国際通貨基金(IMF)元チーフエコノミスト、現在はハーバード大学教授を務めるケネス・ロゴフ。
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米連邦準備制度理事会(FRB)の最優先課題は、この半年間で一気にインフレのコントロールに切り替わった。
パンデミックの発生直後をふり返ると、当時のFRBにとって最大の目標は、米経済が過去に経験したなかで最も急激かつ深刻な景気後退の渦中で、金融緩和政策を通じて力強い回復を実現することだった。
しかし、3月のインフレ伸び率が前年同月比8.5%と40年ぶりの高水準が続くいま、FRBの焦点はすでに、家計の購買力にとって大きな脅威となる物価上昇の沈静化に向けられている。
インフレの減速を目指すFRBは、3月15〜16日に連邦公開市場委員会(FOMC)を開催。2020年3月から続けてきたゼロ金利政策を終了し、0.25%の利上げを決定。
さらに5月のFOMCでは、22年ぶりとなる0.5%の利上げに加え、6月からのバランスシート(保有資産)の圧縮開始も決めた。6、7月にもそれぞれ0.5%の利上げを検討している。
米ハーバード大学教授で国際通貨基金(IMF)元チーフエコノミストのケネス・ロゴフは、インフレ率をパンデミック前の3%を下回る水準まで戻すには、フェデラル・ファンド(FF)金利の誘導目標を4~5%まで引き上げる必要があると指摘する。
名目の長期金利から物価変動の影響を差し引いたインフレ調整後の実質金利がまだマイナス圏を脱していないというのがその理由だ(なお、5月に入ってから実質金利は0%台前半のプラスで推移している)。
ロゴフはInsiderの取材にこう語った。
「実質金利をプラスに持っていかない限り、インフレを減速させるのはきわめて困難です。仮に期待インフレ率が3%で、2年後の名目金利が3%(すなわち実質金利は0%)だとすると、インフレ率は低下には向かいません」
ロゴフは先述のように4〜5%までの誘導目標引き上げが必要としつつも、そのようなシナリオが展開されるとは必ずしも考えていない。現実のシナリオとしては、FRBが3%前後まで利上げしたあと、米経済には景気後退入りの兆候があらわれ始めるとみる。
「政策金利が3%に届くころには景気後退入りのかなりはっきりとした兆候が見てとれるでしょうし、もしかしたらそれより前にも兆しは見えてくるかもしれません。
1年あるいは2年たっても、インフレ率は3〜3.5%程度、もしかしたらそれ以上の水準で(FRBの長期抑制目標を上回って)推移する可能性が高いというのが私の考えです。そんな状況でも景気後退は始まり、FRBは様子見を決めることになるでしょう」
FRBがどこまで利上げするか、現時点では不透明だ。
2022年1月にFRB理事兼副議長を退任、現在はコロンビア大学教授を務めるリチャード・クラリダはスタンフォード大学フーバー研究所主催の講演(テキスト)で、インフレ抑制にはFF金利の誘導目標を少なくとも3.5%に引き上げる必要があると指摘(ブルームバーグ、5月6日付)。
また、ドイツ銀行チーフ米国エコノミストのマシュー・ルゼッティは、FRBが2022年に2.6%前後まで誘導目標を引き上げ、2023年後半に景気後退入りすると予測する。
さらに、米資産運用最大手ブラックロックのグローバル・チーフ投資ストラテジスト、ウェイ・リーはInsiderの取材に対し、中立金利(=実質金利に中立で経済を加速も減速もさせない均衡金利)は2.25~2.5%と指摘。
FRBの誘導目標がこの水準をオーバーシュート(=超過)した場合、経済に悪影響を及ぼしかねないと語った。
FF金利は5月3〜4日のFOMC決定を経て、現在は0.75〜1.0%。
ソフトランディングは不可能
FRBの誘導目標次第でどんなシナリオが展開されるにせよ、米経済が無傷ということはありえないとロゴフは語る。
「ソフトランディングの実現はきわめて困難だと思っています。深刻な景気後退のトリガーを引くことなく、なおかつインフレ率を目標より低く持っていける確率は50%よりずっと低い。少なくとも現時点では非常に難しいです」
(利上げしすぎれば経済を冷やし、物価上昇を放置すれば市民生活が破たんしかねない)両刃の剣のような現在の状況に加え、政策当局が対応する経験を持ち合わせていないことも、不確実要素のひとつになっているとロゴフは指摘する。
ロゴフによれば、過去数十年間をふり返ると、当局が政策ツールとして利上げを活用したのは、金融市場のフロス(=バブルに至らない相場の過熱感)を抑え、金融システムを安定させる目的に限られ、インフレの抑制策として利上げが行われた試しはない。
地政学的緊張と新型コロナ感染拡大のための行動制限に端を発するサプライチェーンの不確実性も無視できない。
「FRBの使う政策ツールが狙い通りに役割を果たすのかどうか、大いに疑念があります。政策の効果はどのように波及するのでしょうか。金利上昇はいかにしてインフレ抑制につながるのでしょう。世界が異常とも言えるほど困難で複雑な状況に置かれているという事実をどこまで加味できているのでしょうか」
そのように警鐘を鳴らしつつも、米経済そのものは当面堅調が続き、現時点ではまだ景気後退入りした事実はないとロゴフは語る。そう言える理由として、ロゴフが挙げるのは「白熱した労働市場」の存在だ。
米労働省の雇用統計および雇用動態調査によれば、3月の失業率は3.6%と歴史的な低水準で推移し、同月の非農業部門求人件数は調査開始(2000年)以来最高を記録している。
クレディ・スイスのチーフ米国株ストラテジスト、ジョナサン・ゴラブは2024年初頭の景気後退入りを予想しているものの、市場金利の動きを見る限り、短期的に景気後退入りする兆候はないと分析する。
ゴラブによれば、もし景気後退入り間近あるいはすでに景気後退入りしているのであれば、短期(3カ月物)と長期(10年物)米国債の利回りスプレッド(=格差)はいまよりはるかに縮小していなくてはならないという。
米国債のイールドカーブ(2022年5月)。縦軸が利回り、横軸が償還期間。
Gurufocus.com
「国債利回りと償還期間の関係を示すイールドカーブを見ると、償還期間が1年に満たない短期(3カ月物)金利と長期(10年物)金利のスプレッドは2%以上開いており、足もとの状況は景気後退とはまったくかけ離れていると言わざるを得ません」
なお、ロゴフは株式市場の先行きについて、今後実質金利が上昇し始めたら、(すでに弱気相場入りしている)ハイテク株やグロース(高成長)株は他のセクター以上に苦しい状況が続くとの見方を示している。
(翻訳・編集:川村力)