今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても平易に読み通せます。
成功体験にとらわれず、知識をアップデートし続けるためには「知的謙虚さ」が重要だといいます。では、知的謙虚さを持ち続けるにはどうすればいいか。入山先生が「失敗したらお祝いしなさい」と具体的な解決策を教えてくれました。
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人間の合理性は限定的なもの
こんにちは、入山章栄です。
今回はBusiness Insider Japan編集部の小倉宏弥さんが気になっているテーマについて考えてみましょう。
BIJ編集部・小倉
入山先生、「知的で賢い人ほど陥りがちなワナがある」という説をご存じですか? BBC Futureの元シニア・ジャーナリストのデビッド・ロブソンが『The Intelligence Trap』(日本経済新聞出版)という本の中で、知的で賢い人ほど自信過剰になりやすく、認知の死角に陥りがちで、学ぶのが下手な傾向がある、と大きく3つのワナを挙げています。
このワナにはまらないためには、「知的謙虚さ」を持つことが重要だというわけですね。確かに知性と思考力は違うという意見もありますし、知性のある人が必ずしもビジネスで成功しているわけではないと思います。この考え方は経営理論的に読み解けるものでしょうか。
「知的謙虚さ」っていい言葉ですね。僕はこの考え方には100%賛成です。何より、この主張は経営学の理論でも説明できると思います。
関連する理論は、僕の著書『世界標準の経営理論』で言えば、第11章で紹介されている「カーネギー学派の企業行動理論(BTF)」です。この「企業行動理論」の前提は認知科学(認知心理学)です。そして「知的謙虚さが大事」というのは、実は認知心理学の基本的な考え方でもあります。
認知心理学で重要な前提は、人間の認知には限界があるので、「人は実はこの世のことをほとんどよく知らない」ということなのです。
実際、この世界のほとんどのことを我々は知りません。世界の広さに比べれば、一人の人間が認識することのできる範囲はものすごく狭い。
例えば、僕はいまブラジルで何が起きているかをほぼ知らないし、ウクライナがどんなにひどい状況かもニュースで報道される以上のことは分からない。最新の量子力学の分野でどういう議論がされているかも知らない。
それどころか、自分の関連する企業の職場で起きた出来事をすべて把握しているわけではないし、指導しているゼミ生が私生活でどういう悩みを抱えているかも十分に知らない。僕の奥さんや子どものことでさえも、100%は理解していないでしょう。
こうやって考えていくと、「人間は驚くほど何も知らない」と分かります。これを経営学に使われる認知心理学の文脈では、「限定された合理性(bounded rationality)」と言います。
提唱したのはハーバート・サイモンという1978年にノーベル経済学賞をとった、認知科学の始祖ともいうべき人。そして「人間の合理性は限定的なものにすぎない」という考え方は、認知科学や認知心理学をベースとした経営理論の基礎になっています。
認知心理学は、ある意味でそれまでの古典的な経済学への批判から始まっています。それまでの古典的な経済学では、「人間は合理的であり、世の中のものをすべて見渡せる」という前提に立っていました。
つまり人間には世界中のものが見えていると仮定して、人間はその中で自分にとって最適なものは何かを合理的に判断して手に入れるものだという考え方をしていた。
もちろんこれは極端かもしれませんが、でもそういうシンプルな仮定があるからこそ、いろいろな数式が使えて分析が可能になるのが経済学のいいところでもあるわけです。
一方で認知科学や認知心理学は、「人間がそこそこ合理的であることは、まあ認めましょう」というスタンスです。でも人間が世界中のものをすべて見渡せるというのは、やはり極端すぎる。人間の脳にはどう考えても限界がある。
その限界を認めた前提から入りましょう、ということです。これが「限定された合理性」です。
長い目で見ると、失敗した人のほうが賢くなる
人間の認識できる範囲には限界があるということは、「人間の学習」とは、自分の狭い認知の範囲を少しずつ広げていくことです。経営学ではこれをサーチ(search)といいます。あるいは、僕はよく「知の探索(exploration)」と言うけれど、これも似たような意味だと思ってください。
少しずつでいいから認知の範囲を広げていくことで、新しい世界が見られるようになる。そしてそこから何かを学んで、自分にプラスしていくわけですね。
これは組織・企業も同じで、学習を続けて認知を広げていかないといけない。組織は人間の集まりですから、やはり見ている世界には限界があります。
もちろん世の中のことをすべて完璧に把握するなんてあり得ないけれど、少しずつ認知を広げていかないとしょうがない。
ところが人間というのは、ものごとがうまくいくと、それで満足してしまう傾向があります。これを「サティスファイシング(satisficing)」と言います。
成功し、満足すると「いま自分が目の前で見ている光景が世界そのものだ」と考えがちになり、認知の範囲を広げる努力を怠るようになるのです。
そうするとやがて世の中に変化が起きたときに、すぐ対応できなくなってしまいます。これを別の言葉で表したのが、冒頭のデビッド・ロブソンの「3つのワナ」ではないでしょうか。
一方、失敗した人は満足しないので、「自分が失敗したのは、世界はまだ広いのに狭い部分だけを見ていたからではないか」と思うので学習を続ける。そういう人はサーチを続けるので、中長期的に見て成功しやすくなるのです。
例えば、ブリガムヤング大学のピーター・マドセンらが2010年に『アカデミー・オブ・マネジメント・ジャーナル』という経営学のトップジャーナルに発表した、ロケット打ち上げの実証研究があります。
ロケットの打ち上げはたまに失敗します。打ち上げに失敗した後のほうが成功確率は高まるのか、それとも成功したほうがその後も成功するのか。それを統計データを使って調べた研究です。
結論を言うと、プロジェクトの前半に失敗した打ち上げチームは後半の成功確率が上がり、前半に成功したチームは後半で失敗する傾向があると分かりました。つまり前半に失敗すると、まさに知的に謙虚になってサーチを続けるので、長い目で見るとむしろ成功確率が高まるのです。
逆に早めに成功してしまった人たちは、「自分がいま見ている世界は十分広く、正しい」と思い込んでしまうから、長い目で見て知的な謙虚さがなくなってサーチを怠るようになるので、学習しなくなるんですね。
BIJ編集部・小倉
なるほど。実は先日ある分野でちょっと成功した人と話していたら、「何か新しいことをしようとしても、ぜんぶ自分の過去の成功体験の焼き直しになってしまう」と悩んでいたんです。自分自身の限界を突破できなくなっているんですね。
はい。そういう人は、実は初期の成功はたまたまラッキーの要素も大きくて当たった可能性があるかもしれません。
それに気づかずに「自分の見ているこの世界は十分広いんだ」と思い込んでしまうと、認知を広げる活動を知らず知らずのうちに怠っている可能性がある。知的謙虚さがなくなっているんですね。よく「若いうちに成功すると途中で伸び悩む」と言われるのはそれだと思います。
BIJ編集部・小倉
でもいったん成功すると、人のつながりもある程度できあがっていますし、自分を否定する行為をしなくてはいけない。難しいですよね。
その指摘は重要で、それをあえてできるかどうかが知的謙虚さだと思います。
僕もいろいろな経営者やイノベーターにお会いしますが、やっぱり長い目で見て結果を出す人は、みなさん本当に知的に謙虚ですよ。
失敗したらスイーツ食べ放題でお祝いしよう
では成功した人は知的謙虚さを持つことが重要だとして、失敗した人はどうすればいいでしょうか。
マドセンらの研究では初期に失敗した方が、事後的にはパフォーマンスが高いとのことですが、現実にはそれほど簡単な話でもないと思います。何より、失敗してもそれを次に生かせない人っていますよね。
失敗したということは自分の見ている世界が狭いということだから、サーチ活動を続けるべきなのに、それができない。一言でいうと「反省しない人」です。このような人も知的謙虚さに欠けると言えるのではないでしょうか。
僕はいつも、「失敗したらむしろお祝いしましょう」と言っています。失敗は自分の認知を広げるきっかけになるからです。でも、それは分かっていても失敗がイヤなのは、当然ながら感情的に落ち込むからですよね。
人間の脳は認知系と感情系でできているので、認知的には失敗こそ学習のチャンスと分かっていても、感情がついていかない。それならば、まずは感情を和らげればいいのです。
例えばスイーツ好きの女性なら、「普段はスイーツの食べ放題なんか行かないけれど、大きな失敗をしたときだけは行ってもいい」というマイルールをつくるのはどうでしょうか。
そうすれば失敗しても、「ああ、とんでもないことやっちゃった。でも今日はスイーツがめいっぱい食べられる!」と思えるから、感情的なショックが和らぐでしょう。
そうやって感情の落ち込みを緩和して元気になって、そうしたら今度は反省して学習して認知を広げればいいと思います。
ちなみに僕の失敗時のお祝いマイルールは「失敗した日はいくらお酒を飲んでもいい」というものです。
ただ、失敗の多い毎日なので結局飲みすぎちゃうんですけどね(笑)。僕自身はちょっとお祝いのルールを見直そうと思っています。
BIJ編集部・小倉
なるほど。スイーツでなくても、失敗したら自分の好きなことを自分に許すと決めておけば、落ち込みが半分になりそうです。成功しても失敗しても、知的に謙虚であることが大事だということですね。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集・音声編集:小倉宏弥、常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。