ラッパーであり音楽プロデューサーの日高光啓さん(右)とstu・黒田貴泰さん。
撮影:今村拓馬
ラッパーであり音楽プロデューサーのSKY-HI(日高光啓)さんが手がける7人組のボーイズグループ「BE:FIRST」。デビュー曲から早くもビルボード「Hot Trending Songs」で世界1位を獲得するなど、話題を呼んでいる。
日本の音楽業界を根本から改革したい ── 。
日高さんは、グループ結成オーディション時から、そう繰り返し語ってきた。そうして今回、BE:FIRSTの新曲のMV(ミュージックビデオ)制作のパートナーとして、クリエイティブカンパニー・stuを迎えた。stuといえば、2019年の紅白歌合戦で注目を集めた「AI美空ひばり」や、嵐の休止前ラストライブのAR演出などでも知られる。
今両者が感じる、音楽業界の問題とはなんなのか。stu CEOの黒田貴泰さんと日高さんに、このMV制作の意図と日本のエンタメビジネスの可能性について聞いた。
ミュージックビデオが流れ作業になっている
日高さんは2020年に音楽事務所「BMSG(Be My Self Group)」を立ち上げた。BE:FIRSTは同事務所からデビューした第2弾アーティストだ。
撮影:今村拓馬
── 今回、なぜstuと共にMV制作を手がけることになったのでしょうか?
日高:元々、MVの撮影がどうしても流れ作業的になってしまっているという課題意識はあったんです。
納期までに終わらせないといけないから、香盤の中でとりあえず優先順位の高いものから撮っていって、間に合わなかったら各々の顔のインサートで間を繋ぐ。アーティスト本人も、その制作の奥の意図にまで意識が及ばない。
それは予算も時間も余裕がなさすぎるという日本のエンタメ業界の問題でもあると思っていて。
事務所によってはバラエティ番組の収録が忙しいからリハの時間が取れなくて、ダンスは揃わない、歌は口パクで……なんてこともあると聞きます。それは氷山の一角で、日本の芸能界全体、ひいてはリスナーまで含め、MVや楽曲に対する意識が高く持てていないという実情はあります。
黒田:stuでは、テクノロジーと映像作品とを組み合わせてどんなことができるかを追求する「PoC(概念実証※)」を定期的に実施しています。
※PoC(Proof of Concept、概念実証):新しい概念や理論などの実証を目的とした、製品の試作開発の前段階における検証やデモンストレーションのこと(IoT用語辞典より)
これからより実践的なレベルに突入するにあたり、パートナーシップを組めるアーティストがいたらいいなあ、と思っていたんです。そうしたら同じことを考えていた日高さんと意気投合して。
アートとテクノロジーを掛け合わせた可能性を追求したい、という思惑が一致したという二人。
撮影:今村拓馬
2月末ぐらいに、BE:FIRSTのメンバーを含めたBMSGアーティストのパフォーマンスとstuのテクノロジーを使って何ができるかという非公開のワークショップを実施しました。
数千万円規模の予算を使い、ステージを作ってカメラも入れた大規模なものでした。一連のプロジェクトの延長で、MV制作もすることになりました。
「技術のための技術」を使わない
── MVで活用したテクノロジーについても伺いたいです。stuといえば、紅白歌合戦で話題になった「AI美空ひばり」やローカル5Gを使ったワイヤレス映像伝送システムなど、テクノロジーと組み合わせた新しいエンタメ体験の創出で知られています。今回はどのような挑戦をしたんですか?
黒田:撮影技術としては、プログラミングで動きを制御できる「Bolt(ボルト)」というカメラを導入しています。これは何万回でも同じスピードと軌跡でたどれるという撮影機材で、日本には3台しかないものです。冒頭のメンバーが変わっていくシーンや最後のダンスシーンなどはこのボルトで撮影しています。
日高:ボルトは、黒田さんと「こういうのを使いたいね」という話をしていたら、ちょうど見た(韓国のボーイズグループ)Stray Kidsの新曲のMVで「お手本」のような使われ方をしているのを観て「うわーっ」と思ったのを覚えていますね。グローバルのクリエイティブの現場で起こっていることの確信が持てたというか。
韓国のボーイズグループ、Stray Kidsの新曲「MANIAC」MV。勢いよく動き回るカメラワークも見どころ。
動画:JYP Entertainment
黒田:とはいえ、「技術が表現の主語になってしまう」ことは、避けたかった。だから、今回はまずハリウッド的な手法を意識して制作過程(ワークフロー)を、大きく変えました。
通常のMV制作では、まず監督が全体のストーリーを決め、それをどう形にするかと議論することが多いんですが、今回は順番が違います。
制作チームでまず「二面性」というMVのコンセプトを表現するための製作フレーム(枠)を固めていきました。例えば、ボルトをはじめとした主要機材、それを設置するスタジオ、メインとなる照明機器や美術のシーン数、衣装の数などです。
こうして「同じシーンを二つの異なる衣装・背景で撮る」というフレームワークがまず出来上がり、ここに監督が合流して「ダークとブライト」というテーマカラーを設定したり、ストーリーを乗せていきました。
BE:FIRSTの新曲「Betrayal Game」。テーマカラーはダークとブライトに設定されている。
提供:BMSG
── テクノロジーを含めた「フレームワーク(枠)」をまず定め、その後にMVのストーリーを描いていったと。
日高:事前にコミュニケーションがしっかり取れたのも良かったですね。
例えば冒頭のシーンは、8小節くらいの尺のためにものすごい時間がかかっています。でも打ち合わせで、技術的な難しさがあるから時間がかかってしまうんだとBE:FIRSTのメンバーに説明することができた。
「君たちのこの数時間は、未来の日本の映像技術の進歩に一役買っている」っていう話もして、目先のことだけでなくそういった「意義」自体にテンションが上がってくれるメンバーだったので成立したというのもあります。
あと実は、オーソドックスにマンパワーでこだわったシーンも結構ありました。
例えば「Swish(スウィッシュ)」という、カメラをシュッと上下左右に振って次の場面に移る演出ですね。これも撮影にはかなり時間がかかりました。人力でカメラを振るので、ちょっと雑な荒っぽい感じが出るんです。
60秒ごとに新しい世界観を差し込む
stuが手がけた「Betrayal Game」の公式MV。「Swish(スウィッシュ)」の演出が見られるのは1:45頃から。
動画:BE:FIRST Official
── 日高さんはご自身でもK-POPアーティストとコラボするなど、日本から世界でも通用するアーティストを輩出したいと以前からおっしゃっています。今回韓国のMVなどを意識した部分はありましたか。
日高:韓国のMVって、このシーンなんやねん?という「意味のわからなさ」を絶対に放り込んでくるじゃないですか。和食の中にスパゲッティみたいな、全然マナーの違うものが次々に出てくる。
あれは本当に素晴らしいなと思いますね。それはBMSGにとっての今後の課題かもしれないです。僕も曲を作っていて「もっと余白欲しいな」と思ったりもしますし。じゃあ作れよって話なんだけど……(笑)。
── 確かにK-POPのMVでは、爆発やカーチェイスなど、脈絡がないかのようなシーンがよく出てくる気がします。
黒田:私見なんですが、ああいうシーンはYouTube上での視聴継続率の向上のために必要だから入っているんじゃないかな。YouTube Studioのアナリティクスの活用ガイドラインにも記載がありますが、45秒か60秒ごとに全く新しい世界観を差し込んで離脱を防ぐ構成を作っているのだと思います。
逆に日本的なコンテンツとして勝負するなら、そういうシーンにもストーリー性を持たせるのがあるべき形かもしれませんね。
日高:一方で「見る側が勝手に考察してしまう」意味のわからなさもありますよね(笑)。
黒田:韓国のすごさはその徹底ぶりですよね。「LE SSERAFIM(ル・セラフィム)」のMVのクレジットを見たんですが、ビジュアルクリエイティブのディレクターが4人いるんです。
BTSを抱える韓国の大手芸能事務所「HYBE」から5月にデビューしたガールズグループ「LE SSERAFIM」。HKT48の元メンバー、宮脇咲良さんがメンバーに入ったことでも話題を呼んだ。
動画: HYBE LABELS
あれは、シーンセットごとのテーマカラーを色相環(色相を環状に配置したもの)で区切って、各色にディレクターを割り振っているのかなと思いました。
さらに言うと、色単位で予算が割り振られている気すらします。予算を最大限の効率で発揮できるように、製作のワークフローから全体像が設計されているように見えました。
日高:韓国はコレオグラファー(振付師)にしても、超一流の人に何組も依頼して、さらにその良いところだけ使う。発注した時点で数倍の予算がかかっているはずなんですが、納品したら使われていなかった……という人もいたりして。それぐらいのことを平気でやるんです。
BMSGもゆくゆくはそうならないといけないな、と思っています。
「韓国は国が支援しているからスゴイ」の誤解
「日本ではなにができるのかをトライしエラーを蓄積し、会社を超えて協力することが大切」
撮影:今村拓馬
── 音楽でも映像でも、日本は韓国のエンタメに差をつけられているという話はよく耳にします。お二人は今、日本のエンタメ業界に対してどのような思いを持っていますか?
黒田:stuのCOO(ローレン・ローズ・コーカー氏)が内閣府の知的財産戦略本部の委員を務めていて、話をよく聞きます。日本の映像制作がアメリカ、韓国、中国、インドなどと比較しても明確に遅れていることは、政府でもやっと議論のテーブルに上がり始めているところです。
一方で、エンタメ業界の人がよく口にする「韓国は政府が支援したから成功したんだ」という論調には疑問もあって。海外へのプロモーション支援では差がついているのは確かですが、制作支援に関して言うとそこまで差はないんじゃないかというのが僕の実感です。
一方で、コンテンツ産業の「教育」や「施設」に対する、長期的な投資をしている点は、明確に日本にはない特徴ですね。この辺りはJETROの調査資料によくまとめられています。
── 韓国政府の支援制度には例えばどのようなものがあるのでしょうか。
黒田:代表的な機関だと「韓国映画振興委員会(KOFIC)」という映画支援を担う機関や「韓国コンテンツ振興院(KOCCA)」というコンテンツの活性化を担う機関があります。
でも日本でもVIPO(映像産業振興機構)が実施しているものなど、似たような制度はあるんです。政府も周知をもっとして良いとは思いますが、民間側ももっとキャッチアップすべきなんじゃないかなあと。
実際、僕らも普通にアプライしてかなりの補助金や助成金が受けられています。
── 韓国は政府が支援してるからすごい、というのは安直に過ぎると。
日高:日本はダメだと言われますが、環境は恵まれていると思うんです。ダンスや歌を練習する場所も揃ってるし、子どもが夕方以降に一人で出歩けて、スクールがこれだけある国って日本くらいしかない。
一方で、幼い頃からワールドスターになることを夢として見づらかったことも確かだと思います。
元々、事務所間の情報共有も少ないので、各事務所やアイドルが成功すると、その一強体制や競合への忖度、踏襲に次ぐ踏襲が生まれてしまう。どこかで一度成功したモデルの焼き直しこそが正解みたいになってしまったのが、もったいないなと。
せっかくガラパゴスと揶揄(やゆ)されるのだったら、逆にガラパゴスならではの混ざりが生まれてたら良かったのかもしれない。
韓国やアメリカがすごいというだけで終わらせるのではなく、何がすごいのか。逆に日本ではなにができるのかをトライし、エラーを蓄積し、会社を超えてお互いに協力・切磋琢磨することが重要だと思います。
「300万円なんだ、すごくね?」からの脱却を
撮影:今村拓馬
── お二人の今後の取り組みについても教えてください。
黒田:stuは会社設立後から注力していたエッジテック(※)領域の開発がかなり進んできました。
※エッジテック:エッジ(ネットワーク端末)で使われるデータ処理技術の総称。最適化されたデータのみを送信するため、ネットワークへの負担が軽減されシステムの高速化ができる(IoT用語辞典より)
例えば、KDDIらと取り組んでいるローカル5Gを用いてカメラ映像をケーブルレスで伝送する仕組みだったり、NHKの放送用メタバースプラットフォームの構築などを通して、開発の体制が整ってきています。
日本の映像は制作手法がかなり古いので、こういった基幹技術は積極的にクリエイティブ領域に応用して、限られた予算を最大化するノウハウを作っていきたいです。
日高:現場レベルでもできることはあると思っています。今回、MVを撮影した後に70ページくらいのレポートをstuで作ってくださったんですよね。
黒田:予算をかけたところ、カット数、今後の課題などをまとめました。これは業界の人含め、色々な人に見てもらおうと思っています。
日高:今はMV撮影のチームが、200万円や300万円で撮ってくださいって言われるのに慣れすぎて、さらに周りも「これ300万円しかかけてないのにこのクオリティなんだ、すごくね?」という方向になってしまっている。数千万円のビデオを撮りましょうという時に、予算の使い方がわからない。
黒田:我々がこうした情報を公開していくことで、いいエコシステムを生んでいけたらと思っています。
日高:そう考えると今は、'90年代と比べてもすごくいい状況だと思いますね。昔と違って、インターネットもあるし、調べたらなんでも出てくるじゃないですか。何をどう頑張れば大リーグに行けるかわからない時代ではない。
10年以内にビッグバンが起こる可能性は、全然あると思います。
(取材・構成、西山里緒)