田中研之輔(たなか・けんのすけ)法政大学キャリアデザイン学部教授。専門はキャリア論。一橋大学大学院社会学研究科博士課程を経て、メルボルン大学、カリフォルニア大学バークレー校で客員研究員を務める。著書に『プロティアン 70歳まで第一線で働き続ける最強のキャリア資本術』(日経BP)、『今すぐ転職を考えていない人のための キャリア戦略』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)ほか多数。これまでに民間企業の取締役や社外顧問を31社務める。
なぜ今「自律的なキャリア」が必要なのか──法政大・田中研之輔教授×電通デジタル対談
デジタル広告からDX支援、クリエイティブ、そして戦略コンサルティングまで——多様なソリューションを提供する電通デジタルが、人材の増強と育成を事業戦略に掲げ、社員の「自律的なキャリア」の実現に乗り出した。個人は、企業は、どのようにキャリアを描き、グロースさせればいいのか。
変化の時代を生きる個人と企業に新たなキャリア戦略を提示し続けている田中研之輔・法政大学キャリアデザイン学部教授と、電通デジタル 事業戦略室 育成企画部 事業部長の伊勢田健介氏、同部の小倉理恵氏がこれからのキャリア戦略について語った。
今「自律的なキャリア」が必要とされる理由
田中研之輔氏(以下、田中) 電通デジタルから去年、社員のキャリア形成について相談をいただいたときはすごく嬉しかったんです。電通デジタルは、電通の堅い部分もありながら、柔らかくてしなやかな仕事もする企業。人材政策にも興味を持っていたので、そこから声が掛かったというのがまず嬉しかったし、電通グループの中でも特に伸びている電通デジタルが声を掛けてくれたというのがさらに嬉しかった。
伊勢田健介氏(以下、伊勢田) ありがとうございます。当社はデジタルマーケティングに関する事業を総合的に手掛けていて、「人材こそが最大の財産」という面が特に強いんです。
小倉理恵氏(以下、小倉) 人材育成や組織開発を担当する私たちも、他の会社であれば「人事部門」ということになるんでしょうが、事業戦略部門の一角を占めています。人材戦略が事業戦略の中で大きな部分を占めていますので。
田中 それは正しいですよね。今、企業がやらなくてはいけないのは人的資本の最大化。経営戦略とキャリア戦略を同じ比重で取り組んでほしいんです。個人のグロース(成長)が組織のグロースであるわけですから。人事をコストセンターではなくグロースセンターとして捉えると、人材のキャリア戦略の重要性もよく分かる。まして電通デジタルは人材のスケールの面でも凄い勢いで拡大していますしね。
小倉 はい。2016年に約600人体制でスタートして、電通アイソバーとの合併(2021年)もあって、現在約2200人体制です。これを2026年には4000人まで拡大する計画で、新卒採用だけでなく、経験者採用も年間400人という規模で行なっています。
田中 人材が重要で、その大切な「人」をどんどん増やしている──そういう会社が人事戦略を事業戦略と捉え、その戦略の中でキャリア開発を重点に据えるということも、その実現に向けて取り組む上で「自律」を目指す点も素晴らしいですね。 電通デジタルが「自律的なキャリア」というキーワードに行き着いた背景を教えてください。
伊勢田 健介(いせだ けんすけ)。電通デジタル 事業戦略室 育成企画部 事業部長。 2013年、ネクステッジ電通(電通デジタルの前身)の立ち上げに参画。2021年5月、育成企画部の事業部長に着任し、全社的な人材育成環境の整備や研修企画、制度設計、キャリア開発支援、組織開発支援など、社員の成長に関わる各種プロジェクトを推進。
伊勢田 以前から当社では人材育成を目的としてさまざまな面談を実施してきました。新卒社員の配属後面談から管理職のメンタリングまで、1on1で生の声を聞く機会が多かったんです。そこでよく聞かれる声が「やりたいことが見つからない」「上司から『やりたいことを考えろ』と言われて困っている」といった声でした。一方、「悩んでいる部下に対してどう向き合えばいいのか分からない」と戸惑う上司側の声もよく聞きました。「自律型のキャリア」という方向性に向かって動き始めたのは、そうした声が発端でした。
小倉 「キャリア」というテーマ自体は、従来から1on1ミーティングの推奨テーマのひとつに入れてはいたんですが、実際に話題になることは多くありませんでした。「キャリアとは何か」という理解が、マネジャーにもメンバーにも不足していたんですね。それは私たちからの説明が不足していたからでもありました。
伊勢田 今年、我々が育成企画の方針として「知る」「選ぶ」「つながる」という3点を掲げたのもそういう意識からです。会社のことから自分のことまでよく知ったうえで、自分自身のキャリア形成に向けてどんなチャレンジやアクションを取るべきかを選び、さらに同じ課題に取り生んでいる人やロールモデルとつながってお互いに成長できるようになる……というものですね。「自律的なキャリア」を実現させるためには、これが不可欠です。
キャリアは組織のものではなく「自分自身のもの」
田中 キャリアというのは誤解されがちで、きちんと説明されないと日本では誰もが「キャリアは組織のもの」だと思っている。これは日本型雇用の中で生まれた考え方で、組織に入るとキャリアを組織に預けてしまう形になるわけです。キャリアを組織に取られてしまうといってもいいでしょう。でも、本当はキャリアはまず「自分自身のもの」なんです。
小倉理恵(おぐらりえ)。事業戦略室 育成企画部。インターネット業界黎明期にインターネット通信事業者で新卒のキャリアをスタート。事業会社のマーケティング経験を踏まえ、2009年電通イーマーケティングワン(電通デジタルの前身)に転職。2017年よりキャリア開発支援、組織開発支援などを推進。現在は「1on1」「キャリア」「モチベーション」「コミュニケーションスキル」などの心理学的手法を用いた研修を担当。
小倉 そうですよね。そういう知識や情報の不足、個人の思い込みというのが、キャリア開発のブレーキになっています。「組織の中で色々諦めなくてはならない 」と思いこんでいる人の状況を客観的に見てみると、実際には自分の能力や希望についてよく考えたり、上司と対話したりする機会や時間が取れていなかったりする。
伊勢田 例えば、当社にはコンサルティング、デジタル広告プランニング、クリエイティブなど他にも多種多様な職種があって、社内だけでもさまざまなことにチャレンジできるんですが、そこが意外なほど知られていない。社員はそれを知らない状況の中で自分のキャリアの限界について悩んでいて、その状況は実は年齢に関係なく、20代・30代のみならず、40代・50代でも同じなんです。そういう壁を取り払うのが私たちの課題です。
自分のこれまでの取り組みを棚卸しして、これからどうしていきたいかを考えてもらうために、6つの設問で自分のキャリアについて客観的に把握できるような「キャリアアップシート」を用意しました。そのほかにも公募制で希望の職種に異動できる「DD Career Jump!」制度なども設けていて、社員からポジティブな反応をもらっています。さらに、「キャリアアップシート」の内容を各部門の幹部と確認し、一人ひとりのキャリア戦略について議論し、アサインや各種支援、制度改革について検討する「シャインアップ会議」を半年に1回行っていく予定です。
田中 私が参加した新任管理職向けのオンラインセミナーでも、参加者の皆さんのリアクションがとても良かったのが印象的でした。電通デジタルは、クライアントの課題に寄り添って、そのソリューションを生み出すプロフェッショナルなチームです。ところが、その社員たちは、自分にとって大切なはずの「自分自身のキャリア」の課題の解決を後回しにしてきた。キャリアについて考える時間もなかったでしょう。でも、個人のグロースこそが組織のグロースです。社員のキャリア課題は会社の経営課題に直結する。
小倉 今のキャリア施策の一番の肝は、まずは「自分のキャリアに関心を持ち、考える習慣をつけよう!」というメッセージを伝えること。それと並行して、誰でも自分のキャリアについて上司や私たちと日常的に話せる文化をつくることにも力を入れています。当社でもまだ「自分のキャリアについて語るのは恥ずかしい」「キャリアについて悩む自分は未熟だ」とか、そういう思い込みもありますが、「一緒に自分のキャリアの作戦会議」をするパートナーとして、私たちのような国家資格を持った社内キャリアコンサルタントを大いに活用してほしいと思っています。
伊勢田 当社は幅広い事業を手掛けていますが、どれも非常に変化の速いデジタルに関わるビジネスです。組織や個人の業務も速いペースで変化しています。1〜2年で組織の編成が変わっていくのは当たり前で、人事部門の在り方もその変化に適応できるように、対組織から対社員一人ひとりへと軸足を変えていかなければならないと思っています。
田中 だからこそ、個人にフォーカスした「自律的なキャリア」の実現を目指すことが有効になるわけで、これは経験者採用でもプラスに機能しますよね。
伊勢田 はい。特定の分野のプロフェッショナルとして活躍してもらいやすくなるのはもちろん、特定の分野に縛られることなく新しい業務にチャレンジしたいという場合でも適応しやすくなります。田中先生がご著書『プロティアン・キャリア』で説かれていたように、キャリアを形成するのに必要な柔軟性と適応力を高められるのが「自律的なキャリア」だと考えています。
田中 「プロティアン(protean)」という英語の形容詞の語源は、プロテウスというギリシャ神話の神で、何にでも変身する能力があるんですが、もうひとつ、未来を見通して予言する力も持っています。『プロティアン・キャリア』では、将来を見据えて最適な能力を身につけ、発揮できるようなキャリアづくりを考えていこうよと唱えたわけで、そういう新しい個人のキャリア形成に組織を挙げて電通デジタルが取り組むことに大いに期待しています。