「強化学習のゴッドファーザー」とも呼ばれる、AI研究の重鎮、リチャード・サットン氏(タップすると2月公開のAIセミナー動画に遷移します)。
Amii Intelligenceの「AI Seminar: Feb 11, 2022 - Rich Sutton」より
こんにちは。パロアルトインサイトCEO・AIビジネスデザイナーの石角友愛です。
みなさんは、AGIという言葉を聞いたことがあるでしょうか。
スタンフォード大学で機械学習を教えていたアンドリュー・ング(Andrew Ng)教授によると、AIの種別には、特定の目的のための「特化型人工知能」(Narrow AI=ANI、狭いAIと呼ばれることもある)と、人間と同等の能力を持つ「汎用人工知能」(Artificial General Intelligence=AGI)があります。
AGIは汎用人工知能と呼ばれるもので、イメージとしては漫画「ドラえもん」のように話せば何でも理解して、答えを出してくれたり、仕事を肩代わりできる人工知能を指す。まだ現実的なものとして実用化された例はない。
画像作成:パロアルトインサイト
AGI(汎用人工知能)は人間のような認知能力を持ち、過去の経験や知識を元に環境の変化に適応することができると考えられています。さらに、想像力、表現力、予測力、計画力なども持ち合わせることができると言われています。
しかし、AGIの研究開発はANI(特化型人工知能)と比べると遅れており、現在、ビジネスの現場で活用されているほとんどのAIがANIです。ANIは、局所的なタスクや作業を学び、極めてうまくこなすため、予測や処理などをするツールとして、需要予測モデルなどの形で使われています。
例えば、コンサルティングファームのガートナーが2021年に発表したAIハイプサイクルを見ると、AGIはまだ黎明期にあり、技術が成熟するのに10年以上かかるであろうと予想しています。AGIの実現は遠い未来の話であるとされていることがわかります。
ガートナーが2021年に発表したAIハイプサイクルの図。
出典:Gartner「The 4 Trends That Prevail on the Gartner Hype Cycle for AI, 2021」
今までのアメリカのIT業界では、AIといえばANIを指して話すことが多かったのですが、最近ではAGIの話をする人が徐々に増えています。
そのきっかけをつくったのが、グーグル傘下のAI会社DeepMindが2021年5月に発表したポジションペーパー「Reward is Enough(報酬で十分)」です。この論文の中で、近い将来にAGIが身近になる可能性をDeepMindが提唱しているのです。
ポジションペーパーとは、学術論文とは違い、「数学的な証明や実験に基づく仮説の証明がなく、文章だけで仮説を提示する論文」のことです。
この論文の執筆者は、AI研究の重鎮であり「強化学習のゴッドファーザー」として知られるリチャード・サットン氏と、サットン氏の元教え子であり、AlphaGo開発の中心人物であるデイビッド・シルバー氏です。
このセンセーショナルな論文は、AI研究者の間で大きな論争を巻き起こし、AGIを語るきっかけをつくりました。論文発表から約1年経った今、ビジネスにおける影響を考察したいと思います。
汎用人工知能を作るには「報酬」設計だけで十分?
Shutterstock
このポジションペーパーの中で、DeepMind社はAGIを実現するためには「(AIに)報酬を与えるだけで十分である」と仮説を立てています。
報酬とは、強化学習の中心概念であり、報酬を最大化することで、AIは様々な知識を習得できるようになります(報酬とは「アメと鞭」のアメのことを指します。特定の行動を取るとアメがもらえるとわかれば、同じ行動を繰り返すようになり行動が強化されていくことを、心理学では強化学習と呼び、AIの強化学習の基本コンセプトになっています)。
例えば、論文の中にキッチンAIロボットの例が登場します。通常は、キッチンロボットが台所の清潔さを最大化するためには、以下のような細かいスキルが必要とされると考えられます。
- 知覚(清潔な食器と汚れた食器を区別するスキル)
- 知識(食器を理解するスキル)
- 運動制御(食器を操作するスキル)
- 記憶(食器の位置を思い出すスキル)
- 言語(対話から将来台所が汚れる可能性のある状況を予測するスキル)
- 社会知能(幼児が台所で暴れるような混乱を減らすよう促すスキル)
この時、キッチンロボットに対して、「台所を清潔に保つ」という最終目標に対してのみ報酬を与えれば、上記のような細分化された個々の能力が、報酬の最大化という唯一の目標に対する解として理解されるため、なぜそのような能力が必要なのかかえって深い理解を与える可能性があると著者は提唱しています。
一方、個々の細分化された能力ごとに学習させると、「台所を清潔に保つ」という全体像として見た時に「なぜ」個別の能力が大事なのか、という問いが脇に追いやられると著者は述べています。
それぞれの細分化された目標のためにではなく、1つの目標のために個々の能力を実装することで、結果的に「どのように能力を統合するかという問題にも答えることになる」ということです。
このように、細かい条件設定なしに、最終ゴールのみを設定して報酬を与えることでAGIがつくれるという仮説なので、「Reward is Enough(報酬で十分)」というわけです。
論文の冒頭で著者は、
「報酬を最大化するために試行錯誤の経験を通じて学習するエージェントは、これらの能力の全てではないにしても、そのほとんどを示す行動を学習することができ、したがって、強力な強化学習エージェントがAGIの解決策を構成することができることを示唆するものである。」(ポジションペーパーより)
と述べていることから、最終ゴールの報酬を最大化させるアプローチこそがAGI実現の可能性を高めるというという仮説であることが分かります。
メタ社AI研究所の重鎮、ルカン氏は「不十分だ」と異論
勿論、この論文には多くのAI研究者が異論を唱えました。
例えば、異論を唱えた一人は、ニューヨーク大学教授でMeta(元Facebook)の人工知能研究所チーフサイエンティストのヤン・ルカン氏。
彼は2018年にコンピューター科学におけるノーベル賞とも言われるチューリング賞を受賞した人物ですが、自身のTwitterで “Reward is *clearly* not enough. (報酬が十分ではないのは明らかだ)” と反論し、「世の中にはさまざまな課題があり、それぞれの課題を解決するには、異なる知能(インテリジェンス)が必要である」と述べています。
論文が出てから1年が経った今、ビジネスの現場としてこの流れをどう受け止めるべきなのでしょうか。キーワードは、「統合」にあると私は考えています。
これまでAIの開発現場では、画像認識、自然言語処理、音声認識など、各分野の専門家がその分野に特化した研究を進め、それに合わせた形でさまざまなアプリケーションが開発されてきました。しかし最近では、分野を越えた技術の統合(Consolidation)が進んでいます。
そして、このような複数の異なる技術を統合させたソリューションのことを、「マルチモーダル」なソリューションと呼びます。「モーダル」は入力情報の種類のことで、マルチモーダル(Multi-Modal)とは、「複数種類の入力情報を利用する」という意味です。
従来のAIは「画像のみ」「文字のみ」など、扱える情報の種類が1つに限られているものが一般的でした(シングルモーダルといいます)。
一方、マルチモーダルAIは、人間が目や耳などの五感を使ってさまざまな情報を集めるのと同じように、画像や文字、音声、映像などの複数の情報を同時に扱います。
「複数の情報を統合して処理すれば、より人間に近い判断が可能になるのではないか」というのが、マルチモーダルの1つの考え方と言えます。(注:「Reward is Enough」ではマルチモーダルという単語自体は出てきていません)
実際、マルチモーダルは応用研究が進んでおり、例えば、テキスト、音声、画像などの情報を組み合わせたマルチモーダルAIとして、次世代カーナビの研究なども進められています。三菱電機が2021年に発表した論文では、カメラ、LiDAR、マイクなどのマルチモーダルセンシングな情報を束ねて1つのカーナビソリューションを提案しています。
また、テスラで人工知能と自動運転のディレクターを務めるアンドレ・カーパシー氏(Andrej Karpathy)は、自身のTwitterで以下のようにAI研究における技術の統合に言及しています。が、この発言は現在AI分野が転換期にあることを示唆しているようにも取れるものです。
「現在進行形で進んでいるAI分野の統合には目を見張るものがある。10年ほど前は、画像・音声・言語・強化学習において、他の分野の論文を読むことはほぼ不可能だった。アプローチが全く異なっていたからだ。」
「汎用人工知能」がビジネスに与える影響
この論文が提唱する内容と現在起きている技術統合の動きは、今後AI活用やDX推進を考える企業のビジネスの現場にどのような影響を与えるのでしょうか。
まず考えられるのが、AIの導入方式がボトムアップからトップダウンに変わる可能性です。従来のAI導入はボトムアップ型で、まず局所的なモデル開発をし、部分最適化を進める過程の先に、全体最適がありました。
一方、最初から最終的なゴール設定をし、全体最適を目指すAI導入がトップダウン型です。適切なゴール設定が重要であるトップダウン型のAI開発やAI導入では、経営陣の意向や判断、正しい期待値がより大事になります。
冒頭で紹介したアンドリュー・ング教授も「モデル中心主義からデータ中心主義へ移行すべきだ」と述べています。
今後は、単体のモデルの良し悪しで競合優位性が決まる時代から、企業独自が持ちうる資産であるデータをいかにきれいに整理し、活用できる体制を整え、トップダウンで判断ができるかが大事になってくるとも言えるでしょう。
さらに、マルチモーダルなフレームワークや手法をグーグルやメタなどの大手が今後積極的に発表する可能性も考えられます。実際に、一例としてメタはマルチモーダル型フレームワークに関する論文を2022年4月に発表しており、また、グーグルは検索体験を向上するためマルチモーダルAIを活用するという報道もあります。
そうなった時に、ユーザーである私たちに求められるのは「AIをどのように使いこなすべきか」を正しく理解し、現場の課題に合わせる形で導入、精査、改善をして、課題解決を実現するための設計能力とも言えます。
選択肢が増えることは好ましい傾向ですが、今後は、現場の課題を正しく抽出し、色々な選択肢から適切な解決策や対応策を選び、現場に合う形に設計し、つくり込む力がより求められるようになると考えられます。
(文・石角友愛)
石角友愛:2010年にハーバードビジネススクールでMBAを取得したのち、グーグル本社で多数のAI関連プロジェクトをシニアストラテジストとしてリード。その後HRテック・流通系AIベンチャーを経て、パロアルトインサイトをシリコンバレーで起業。順天堂大学大学院医学研究科データサイエンス学科客員教授(AI企業戦略)及び東京大学工学部アドバイザリー・ボードを務めるなど幅広く活動している。著書に『いまこそ知りたいDX戦略』、『いまこそ知りたいAIビジネス』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『経験ゼロから始めるAI時代の新キャリアデザイン』(KADOKAWA)、『才能の見つけ方 天才の育て方』(文藝春秋)などがある。