社員の出生率が企業の「女性活躍」指標になる日がやって来る……?
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伊藤忠商事が同社の女性活躍推進施策の成果として、女性社員の合計特殊出生率を公表した。「会社を選ぶのに良い情報」「プレッシャーになる」など賛否両論が巻き起こる中、同社の担当者にその意図を聞いた。
出生率は女性活躍の重要指標
4月19日付で発表された伊藤忠商事の「女性活躍推進の進捗状況、及び今後の取組みについて」と題したプレスリリースによると、同社の女性社員の2021年度の合計特殊出生率は「1.97」。
これは2010年度以降進めてきた仕事と育児の両立支援策の結果であり、特に、夜8時から10時までの勤務を原則禁止して、朝7時50分以前に勤務を開始した場合に割増賃金を支給する「朝型勤務」体制を導入した2013年以降は上昇を続けてきたという。
伊藤忠商事は国の2020年の合計特殊出生率1.33(厚生労働省「人口動態統計」)を今回、同社が大きく上回ったことを例にあげ、「(女性社員の合計特殊出生率は)今後の当社の女性活躍推進においても重要指標である」と記していた。
会社がコントロールできない数値をなぜKPIに?
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これを受けてTwitterでは議論が巻き起こった。
「企業がこうした数値を出すのは珍しい気がするが、出産育児を会社が全力でフォローすることは素晴らしい」
「子どもを産みたい女性からすると、会社を選ぶにあたって良い情報」
といった賛成意見がある一方で、
「こういうの出さないで欲しい。産みたくても産めない人もいるだろうし、この数字がプレッシャーになる」
「子どもの選択はカップルがするものであって、なぜ会社がコントロールできない数値をKPIにする?」
「アピールしたいことは理解できるが、不妊治療してる身からすると迷惑な数値。自分が部署に1人しかいない適齢期の総合職既婚女性だったら、どんな思いをするだろう。男女別有給取得率及び取得期間、出産後の勤務継続率、子あり管理職の割合等の方が参考になるのではないか」
などの批判も多く見られた。
自治体も推進した「企業子宝率」とは
富山県の「企業子宝率」のホームページ。同数値はダイバーシティ・コンサルタントの渥美由喜氏の考案だ。
出典:富山県HP
社員の合計特殊出生率を「KPI」(成果指標)とするのは伊藤忠商事だけではない。
通常、合計特殊出生率は15~49歳までの女性の年齢別出生率を合計した値を意味するが、男性も含めた従業員が在職中に持つことが見込まれる子どもの数を「企業子宝率」と称し、子育てしやすい職場環境の指標として率先して用いてきた自治体もある。
福井県では2011年度から県内の企業らを対象に企業子宝率の調査を実施しており、富山県はその数値が高い企業を知事がたたえる表彰式も開催していた。
企業子宝率の調査を行ってきた富山大学・非常勤講師の斉藤正美さん(社会学)は言う。
「企業子宝率は自治体のみならず、当時の政府も白書や審議会の資料などで紹介して重宝していました。
しかし今回の伊藤忠商事もそうですが、社員の出生率を算出して『女性活躍』と結びつけるような調査を行うことは、子どもを持つことへの圧力になる懸念があります。子どもを持つかどうかは個人の選択ですし、望んでもできない人、また不妊治療中の人や性的少数者にとっては、会社が調査を行っていることだけでつらく思う人もいるかもしれません」(斉藤さん)
出生率の分母は49歳までの女性正社員
伊藤忠商事のダイバーシティの現状。
出典:伊藤忠商事HP
斉藤さんによると、企業子宝率を算出するためだけに社員に子どもの有無を聞き取っていた企業も少なくないという。
伊藤忠商事の場合はどうだったのか。人事総務部の担当者に話を聞いた。
そもそも伊藤忠商事が公表した合計特殊出生率は、同社の派遣社員を除く49歳までの女性正社員(総合職、事務職(いわゆる一般職))が母数になっている。正確な人数は非公表とのことだが、2021年の女性総合職比率は10%で、3435人中346人だ。
合計特殊出生率を算出するために新たにデータを収集したわけではなく、健康保険や駐在地での手当て、ベビーシッター・家事代行サービスの補助など、子どもの有無または人数によって福利厚生が異なるため、性別を問わず子どもが誕生した際には届出をする仕組みになっており、その情報を元に算出したという。
ちなみにこの届出は戸籍法が定めるような「出生届」ではなく、婚姻の有無、また養子などは問わないそうだ。
働き方改革の成果を数値化するための指標
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伊藤忠商事は2021年から上記の届出や女性正社員の人数を元に、過去に遡って合計特殊出生率を計算していた。公表したのは今回が初めてだ。
「働き方改革の成果を検証する際、風土の変化を数値化することが難しかったので、それを捉える数字の1つとしてデータを取ってきました。
出生率を上げること自体が目的ではなく、あくまで女性活躍の指標の1つだと認識しています。
組織としても社員の多様なライフスタイル、価値観を支援していますので、『出産しないと会社に貢献していない』と捉える人が出てこないよう、注意を払っています」(伊藤忠商事・人事総務部)
一方で、前出の斉藤さんは改めて警鐘を鳴らす。
「偶然の変動などさまざまな要因が複雑に絡み合う合計特殊出生率を、一企業の、しかも総合職の女性は約350人、比率にして10%の組織の『女性活躍』の指標として論ずるのは、問題があると思います。
出生率を用いずとも、女性の登用支援、働き方改革の推進や検証はできるはずです」(斉藤さん)
女性の管理職比率、男女の賃金格差、勤続年数など、企業の「女性活躍」やダイバーシティをはかる指標はさまざまだ。「企業出生率」はその1つとして適当か否か。今後も社会全体での議論が必要だろう。
(文・竹下郁子)