5月13日から公開されている『流浪の月』。監督は『悪人』『怒り』を手がけた李相日さん。
(C) 2022「流浪の月」製作委員会
世間を騒がせた女児誘拐事件の「元誘拐犯」と「被害女児」として再会した男女の関係を描いた広瀬すずさん、松坂桃李さん主演の『流浪の月』が5月13日から公開されています。
2020年本屋大賞を受賞した凪良ゆうさんの原作小説を映画化した本作は、インターネット社会による「晒し」や恋人へのドメスティックバイオレンス(DV)などリアルな世相を反映させた内容になっています。
『悪人』(2010)『怒り』(2016) に続き、大作でありながらメッセージ性のある作品を世に送り出した、監督・脚本担当の李相日(リ・サンイル)さん に、作品制作の経緯や映画制作に対するスタンスなどについて聞きました。
かつての日本映画を追いかけて
広瀬すずさん演じる家内更紗は、ふとしたきっかけで大学生・佐伯文とともに暮らすことになる。
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── 吉田修一さん原作作品の『悪人』そして『怒り』もそうでしたが、李監督の作品はその時々の社会を映し出す要素が作品の中に反映されています。
李:今という時代性は常に意識して題材を選んでいます。
今回の『流浪の月』の原作である凪良ゆうさんの小説には犯罪の加害者・被害者に対するインターネットを利用した「晒し」など現代社会特有のシビアな世界が描かれていました。更紗(さらさ)と文(ふみ)の関係性だけでなく、彼らを取り巻く世間という視座があったからこそ、針が触れたとも言えます。
── 日本の映画界は、娯楽色の強いエンタメ大作か社会的なテーマを据えたインディーズ作品の二極分化が進んでいるといわれています。李監督が製作するような、エンターテイメントでありながら社会的なメッセージのある大作は、なぜ可能なのでしょうか。
李:僕自身がそこを目指しているというのはあるかと思います。一昔前の日本映画には大作でありながらメッセージ性の強い作品は多々ありました。
黒澤明監督の作品もそうですし、野村芳太郎監督の『砂の器』(1974)もそうでした。例を挙げればきりがない程にそういう作品はあったんです。
ところが、現在の日本映画界は、大作=エンタメ色が強い傾向に陥りがちです。 僕自身はかつてあったものを追いかけてやっている感覚です。そして、出資する製作サイドもどこかで、娯楽作品だけでは物足りないという渇望感があるのだと思います。
被害と加害のグラデーション
松坂桃李さんは、更紗を家に迎え入れ、後に誘拐犯として逮捕される佐伯文を演じた。
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── 作中で、文が「僕はハズレですか?」とつぶやくシーンが印象に残りました。文は「誘拐犯」という加害者でもある一方で、正しさを要求する母との過去を見ると被害者でもあり得ます。文の母親はメディアでも話題になっている「毒親」とも言えると思いますが、当事者の方へ取材はしたのでしょうか。
李:いえ、これは自分で考えて書きました。自分自身の経験を振り返ってもそうなのですが、親子であっても「決定的に伝わらない何か」が存在するということはあります。最も身近であったはずなのに、気がつけば通じるものが霧散してしまった。
そういう「伝わらない感じ」を出せたらいいなと。
── 一方で、自分で自分のことをコントロールできず、恋人の更紗に暴力を振るってしまう亮(横浜流星さん)との関係性は胸に迫り来るものがありました。暴力を振るう一方で更紗に依存して生きている。このキャラクターを描いた想いは。
李:自分の身の回りでも、注意深く聞くと「実は……」という人がいて、DVが比較的身近に潜んでいると感じます。
もちろん、どんな理由があっても暴力はあってはならないことです。しかし作品を撮るにあたっては、なぜDVが起こってしまうのか、完全に自分より力の弱い者に対して暴力に走らせてしまうものは何か、その根拠を考察しなければなりません。
もちろん、理由は簡単には見つかりません。「~だから、暴力を振るう」という単純な因果関係では捉えきれない部分もある。
更紗の現在の恋人であり、上場企業のエリート会社員を演じた横浜流星さん。
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しかしちょっとした出来心や状況がそうさせているのではないことは確かではないかと。そこにはものすごく深い闇があると感じています。
そして、周囲はそういう人を「信じられない」「特殊な人」と言いますが、その落とし穴は意外と身近にある気もします。自分の中にそれが200%ないと誰が断言できるでしょうか。
亮も急に暴力を振るったり、急に優しくなったりします。自己愛が強く、未熟で卑劣な人間性がさせるものですが、一方で自分ではコントロールできない「闇のようなもの」、制御不能な心の弱さがそうさせているのではないかとも思っていました。
わたし、亮くんが思うほどかわいそうな子じゃない
「いつもだったら流してしまうところを映画でならせき止めてみよう、という気持ちはある」(李さん)
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── 文の過去を執拗に追い続け、現在の様子をもウェブ上で晒してしまう、インターネット社会の歪みも描かれています。監督ご自身はデジタルネイティブではない世代ですが、作品において、ネット社会をどのように描こうと思いましたか。
李:例えば、電車に乗ると感じることですが、下を向く人が増えました。自分の身の回りに視線が行っていない。
画面の中に意識が没入して、その中で常に誰かと、何かとつながっているような気になっているのかもしれません。でも、肝心の顔を上げた時の世界がどれだけ見えているのか、とも思いますね。
更紗から引き離されて逮捕される文を野次馬の人たちがスマホで撮るシーンがありますが、ネット上で他人の過去やプライバシーを「晒す」人たちは、必ずしも「誰かに伝えなければ」という思いや「許せない」という正義感で撮っているのではないと感じます。
── スマホが身近になりすぎて「晒し」がある種、当たり前のことになってしまっている。
李:仮に正義感だとしても、撮られた人の思いは想像していないのではないでしょうか。その行為が、画面の中ではなく現実の世界にどういう影響をもたらすかということまで深く想像が及んでいないからこそ、簡単にできてしまう。
過激な例えですが、晒されて傷付いた人が自分の目の前で電車に飛び込んだ時に、自分のしてしまったことの重さに直面し恐怖を抱くのかもしれません。
現代社会に生きる我々にはリアルな世界と「つながっているつもり」という感覚がとてもあるような気がしています。
── 更紗は10歳で経験した誘拐事件以降、常に「かわいそうな子」というレッテルを貼られ、その後の人生を過ごします。同じように、犯罪の被害者となってしまった人は「被害者らしくしていないといけない」というような「レッテル貼り」に苦悩する方はどの社会にも存在すると感じます。
更紗は「かわいそうな誘拐の被害者」としてのレッテル貼りに苦しむことになる。
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李:原作の「わたし、亮くんが思ってるほどかわいそうな子じゃないと思うよ」という言葉を読んでハッとしました。自分も物語を読みながら「この子には優しくしないと」と思っていたからです。
同情のつもりが憐みになり、そのことが当事者を傷付けてしまう。他にも、ハッとさせられる表現が原作小説にはいくつもありました。
極論を言うと「経験しないと分からない」というのが人間だと思います。自分も含めて、人は経験していないこと、実感していないことに日々思いを巡らせるほどよくできてはいません。そして皆、自分自身の人生を生きることに必死なので、それは仕方がないことかもしれません。
ただそれを「自分が経験していないから関係ない」と流してしまうか、一瞬でも「いや、ちょっと待て」と踏みとどまり、その人の立場になって考えてみるか。その差は実際にはゼロと100ぐらいに大きい気がしています。
いつもだったら流してしまうところを映画でならせき止めてみよう、という気持ちはあります。そして、自分の作る映画がそういう心持ちになれる楔(くさび)になればといいなと思っています。
── 李監督は登場人物に憑依しているのではないかと思えるぐらいに「その人の立場」から世界を描いていると感じることがあります。人物像やセリフを考える時はどのようなスタンスで登場人物たちに向き合っているのでしょうか。
李:憑依ということはありません。むしろ、人物像は客観的に見ています。ただ、「客観的に見る」ということは、放っておくと傍観者ですよね。しかし、傍観者のままでは映画は作れません。
自分は映画監督であって、評論家でもないし観客でもない。なので、不器用でもいいから当事者の心情に泳いで辿り着かなければと思っています。
映画界のハラスメント、起こさない仕組みを
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── 現在、映画界では一連のハラスメントの報道を受けて、暴力シーンやベッドシーンにおいて、どのようにして俳優の尊厳を守るか、ということが議論されています。この動きをどのようにみていますか。
李:基本的に暴力シーン、ベッドシーンを急に演技してもらうということはありませんし、アドリブもありません。
例えば、今回の亮の更紗に対するDVのシーンでは、台本に動きの描写があって、アクションコーディネーターが、俳優なしでシミュレーションをします。
「こういう動きをした時には、ここに障害物があるから危ない」など、ケガをすることのないように綿密にシミュレーションをして、大枠の動きの流れを決めます。そして、今回であれば亮自身の「弱さからくる暴力」はどういう表現になるのかを監督の僕自身が考え、それが見えたら俳優さんに伝えます。
動きの流れの段取りを一つ一つ決めた上で、はじめて俳優さんに入ってもらい、確認してリハーサルを行う。そして、その段階でどの角度からどこからどこまでを撮る、ということも決めて、それらがすべて整った後、本番の撮影となります。
── 一連のプロセスを通して、俳優の意に反する演出をしない仕組みづくりをしているのですね。
李相日監督。
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李:そうです。ベッドシーンに関しても同じです。
DVのアクションと同じで、事前にある程度動きは細かく決めて、どこまで触れていいのかについては、事前に俳優さん同士で確認もします。その上で特に女優さんの場合は、事務所サイドと撮影で何をどこまで見せるかということを確認します。
また、下着も衣装なので「こういうキャラクターならばこういう下着ではないか」と考えて用意し、前もってやはり本人と事務所さんに確認します。そういったことを事前にかなり厳密に決めた上で撮影に臨んでいます。
── 製作側と俳優側の間に入って、相互の意見を聞き、俳優をサポートするインティマーシーコーディネーターの存在が欧米では一般的になり、日本でも導入され始めています。
李:今、お話したような過程の中に第三者の方に入ってもらうのはいいことだと思います。
今回の撮影では、第三者の方に入って頂くことはなかったのですが、入っていただく場合、どういう役割を担って頂くのかがもう少し明確になればいいと感じています。
あくまでスタッフ、キャストの間での信頼が大切で、「インティマーシーコーディネーターが現場にいたので大丈夫」というように、その存在が免罪符になってはいけないのではないでしょうか。
映画との向き合い方、もう一度考えて
──現場にいる立場から見て、報道にあるようなハラスメントが起こってしまう原因はどこにあると思われますか。
李:「映画界のハラスメント」と一口に言っても、さまざまなものがあると思います。また、当事者と周りの見る風景は全く違うものかもしれません。それこそ「その人の立場になって」みないと分からないことが多く、一概に横並びにして論じることは難しいと感じています。
もちろん、誰が見ても聞いてもダメなものははっきりしているものの、ハラスメントについての明確な線引きは簡単ではありません。
── 確かに、お互いの信頼関係があってこそ言えることというのもあると思います。
人間のやることは白か黒だけではなく、グレーなものが多いと思いますので。そうした状況の中でそれぞれがどのようにジャッジしていくのか。
それはとても難しい問題で、結局は、一人一人の映画に対する向き合い方でしかないと感じています。さまざまなケースを想定して議論を重ねながら自浄していかねばなりません。
ただ、報道されているようなことについては「そんなことのために映画を振りかざすのであれば、もう映画を作ることを止めたら?」としか言えません。
何が一番大事で何が一番したいのか、ということだと思います。例えば、報道されているようなことがまかり通ってしまったら、映画作り自体に持続可能性がなくなってしまうと思います。
「定義できない関係」描きたかった
「この二人の魂の結びつきを全面的に肯定し、二人にしか分からない関係を描きたかった」
(C) 2022「流浪の月」製作委員会
── 社会的なメッセージのある大作を、持続可能に作っていくためには何が必要なのでしょうか。
李:やはり資金がなければ大きくは作れません。そして、資金を集める上では原作や脚本はもちろん、俳優たちの力が不可欠です。
原作、脚本、俳優の力、全ての要素が合わさった時に、出資するプロデュース側に「エンターテイメントだけれどもメッセージ性の強いものが作れる」という作品の器が見えないといけないと思います。一つでは足りません。それらが揃ってはじめて成立するのではないでしょうか。
── 本作では、友情、恋愛、親子愛などを超えた大きな意味での「愛」が描かれていると感じました。現代社会は複雑化しており、この作品で描かれているような「定義できないつながり」を今描くことの意味とはどこにあるのでしょうか。
李:更紗と文の間にあるものは、信じられないほど純度が高く、果たしてそれがこの世の中に存在し得るのだろうかと思うほどでした。
排除や不寛容が覆う世界で、この二人の魂の結びつきを全面的に肯定する。まずは更紗と文を信頼し、二人にしか分からない関係を描こうと考えたことからこの映画の制作は始まりました。
映画作りが終わった今でも、更紗と文の関係は定義はできません。
ただ、この物語が終わっても「この二人はずっとこの二人のままで行くのだろう」と思えました。 定義できる関係は、美しくもありますが、終わりがある気がします。
一方、この二人には「永遠の絆」があるようにも感じています。観客の皆さんにもその永遠を感じて頂けたら嬉しいですね。