テック業界にコストカットと人員削減の波が押し寄せつつある。
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たった数カ月で状況は一変するものだ。
2022年1月のこと。話題のB2B金融サービスのスタートアップであるメインストリート(MainStreet)は、全社員をマウイ島に派遣し、華やかなハワイアンリゾートで1週間のワーキングバケーションを満喫した。
2021年のシリーズA資金調達ラウンドでは6000万ドル(約78億円、1ドル=130円換算)を調達し、今後数カ月以内に同様の規模のシリーズBの準備を進めていると、同社幹部は社員に語っていた。
そのわずか1カ月後。ロシアがウクライナ侵攻を開始したことで世界経済の混乱が深刻化すると、ハイテク産業の経済的安定性に対する悲観論が高まった。MainStreetのシリーズBラウンドは想定していた規模よりかなり小さいものとなり、同社は先ごろ全社員数の約3分の1にあたる約50人の人員削減に踏み切った。
コロナ禍の間、アメリカのテクノロジー業界は数十年来の強気相場が続き、異様な好景気に沸いた。アマゾンやアップルといった巨大企業の時価総額は記録的な水準にまで急騰し、資本力のあるベンチャーキャピタル(VC)や“次なるAirbnb”を探すヘッジファンドは未上場企業に巨額の資金を注入してきた。
しかし今や、金利は上昇し、サプライチェーンは混乱し、インフレが進行しつつある。良き時代は突如として終わりを告げ、一世代で一度あるかないかのダウンサイクルに突入しつつある——これがハイテク業界関係者の間に広がる認識だ。
投資家や業界関係者の中には、上場している大手ハイテク企業から無名のスタートアップまで、あらゆる企業で深刻なレイオフが起こる可能性があると警告する人もいる。
クラフト・ベンチャーズ(Craft Ventures)の共同創業者兼パートナーのデビッド・サックス(David Sacks)は「2008〜2009年の世界金融危機、2000年のドットコム・バブル崩壊に続き、過去20年でワースト3に入る景気後退になるだろう」と身構える。
株式市場は既に痛手を負っている
テック業界の潮目の変化にはジェフ・ベゾスも警鐘を鳴らしている。
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大手企業の中には、すでにコスト削減や雇用の抑制を進めているところもある。
Facebookを運営するメタは5月初め、エンジニアの大規模な採用凍結を社員に通知した。同社CFOのデイブ・ウェーナー(Dave Wehner)は、採用目標の削減が「社内のほぼすべてのチームに影響する」と警告している。4月末には、アマゾンのブライアン・オルサフスキー(Brian Olsavsky)CFOが記者陣に対し、「人員不足から人員過剰へと急速に転換した」と発言している。何年も需要を満たすためにひたすら採用を続けてきた同社にとっては異例の方針転換だ。
この市場の変化についてはアマゾンの創業者ジェフ・ベゾスも警鐘を鳴らしており、4月30日には次のようにツイートしている。
「ほとんどの人は、この暴騰の重大さを劇的に過小評価している。こういうことは止めようがない……そうでなくなるまでは。マーケットが教えてくれる。その教訓は痛みを伴うこともある」
テック業界にとっては唐突な潮目の変化だ。Zoom、Okta、Block、Twilioなど躍進著しいテック企業は、2019年から2021年にかけて従業員数が2倍以上になり、株価も同様に2020年初頭から2021年11月にかけて2倍になった。しかしその後、各社の株価はほぼ半減している。
ネットフリックス(Netflix)も2019年から2021年にかけて株価を倍増させたが、昨年11月から70%の下落を経験。新たに立ち上げた公式ガイドサイト「Tudum」も含め、チーム全体を削減し始めた。2021年7月に上場した“フィンテックの寵児”Robinhoodは、4月下旬に従業員の9%にあたる約300人を解雇するなど、より踏み込んだ削減策を講じている。
市場関係者の中には、現在進行中の売りは、パンデミックによる熱狂からより合理的なバリュエーションに戻す動きと捉える向きもある。調査会社エベレスト・グループ(Everest Group)の技術部門パートナーであるニティシュ・ミタル(Nitish Mittal)は次のように評する。
「あれほどの過大評価とピーク利用は持続可能とは言えませんから、調整が入ったということです。バリュエーションの多くは、人々が家にいて、各社のサービスを長時間使うという前提でのものですから。しかし経済が再開するにつれて、持続可能ではなくなったわけです」
パンデミック以前から、高いバリュエーションと資金力にモノを言わせた企業がエンジニアなどの技術職を積極的に採用していたため、この分野の賃金は大幅なインフレ状態にあった。ハイテク投資ファンドのセルカウス・キャピタル・マネジメント(Selcouth Capital Management)のマネージングディレクター、キース・ホワン(Keith Hwang)は、こうした一部の高給エンジニアが人員削減のリスクに晒されているのではないかと見ている。
「エンジニアの人余りが起きているのでは、というのが現在の認識です。1980年代は誰もが銀行業界を志望していました。学部卒でも10万ドル稼げましたからね。でもその後銀行業界がどうなったかはご存知の通りで、見る陰もありません。それと同じようなことが今、ソフトウェアの世界で起きている。誰も彼もが、母親ですらプログラマーになりたがっている状態です」
VCの資金をあてにするスタートアップには不利な時代
未上場企業の間でも、市場の過熱を感じているのは冒頭のMainStreetだけではない。多額の資本を要するスタートアップも同じだ。
有名人からメッセージをもらえる動画アプリのCameoは最近、従業員の約4分の1にあたる87人を解雇した。また、アマゾンに出店する事業者の中から注目のブランドを買収することで成長し、30億ドル(約3900億円)以上を調達したThrasioは従業員の約5分の1を削減した。スタートアップ支援を生業とするOn Deckも、スタッフの25%にあたる約72人の解雇に踏み切った。
これらの背景には、未上場企業が資金調達できるマネーが縮小しているという事情がある、と業界関係者は話す。投資が完全に引き揚げられたわけではないが(匿名で取材に応じたVCの中には、案件のクロージングに積極的に取り組んでいると話す者も複数いた)、年初にはなかった警戒感がある。
Crunchbaseが最近発表したレポートによると、2022年4月にVCがスタートアップに投資した額は470億ドル(約6兆1100億円)と、過去12カ月で最低の水準となった。
スタートアップは操業を続けるうえでもはや多額の資金調達をあてにはできず、支出を見直し、手持ちの資金をもっと長くもたせる方法を考えなければならない。その方法とは大規模な人員削減かもしれないし、事業活動の停止かもしれない。
今年4月、ワンクリック決済のスタートアップFastは投資家に対し、スタッフの半分以上を削減し、買収先を探す予定であることを明らかにした。同社が完全に業務を停止したのはその数日後のことだ。VCから1億2000万ドル(約156億円)を調達し、バリュエーションは110億ドル(約1兆4300億円)にのぼる実力を持つFastですらこの状況だ。
FastのCEOドム・ホランド(Dom Holland)は拙速に採用を進めたことを認めたが、内部関係者によると、同社はマーケティングや役員向けの豪華な保養所などに過剰な支出をしていたという。
すでに未上場のスタートアップでは、さらなるレイオフが計画されているとの噂が流れている。音楽投資プラットフォームのRoyalの共同創業者であるJDロス(JD Ross)は、こうツイートしている。
「向こう6~8週間は大混乱になるだろう。社員全体の20〜40%のレイオフを準備している会社が山ほどあるという噂を聞いている」
ファウンダーズ・ファンド(Founders Fund)のプリンシパルであるデリアン・アスパロウホフ(Delian Asparouhov)も、「時代の趨勢として、今は新しい資金調達の話よりレイオフの話を耳にするほうが多い」とつぶやいている。
ペイパル創業者の一人、デビッド・サックス。
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ペイパル(PayPal)の創業者であり、スタートアップYammerを共同創業して2012年にマイクロソフトに売却した経験も持つ前出のデビッド・サックスは、次のように語る。
「株式市場では成長株に厳しい調整が入っているため、公開市場に近い投資家ほど弱気になっています。一番落ち込みが深刻なのは、ヘッジファンドなどのクロスオーバー投資家ですね。彼らは実際に公開市場にいて、毎日値崩れを経験していますから。
ベンチャー投資家に話を聞くと、成長段階の企業に投資する投資家が一番ナーバスになっていて、アーリーステージの投資家はそこそこ、シード段階の投資家が最も影響が少ないでしょうね。公開市場の調整は年初からプライベート市場にも波及しています」
スタートアップ企業の資金調達環境では、サックスの予測はすでに現実化しつつある。Crunchbaseによると、2022年4月のシード段階のスタートアップの資金調達額は30億ドル(約3900億円)で、前年比14%増となった。しかし、レイターステージのスタートアップへの投資額は前年同期比19%減となっている。
サックスのようなベテラン投資家や起業家が、ここ数日、Twitter上で知恵を絞っている。ベンチマーク・キャピタル(Benchmark Capital)の投資家ビル・ガーリー(Bill Gurley)はこうつぶやいている。
「バリュエーションに対するあらゆる起業家やテック系投資家の視点は、13年間に及ぶ驚異的な強気相場の後半に築き上げられてきたものだ。『学び直し』のプロセスは、多くの人にとって苦痛であり、驚きであり、不安なものになりうる」
「我々は崖っぷちに立たされている」
投資家の中にはすでに、2000年や2007年の暴落との類似性を指摘している者もいる。2008年の金融危機のさなか、投資大手のセコイア・キャピタル(Sequoia Capital)は、創業者たちにコスト削減と、「1ドルを毎回、最後の1ドルだと思って使う」よう注意を促した。同社は2000年のITバブル崩壊の際にも、同じようなメッセージをスタートアップに向けて発信している。
「これはまさにドットコム・バブルがはじけて起こったことで、基本的に市中に資金がなかったため、どこのスタートアップも資金調達ができなかった。すべてが干上がってしまっていたんです」と前出のホワンは言う。
「深刻な崩壊が起こりました。レイオフから始まって、それが経済に連鎖して……私たちは今まさに、その崖っぷちに立たされているような気がするんです」
一方で、過度な警戒を戒める者もいる。
シノバス・トラスト・カンパニー(Synovus Trust Company)のシニア・ポートフォリオ・マネジャー、ダン・モーガン(Dan Morgan)は、「過去2、3年は大量に人員を増強しましたが、大手テック企業が少し一息ついているのは健全な流れです」と語る。「もしシリコンバレーの大手テック企業が2001〜2002年頃にあったような大規模なレイオフを発表し始めたら心配ですが、今はそういう状況には至っていません」
この業績悪化を奇貨として、今後新たなイノベーションが生まれることを期待する声もある。VCのインタープレイ(Interplay)のマネージングパートナーであるマーク・ピーター・デイビス(Mark Peter Davis)は、成熟した企業の従業員がバリュエーションの低下によってストックオプションを失ったり、解雇されたりすると、独立起業する人が「大幅に増える」と予想している。
「今後1年で、素晴らしい企業が数多く登場する可能性があります」とデイビスは言い、レイオフは個人にとっては本当に辛いことだが、「素晴らしい数々の才能を木から振り落とす」ことによって、スキルを持った社員が自ら起業する機会を生み出すことになると続ける。そしてこう付け加えた。
「今回の市場縮小は、ひとつの光明になるかもしれません。この状況から、中長期にわたって本当の意味で楽観視できる状況が生まれることもありえますから」
(編集・常盤亜由子)