撮影:今村拓馬
企業が対応を急ぐDX(デジタルトランスフォーメーション)の流れに乗り、いま市場規模が拡大しているのが「クラウド会計」と呼ばれる分野です。
競合ひしめくこのレッドオーシャン市場にあって、シェアNo.1に位置するのがfreee株式会社(以下、freee)です。前回は、創業2012年とまだ若い同社が、時価総額ではすでにDeNAやGREEに匹敵する規模にまで株式市場で評価されていること、売上は伸ばしているものの創業以来いまだ黒字化していないことを見てきました。
freeeのようなSaaS系の企業を分析するとき、「利益が出ていないからダメ」と判断してしまってはビジネスの本質を見誤ります。言い換えれば、会計的視点以外のものさしも使って判断しているからこそ、株式市場はfreeeに2345億円(2022年4月18日終値時点の株価と発行済株式数から算出)もの時価総額をつけているのです。
では、どういった数値に注目すればよいのでしょうか?
SaaSビジネスで注視すべき3つの指標
サブスクリプションのビジネスで特に重要な指標は「ARR」「ARPU」「解約率(チャーンレート)」の3つです。そこで以降では、これらの観点からfreeeを詳しく分析していくことにしましょう。
ARR:高い成長を実現
「ARR(Annual Recurring Revenue)」とは年間経常収益のことです。多くの場合、直近のMRR(Monthly Recurring Revenue:月間経常収益)を12倍することで計算されます。
freeeはどうでしょうか。直近の決算である2022年6月期第2四半期で見ると、ARRは前年比38.9%増と、高い成長を維持できています(図表1)。
(出所)freee「2022年6月期 第2四半期 決算説明資料」より編集部作成。
ARPU:既存顧客の平均売上額は上昇傾向
2つめの指標である「ARPU(Average Revenue Per User)」とは、有料課金ユーザー1社あたりの平均売上金額を指します。
freeeの決算説明資料を確認すると、同社のARPUは前年同期比4.1%の伸びです。サービスを充実させることで既存顧客からさらなる収益を得られていることが分かりますね。加えて、有料課金ユーザーの数自体も前年比33.5%増えています(図表2)。
解約率:年々減少の理想形
3つめの指標、「解約率(チャーンレート)」はどうでしょうか。図表3をご覧ください。おそらくサービス改善の施策が功を奏しているのでしょう、freeeのチャーンレートは年々下がっています。
(出所)freee「2022年6月期 第2四半期 決算説明資料」より編集部作成。
このようにトータルで見ると、
- 新規顧客が増えていて、
- 既存顧客の平均単価も増えており、
- 解約率は下がっている
という、サブスクリプションとしてはまさに理想的な形で成長していることが分かります。
公開情報からCACとLTVを推計する
さて、ここまで見てきた3つの指標を使って、分析をもう一段進めていきましょう。
サブスクモデルについてはこの連載でもSlackやSansan、Spotifyなど過去に何社か取り上げてきました。これらの回をすでにお読みの方には復習になりますが、SaaS系のビジネスでは、次の式にあるような状態を維持してビジネスをすることが非常に重要です。
顧客獲得にかかる費用(CAC) < 顧客生涯価値(LTV)
つまりCACとLTVを比較し、LTVの方が上回っているかぎりは広告宣伝費をかけて顧客を獲得しにいってもよい、ということですね。
ここまでに登場した指標(SaaSメトリクスと言います)を整理すると、図表4のとおりです(※1)。
では、公開情報を元にfreeeのCACとLTVをそれぞれ計算してみましょう。
CAC:新規ユーザー1社獲得するのにいくらかかる?
まずはCACについてです。
2022年6月期第2四半期の3カ月間で、freeeは有料課金ユーザー企業数を31万3206社から32万7034社へと、1万3828社増やしています。
(出所)freee「2022年6月期 第2四半期 決算説明資料」より編集部作成。
これに対して、当該第2四半期にかかった販売促進費は18.04億円です。
(出所)freee「2022年6月期 第2四半期 決算説明資料」より編集部作成。
ここには解約した企業も含まれています。そこで、年の解約率1.3%を踏まえると、第1四半期におけるMAUと解約率から、解約者数は以下のように推定できます。
31万3206(MAU)×1.3%(解約率)×3(四半期分)=1万2215
以上より、第2四半期における新規獲得顧客数は以下のように推定されます。
32万7034(Q2のMAU)− 31万3206(Q1のMAU)+ 1万2215(解約社数)
=2万6043
増加分が2万6043社、販売促進費が18.04億円ですから、CACは次のように計算できます。
CAC=18.04億円÷2万6043社
=6万9270円
これが、freeeが新規で1社獲得するためにかかっている費用です。
先ほどの図表2で見たように、freeeの直近3カ月のARPUは3万9395円でした。これは年間の数字なので、月額に直すと3283円(3万9395円÷12)です。ただし、ここには原価がかかっていることから、ネットでのARPUを計算すると3283円×売上総利益率約80%=2611円となります。
ということは、CAC6万9270円を回収するには——
6万9270円÷2611円=約21カ月(約1.8年)
約1.8年かかることになります。
LTV:CACの2倍近い生涯価値を実現
続いてLTVはどうでしょうか。LTVは次の計算式より理論値を求めることができます。
LTV=ARPU÷解約率
例えば、ARPUが1万円で、解約率が10%とすると、LTVは10万円となります。
ただし、freeeは有価証券報告書でLTVを次のように定義しています。
LTV:Life Time Valueの略称。顧客から契約期間(Life Time)を通じてもたらされる価値であり、契約期間×MRR×売上総利益率
直近の月額ARPUは3283円、売上総利益率は約80%、直近12カ月の平均の月額の解約率は1.3%です。これを上記の式に当てはめると、
LTV=3283円(月額ARPU)× 80%(売上総利益率)÷ 1.3%(解約率)
=2611円÷1.3%
=20万834円
と計算されます。
先ほど計算したCACと比較すると、
CAC(6万9270円) < LTV(20万834円)
このように、LTVがCACを大きく上回っていることが分かりますね。
なお、このLTVをARPUの粗利3万1330円で割ると、
20万834円÷3万1330円
=約6.4年
となり、freeeのユーザーは約6.4年使い続けてくれていると推計できます。
B to B SaaSは概してスイッチングコストが高いうえ、freeeは会計だけでなく法務や労務のサービスも提供していることから、LTVは今後さらに高くなることが見込まれます。freeeのARPUと解約率が年々改善していることは、その何よりの証拠です。
なお、サブスクビジネスでは一般的に「LTVはCACの3倍が目安」と言われています。freeeのLTVはCACの2.9倍なので、ほぼ理想的な数字の範囲でユーザーを獲得していることになります。
クラウド会計市場はいまや競争が激しくなっていることから、ライバルとの顧客獲得競争に勝つためそれなりの販売促進費をかける必要があること、そもそも会計ソフトのスイッチングコストが高く新規ユーザー獲得が難しいことなど、freeeを取り巻く環境は決して優しいものではありません。
そんな状況の中でもfreeeは継続的にARPUを高め、解約率を下げることで経済性を改善しているため、同社のユーザーは想定の6.4年より長く使うことになることも予想されます。
なお、ここまでの分析で用いたSaaSメトリクスの関係性は図表7のとおりです。SaaSビジネスを分析する際には必ずと言っていいほどよく使う指標なので、覚えておくと便利です。
サブスクは積み上がっているが今期も赤字見込み
freeeは、売上高の成長率は30%超えと高いポテンシャルを示していますし、ARR、顧客数、ARPU、解約率といったサブスクリプションの指標(SaaSメトリクスとも言います)はいずれの推移もとても良好な状態ですから、SaaSのビジネスとしてはうまくいっているといえます。
しかし、会計上ではまだ赤字が続く予想です。2022年6月期は、売上高は前期比36.2%増の約140億円を見込んでいるものの、調整後営業利益(※2)はマイナス24.6億円の予想です(図表8)。
(注)営業利益はすべて調整後利益。
(出所)freee「2022年6月期 第2四半期 決算説明資料」より編集部作成。
これだけ赤字が続くと、企業としての持続可能性はどうなのか、そのうち資金が尽きてしまうのではと心配になる方も多いのではないでしょうか。
そこで、同社のキャッシュフロー(CF)の推移を確認してみましょう(図表9)。
(出所))freee 有価証券報告書より筆者作成。
ご覧のように、freeeの営業CFと投資CFは過去4期にわたりマイナスです。つまり、本業からキャッシュは生まれていないうえに、投資を行っているのでキャッシュが出ていっているということです。
営業CFと投資CFの合計したものを「フリーキャッシュフロー(FCF)」と言い、FCFがプラスならそれだけ自由に使えるキャッシュがあることを意味しますが、freeeは当然、FCFもマイナスです。
ではこのマイナス分をどうしているのかというと、図表9からもお察しのとおり、freeeは財務CFでせっせと補っているのです。
ここで注目したいのが財務CFの「中身」です。
直近の本決算である2021年6月期では、財務CFはプラス354億円となっています。この財務CFのほぼ100%を、freeeは株式発行により賄っています。
資金調達というと、特に大企業などでは銀行からの借入を活用することが多いものですが、freeeは総資産553億円のうち、わずか2.9億円しか銀行借入がありません。なぜだと思いますか?
意外に高い株式調達コスト
おそらくfreeeは、銀行借入をしたくても、こうも赤字続きでは借りにくいのでしょう。
この連載の第27回と第28回では、ドラマ『半沢直樹』を題材に銀行の貸出のしくみについて解説しました。その際にもお話ししたとおり、融資を受けるには銀行の審査をパスする必要があります。freeeのように創業以来赤字が続いている状況では、さすがに銀行も多額の融資をするのは難しく、がんばって出せたとしても売上の数カ月分程度の運転資金くらいのものでしょう(※3)。
「銀行から借りられなくても、株式市場から調達できるならそれでいいのでは?」と思われた方もいるかもしれません。株式市場からの調達なら、銀行借入と違って金利を払う必要もないのでむしろお得なのでは、と。
この疑問については、本連載第61回で取り上げたアップルの事例がヒントになります。詳しい説明は第61回に譲りますが、「資本コスト」という点では、銀行借入よりも株式での調達のほうが圧倒的に高いのです。銀行借入なら金利は借入額の1〜3%程度で済みますが、株式での調達となると、投資家からはそれこそ1桁後半から10%以上のリターンを求められるからです。
このように、株式市場からの調達というのは企業にとって負担の大きい手段です。また、株式を新しく発行したぶんだけ株式の希薄化も起こりますから、今後株価が伸びて時価総額が増えないかぎり、既存の投資家は損をすることになってしまいます。
とはいえ、株式市場から調達することのメリットもあります。一番大きいのは、企業の安全性指標である「自己資本比率」が高くなることです(※4)。図表10をご覧ください。freeeの自己資本比率は年を追うごとに高まっており、直近では80%を超えています。
(出所)freee 有価証券報告書より筆者作成。
それだけではありません。2021年度のFCFはマイナス34億円ですが、同期のキャッシュ残高は471億円と潤沢にあります。そのほとんどが株式からの調達分です(※5)。
このように、freeeはたとえ今後しばらく赤字を出したまま成長したとしても、向こう数年はキャッシュに困ることはないでしょう。
「5年後にユニコーン100社」
前回から2回にわたって取り上げてきたfreeeは、時価総額1000億円超えのユニコーンとして上場し、その後も成長を続けています。今は株式市況の悪化もあって時価総額が下がっているとはいえ、一時は6000億円を超えたほどです。
一方、会計的視点で見てみると、freeeは売上高では毎期高い成長率を実現しているものの、利益は創業以来赤字が続いており、2022年6月期も赤字の見込みです。赤字というだけでなく、営業CFも依然マイナスです。
にもかかわらずfreeeが株式市場で評価されている理由は、B to B SaaSというビジネスモデルやSaaSメトリクスという視点から見れば、freeeには今後の成長が引き続き期待できるからです。
このfreeeの事例から言えるのは、新しい取り組みが社会に「実装」されるには時間とお金がかかるということです。
ビジネスモデルにもよりますが、とりわけユニコーン企業と呼ばれる規模にまで大きく成長するためには、想像以上に多額の資金が必要になるのです。
日本経済団体連合会(経団連)は、2022年3月に「スタートアップ躍進ビジョン」を発表しました。そこには5年後の目標として、ユニコーンの企業数を10倍の約100社にすることが言及されています(図表11)。
(出所)日本経済団体連合会「スタートアップ躍進ビジョン」より。
実は、日本は他国と比較してもユニコーンの数が少ないのが現状です。全世界には約900社のユニコーンが存在しており、その過半はアメリカ(470社)、次いで中国(169社)、インド(48社)、ドイツ(22社)と続きます。日本は現在5社程度にすぎません(※6)。
経団連が目標とする「5年後にユニコーン100社」を実現するにはどうすればよいのでしょうか?
日本では、大企業における新規事業の多くは3〜5年での黒字化が求められます。実際にこのくらいの期間で黒字化した事業も多くあることから「3〜5年」が一つの目安になっているのでしょう。
確かに期間を区切って黒字化を目指すことは大切ですが、利益を出すことと、企業が成長すること(つまり企業価値を高めること)は必ずしもイコールではなく、場合によってはトレードオフにすらなります。
利益を確保することに固執するあまり、新規顧客の獲得や研究開発への投資を抑えるとどうなるでしょうか。その間にライバル企業がシェアを広げ、中長期的には大きく水を開けられて取り返しのつかない事態を招きかねません。そのため、投資を抑えて利益を出すことは、成長著しいスタートアップ企業にとってはリスクでもあるのです。
freeeが創業以来ずっと赤字ながらもユニコーンとして上場し、その後も成長し続けられている要因の一つは、同社が長期的に成長すると信じて資金を提供してくれている投資家が多数いるからです。
「5年後にユニコーン100社」を実現するためには、戦後日本の成長を支えてきた銀行による間接金融に加えて、投資家による直接金融を含めたスタートアップエコシステムの拡充が今まで以上に重要になります。
ここで言う投資家とはベンチャーキャピタルにとどまりません。事業会社や個人投資家も、資金提供者という意味ではこれまで以上に大きな役割を果たすことになるでしょう。
今回のfreeeの事例は、新しいビジネスが成長していく過程を会計とファイナンスの両輪から理解するうえで示唆に富むものです。同社の成功に刺激を受けたスタートアップたちが、新たなユニコーンとして数多く成長していくる未来に期待したいですね。
※1 図表4には含めていませんが、これまでで見てきたように、前年比の成長率もSaaSメトリクスとして非常に重要な指標です。なお、成長率は、Y on Y(Year on Year)として表現されることが多いです。
※2 調整後営業利益=営業利益+株式報酬費用+M&Aにより生じた無形資産の償却費用+その他一時費用。
※3 freeeファイナンス統括の原昌大氏が書かれた「freeeが海外公募増資に至るまでの思考過程」によれば、Convertible Bond(新株予約権付社債)での調達も検討されていたようですが、社債での調達は以下の3つの観点から見送られ、増資という選択肢を選んでいるようです。
・日本においては、米国等と異なり、仮に債務超過となった場合のペナルティが大きすぎる
・そのリスクを株式投資家をはじめとするステークホルダーに負担させることはできない
・日本の上場企業である限りにおいて、今のフェーズにおいて積極的にM&Aを行うためには純資産充実の必要性が高い※4 自己資本比率とは、総資本(負債+純資産)における自己資本(返済の必要がない資本)の比率を表します。
※5 FCFに比して、増資での調達額が非常に多いですが、その理由は以下のリリースにも書かれている通り、新サービスの機能強化やM&A等も視野に入れているためです。freee「海外募集による新株式発行及び株式の海外売出しに関するお知らせ」2021年3月22日。
※6 「ユニコーンとは 未上場の成長企業、世界に900社」日本経済新聞、2021年12月3日。
(執筆協力・伊藤達也、連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
村上 茂久:株式会社ファインディールズ代表取締役、GOB Incubation Partners株式会社CFO。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。経済学研究科の大学院(修士課程)を修了後、金融機関でストラクチャードファイナンス業務を中心に、証券化、不動産投資、不良債権投資、プロジェクトファイナンス、ファンド投資業務等に従事する。2018年9月よりGOB Incubation Partners株式会社のCFOとして新規事業の開発及び起業の支援等を実施。加えて、複数のスタートアップ企業等の財務や法務等の支援も手掛ける。2021年1月に財務コンサルティング等を行う株式会社ファインディールズを創業。新著に『決算書ナゾトキトレーニング』(PHP研究所)がある。