イラスト:iziz
シマオ:皆さん、こんにちは! 「佐藤優のお悩み哲学相談」のお時間がやってまいりました。今日は医師の方から頂いたお悩みについて、佐藤優さんに答えていただきます。さっそくお便りを読んでいきましょう。
大学卒業後7年目の勤務医です。世間では働き方改革が進んでいますが、医師、特に勤務医の世界では長時間労働が常態化しています。36時間連続で勤務することさえあり、医師の判断ミスやバーンアウトによるリスクを高めるため、患者にとってもよくありません。
若手の間では、インターネットやSNSで情報を得やすいためか、プライベートも大切にしたいという考えが広がり、内科・外科を回避したり、臨床離れが進んでいたりする印象も受けます。
少子高齢化が進む中、患者は増えるのに臨床医が減れば、日本の医療における需要と供給のバランスがさらに崩れるのではないかと懸念しています。
今後の日本の医療体制がどう変化するのか、医師の働き方改革を進めるとしたらどのような方法が考えられるか、佐藤さんのお考えをお聞きしたいです。
(若手医師さん、30代後半、女性)
注:お便りが長文でしたので、記事では編集部にて要約させていただいております
「低負担・低福祉」か「高負担・高福祉」か
シマオ:若手医師さん、お便りありがとうございます! 医療の問題は、新型コロナでも改めて大切だと実感しましたよね。高齢化が進めば、医療費負担の問題は若者世代に降りかかってきます。日本の医療の将来は、大丈夫なんでしょうか?
佐藤さん:医療や介護については、予算や医療リソースの配分などさまざまな問題を抱えています。そのため私は、これからの日本の医療は、自由競争にさらされていく可能性が十分にあると予想します。それが望ましいとは思いませんが、アメリカのように格差が生まれていくということです。
シマオ:アメリカは国民皆保険じゃないから、民間保険に入っていないと医療は高額すぎて受けられないと聞いたことがあります。
佐藤さん:日本の皆保険制度がなくなるとは思いませんが、よりよい医療を受けたいという人はプラスアルファの料金を支払う、いわゆる自由診療の領域が増えていくのではないでしょうか。例えば、私は猫を飼っていますが、動物病院は自由診療のため、猫の診察料は病院によって異なります。だから、ペットの保険にも入っています。
シマオ:いい医療を受けたかったら、追加で高いお金を払わなければいけなくなる、と。
佐藤さん:これまでの日本の医療は、「低負担・中福祉」でした。日本が成長期にあった時代にはそれでうまくいっていましたが、これからはそうではなくなります。となると、「低負担・低福祉」になるのか、「高負担・高福祉」になるのか、方向性を定めなければなりません。
シマオ:高負担になるということは、税金が高くなる……?
佐藤さん:税金よりも公的保険料が上がるという形になります。現状の日本は、医療や介護を手厚くする方向性を目指していますが、保険料を上げることには反対の声が根強い。政治は多数を占める高齢者層のほうを向いてしまいますが、それではいずれ立ち行かなくなってしまうでしょう。
シマオ:日本という国自体が破綻してしまう可能性も……。
佐藤さん:それに対してどう対処するのか。私は高負担となっても高福祉なほうがよいと思いますが、判断するのは国民です。もちろん、へき地医療や医師の確保という面では、より具体的な議論が必要となります。
なぜ、勤務医の労働環境はブラックなのか
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シマオ:ところで、若手医師さんも書いているように、お医者さんがものすごく忙しいっていう話はよく聞きますね。特に外科医の方なんて、患者さんの容態が急変したら、夜中だろうが何だろうが呼び出しがあるそうです。
佐藤さん:そうした医師にも「働き方改革」ということが言われており、長時間労働が避けられない職場でも、年1860時間の残業を上限とすることが2021年5月に成立した改正医療法で定められました。この法律が適用されるのは2024年となっています。
シマオ:とはいえ、年1860時間の残業っていうと……月155時間ですよね。過労死ラインが80~100時間とされているわけですから、これでも全然多い! 若手医師さんも、36時間連続勤務が常態化していると書かれています。
佐藤さん:大学を卒業してから7年ということは、医師として「一人前」になったと見なされる頃ですから、ある意味で一番大変な時期と言えるかもしれません。研修医の期間、そして専門医としての訓練時期が終わり、独り立ちしなければいけない。とはいえ、まだまだ若手なので思うほど年収も高くないという乖離が現れる頃でもあります。
シマオ:そもそも、お医者さんって何でそんなに過酷な勤務状況になってしまうんでしょうか?
佐藤さん:若手医師さんがどのような病院にお勤めかは分かりませんが、一つには大学病院における医局制度に原因があると思います。
シマオ:医局制度?
佐藤さん:大学の医局は、教授、准教授、講師、助教など……そして最後に研修医という序列が定まっています。
シマオ:あ、小説やドラマでよく目にします! 『白い巨塔』の世界ですね!
佐藤さん:今は制度も変わり、あそこまでではないにせよ序列はあります。当然、当直や残業などは若手に回されますから、労働時間は長くなります。それにもかかわらず勤務医の年収は意外に高くない。20代なら500~600万円、30代後半でようやく1000万円に届くといったところが標準だそうです。若い研修医はもとより、ベテランの医師でも他の病院でアルバイトをして暮らしている人が少なからずいます。
シマオ:副業をしているんですね……。にもかかわらず、なんで医局に入るのでしょうか。
佐藤さん:それは、大学病院に在籍することで、最先端の研究や医療機器に触れられるということが大きいでしょうね。より基礎的な研究をしたいということであれば、大学病院以外の場所はあまりありませんから。また、民間病院を含めた人事的なネットワークを持っているのも大きいと思います。
医者はすでに「高収入の職業」ではない
シマオ:なるほど。そういう状況の中で、医師の働き方改革は実現できるのでしょうか。若手医師さんが言うように、大変すぎて内科や外科を避ける人が増えていったら、患者となる僕たち一般人にとっても望ましいことではないと思いますが。
佐藤さん:結論から言えば、それらをすぐに変えるのは、現時点では難しいと言わざるを得ません。というのも、勤務医の声を政策に反映させるような、例えば労働組合の力が非常に弱いからです。
シマオ:でも、コロナについて日本医師会などの会見をよく見ましたが、結構影響力を持っていそうじゃないですか?
佐藤さん:日本医師会には、もちろん勤務医も加入していますが、どちらかといえば開業医の利益を反映する団体だと思います。勤務医の声を十分に反映させるような有力な組織が見当たらないのが現状です。
シマオ:では、どうすればよいのでしょうか。
佐藤さん:まず、問題を切り分けましょう。国としての医療制度のあり方を変えていかなければいけないのはもちろんですが、それには時間がかかる。とりあえずは、若手医師さん自身が、どうすれば自分の身体ややる気を失わないように医師としてのキャリアを積めるかを考えたほうがいい。
シマオ:どういうところに注意すれば?
佐藤さん:医師は高度専門職の中でもトップクラスにステータスや年収が高い、という従来のイメージを捨てることです。勤務医の平均年収は1400万円台となっていて金額自体は高額ですが、労働時間やストレスなどから考えると決して「高い」とは言えません。
シマオ:たしかに、一概には言えませんが金融業界やコンサル業界などでもっともらっている人はたくさんいますよね。命を預かるプレッシャーを考えれば、安いくらいかも……。
佐藤さん:そうした環境下で、自分が医師としてどういう価値観に重きを置くのかということをまず考えてみてください。医学の進歩に資するような研究をしたいのか、臨床医として腕を磨きたいのか、それともそこそこに仕事をこなしながら収入を得る道を探るのか。それによって、自分が納得できる道を探ることが大切です。
シマオ:お医者さんも働く人ですから、自分の目指したいことやできることを整理して、納得する道を歩むことが重要だということですね。
佐藤さん:その上で、やはりやる気のあるお医者さんをスポイルしてしまうような医療体制は問題です。それらは、医師たちだけでなく、私たち国民として考えていかなければいけない問題でしょう。
シマオ:お医者さんたちの労働問題なんて対岸の火事、そう思っていたら大間違いだということですね! というわけで若手医師さん、ご参考になりましたら幸いです。
「佐藤優のお悩み哲学相談」、そろそろお別れのお時間です。引き続き読者の皆さんからのお悩みを募集していますので、こちらのページからどしどしお寄せください! 私生活のお悩み、仕事のお悩み、何でも構いません。次回の相談は5月25日(水)に公開予定です。それではまた!
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、イラスト・iziz、編集・野田翔)