「資産所得倍増プラン」岸田首相が見落とす致命的な「2つのリスク」。2000兆円活用、話はそう簡単ではない

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5月5日、英ロンドンの金融街シティー(ギルドホール)で講演した岸田首相。「インベスト・イン・キシダ(岸田に投資を)」の訴えが良くも悪くも話題となった。

REUTERS/Peter Nicholls

岸田首相は最近、イギリス訪問に際してロンドンの金融街シティーで講演し(5月5日)、自身が掲げる経済政策「新しい資本主義」の具体的取り組みとして、日本の個人金融資産約2000兆円について、貯蓄から投資への動きを促す「資産所得倍増プラン」に着手する考えを明らかにした。

日本の国民が個人金融資産の半分以上を現預金の形で保有してきた結果、「アメリカでは家計金融資産がこの10年間で3倍、イギリスでは2.3倍になったのに、我が国では1.4倍にしかなっていない」と指摘。逆にそれは「日本の大きなポテンシャル(潜在成長力)」になると表現した。

端的に言えば、日本には今後投資に向ける資金が豊富にあるということをアピールしたわけだ。

岸田首相は自民党総裁選(2021年9月)で金融所得課税の引き上げを主張し、就任早々に日経平均株価が大幅下落する、いわゆる「岸田ショック」に見舞われた。その経緯を思い返せば、イギリスでの講演内容は意外と言うほかない。

岸田政権はほかにも、自社株買いの規制(ガイドラインの設定)、上場企業の四半期開示見直しを主張し、株主還元を「成長の果実等が流出」と表現して賃上げを優先する考えを示すなど、株式市場と対峙する姿勢を続けてきた印象が強い。

そうした方針を堅持したまま「インベスト・イン・キシダ(岸田に投資を)」と訴えることの真意は捉えづらい。

株式市場から嫌気された過去の主張は今後修正、もしくは取り下げられていくのだろうか。

その点、松野官房長官は先日(5月9日)の記者会見で、金融所得課税の強化について「一般投資家が投資しやすい環境を損なわないよう十分に配慮して検討していく」と発言しており、現時点で過去の主張を修正していく意向は感じられない。

「円建て資産」投資に向かわなかったら…

岸田首相が突如掲げた「資産所得倍増プラン」の真意がどこにあるのか、現時点では具体的な情報がないのでよく分からない。

しかし、少なくとも「運用されていない現預金」を投資の原資と見なして「ポテンシャル」と表現することが、いまの日本にとって危うい思考法であることには留意すべきだ。

そう言える理由は2つある。1つは円相場(為替)への影響、もう1つは日本国債(円金利)への影響だ。

まず、円相場への影響を、政府・与党はどのように整理しているのだろうか。

円安の収束にめどが立たず、そのデメリットが懸念される現況で、最大のリスクは「家計部門の円売り」が勢いづいて円安がさらに加速する展開だ。

岸田首相が言うように、個人金融資産の半分以上が円建ての現預金であり、その額は2021年12月末時点で1084.6兆円、比率で言うと53.6%に達する。一方、株式および出資金は211.6兆円で、比率は10.5%にとどまる【図表1】。

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【図表1】本邦家計部門の金融資産構成(2021年12月末)。

出所:日本銀行「資金循環統計」から筆者試算

「現預金が半分、株式投資は1割」というこの構図は、日本の家計金融資産構成の問題点として過去に何度も議論されてきた。現預金に滞留する貯蓄を投資の原資として、より期待収益の高いリスク資産に振り向けられたら、という考え自体は何もおかしくない。

ただ、その振り向ける先が円建ての資産である保証はまったくない。そこが問題だ。

徹頭徹尾コロナ対策最優先の「経済より命」路線や、資源高でも真剣な議論が起きない原発再稼働問題など、思考停止とも言える政策運営が続いた結果、海外からは「成長を諦めた国」としての日本の評価が定着してしまった感がある。

実際、国内総生産(GDP)について、新型コロナ感染拡大前の水準を割り込んだままの先進国は日本くらいだ

そうした日本の地力の弱さが日本株や円相場に軟調な(=買い気が乏しい)展開を強いているとの見方はいまや珍しいものではなくなっている。

ツイッター買収などその一挙手一投足が注目される米電気自動車大手テスラのイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)は最近、「出生率が死亡率より高くなるような何らかの変化がない限り、日本は消滅する」と予言。世界中で速報されるなど、衝撃投稿として大きな話題を呼んだ。

マスク氏は別の対談(3月27日、Insider親会社の独アクセル・シュプリンガーCEOと)で、「高齢者(長生きする人)が多いと社会に閉塞感が生まれる。なぜなら、その多くは考え方を変えようとしないというのが真実だからだ」とも語っている。

マスク氏のツイートや発言については批判や反論含めてさまざまな意見が出ているが、出生率の低下や高齢化などの構造問題は日本の抱える「闇」そのものであって、程度の差こそあれ、まったくの杞憂と考えている人は世界にそう多くないだろう。

岸田政権の発足後、海外の投資家が日本株を買わなくなっている背景にも、そのような見方があると思われる【図表2】。成長を期待できない国、あるいは成長を自ら諦めた国の株式や通貨を欲しがる奇特な投資家を、筆者は想像できない。

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【図表2】外国人投資家の日本株売買動向。

出所:アイ・エヌ情報センター(INDB)資料より筆者作成

では、そうした状況を踏まえたうえで、日本の家計部門が金融資産を「貯蓄から投資」に移すことになったとして、果たして日本経済の将来に賭けて円建て資産を選ぶ人はいるだろうか。

「資産所得倍増プラン」の何らかのインセンティブに駆り立てられた投資意欲が、円建て資産ではなく外貨建て資産に向かうとすれば、それは円安の起爆剤として作用することになる。

すでに円安のデメリットを指摘する声が響きわたるなか、個人金融資産が投資に向かうことで円安が加速する可能性があることを、政府・与党はリスクと考えていないのだろうか。

2021年に主要株式指数の史上最高値更新が相次いだことも追い風となって、米国株投資はいまやブームとまで言われ、投資するなら海外との発想は珍しいものでもなんでもない。

実際、国内で設定された投資信託の資金流出入状況を見ても、海外優先の志向がはっきり見てとれる【図表3】。

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【図表3】投資信託の株式売買動向。国内株式(青線)と外国株式(橙線)について、2012年3月以降の累積。

出所:投資信託協会資料より筆者作成

もちろん、政府・与党としてさらなる円安を歓迎する方針なら、それはそれで問題ない。しかし、少しでも円安加速のリスクを懸念する気持ちがあるなら、いまの為替相場の状況下で貯蓄から投資への移行を煽るのには危うさが伴うことを指摘しておきたい。

現預金を「眠っている」と表現する危うさ

「資産所得倍増プラン」にまつわるもう1つの懸念は、国債(円金利)への影響だ。

より具体的に言えば、これから金融資産の貯蓄から投資へのシフトが進んだとして、国内消化率の高い(=自国通貨建てで発行され、日本銀行や市中金融機関、保険・年金基金など国内保有率がきわめて高い)日本国債の安定構造が崩れる可能性をどう考えるか、という問題になる。

過去に「貯蓄から投資へ」のスローガンが繰り返されてきた根底には、「貯蓄過剰で投資に資金が向かない現状が日本経済の長期低迷の原因」との認識があると思われる。

それはよく現預金を「死に金」と呼んだり、その状態を指して「眠っている」と表現したりすることからも伺い知れる。

しかし、それは因果関係を取り違えた明らかな誤認だ。

日本経済が低迷を続けてきたからこそ、家計(や企業)は自国通貨建ての現預金という最もリスクが小さい運用形態を選んできたというのが実情で、もし本当に有望な投資機会があったなら、政府からわざわざ指示を受けなくても人々は貯蓄ではなく投資を選んだはずだ。

その点をより詳しく、正確に分析しておこう。

まず、日本経済の期待成長率低迷を受けて、民間部門(家計と企業)は現預金という運用形態で資産防衛を図ってきた。

現預金は基本的に銀行部門に貯蓄される。そのまま銀行部門に滞留して誰も使わなければ文字通り「死に金」だが、現実にはそうでなく、政府部門が(国債の発行などを通じて)その貯蓄を借り、消費あるいは投資に充ててきた。そうすることで資金循環の構造も釣り合ってきた。

厳密にはそれでも国内全体で貯蓄過剰になるので、その分だけ海外部門を投資超過・貯蓄不足(すなわち経常黒字)にさせることで、経済全体の貯蓄・投資が均衡してきた【図表4】。

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【図表4】日本の貯蓄・投資(IS)バランスの推移。4四半期平均で計算。

出所:Macrobond資料より筆者作成

「銀行の役割は貸出なのに、国債の運用ばかりしている」との批判をときどき聞くが、それは上で説明したような資金循環の構造(あるいは日銀の資金循環統計)を正しく読めていないために起きる誤解だ。

銀行の本質的な役割は貸出ではなく、経済の資金過不足を均(なら)すことにある。資金を持てあましている主体から、資金を必要としている主体に融通することと言い換えてもいい。

バブル崩壊(1991年)後の銀行部門において、貸出が盛り上がらず国債運用が増えたのは、資金を持てあましている主体である家計や企業から、資金を必要としている主体である政府に資金を融通していたからだ。

景気低迷が続くなかで、銀行は資金過不足を均す役割を果たしていたと言える。

そうした事実を踏まえれば、日本で貯蓄から投資への資金移動が進まなかったのは、そうせざるを得ない経済状況があったからと言うほかない。結局のところ、資金循環の構造は銀行部門を要とする一国経済の地力が反映された結果なのだ。

その結果を力づくで変えようとしているのが「資産所得倍増プラン」という位置づけになる。

そして、そのような力づくの政策が奏功して貯蓄から投資へのシフトが盛り上がった場合、政府は大きな問題に直面するだろう。

「眠っている」と表現される現預金は、ここまで解説したように銀行部門を経由して日本国債の購入に充てられている。それを眠りから覚ますなら(=充てる先を投資に向けるなら)、銀行部門の代わりに国債を買ってくれる経済主体を見つけてくる必要がある。そうしないと国債の消化が困難になる。

国内消化を諦め、海外部門に購入してもらうのだろうか。しかし、それは一筋縄ではいかない。国内の銀行部門や日本銀行は低利でも国債を購入するが、海外の投資家はそうはいかない。これまでより高い金利を要求してくるだろう。

あらためて強調しておきたいのは、良いか悪いかは別にして、民間の銀行部門・政府部門・日本銀行が三位一体となった日本国債の消化構造は「鉄壁」ということだ。

それを政策を通じて力づくで崩せば、低利の買い手がいなくなるため、国債価格の下落(すなわち円金利の上昇)が起きる。それで問題ないのか。

勇ましく響く「資産所得倍増プラン」だが、いま日本が直面している為替や債券の現状を踏まえると、日本経済にとって望ましくない急変動をもたらす可能性を秘めているように思われる。

プラン実行前のリスクマネジメントを慎重に行うことを推奨したい。

※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。

(文・唐鎌大輔


唐鎌大輔(からかま・だいすけ):慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。

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