連載「Salary Journeys」では、さまざまな職種のビジネスパーソンの年収と職務内容の変遷を紹介する。
Alyssa Powell/Insider
私はアメリカ東海岸在住の59歳女性。2021年8月から失業中だったが、もうすぐ年収5万ドル(約650万円、1ドル=130円換算)の経理の仕事を始める予定だ。
20年以上勤め続けた経理の仕事を失職した時、それまでと同水準の給料がもらえる仕事を必死で探した。
求職中は本当に大変だった。「大退職時代」の真っただ中で、誰も欲しがらない仕事のスクラップをかき分けているような気分だった。給料はよくても行きたくない職場——つまりリモートワーク不可、という具合に。年齢的なこともあり、一部の会社からは「考えが古くて変化についていけないだろう」と思われているようだった。
いよいよ失業手当の給付期限が迫り、退職金も底を突きかけているのに請求書の支払いはしなければならないという状態になった。そんなとき幸運にも、ハイブリッド勤務ができる仕事を見つけて再就職することができた。
以降では、過去40年にわたる私の年収と職務内容の変遷を明かしたい。
編集部注:現在または直近の仕事についての書類をもとに、本人の収入と身元を確認済み。
秘書:年収1万8000ドル
高校卒業後、大学には進学しなかったものの秘書養成学校に通った。1982年にあるメーカーで初めてまともな仕事に就いた。この会社に在籍していたのは足掛け10年ほど。最初の数年の年収は1万5000〜1万8000ドル(約195〜234万円)の範囲だった。
在庫管理:年収2万ドル
秘書から在庫管理のポジションに移ったが、年収は2万ドル(約260万円)とわずかに増えただけだった。ただ、この会社と同僚は好きで、長い間昇給はなかったものの満足していた。
経理マネジャー:2万5000ドル
1990年代はコンピューター時代が到来しつつあったので、教えてくれそうな人を誰彼かまわずつかまえて、仕事でパソコンを使うように努めた。その姿を見た社長が感心して私を経理マネジャーに抜擢し、給料は約2万5000ドル(約325万円)に上がった。
ただし、経理に関しては全くの素人だった。借方と貸方の違いすら分からなかった私を、本当に素晴らしい2人の同僚が助けてくれた。前任者も几帳面な人で協力的だった。本当に良い時代で、指導やトレーニングは今よりはるかにしっかりしていたし、当時の人はもっと根気強かった。
経理担当:2万5000ドル
会社から別のタイプの経理マネジャーが必要だと言われ、私は買掛金と売掛金の処理を行う経理担当になったが、給料は変わらないままだった。支えてくれていた2人の同僚も辞めてしまった。
昇給も毎年ではなかった。当時の製造業ではそれが当たり前だったのだ。それでも医療費は全額会社負担で、何よりの福利厚生だった。
だからこそ、この仕事がなくなった時は途方に暮れた。
受付:2万5000ドル
1993年にはスタートアップ企業の受付として再就職した。給料は変わらなかったが、とても良いスタートアップ企業で、年4回のボーナス支給もあった。医療費はやはり全額支払ってもらえたので、給料は全額もらうことができた。
経理担当:7万5000ドル
1997年に転職して経理の現場に復帰した。年収は3万ドル(約390万円)からのスタート。年率3%強の昇給があり、年1度のボーナスもついてきた。
この会社には23年間勤務したが、2021年8月に経理担当のポジションが廃止になった。
その時点で私の年収は7万5000ドル(約975万円)になっていた。3年前だったと思うが、私の年収がこの職種の市場価値を追い越したことが分かった。つまり、私の給料が上限に達したということだ。ついに「黄金の手錠」をはめられた。これ以上年収は伸びないのに、以前と同じ仕事をし続けているかぎり、実質的な収入は下がる一方だ。
会社が従業員の給料の一部を医療費として控除すると発表した時、それはもはや「福利厚生」とは呼べないと感じた。社員に便宜をはかると言うなら、市、州、連邦の税金が年々上がっている事実も考慮してほしかった。でなければ稼ぎが増えたとは言えない。
そこに、住宅ローンの支払いや、電気・ガス、固定電話や携帯電話の請求が重なったらどうなるか。会社が悪いと言っているのではない。生活の変化の話だ。
初めて就職した40年前よりも豊かになった実感は全くなかった。むしろ、貧しくなったような気さえした。
経理担当:5万ドル
失業中、私が応募できる仕事の年収はほとんどが5万〜6万ドル(約650万〜780万円)だった。だが年齢を考えれば受け入れざるを得なかった。在宅で働けるのなら2万5000ドル(約325万円)の年収ダウンでも構わないと思った。
履歴書を100通以上送ったが、多くは即刻「ノー」だった。どれほど経験を積んでいようと先方にとっては関係のないこと。40年間、さまざまな仕事を経験し、学ぶ意欲もあったのに、結局、新しい仕事で2万5000ドルも損をすることになった。
役職のない事務職の場合、年収交渉の余地はほとんどない。多少は交渉できるが、予算に織り込み済みの範囲だ。
さて、新しい仕事はこれまでとは違うハイブリッド勤務の仕事だ。就けて嬉しいかと言えば、満足はしていない。だが、私にはもうあと2年もないのだ。
(編集・野田翔)