いま、テック系スタートアップの役員室で繰り広げられる会話の多くが、パーティーで盛り上がった後の頭痛のように重苦しいものになっている——異口同音にそう語るのは、Insiderが取材したベンチャー投資家および金融関係者8人だ。
2021年のベンチャーキャピタル(VC)投資は過去最高を記録した。しかしその後は新たな資金調達が困難となり、IPO市場は凍結された。スタートアップもテック大手も経費削減に追われ、従業員の解雇も行われている。
しかしこうした状況の中でも、舌なめずりしている投資家がいる。M&Aのディールメーカーたちだ。現在の市場は、彼らにとってはバーゲン・ハンティングに格好の場なのだ。
引き受け先探しに奔走するスタートアップも
「スタートアップのM&Aは大幅に増えるでしょう。問題は、誰が買い手で、どの段階で買うかです」
大手VCメンローベンチャーズ(Menlo Ventures)でパートナーを務めるマット・マーフィー(Matt Murphy)はそう語る。
ディールメーカーは、過剰なまでにディール先探しをしている。先日はテック大手の上場企業の代理人である2人のM&A投資銀行家が、シリコンバレーのグロースキャピタルに接触し、スタートアップの買収候補を尋ねた。
「M&A担当者は買収先を探しに行き、その候補リストを作成しています」と、そのVC担当者は述べた。
Insiderの取材に応じた銀行家やVCによると、現在(あるいは近い将来)過剰に評価されて資金不足に陥っているスタートアップが、救いの手を差し伸べてくれる買い手を求めているという。
また、アーリーステージからミドルステージのスタートアップに投資するVCは次のように話す。
「私が参加している3つの取締役会では、これらのスタートアップのための引き受け先を探し始めています。前回の価格が高かったことは事実です。次のラウンドでは高価格を正当化するストーリーは描けないかもしれない。だから今から準備しているんです」
シリコンバレーで同じくアーリーステージからミドルステージに特化する別のVCも、「ポートフォリオ内のスタートアップにも買収の話が出始めています」と明かす。「現在は好餌に群がっている状況なので、バイヤー側も積極的に打診してきているんです。商談は桁違いに増えていますね」
しかし、現在のM&Aは過去の状況とは異なる。通常ならば買い手になるのは豊富な資金を持つテック業界最大手の上場企業だが、これらの企業が規制当局の監視下にあって慎重になっているからだ。では中小規模の上場企業はどうかというと、こちらは業界全体に広がる「市場からの退出」のあおりをまともに受けて株価が下落し、身動きがとれなくなっている。
困難な道を歩むゾンビスタートアップ
いま資金不足に陥っているスタートアップは、ここ数年見られなかったような窮地に立たされるおそれがある。
新規の資金が完全に枯渇したわけではないが、VCは以前より慎重になっており、それがユニコーン企業に熱狂した2021年よりも低いバリュエーションにつながっている。Crunchbaseによれば、2022年4月のベンチャー投資総額は470億ドル(約6兆1100億円、1ドル=130円)と、過去12カ月で最低の水準だった。
その一因は、ソフトバンク・グループやタイガー・グローバル(Tiger Global)などの大手投資家による投資の大幅な減速だ。
ソフトバンクの孫正義会長兼CEOは先日の電話会議で、「昨年と比較すると、新規投資額は半分か、4分の1程度になるかもしれない」とアナリストに語っている。また、最近のハイテク企業の株価下落で170億ドル(約2兆2100億円)を失ったと報じられているタイガーについては、レイターステージの投資を大幅に減らしたことを複数の関係筋がInsiderに明かしている。
また、ミドルステージのあるVCは、アーリーステージのスタートアップの多くはシリーズBやCラウンドの資金調達ができないだろうし、レイターステージで新たにユニコーンの称号を手にしたスタートアップの多くは、より高いバリュエーションをつけてくれる投資家を見つけられないだろうと予想している。
「過去12〜18カ月に行われたグロース株取引の70%は水面下に落ち込んでいます」と、アーリーステージを扱うホクストン・ベンチャーズ(Hoxton Ventures)のパートナー、フセイン・カンジ(Hussein Kanji)は言う。
「こういう企業は要するに、バリュエーションという観点からはもう歩く屍(しかばね)ですよ。何社かはM&Aに活路を見出すでしょうね。それが資本を持ち直すひとつの手段ですから」
しかし、買い手を見つけられるかは別の問題だ。ミドルステージのあるVCは次のように指摘する。
「予想される痛みとしては、資金調達や買収に必死になる企業がたくさん出てきても、直近のバリュエーションが1億ドル(約130億円)を優に超えていたスタートアップは簡単には買えないでしょうね」
Cameoやダイエット・スタートアップのNoomなど、キャッシュバーンレート(単位期間当たりに消費するキャッシュを示す指標)を下げるためにレイオフに踏み切ったユニコーンもすでに数多く存在する。
「これらの企業のほとんどは、ユニコーンとしてエグジットすることはないでしょう」と、このミドルステージのVCは見る。
VCはディールで損をすることを覚悟しているが、給与の大部分を株式で受け取ることが多い従業員も損をする可能性がある。
「過去2年間に高いバリュエーションで資金調達したスタートアップは、何らかの譲歩をしなければならない可能性が高くなります」と、ミドルステージのあるVCは言う。「こうした買収が増えれば誰も幸せにならないでしょう。特に過去2年間に入社した社員はそうですね」
上場企業はまだ大きな買い物をしない
2020年後半、Twilioは顧客データのスタートアップであるSegmentを32億ドル(約4160億円)相当の全額株式交換で買収した。職場のセキュリティ企業であるOktaも同様で、2021年春に65億ドル(約8450億円)相当の全額株式交換でAuth0を買収している。
しかし、この半年間でOktaもTwilioも株価を70%近く下げた。
公開株式市場が低迷しているため、特に中堅テック企業によるこうした超大型の全額株式交換案件は、手詰まり状態になっている。アーリーステージからミドルステージのスタートアップを狙うあるVCによれば、この種のM&Aは停滞しているとして次のように語る。
「こういう企業は、1億〜20億ドル(約130億〜2600億円)規模で再び大型の買収を仕掛ける前に、まず株価が安定する必要があります。10億〜20億ドル(約1300億〜2600億円)規模の買収は、いま軒並みお預けになっています」
シャムロック・キャピタル(Shamrock Capital)のパートナーであるマイク・ウィルキンス(Mike Wilkins)は、あるスタートアップの買収案件で、上場しているハイテク企業の株価が大きく下落したために破談になったのを目撃している。ウィルキンスは次のように振り返る。
「非常に厳しい現実を物語っています。買収側の会社は、この厳しい時期に、株価にさらなるプレッシャーを加えたくなかったんでしょう」
キャッシュリッチなテック大手も、規制当局の監視下にある今、買収には動きづらい(写真はイメージです)。
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一方、グーグル、メタ、アマゾン、マイクロソフトのような、超大型買収を全額キャッシュで行えるだけの資金を持つ買い手は、新たに厳しくなった規制環境に直面している。
「アメリカ企業は厳しく監視されているため、閉塞感が漂っています」と、前出のホクストンのカンジは語る。「小規模な買収はあっても、大規模な買収への意欲は、少なくとも規制に直面している企業の間では、ディールをまとめるうえでかなり高いハードルになっているでしょうね」
特に難しいのは、個人情報を取り扱う企業の買収だろう。「規制当局は、個人情報を取り扱う企業を強化するどころか解体することを望んでいますから、個人情報を取り扱う企業が救世主になるというのは望み薄です」と、メンローベンチャーズのマーフィーは言う。
上場企業にとって最も容易なのは、既存の製品やサービスを補完する小規模の企業(たいていは未上場)を狙う「タックイン」買収だと複数の投資家は見ている。
「上場企業がもっと小さなスタートアップを買収するタックインM&Aが増えるでしょう」と言うのは、グレイロック(Greylock)のパートナー、アシェム・チャンドナ(Asheem Chandna)だ。チャンドナは、5000万〜2億5000万ドル(約65億〜325億円)規模のM&Aが活発化すると予測する。
こうした古典的なバイヤーの間では、すでにそうした警戒心が働いている。Crunchbaseのデータによると、アメリカのスタートアップを買収する上場企業の数は、2021年第1四半期中は150件だったのに対し、2022年同四半期は99件と減少した。
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スタートアップがスタートアップを救済
となると最も積極的な買い手となるのは、特に2021年の大規模な増資で資金を得たレイターステージの企業かもしれない。
2022年の第1四半期には、過去10年間のどの第1四半期よりも多くのスタートアップが他のスタートアップを買収したことをCrunchbaseのデータは示している。
別のミドルステージのVCは、「Carta、Discord、Project44クラスの企業が1億ドル(約130億円)台のスタートアップを買収して、マーケットとバリュエーションが上がることを期待して創業者と従業員に直近の資金調達ラウンドの価格で株式を付与する、ということもありえますね」と語る。
実際、プロジェクト44(4億2000万ドル(約546億円)の資金調達に成功したと2022年1月に発表した物流スタートアップ)は、買収先を探していることを認めた。広報担当者によると、同社は「資金調達が難しくてもビジョンを実行し続けたいスタートアップを買収し、成長を加速させることができる強力な立場」にあるという。
ターゲットとなる業界は?
あるVCいわく、同社が投資するサイバーセキュリティやサプライチェーンのスタートアップには、すでにディールメーカーが目を光らせているという。
また、SaaS企業は信頼性の高いサブスクリプション型のビジネスモデルを採用しているため、特に上場企業の買い手の格好のターゲットであるという点は耳目の一致するところだ。
ジェフリーズ(Jefferies)のマネージングディレクターでグローバルテクノロジー投資銀行部門の共同責任者であるキャメロン・レスター(Cameron Lester)は、「プライベートエクイティやストラジック投資家は、昔から好んでSaaS系スタートアップに投資していますよ。定期的な収益が挙げられる点、予測がつきやすい点がいいんでしょうね」
また、マイクロソフトが2022年1月に687億ドル(当時のレートで約7.8兆円)でアクティビジョン・ブリザード(Activision Blizzard)を買収した余波で、ビデオゲーム関連のスタートアップのディールが増える可能性もある。
「ビデオゲームの分野では今後も大きなM&Aが行われると思います」と、モバイル・ビデオゲーム会社スコープリー(Scopely)の共同創業者兼共同CEOであるウォルター・ドライバー(Walter Driver)は言う。
「今後もプライベートエクイティは引き続き活発に動き、またマイクロソフトがアクティビジョンで行ったように、大手テック企業やメディア企業がゲーム分野で勝負する道を模索し続けるでしょう」
SVB証券のテクノロジー系投資銀行部門のシニアマネージングディレクターであるロバート・ジャックマン(Robert Jackman)は、デジタルメディアやオンラインショッピングのスタートアップは機が熟していると見ており、またジェフリーズのレスターは自動運転車メーカーが潜在的なターゲットになると考えている。
そして、こうしたディールを仲介するために待機しているのがVCたちだ。
「今後1年から1年半の間に、プライベート市場でのM&Aが増えるのではないでしょうか」と予想するのは、大手VCのアクセル(Accel)でパートナーを務めるヴァス・ナタラジャン(Vas Natarajan)だ。
「よく見かけますよ、VCが自社のポートフォリオ内でこうしたディールの仲介をしているのをね」
(編集・常盤亜由子)