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沖縄返還50年、東博の特別展は「琉球」の文化と苦難の“沖縄史”を私たちに伝える。

約400点にのぼる貴重な史資料は“琉球”が育んだ独自の文化と、“沖縄”が歩んだ苦難の歴史を私たちに伝えます。

約400点にのぼる貴重な史資料は“琉球”が育んだ独自の文化と、“沖縄”が歩んだ苦難の歴史を私たちに伝えます。

Business Insider Japan

5月15日、戦後に米軍統治下におかれた沖縄が本土に「復帰」してから50年の節目を迎える。これを記念した特別展「琉球」が東京国立博物館で開催されている。

沖縄はかつて独立国「琉球王国」として独自かつ豊かな文化を育みながらも、島津氏による侵攻、明治政府による琉球処分、近代化と日本への同化、そして沖縄戦と戦後の米軍統治……と、数々の歴史的な困難を強いられた。

約400点にのぼる貴重な史料・資料は、私たちに「琉球」「沖縄」の歩みを伝えようとしている。


現在の沖縄県〜奄美諸島にかけて、かつては独立国「琉球王国」が存在した。1429年、沖縄本島の北山・中山・南山の3王国を中山王の尚巴志が統一し、首里に王府を置いた。

王家の尚氏の下で15世紀からおよそ450年にわたって続いた琉球王国は地理的条件に恵まれ、中国・朝鮮・日本をはじめ、東アジアと東南アジアを繋ぐ中継貿易の拠点として繁栄。中国の陶磁器や東南アジア産の香辛料など、さまざまな産物が交易された。

16世紀に作られた世界地図にも、正確な地形などは伝わっていないながらも「Lequio(琉球)」が記されており、海洋国家として独自の地位を築いていた往時が伺える。

16世紀の世界地図より。中央のIAPAN(日本)の南西に「Lequio major(大琉球)」と「Lequio minor(小琉球)」とある。「東インド諸島とその周辺の地図(『世界の舞台』)、アブラハム・オルテリウス編、1579年刊、九州国立博物館蔵(部分)

16世紀の世界地図より。中央のIAPAN(日本)の南西に「Lequio major(大琉球)」と「Lequio minor(小琉球)」とある。「東インド諸島とその周辺の地図(『世界の舞台』)、アブラハム・オルテリウス編、1579年刊、九州国立博物館蔵(部分)

撮影:吉川慧

今回の展示品の中には、一際目を引く大きな鐘がある。

15世紀半ばにつくられ、首里城の正殿にかけられていたとされる「万国津梁(ばんこくしんりょう)の鐘」だ。

重要文化財「銅鐘 旧首里城正殿鐘(万国津梁の鐘)」藤原国善作、第一尚氏時代・1458(天順2)年、沖縄県立博物館・美術館蔵

重要文化財「銅鐘 旧首里城正殿鐘(万国津梁の鐘)」藤原国善作、第一尚氏時代・1458(天順2)年、沖縄県立博物館・美術館蔵。

撮影:吉川慧

「津梁」とは、物事の橋渡しとなるもの。その名の通り「世界の架け橋」たらんとする、琉球王国の気概を著した銘が刻まれた鐘だ。

琉球は南海に浮かぶ素晴らしい地である

朝鮮より優れたものを集め、中国とは車輪と添え木のように、日本とは唇と歯のように互いを助け合う関係となった

まさにこの二つの国の間に湧き出た楽園である

船をもって万国の架け橋となり、国中に珍品宝物があふれ、人びとのあいだには日本、中国の尊い教えが伝わっている

(展示意訳より)

王府が置かれた首里に近い那覇も、琉球王国の外港として繁栄。アジアを往来する船で賑わい、国際貿易港として発展した。

玉冠(付簪)(琉球国王尚家関係資料) 第二尚氏時代・18~19世紀、沖縄・那覇市歴史博物館蔵

玉冠(付簪)(琉球国王尚家関係資料) 第二尚氏時代・18~19世紀、沖縄・那覇市歴史博物館蔵。

撮影:吉川慧

中国・明代末期頃に現在の福建省あたりで焼かれた色彩豊かな「華南三彩」の水注。「三彩鴨形水注」「三彩鶴形水注」中国 明時代・16世紀、個人蔵。

中国・明代末期頃に現在の福建省あたりで焼かれた色彩豊かな「華南三彩」の水注。「三彩鴨形水注」「三彩鶴形水注」中国 明時代・16世紀、個人蔵。

撮影:吉川慧

重要文化財「首里城京の内跡出土陶磁器」のうち「青花牡丹文梅瓶」と「青花双耳瓶」。中国・元〜明時代(14〜16世紀)沖縄県立埋蔵文化センター蔵

重要文化財「首里城京の内跡出土陶磁器」のうち「青花牡丹文梅瓶」と「青花双耳瓶」。中国・元〜明時代(14〜16世紀)沖縄県立埋蔵文化センター蔵。

撮影:吉川慧

「琉球那覇市街図」第二尚氏時代・19世紀、公益財団法人美術工芸振興佐藤基金蔵

「琉球那覇市街図」第二尚氏時代・19世紀、公益財団法人美術工芸振興佐藤基金蔵。

撮影:吉川慧


聞得大君(きこえおおきみ、琉球王国の最高位の神女)が用いる「黄金龍花簪」に相当する大型の簪。第二尚氏の尚真王の時代、村落の祭祀を司る各地の神女は組織化され、王国最高位の神女「聞得大君」に王妃や王女など女性王族が就任。国家安寧を祈り、王国の守護者として祭祀を担った。「聞得大君御殿雲龍黄金簪」第二尚氏時代・15〜16世紀、沖縄県立博物館・美術館。

聞得大君(きこえおおきみ、琉球王国の最高位の神女)が用いる「黄金龍花簪」に相当する大型の簪。第二尚氏の尚真王の時代、村落の祭祀を司る各地の神女は組織化され、王国最高位の神女「聞得大君」に王妃や王女など女性王族が就任。国家安寧を祈り、王国の守護者として祭祀を担った。「聞得大君御殿雲龍黄金簪」第二尚氏時代・15〜16世紀、沖縄県立博物館・美術館。

撮影:吉川慧

外交では時の中国王朝の朝貢国となりつつ、日本とも交流。さまざまな国との繋がりの中で、特色豊かな独自の琉球文化を形成した。

ただ、近現代では周辺諸国の環境の変化から、琉球は苦難の歴史を歩むことを強いられた。

17世紀初めには薩摩・島津氏が侵攻。徳川幕藩体制の下で琉球王国は中国と日本に両属する立場となった。明治維新で江戸幕府が倒れると、その影響は琉球にも及んだ。

1872年、琉球王国は明治新政府により「琉球藩」とされ、王家の尚氏を藩王とした。ところが、明治政府は1879年に軍隊・警察を動員して琉球藩を廃止し、強制的に「沖縄県」の設置を宣言。ここに450年におよぶ琉球王国は解体され、その歴史を閉じた。

ペリー訪問時、首里城北殿に掲げられていた扁額「高牖延薫(こうゆうえんくん)。「高い窓から薫る風が招き入ってくる」という意味。地理学者である志賀重昻が所蔵したことで戦禍を免れた。扁額「高牖延薫」全魁筆、第二尚氏時代・1756(乾隆21)年、岡崎市美術博物館蔵。

ペリー訪問時、首里城北殿に掲げられていた扁額「高牖延薫(こうゆうえんくん)。「高い窓から薫る風が招き入ってくる」という意味。地理学者である志賀重昻が所蔵したことで戦禍を免れた。扁額「高牖延薫」全魁筆、第二尚氏時代・1756(乾隆21)年、岡崎市美術博物館蔵。

撮影:吉川慧

これ以降、沖縄では近代化が進められたが、それは日本への「同化」でもあった。

近代において「沖縄学の父」と呼ばれる伊波普猷(いはふゆう)。その著書『古琉球』は、古典琉球独自の歴史や言語・民俗・文化を解説したものだ。

『古琉球』伊波普猷著、1911(明治44)年、沖縄県立芸術大学芸術文化研究所。

『古琉球』伊波普猷著、1911(明治44)年、沖縄県立芸術大学芸術文化研究所。

撮影:吉川慧

「沖縄学」の第一歩とも評されるこの本は、「柳田国男や折口信夫はじめ多くの研究者にも影響を与え、琉球諸島のもつ学問的意味を認識させる契機をつくった」(特別展「琉球」公式図録、「古琉球」解説より)とされる。

那覇市のサイト「戦跡案内~オンライン体験版~」では、伊波について「沖縄の文化、民俗は基本的に日本と同一という、『日琉同祖論』を唱えつつ、早くに日本文化から枝分かれした沖縄は一地方を越える豊かな文化を持つとした」と解説している。

一方で、伊波の『古琉球』や「日琉同祖論」が、結果として沖縄の皇民化教育に影響を与えることになったとも指摘する。

「沖縄の人々に沖縄人としての誇りを持たせたが、同時に、結果として皇民化政策を受け入れる下地を作ることになった」

特別展「琉球」公式図録も、こう指摘する。

「本書(『古琉球』)は同時代の沖縄の皇民化教育への影響と反発の流れを生んだ。それまで相互に異文化と認識されていた日本と琉球の文化同一性を見出した伊波の『日琉同祖論』は、日本への同化に推進された側面も否めない」
(特別展「琉球」公式図録、「古琉球」解説より)

沖縄は「過去を未来に伝える」という歴史の継承においても苦難に見舞われた。

琉球処分の後、首里王府にあった公文書などの史資料は日本政府に引き渡され東京へと運ばれた。ところが1923年の関東大震災によって、これらの資料のほとんどが消失した。

そして1945年、太平洋戦争末期の壮絶な沖縄戦 ──。住民が巻き込まれた地上戦で約20万人あまりもの人が犠牲となった。

今回の特別展では、沖縄戦の影響で破損・消失した史資料のうち、かろうじて残った一部も展示されている。これらは琉球・沖縄に刻まれた悲痛な過去から「目をそらしてはならない」と訴えているかのようだ。

航海の神でもある熊野権現が祀られた波上宮に伝来した沖縄唯一の高麗鐘。波上宮は王府より特別な扱いを受けたとされる琉球八社の首座だが第二次世界大戦で消失。本鐘も大破したが、龍頭部のみが残った。沖縄県指定文化財「旧波上宮朝鮮鐘龍頭残欠」高麗時代・956(顕徳3)年、沖縄県立博物館・美術館

航海の神でもある熊野権現が祀られた波上宮に伝来した沖縄唯一の高麗鐘。波上宮は王府より特別な扱いを受けたとされる琉球八社の首座だが第二次世界大戦で消失。本鐘も大破したが、龍頭部のみが残った。沖縄県指定文化財「旧波上宮朝鮮鐘龍頭残欠」高麗時代・956(顕徳3)年、沖縄県立博物館・美術館。

撮影:吉川慧

戦前の旧首里城正殿前にあった大龍柱。沖縄戦で胴部分の中ほどから下の部分が失われた。「大龍柱」(旧首里城正殿前)第二尚氏時代、1711(康煕50)年、沖縄県立博物館・美術館

戦前の旧首里城正殿前にあった大龍柱。沖縄戦で胴部分の中ほどから下の部分が失われた。「大龍柱」(旧首里城正殿前)第二尚氏時代、1711(康煕50)年、沖縄県立博物館・美術館。

撮影:吉川慧

琉球王家の菩提寺「円覚寺」山門にあった仁王像の残片。沖縄戦で破壊されたが、戦後間もなく阿吽形合わせて13の破片が首里市民らに寄って収集され、沖縄県立博物館に収蔵された。「旧円覚寺仁王像残片」[当初材]室町時代・15〜16 世紀、[後補材]第二尚氏時代・18〜19世紀、沖縄県立博物館・美術館

琉球王家の菩提寺「円覚寺」山門にあった仁王像の残片。沖縄戦で破壊されたが、戦後間もなく阿吽形合わせて13の破片が首里市民らに寄って収集され、沖縄県立博物館に収蔵された。「旧円覚寺仁王像残片」[当初材]室町時代・15〜16 世紀、[後補材]第二尚氏時代・18〜19世紀、沖縄県立博物館・美術館。

撮影:吉川慧

戦後も27年にわたって米軍統治下に置かれた沖縄は、1972年5月にようやく日本に復帰を果たした。しかし、それから半世紀を経たいまも、米軍基地をめぐる問題など沖縄をとりまく課題は残りつづけている。

展示風景より。

展示風景より。

撮影:吉川慧

浦添市美術館の宮里正子館長は、今日までの歴史的な経緯を踏まえて「日本の国家に段階的に組み込まれていった県が沖縄県と言えるであろう」と指摘する。

およそ450年間続いた独立国家の琉球王国は、1872(明治5)年の琉球藩設置に続き、1879(明治12)年の廃藩置県により崩壊した。

近代沖縄では、中国や日本の影響をうけ育まれた独自の琉球文化は、日本への同化教育がその文化を消滅へと向かわせた。

1945(昭和20)年の第二次世界大戦では、尊い人命や文化財が壊滅した。そして27年に及ぶ米軍統治の後、1972(昭和47)年5月15日に新生沖縄県が生まれたが、現在も基地の存在は県民の大きな課題である。

このように、日本の国家に段階的に組み込まれていった県が沖縄県と言えるであろう。
(宮里正子「復帰後の美術工芸活動──沖縄国際海洋博覧会沖縄館、浦添市美術館、琉球国王尚家関係資料の分析と保存について」、特別展「琉球」公式図録より)

沖縄返還と前後して、琉球・沖縄のアイデンティティーを取り戻すための活動もはじまった。

沖縄戦で失われた文化遺産の復元・模造はいまも進められており、今回の展示でも「手わざ」(製作技術)の研究などが紹介されている。先に紹介した円覚寺の仁王像も残片をもとに琉球王国時代の姿が復元された。文化の復興と継承はこれからも続く。

今回の展示の中には琉球に伝承された古歌謡「おもろ」がまとめられた歌集『おもろさうし』があった。

この歌集に関心を寄せられたのが、上皇さまだった。上皇さまは皇太子時代から、琉球・沖縄のことを理解しようと『おもろさうし』などから琉歌を学ばれていた。沖縄学の第一人者だった故・外間守善氏からも進行を受けた。

1975年の沖縄初訪問時に「ひめゆりの塔」を訪れたときのこと。上皇さま夫妻(当時は皇太子夫妻)に火炎瓶が投げつけられる事件が発生した。その日の夜、上皇さまが公表された談話には、以下のような言葉をつづられた。

過去に多くの苦難を経験しながらも、常に平和を願望し続けてきた沖縄が、先の大戦で、我が国では唯一の、住民を巻き込む戦場と化し、幾多の悲惨な犠牲を払い、今日にいたったことは忘れることのできない大きな不幸であり、犠牲者や遺族の方々のことを思うとき、悲しみと痛恨の思いにひたされます。

私たちは、沖縄の苦難の歴史を思い、沖縄戦における県民の傷跡を深く省み、平和への願いを未来につなぎ、ともどもに力を合わせて努力していきたいと思います。

払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人びとが長い年月をかけて、これを記憶し、一人ひとり、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません。
(1975年7月17日夜、ハーバー・ビュー・ホテルで侍従を通じ発表)

2022年5月15日は「沖縄の日本復帰50年」の節目だ。だが同時に、琉球・沖縄が育んだ独自の文化、歩むことを強いられた苦難の歴史に触れ、これらを未来に伝えようと尽力する人々の努力に、改めて心を寄せるきっかけにしたい。

特別展「琉球」は東京国立博物館が6月26日まで、九州国立博物館が7月16日~9月4日まで。

(文・吉川慧

※情報を追記しました。(2022/05/15 11:04)

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