を覚悟で積極的に広告宣伝費と研究開発費を投入しているのは、このような理由からです。
ここまでで、freeeは営業利益ベースではまだ赤字であり、その理由は多額の広告宣伝費と研究開発費にあることが分かりました。
つづく後編では、株式市場が利益の出ていないfreeeを高く評価する根拠を、さらに深掘りしていくことにしましょう。
※後編は明日公開予定です。
※1 日本取引所グループの「上場企業の推移」を元に推定。
※2 図表5で参照したfreeeの「2022年6月期 第2四半期 決算説明資料」に記載の調整後P/Lは、事業全体から、サイトビジットが提供する「資格スクエア」事業(2021年12月に売却)を除いたものです。なお、freeeは自社と連結会社4社をあわせて合計5社で構成されていますが、プラットフォーム事業を主な事業としており、他の事業セグメントは重要性が乏しいため、セグメント別の記載は、有価証券報告書においても省略されています。
(執筆協力・伊藤達也、連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
村上 茂久:株式会社ファインディールズ代表取締役、GOB Incubation Partners株式会社CFO。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。経済学研究科の大学院(修士課程)を修了後、金融機関でストラクチャードファイナンス業務を中心に、証券化、不動産投資、不良債権投資、プロジェクトファイナンス、ファンド投資業務等に従事する。2018年9月よりGOB Incubation Partners株式会社のCFOとして新規事業の開発及び起業の支援等を実施。加えて、複数のスタートアップ企業等の財務や法務等の支援も手掛ける。2021年1月に財務コンサルティング等を行う株式会社ファインディールズを創業。新著に『決算書ナゾトキトレーニング』(PHP研究所)がある。