2021年にPayPalの日本事業統括責任者に就任したピーター・ケネバン(Peter Kenevan)氏。
撮影:小林優多郎
普段からオンラインショッピングを楽しむユーザーにとって「PayPal」という存在は身近かもしれない。
海外のサイトでの支払い手段として指定されていたり、あるいは安全な取引を望むユーザーがPayPalをあえて選択したりと、その理由はさまざまだ。
そんなPayPal(PayPal Pte. Ltd.)の日本事業統括責任者としてピーター・ケネバン(Peter Kenevan)氏が2021年4月に就任した。アジア圏、特に日本の企業事情や文化に精通しており、本インタビューもすべて日本語で行われたほど現地語に堪能だ。
コロナ禍でまだ世間が混乱のただ中での東京支店トップ就任だが、PayPalはどのような展望を描いているのだろうか。今回独占インタビューする機会を得た。
コロナは追い風、トレンド分岐点での就任
インタビューでケネバン氏は開口一番、日本市場の本格開拓に向けた陣頭指揮を任されたことに喜びを表現した。
ケネバン氏:最初に言いたいのは「PayPalに来てよかった」ということですね。思っていた以上に市場のポテンシャルがあり、コロナが(オンライン取引市場を主軸とするPayPalの)追い風になっているというのもあるでしょう。
キャッシュレスやDX、ECといった日本市場全体での取り組みもありますが、何よりPayPal自身が日本に力を入れていこうというところです。
これだけ市場が大きいにもかかわらず、上振れの余地が大きい市場というのも少ないですよね。市場のニーズもあり、われわれ自身もそれに対してサービスを提供していこうというトレンドの分岐点に差し掛かっています。
コロナ禍で急増したPayPalのユーザー。
出典:PayPal
ケネバン氏の話す通り、非常に「おもしろい時期」にPayPal、ひいては国内のオンライン決済市場が差し掛かっているのは確かだろう。
もともとキャッシュレス対応を旗印に現金からのシフトを模索していたところに、コロナ禍というオンライン化に向けた大きな波がやってきた。
人流が制限され、人々はオンラインで買い物をせざるを得ない状況が出現し、越境ECであったり、各種ストリーミングサービスをはじめとするデジタルコンテンツ市場が大いに盛り上がった。
また、キャッシュレスの分野ではPayPalが2021年9月に3000億円での買収を発表したペイディ(Paidy)など、いわゆる「BNPL(Buy Now, Pay Later、あと払いとも言う)」が話題となり、市場の可能性は大きく広がった。
「この1年間を振り返ると、(市場が)伸びると思っていたし、実際に伸びている。活発なプレイヤーも出てきており、全体のパイが大きくなっていい市場ができつつある」とケネバン氏は加える。
撮影:小林優多郎
ケネバン氏:越境ECですが、これはPayPalならではのものです。
大企業というよりは小さめなところ、SMB(編集部注:中小規模の事業者)の取り組みをこれから加速させていきたいと思います。
安心安全で世界からお買い物。日本の素晴らしいコンテンツを海外に出すわけですが、実際に伸びてきています。
PayPalの実施したSMBを対象としたアンケートでは、ECに取り組んでいる、あるいは取り組みたいと思っている企業が45%でした。
その半分くらいはコロナ時代にECに参入してきた企業で、今後もこの分野を伸ばしていきたいと思います。
日本市場の大半がSMBなわけですから、ポテンシャルは大きいです。一方で越境ECを検討している人は多くてもまだまだ障壁があり、言語の壁であったり、クレジットカードを直接マーチャントに晒しても問題ないのかといった課題があります。
ペイディ買収の「3つの理由」
ケネバン氏はマッキンゼー・アンド・カンパニーに25年以上在籍していた人物で、就任前は同東京オフィスのシニアパートナーを務めていた。マッキンゼー時代は戦略とコーポレートファイナンス、そして主にM&Aを担当していたという。
企業が戦略的成長や市場拡大を実現する上で、どのように企業文化や市場への融合を進めていくかに心血を注いできた。
ゆえに日本代表として同氏に白羽の矢が立ったのは、PayPalというサービスをいかに日本市場に「馴染ませていくか」という点に着目されたといえる。そうした同氏の手腕が発揮されたものの1つがペイディ買収だ。
ケネバン氏:成長余地のある最重要市場として日本が浮上してきたわけですが、10年以上前から市場に存在するPayPalが日本で本当に大きな存在になるにはどうすればいいか、その舵取りのために私に声がかかったのだと思います。
すでに越境ECをはじめ、PayPalは日本で一定の地位を築いているわけですが、今後柱を増やしてパイを大きくしていくとなれば、(既存の経営資源で成長を実現する)オーガニック戦略だけでなく、(他社との提携や買収を通じて成長していく)インオーガニック戦略も検討しなければなりません。
日本ではいろいろなプレイヤーがおり、そういったパートナーを探す必要があります。越境ECではパートナリングも進める一方で、より踏み込んだ形でM&Aという選択肢がでてきました。
いろいろ候補がありましたが、ペイディは日本で伸びていく素晴らしいものを持っており、今回の買収という形になりました。
PayPalの過去の歩み。2010年に日本オフィスが開設された。
出典:PayPal
ケネバン氏:PayPal自身はサービス提供者であると同時に、ベンチャーキャピタル的な投資家の性格も持っています。
ペイディ自身は以前よりいい会社だと知っていましたが、ドメスティックな市場でPayPalが大きくなるために必要なものを考えたとき、選んだ理由の1つは(近年PayPalが力を入れている)BNPLという商品があり、同社がそのリーディングカンパニーである点です。
そして、商品の開発力もそうですが、2つ目の理由はビジネスモデルです。日本はご存じのようにコンビニ決済が盛んで、「オンラインで購入しても支払いは対面」というスタイルで「CoD:Cash on Delivery(決済代行)」の世界を形成しています。
これは日本ならではのビジネスモデルの一方で、非常にうまくまわっているビジネスでもあります。ペイディの強みはこの日本に合わせた形で作られたサービスという点で、日本市場開拓で大きな武器になります。
ペイディ代表取締役社長兼CEOの杉江陸氏。
撮影:西山里緒
ケネバン氏:3つ目の理由はすばらしい経営陣で、ラッセル・カマーと杉江陸の2名を中心として、私がいろいろな会社とお付き合いするなかでこれほどすばらしいマネジメントチームをつくっている会社はないと思います。
トップのうちの10数人は、日本をすごくよく理解している外国人と現地事情をよく分かっている日本人で構成されており、素晴らしい議論が繰り広げられています。こうした会社と組んでいくことで、越境ECのみならず、日本のドメスティックな市場もどんどん大きくしていきたいと思います。
もう1つ、ペイディの話で重要な部分が同社の「独立性」だ。ペイディ社長の杉江氏などがたびたびコメントで語っているが、買収後もPayPalとの密な連携はしていくものの、会社としての独立性は保ち、引き続きPayPalとは独立した形でサービスは提供していく予定だという。
もともとペイディはPayPalによる買収以前に、PayPalとの連携を前提とした「どこでもペイディ」というサービスもリリースしている。
これはPayPal決済が可能な加盟店でペイディ利用を可能にしていたりするが、連携はあくまで提携の一環という位置付けだ。この点についてもケネバン氏は言及している。
ケネバン氏:PayPalがグローバルプラットフォームということで、アメリカをはじめとして各地から先進的なものを持ってこられるというメリットがあります。
一方で、ペイディの優れたところは日本に向けた優れた商品ということであり、あまり最初から“ガチャン”と両者をはめ込んでしまうと、せっかくの商品を駄目にしてしまうかもしれません。
クロスボーダーでのM&Aを20年間にわたって見てきた立場として、そうした過程で失われるものは多くありました。
「急がば回れ」というわけではありませんが、ペイディの存在を尊重して大きく育てることこそ重要だと考えます。
決まった最終形というのはなく、ペイディらしさを尊重できればいいのです。いまPayPalにできるのは、そのスケールと財力、そして数々の経験の提供で、ペイディの取り込みそのものが目的ではありません。
日本におけるPayPalへのリクエストとロードマップ
撮影:小林優多郎
前述のように、PayPalが既存事業のテコ入れとして現在進めているのがSMBにおける越境ECだ。
コロナ禍で人流が制限された状態もさることながら、今後人流が回復することで越境ECの機会はより増えていくと想定される。
ケネバン氏は「備前焼をPayPalで買えないか」と言った友人の事例を挙げていたが、ビジネスチャンスはあっても越境ECに乗り出すにあたって躊躇する事業者は少なくない。
これを「ほぼほぼ面倒くさくなく提供する」(ケネバン氏)というのがPayPalの目標で、決済とアクセスサービス、各種プロテクションサービス、そしてパートナーと共同でショッピングカートの提供など、SMBをさまざまな側面から支援していく。
また、越境ECだけでなく、国内のオンライン取引も活発化してきている背景もあり、そこも含めて手を入れていくことになる。
逆に加盟店向け以外の日本のユーザーのニーズでいえば、興味が高まってきたBNPL市場ではいち早くペイディに手をつけた点は正しかったと同氏は述べる。
機能面では、海外で提供されているサービスを日本に導入してほしいというニーズも多く、例えば暗号資産(Crypto Asset)に対する興味も大きいが、サービス提供にあたっては複雑な側面もあり、市場の動向を見ている状態だという。
また、個人間送金に対するニーズも大きい。「なぜ(アメリカで人気の送金アプリ)『Venmo』を日本に持ってこないのか」という意見はたびたびあるという。
PayPalとしては日本市場ではまずECに注力し、次に越境ECやBNPL、そしてその延長線上としてウォレットにおける暗号資産など、ニーズを順番に広げていくという意向だ。
同様に、メタバースにおけるNFTなど、オンライン取引という点でPayPalの今後の存在はかなり大きなものになりそうだ。
グローバルの視点ではNFTも含め、この領域について前向きに検討を進めており、いかにバーチャルコマースの世界に食い込んでいくかはこれから注目すべきところだ。
ペイディ買収で日本市場でのBNPLに参入したPayPalだが、まだやってきていないサービスは多い。
出典:PayPal
ペイディ買収で国内BNPL市場には足がかりを得たPayPalだが、日本のユーザーが海外企業としてのPayPalを見たとき、まだまだ“物足りない”と感じるのは確かだ。
例えば北米であれば、PayPalウォレットに4種類のクレジットサービスが提供されていたり、それ以外にも新たなフィンテック商品の検討と導入が進められている。
ケネバン氏によると、(明示できる具体的な計画はないものの)日本市場への導入も検討はしているという。実際にどういった時間軸でそれら商品価値を持ってくるのか、そのあたりがユーザーとして非常に楽しみなところだ。
ウクライナ支援施策では「1カ月未満で300万ドル以上の送金」
PayPalは3月にウクライナに対する支援施策を表明している。
出典:PayPal
各国政府による規制の多い金融サービスということもあり、PayPalは市場ニーズと合わせて展開に慎重になっている部分が大きい。一方で必要に迫られれば開発からリリースまで非常に短期間でスムーズに展開が進むケースもある。
典型的なものがロシア侵攻におけるウクライナへの送金サービスだ。開発からわずか2週間で受け入れ可能な体制に持ち込んだという。
実はもともとウクライナで提供されていたPayPalウォレットでは送金機能のみしかサポートされておらず、受け取りはできなかった。
理由としては法令とリスクを鑑みたものだが、支援の観点から最優先で各種課題をクリアしつつリリースに漕ぎつけた形だ。
この機能はロシアの侵攻開始から1カ月ほど、つまりリリースから1カ月を経たずして300万ドル以上が送金されたことが報告されており、今後も強いニーズがあれば新機能が「Time to Market」を大幅に短縮して一足飛びにリリースされることになるかもしれない。