一皿100円の商品の終了を発表したスシローは海外への進出を積極化している。
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「男に高い飯をおごってもらえるようになれば、絶対に食べない」
吉野家の偉い人は自社の商品をそう落としてみせたらしいが、地方から上京した19歳の時に吉野家の牛丼に見向きもしなかった私は、30半ばを過ぎて中国で6年間生活する中で、そのすばらしさを認識した。
吉野家をはじめとする牛丼、回転寿司、うどん、焼き鳥……と日本の外食チェーンは外国人の評判がすこぶる高い。
中国人外交官の家族をくら寿司に案内したときは、10代のお子さんが「店ごと中国に持って帰りたい」「次は領事館のスタッフ全員で来たい」と感動していた。
日本人にとって陳腐に見えるかもしれないチェーン店は、多くの外国人にとって「洗練されたサービス」「魅力的でおいしい料理」を兼ね備えたクールな店なのだ。
加えて言えば、海外の外食事情を知れば知るほど、どの店舗でも同じ品質の商品を提供できる日本のチェーン店のオペレーションは、ある意味職人芸に思える。
少なくとも中国はそうではなかった。「チェーン店なのに店舗によって濃さや辛さが違う」と現地の友人に話したら、「作っている人が違うんだから当たり前だろう。同じ人が作ったとしても気分によって味が変わるものだ。悲しいときは塩を多めに入れることだってある」と返ってきた。
そしてチェーン店の料理の価格はサービスや品質の水準に対して申し訳なさを感じるほど安い。野菜や汁物がセットになったワンコインランチは、外国人から見るとバグっていると言ってもいいくらいだ。一時帰国のたびに私は日本のチェーン店のレベルの高さを実感し、頻繁に通うようになった。
価格破壊だった一皿100円、平成・令和のスタンダードに
日本の100円ショップは外国人にも人気が高い。
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先日、回転寿司のスシローが100円皿を終了するというニュースが話題になり、1995年前後に渋谷にオープンした同業店舗を思い出した。
大学の友人と焼き肉やスイーツの食べ放題の情報を見つけては出向いていた当時、渋谷に「一皿100円~」の店ができたと聞き数人で食べに行った。そこでは円形のカウンターの向こうで、大勢の職人が寿司を握っていた。当時の回転寿司はファミリー向けではなく、一皿200~300円が相場だったと記憶している。渋谷の100円回転寿司の店は価格破壊として話題になり、連日行列ができた。
今思えば、バブルが崩壊して日本がデフレに入ろうとしていた頃だ。スシローの前身企業が一皿100円均一の店舗を出店したのが1996年、1994年にフリースを開発したユニクロが原宿に出店したのが1998年だった。
「価格破壊」と報じられた回転寿司の一皿100円という価格は、30年近く経った今では大手チェーンのスタンダードになっている。
家具や雑貨、服、下着、眼鏡……私の周りにある物の多くは、仕送りとバイト収入で生活していた学生時代より安く手に入れた物だ。百均、ニトリ、ユニクロなどは四半世紀前は「ちょっとダサい」とのイメージもあったが、ユニクロはヒートテック、ブラトップ、エアリズムと機能性の高い衣類を次々に開発し、気づけば私のクローゼットはユニクロで埋まっている。
そしてどのブランドも、価格は変わっていないのに品質は向上している。100円寿司も1000円ちょっとのフリースも、初めて見たときは「こんなに安いのは裏がある」と疑ったが、安くて高品質は今の日本ですっかり当たり前になっている。
日本旅行で掃除機12台爆買い
私は中国生活で、社会人になって初めて「経済成長」を体感した。
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ただし冒頭で述べたように、多くの国の人にとって日本レベルの「安くて高品質」は、ほとんど奇跡だ。
「爆買い」が流行語になった2015年、中国人が日本に押し寄せ、炊飯ジャー、温水便座、化粧品……と手あたり次第買っていった。知り合いの中国人女性は日本でスティック掃除機を12台買って、税関で転売目的ではないかと疑われた。いわく、あまりの安さに親戚に配るつもりだったという。
別の友人は日本旅行で50万円のコートを衝動買いした。彼女は「日本の物を見ると『買わないと損をする』とすら感じてしまう」と話していた。私にとって50万円のコートは高いけれど、彼女は「中国で買うのに比べたら安い」と言い切った。
両国を行き来するうちに私もその感覚が分かるようになり、一時帰国するたびに服や日用品、それこそサランラップまで大量買いして中国に持ち帰った。当時も今も、国民の平均所得は日本の方が高いのに、商品を互いの通貨に換算すると、なぜか日本で買う方が安く、かつ品質もよい物が多い。
その数年前までは世界的に「日本の物価は高い」という認識があった。アジアから日本に来た留学生は物価の高い日本で生活するためにバイト三昧だった。その感覚が残っていただけに、「安くなった日本」には複雑な気持ちだった。
自国の成長と円安が体感的安さを加速
中国目線で見ると、日本の安さには2つの理由があった。1つ目は自国の経済成長だ。
日本ではここ最近、スシローだけでなく餃子の王将、吉野家、鳥貴族など数多くの飲食チェーンの値上げが報じられているが、中国で飲食店の値上げは当たり前のことでありニュースになどならない。
春節(旧正月)で日本に一時帰国し再び中国に戻ると、通っている飲食店が申し合わせたように値上げしていた。日本ではあり得ない頻繁な値上げに私は「やっていけるだろうか」と心配したが全くの杞憂だった。
留学生だったころは支給される奨学金が2年目に一気に1.5倍に増額された。その後、現地の大学で4年間働いたがその間に月給は2.5倍になった。給料も物価も当たり前のように上がる国にいると、日本の物価は体感的にどんどん安くなっていく。
日本が安くなったもう1つの理由は為替だ。2015年は元高円安が急速に進行して、元換算すると日本の商品やサービスの価格が2割くらい下がった。それが爆買いの伏線にもなっていた。
コロナ禍で日本は訪日外国人の入国を制限しているが、制限が緩和されるであろう6月以降に入ってくる外国人は、日本の安さを今まで以上に感じるはずだ。
焼き魚定食、海外では1000円超
中国の旅行会社によると、日本は「ミシュラン掲載のグルメを一番安く食べられる国」として人気だという。
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最近話題に上がっている原材料価格の上昇は今に始まったことではない。例えば魚介類は世界的な和食ブームや中国人の需要増でずいぶん前から値上がりが続いている。ニューヨークで日本のラーメンが2000円する話はわりと知られているが、タイや中国のような新興国でも、焼き魚定食が1000円を超えるのは珍しくない。
しかし日本企業は長年にわたって利益を削り、人件費を削り、オペレーションの改善を繰り返し、同じ価格で提供してきた。しかもそんな無理ゲーの中で、品質を向上させている。コストの上昇分は商品価格に転嫁すべきだとは分かっていても、日本人の収入が上がっていないし、デフレ慣れした消費者のマインドを変えるのは容易ではない。
ウクライナ危機が円安、原材料高を加速させ、最近は久々に値上げラッシュが起きている。日本人も今回ばかりは「仕方ない」という反応が多い。ただ、中国に住んでいたときのような「物価上昇に合わせて給料や年金が上がる」イメージは、日本では全く湧かない。
私自身、大学に入ったときにはバブルが崩壊しており、氷河期就活でどうにか入社できたのも斜陽産業だったから、日本での社会人生活の大半は消耗戦、撤退戦、コストカットに追われてきた。「安い日本」はアジアで取り残された結果だと分かってはいても、反転の糸口が想像できない。
数年前に20代の中国人と都内を歩いているとき、「この辺のアパートの家賃は私が学生のころと変わっていない」と何気なく言うと、「そんなことが現実にあるのか」ととても驚かれた。その中国人に、スシローが一番安い皿を100円(税抜き)から値上げするのは1984年の創業以来初めてという話をしたら、どういう反応をするだろうか。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳者。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。